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2010年4月 3日 (土)

〔門司港=釜山フェリー〕リバイバル

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    フェリー乗り場の隣の岸壁に停泊中のカンボジア船籍リッチ・クイーン号

  以前、韓国の「C&クルーズ」なる企業が釜山=門司港間の定期フェリー通称゛門司ライン゛なるものを運行し、たった数ヶ月で潰え去った記事を書いたことがあったけど、懲りもせず、韓国の自動車部品メーカーが中心になって起こした「ソージン・フェリー」なるフェリー会社が、早ければ今月末には門司港=釜山の定期航路を運行するというニュースをブログで知った。

 元々海運やフェリー関係の業務に携わっていた企業ではないようで、詳細ははっきりしないが、日本が゛一億総ベンチャー化゛時代に突入したように、隣国韓国も、゛五千万総ベンチャー化゛時代に入ったのだろう。゛ビジネス゛って訳だろう。一万トン級の日本の中古フェリーをリースするらしく、乗客は六百人ぐらいらしい。予定では、週6往復もするらしいけど、如何も怪しい。大観光地は韓国人達も食傷気味故の、各地に点々と伏在する穴場・ミニ観光地巡りとしてすら成り立つか否かも危うい門司港、そこを起点に他の観光地・穴場に向かう他ない。だったら、大声を出せば聞こえそうな対岸の下関にちゃんと戦前からの関釜フェリーが運行しているので全く必要はない。正に生き馬の目を抜く末期資本主義のなせる業なのだろう。

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 明らかに衝突した痕跡。乗組員は中国人ばかり。側舷を溶接で修理していた。

 で、取り敢えず、門司港のフェリー乗り場へ赴いた。
 三月三十日現在、フェリー乗り場は、銀色に輝くフェンスの向こうでガラーンとして人気もなく、プレハブ風のカスタム事務所のガラス張りの玄関口の奥も薄暗く、ガラス戸にも件の「ソージン・フェリー」のポスターすらなく、只、一枚嘗ての「C&クルーズ」の廃止の断り状の貼り紙が侘びしく色褪せているばかり。つまり、もう三週間ぐらいしか猶予のない就航を想わせる何物も存在してないのだ・・・尤もカスタムは既に出来上がって有るので、後は実就航を待つばかりなのだろうが、以前が以前だった故に如何も全てが胡散臭く想えてしまう。しかし、この町、巾狭く潮の流れの速い関門海峡以外他に何があるのだろうか。確かに、そんな景観を束の間楽しむというのも゛通゛なのかも知れないけど。対岸の下関には、韓国人達には、否、中国人達にも歴史的な遺物が少なくなく、伊藤博文=春帆楼なんかを前にして、些かの屈辱と怨嗟を肴にして飲むビールの味も又格別なのかも知れない。

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 就航間近という割には、取り付く島もないくらいに何一つ手掛かりもないフェリーは諦め、帰りにその後が気になっていた藤原新也指定の麺館《朋友》によってみると、直ぐ先の移転先はともかく、嘗ての本来の旧い佇まいの朋友の建物、もはや完全に廃墟化してしまっていた。壊して再建するって感じではなく、このまま朽ちるに任せているって随分と場所柄的には危ない方途を辿っていて、確かに半世紀にもわたる自民党政治の恩恵たる恒久不況の時節柄、朋友といえども如何ともし難いのであろう。
 繰り言めくが、あんな社用族相手の高級料亭・三宜楼よりもこんな市井の味わい有る建物の保存をこそして欲しかったのだけど、それにしても異常気候も関係しているのか、驚くほどに老朽化が早く、表通りに面した軒下の板が殆ど外れ落ちていて、残っている板もいつ何時落下してくるか分からないような危うさ。そして、眼を凝らすと、その板の外れ落ちた軒の隙間から、二階の部屋の天井らしきものすらがとっくに朽ち落ちているのか、漆黒の闇となっていて、奥に何と光が点々と覗けているのだ。つまり、空の光ってことは・・・もう屋根自体に穴が穿いているってこと?

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 さしもの旧館・朋友も時代の波には逆らえなかったようで、早晩潰え去るのみの趣きで、又、一つ昭和の生き証人が姿を消してしまうのだろう。建物を仔細に眺めてみると、最初からというより、比較的最近、と云っても、二、三十年くらいなのだろうか、大通りに面した危ない軒下の一画は、麺館とは板張りの壁で仕切っているようだ。又、露地に面した正面側も端っこが二つに仕切られ、それぞれ間口の狭い飲み屋・飯屋のとっくに朽ち果てた看板と店構えが侘びしく佇ずむばかり。二階は貸室だったらしく、往事は地元の様々な団体が会合等を設けたりしたのであろう。

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