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2010年3月 6日 (土)

新シャンバラ譚《チベット、革紐の結び目につながれた魂》ザシダワ

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      カルキ(シャンバラ王)

  以前に田中真知の《理想郷シャンバラ》を紹介したが、今回はチベット人作家として今じゃすっかり有名になったザシダワの短編小説《チベット、革紐の結び目につながれた魂》を紹介したい。
 映画《チベットの女 イシの生涯》(2000年)の原作・脚本も手がけ、《ココシリ》(2004年)の制作にも関わっていたようだ。ソーポー(色波)と同様片親が漢人で、二人とも中国語で原稿を書いているようで中国語教育でチベット語も喋れない若いチベット人世代も現れてきているらしい情況じゃ、チベット語で書かれたものこそが真のチベット文学という定式は増々影の薄い非現実的なものとなっているようだ。正に危惧すべき事態。

 JICC出版局から出ている《発見と冒険の中国文学8: 新しいチベット文学風馬の耀き》に掲載されたザシダワの短編集から冒頭の《チベット、革紐の結び目につながれた魂》(1985年)、もうかれこれ二十五年も前の作品だけど、仲々チベット作家の小説ってお目にかかれない情況では選びようもない。それに、この短編、シャンバラをテーマにしていて、今風のシャンバラ探求譚って処だろうか。最近のチベット文学だとその様相も大部変わってきているのかも知れないが、この頃は、圧倒的な中国文学と断絶し、ボルヘス等のラテン・アメリカの魔術的リアリズムを採り入れたりして、新たなチベット文学の方途を模索し始めた時期のようだ。

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 「革紐の結び目」とは腰に下げた革紐に毎日結び目を作って日付(カレンダー)を確認するためのものらしく、古からの遊牧民達の生活の知恵。それに「つながれた魂」とは連綿と続いてきたチベット人達の生活・風俗・歴史の上に繋がれた今現在の作者をも含んだチベット人達の魂ってことだろうか。筆者には、「つながれた魂」というフレーズは直ぐ嘗て米国中で燎原の炎の如く燃え上がった黒人達の暴動・解放運動の「長く熱い夜」、その象徴ともいえる゛ブラック・パンサー゛のエルドリッジ・クリーバー著"Soul on Ice"《氷上の魂》が想起されるけど、余りザシダワと繋がりそうもない。

 「のんびりした素朴なペルー民謡《コンドルは飛んでいる》は近頃めったに耳にすることもなくなった。しかしぼくのテープにはちゃんと録音してある。聴くたびに、目の前に高原の谷間の風景が浮かんでくる。・・・」
 冒頭の如何にも牧歌的な景色の描写が、実はペルーではなくて、嘗て作者が訪れたことのあるチベット南部のものだった。否、実際はそれも勘違いで、後に十九世紀の英国風景画家コンスタブルの描いた風景画の記憶だった。現実のそのチベット南部の山間のパプナイカン山区は、週5便のヘリコプター定期便すら飛んでいる改革開放政策の草創期。怒濤の如く浸食し始めた現代文明と今だ連綿と古から続く旧態依然とした地場のチベット人達。

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 ザト寺の九十六歳になる第二十三世転世活仏サンチェダプ活仏が死に瀕していた。
 転世活仏の制度がなくなるとやがてチベット仏教(ラマ教)も潰え去ってしまうのではないかというテーマの下のルポを認めるために活仏にインタビューを試みると、果たしてその老僧は、口を開いた。
 「・・・幻覚状態に入り、目の前の見えないだれかに向かって話している。
 『シャンバラの、』彼は唇をかすかに動かした。『戦争はもう始まった』」
 
 「おまえはカールン雪山を越え、蓮華生大師の掌紋のなかに立ったとき、追い求めてはならなぬ、捜し求めてはならぬ、祈りの中で悟れ、悟りの中で幻影を得る。縦横に交差する掌紋のなかで、ただ一筋だけがこの世の浄土に通じる生存の道だ」
  そして、更に続けた。
 「『カムパの若いふたりが、シャンバラへ行く道を探しにきた』活仏が言った。
 ぼくは疲れ切って彼を見ていた。
 『それは、一九八四年に、ここにカムパ人がふたり、男と女がきたということ?』とぼくはたずねた。」

