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2010年1月24日 (日)

シバ神とガンガーの街 バナラシー

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 嘗ては英国式に倣ってインド以外ではベナレスと呼ばれていたのが、バナラシーに変わり、最近じゃ表記は同じでもワーラーナシーと呼称するようになったらしい。VはWで発音したりするのはよくあるけど、ボンベイがムンバイになった頃からだろうか。久しくインドの地に足を踏み入れてないので、もうさっぱり。
 バルナー川とアッシー川に挟まれた街としてバナラシーと呼ばれるようになったという。数千年の歴史を刻んだ遙か以前はカーシー国の首府としても栄えた古都。それだけでも何かエキゾチックな雰囲気で、石造りの建物が狭い細路(ろじ)の両側に切り立った燻すんだ街並みの壁から壁面のあっちこっちに施された装飾あるいは神像の類の一つ一つに秘された歴史が隠されているように想えてくる。ガンガー(ガンジス川)沿いのガートも好いけど、少し奥に這入った細路をゆっくりと散策するのも仲々に面白いものだ。
 只、宗教的な施設の多くは、十七世紀のイスラム王朝六代皇帝アウラングゼーブ(聖地プシュカルにも彼のエピソードが残っている)が厳格なスンニ派で、偶像崇拝を忌み徹底的に破壊したらしく、十八世紀に再建されたものらしい。

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 郊外には仏教遺跡のサルナート(鹿野苑)もあるけど、やはりバナラシーといえば、聖なるガンガーだろう。ガンガー、ガート(沐浴場)、沐浴。以前は、インドといえば、もうこれしかないみたいにバナラシーで沐浴するインドの人々の姿が定番であった。皆、このガンガーと沐浴する人々を一目見ようとあるいは自身も沐浴してみよう遣って来たものだった。実際にガンガーに入水して沐浴する観光客って極く一部で、飛び込んだりして川の水を飲むと大抵下痢に苛まれるのもお決まり。ガートに作られたチャイ屋でガンガーの水で作った素焼き茶碗のチャイでも飲む方が賢明だろう。

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 今でもガートには自称ガイドの類が跋扈してるんだろうが、中にはかなり悪質なのが居て油断ならない。以前、定宿のヨギ・ロッジの屋上から下の細路を眺めていたら、その悪質ガイドの類が白人の後をしつこく追ってきて角の辺りでその若い白人に怒鳴られていた。カエルの面に小便で尚も執拗に付きまとっていると、ヨギ・ロッジの入口前の右手の建物で外人相手のハンディークラフトを商っていた若い長身のオーナーが出てきて、そのガイドを呼びつけ、怒って暫く何か云っていたのが、突然殴り出し、傍にやってきたそのオーナーの使用人か何か、その悪質ガイドと似たような風体の男にも、殴らさせていた。悪質ガイドは泣き声すらあげていたが、やがて逃げるように元来たガート側の方へ走り去っていった。恐らく、悪質ガイドが外人に付きまとって、まともなガイドや客引きが自分達も同様な悪質と思われて相手にされず商売に支障を来し腹に据えかねていたのだろう。ガートから大部入った自分の店先までやってこられた上そんな真似まで遣られたりしてマジ切れてしまったに違いない。普段はニコニコの好青年って処だったのが。

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 基本的に定宿はヨギ・ロッジと決めていて、人気のある宿なので仲々チェック・インできないこともあり、そん時は間に合わせで近くのガネーシュやトリムルティ・ゲストハウスに泊まったりしたけど、やはりホットシャワーの備わったヨギ・ロッジのドミトリーが一番リーズナブル。ここのドミはベッドとベッドとの間の間隔がかなり狭いのが難点だけど、早朝、地元の親爺がすぐ近くの住民の家をノックし大声をだしてガートの沐浴に誘ったり、すぐ裏手のゴールデン・テンプルのスピーカーから流れ出す、アザーンならぬヒンドゥーのプジャ・ソングの大音量に、まだ曙光すら差してない明け方の微睡みを打ち破られ怒る白人達の罵りの声を聞き流しながら、サンスクリットの流麗な声色に暫し耳を傾けるのも愉しみの一つ。実際は、その曲名を確かめ損なった妙なる歌声の曲が一等素晴らしかったのでそんな習慣が出来てしまったのだが、それがいつの間にか他の曲に替わってからもその素晴らしさは薄れたもののそれなりに愉しんで聞き続けれた。その曲はゴールデン・テンプルの入口のある細路の向かい側の小さな小屋でカセットを流していて、その件の妙麗な曲のタイトルは結局分からずじまい。その後もあっちこっちで捜してみたが年々メロディーの記憶も薄れるばかりで、幻の妙曲として殿堂入りしてしまった。

