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2010年5月17日 (月)

門司港=釜山フェリー再開、あるいは関門海峡フェリー・ラッシュ

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   釜山に本社を置く《グランドフェリー》の《セコ・マル》Seco maru(1万1550トン)、真新しい白塗りの大きな船体の船首横に記された"secomaru"のハングルの下に、以前の持ち主の時の名前"KC RAINBOW"が薄っすらと浮かんで見えていた。

 今朝九時頃、漸く平屋建てプレハブ・カスタムのパチンコ屋の新装開店かと見間違うくらいに花輪が立ち並んだ入口から、百人弱くらいの韓国側からの乗客達が姿を現した。それまで狭いエンタランスで、申し訳程度の報道関係者達も中に入って、セレモニーやインタビューらしきものをやっていたようだった。皆、一様にリュックなんか担いだパッカーというよりハイキングかトレッキング仕様の出で立ちで、数十人の子供達も小さな段ボールを携帯手押し車に乗せてたりしていて、如何も観光というより、ハイキングかトレッキングに行く雰囲気で、待たせてあったバスに次から次へと乗り込んでいた。曇りという天候のせいもあるのか、何とも寂しい、カラフルな花輪ばかりが空々しく風に微動していたオープンであった。 

 やはりカーフェリーだけあって、後部の貨物搬入口は大きい。鑑真号や蘇州号に乗っていた頃には気にもしてなかったが。貨客船の場合、人よりも貨物の方が利幅も大きく、客は副次的な代物で、客の多寡だけでその航路を云々するのは早計だろうが、時代が下るにつれて段々と蘇州号の客室の空きが増えていき、大丈夫かなと心許なくなった記憶がある。今は如何なのだろう。せっかちに皆飛行機で飛ばしまくってるのだろうか。
 17日の昨夜(月曜)釜山出航から本格的就航となり、今朝門司港に到着し、正午に門司港からの初出航。

 門司発 12:00 → 釜山着 19:00
 釜山発 23:00 → 門司着 08:30
 
 釜山 月~土  門司 火~日 (週6往復)
 定員640名。
 料金が六月末までの便は、特別割引の二等往復9800円、一等往復12000円で、対岸の下関から出る関釜フェリーだと二等往復17100円らしく、可成り格安。距離的に同じくらいの(実際は岡山ぐらいだが)国内便の新門司=大阪が、二等片道6000円。因みに前回の門釜フェリー「C&クルーズ」の二等片道8000円。七月からは本来の料金なのだろうが、いくらかは不明。

  

Secomaru1

 前回たった二ヶ月間の門司港=釜山フェリー、実は隣の小倉でも走っていた釜山行きの高速フェリー同様、韓国側企業の経営不振でポシャッてしまったのだが、絵に描いたような韓国五千万総ベンチャー化時代の到来で、猫も杓子も目先の銭儲けに狂奔する正に末期資本主義の奈落って訳だ。今回漸く就航となった《セコ・マル》のフェリー便、前回同様たった一隻の日本製中古フェリーを昼出航・翌朝帰りというピストン輸送の使い廻し綱渡り操業。果たして何時まで持つのやらと、あらぬ心配までさせられてしまう。(前回が、たった二ヶ月で最初エンジンの不調を口実にして運休したし、小倉の方も惨憺たるものだったらしい。)
 何故、小型フェリーでたった五分で渡れる対岸に昔からある関釜フェリー(こちらは、ちゃんと日韓それぞれ一隻づつ計二隻で運行)と重複してまでも門司港なのかと不思議に思っていたら、如何も、韓国側が、人気の日本国内の港へ参入するには門が狭く色々煩雑なので、とりあえず手薄で近場の門司港という事らしい。車や貨物便の流通の面でもリーズナブルなのであろう。船体を見ると、モロ"貨客船"って感じのごっつい作り。所謂(いわゆる)カーフェリーらしい。

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  戦前は、門司港からも、大阪~神戸~門司~清津~羅津~雄基という当時「北鮮三港」と呼ばれていた基幹港を巡る航路もあったようだ。朝鮮半島はやはり、北陸の敦賀とともに関釜連絡船で有名な下関の独壇場。戦前の昭和五年からは麗水との関麗連絡船(川崎汽船)も運行していた。
 門司港は、北は樺太・ウラジオストック、中国は青島・大連・天津・上海・海口、台湾(基隆)、北米(シアトル)、南米、ケープタウン、オーストラリア、インドネシア、バンコク等の航路の中継点として繁華な国際的な港湾都市であったらしい。例えば、大阪商船のバンコク航路では、横浜~名古屋~大阪~神戸~門司~基隆~海口~ハイフォン~サイゴン~バンコクの諸港を巡ったようで、台湾、(中国)海南島、ベトナム、バンコクなんて現在でも食指が動いてしまう。《盤谷丸》(五千トン級)はチャオプラヤー川を遡るための特別あつらえという。                                        《》
 現在でも、貨物船は操業していて、以前はそれでもまだ可能ではあったらしい船客としての乗り込みも、年々管理主義やコスト・リスクの問題で難しくなっているようだ。
 例えば、次のような航路もあるらしい。
 上海-博多-門司-新港-煙台-大連-門司-博多
 博多-門司-釜山-上海-寧波-マニラ-厦門

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 又、釜山に比較的近く、光陽製鉄所があり、サッカーKリーグのスタジアムもあるらしい韓国・光陽市が定期カーフェリー航路の開設先として下関、門司の両港を検討していて、今月中にはどちらか決定するという。 台林海運(釜山市)が運行するらしく、こことは下関が既に鮮魚運搬定期航路を操業していて、普通ならば光陽=下関フェリーとなるのだろうが、光陽市側の荷主が鋼材輸送なんかの場合、設備の整った門司側になる可能性もあるようだ。15000トン級、旅客700人のカーフェリーで、今年末か遅くとも来春の就航を目途にしているという。
 下関からは、既に釜山だけでなく、中国・大蒼、青島にもフェリーが操業中で、先だっての護衛艦くらまと韓国コンテナ船の衝突炎上事件で分かる通りの狭い関門海峡、正にフェリー・ラッシュといったところ。しかし、そこに一縷の不安材料が伏在していて、他ならぬ既に悪名ばかり高い無責任集団=海上保安庁が、以前と違ってもはや強権的に管理する体制に入っていて、果たして一体如何なるのやらとも、何よりもそっちの方が案じられてならない。

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 芥川龍之介は大正末に門司港から日本郵船の英国製「筑後丸」に乗船し上海に向かったらしいけど、金子光晴は嫁さんの里の長崎港から、同じく郵船の「長崎丸」・「上海丸」(五千トン級)で上海へ。昭和七年頃だと、長崎を午後一時に出て、翌午後三時には上海に到着したらしい。
 辻潤・まこと父子は、昭和はじめに、神戸から日本郵船の「榛名丸」(一万トン級)で上海・香港・シンがポール経由でマルセーユまで。
 大阪商船のインドネシア航路も面白そうだ。「バタビヤ丸」(四千トン級)で、阪神~門司~基隆~厦門~香港~マニラ~サンダカン~バタビヤ~サマラン~スラバヤ~マカッサ~サンダカン。これが長崎からの便だと、「唐行きさん」コースってところだろうか。

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