 活仏は以前このパプナイカン山区にその二人連れがやって来た折の事を想い出し、その二人が道中での出来事を活仏に語った話の内容が、何と作者(ぼく)が書いた小説の内容と同じで老僧は只筆者の「小説を暗唱しているだけ」だった。
 ぼくはその小説を他人に見せることもなく鍵をかけてしまってあった。ところが一言一句同じなのだ。只、唯一、最期に道(蓮華生の掌紋)に関して老人と老僧の対応の相違があっただけ。
 「すなわち客観的事物の事象がイデーの力を通して生物的感応の情報となって作者の大脳に伝達されることである。なにかの黙示録のようにるぼくはかつてふたりのカムパ人がパプナイカンにやってきた経過をリアルタイムで記録した。その後のことがあまりはっきりしないのは、なにかの情報に乱れが生じたためにちがいない。・・・」

 事態は曖昧朦朧として韜晦され、メビウスの輪の如く如何辿ってみても堂々巡りするだけ。正に蓮華生(パドマサンバヴァ)の掌紋に迷い込んだ如く。

  前世に赤い糸で結ばれてでもいたように《ケサル王叙事詩》語りの芸人の娘チョングとカムパの青年ターペイのふとした遭遇と巡礼を想わせる何かを求めての長い彷徨。やがて、娘チョングがいつ果てるとも知れぬ旅に厭き、町の電卓を手にした男に誑かされてしまう。片や昔ながらの革紐、片や最新式分明の利器「電卓」って処がミソなのだろう。若い娘は探求よりも嗜好に眼が向きがち。それでも、結局再びターペイの傍に戻ってしまう。
 そしてジアという干魃に見舞われた村に至る。若い二人連れが現れると雨が降るというお告げに村民達は儀仗隊すら組織して歓迎する。白ターラー(教度母神)に似た容貌のチョングは特に歓待され、ターペイは拗(す)ねて酒場に入る。そこで遭った老人に、誰一人として戻ってきた者のないカールン雪山の向こうにあると云われている蓮華生の掌紋の話を聞かされる。己が行こうとしていたのがそれだと漸くターペイは気付き、そこへ向かうことを決意する。が、その村で文明の象徴たる「トラクター」にはねられ内蔵をやられてしまう。そこはカムパ男らしく、何ともないと駆け寄ってきた人々を振り払い、チョングを残し、一人敢然と蓮華生の掌紋=シャンバラに向かう。

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      カルキ

 「小説はここで終わっていた。
 パプナイカンに戻り、カールン雪山を越え、蓮華生の掌紋の地に行ってわれらの主人公を探すことにした。」

 カールン雪山を滑り落ちて作者は瀕死のターペイを探しだし、作者はシャンバラが空想の産物に過ぎないと説いてみせるが所詮せんないことと悟り、戻ってきていたチョングと共にターペイの最期を看取る。

 「ぼくはターペイに代わった。チョングがあとからついてくる。ぼくたちはいっしょにもと来た道を引き返す。時間はまた最初から数えなおすのだ。」

 時代設定は1984年、ロサンゼルス・オリンピックの年。ターペイが何処かから聞こえてくるラジオからだろうか開会式の英語の実況中継の音声を神の声と云う。死を間近にしたターペイに事実を教えたところで意味がないと作者は否定もしなかった。これが、この短編での作者の基本的スタンス。それは必ずしも、中国共産党的論理に乗っ取ったということではなく、ザシダワ自身の考えでもあろう。ダライラマすらシャンバラを現実に実在するものとは考えてない旨明らかにしているぐらいで、所詮説法的方便・説話の類だろう。 それは何処其処に在るものではなく、自身の心の内に在るもので、それはしかし又、やがて現実に実現するものという開かれた可能性を決して排除するものでもあるまい。

 ザシダワの父親もチベットの共産党幹部だったらしいが、チベット地域内でも政治性を帯びた問題を扱うような創作活動は色々と困難が多いらしく、ウイグル自治区等の他の少数民族エリアより厳しいという話もあり、その中で如何に自身のイメージとメッセージを造型してゆくか、依然として暗喩と隠喩に満ち満ちた仄暗いトーンを引き摺らざるをえないようだ。                            

 《発見と冒険の中国文学8: 新しいチベット文学風馬の耀き》 
                ザシダワ・ソーポー(色波)
                      訳・牧田英二(JICC出版局)

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