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 建物はトリムルティ同様旧く吹き抜けになっていてそれなりに趣きがあり気に入った宿の一つ。'91年にドミで15ルピーだったのが、翌'92年には20ルピーに上がり、'97年には30ルピーに。受付に大きなスピーカーが置いてあってお決まりのドアーズなんかが流れていて、テープのストックを物色してリクエストしたりしていた。ここは、入口のフロアーがリビング・ルーム兼レストランでハガキを書いたり本を読んだりするのに便利。他の宿では余りないらしいアイスクリームなんかがメニューにあり、日本人の学生達は大抵バナナ・スピリットや明日は2スコップ、3スコップに挑戦するとかはしゃぎ嬉しそうに舌鼓をうっていた。
 最初は無かったと記憶しているけど、いつの間にかこのレストランはジャフルズ・レストランという名前を冠していて、ディナーのメニユーすら備えられていた。白人が普通の広いテーブルを占拠し、日本人は内側の丸いテーブルに固まって和気藹々にアイスクリームってことも偶にあった。

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 バナラシーでは頻(よ)く夜になると古典の方のインド音楽のミニ・コンサートが外人相手に催されていて、レストランなんかでも演っていた。ヨギ・ロッジ裏の暫くして止めてしまったが《ガネーシュ・ゲストハウス》や"もどき"の日本料理も食える角のレストラン《ガンガーフジ》でも催されていた。ガンガーフジの方は店内が狭く、必ずしも聴きに来たのではない普通の客なんかも混在していて無遠慮な話し声が騒さい事も多く、聴く側も演奏する側も不快な場所ではあった。それでも、やはり演奏に没入してゆくシタールやターブラの掛け合いにそんな不快も忘れ聴き入ってしまう。ある夜なんか客が当方一人ってんでコンサートが中止になったこともあった。確かに一流ミュージシャンじゃないけど、誰も彼もがインドの古典音楽に興味持っている訳ではないという事実に意外だった記憶がある。

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 《トリムルティ・ゲストハウス》の屋上には、'92年のヒンドウー教徒によるアヨデヤのバーブリー・モスク破壊事件以降なのかどうか定かでないが、ライフルを持った兵士だかポリスだかが常駐いるようになって、洗濯物を干しづらくなり狭いそれこそ独房のような小部屋に干す羽目になってしまってしまいいよいよ殺風景になってしまった。小さな窓から、向こうの木陰や屋根に猿の姿が頻く覗けたりするのが救いだった。バナラシーも猿が多い街で、屋上から屋上へと飛び回っている。ヨギ・ロッジの屋上にもやって来たりする。所謂黒い顔面の尻尾の長いハヌマーン猿ではなく日本猿に似た赤顔の攻撃的なバンダル猿だけど、ここのは比較的大人しい感じがした。聖地プシュカルのバンダルはモロ攻撃的で人間や犬に追われて一層敵愾心を募らせているので打つ手無し。おっとりしたハヌマーン猿は人気があり、人慣れしているからか、傍に寄っていっても逃げもしないし向こうから寄ってきたりする。仕草も何故か人間くさく、遠くから影だけみていると人と勘違いしかねないくらいだ。ハヌマーン猿達が居なくなったらプシュカルの魅力も半減だろう。
 バナラシーのガートにも猿は出没するし、野良牛も禿鷲も山羊も徘徊している。ガンガーでも時折馬鹿デカい魚やイルカが撥ねたりする姿も見掛けたりする。猿やイルカの姿が見えなくなった時、バナラシーもケミカルに汚染された世界中に瀰漫した死の街のリストに載ることになるのだろう。猿との共存の街は、やはりそれだけで世界遺産というとあざと過ぎるであろうか。

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