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2010年7月 9日 (金)

《フレイルティー/妄執》 エホバの悪魔狩り故事

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  つい先だっても広島のマツダ工場で十人以上の死傷者を出した所謂「通り魔無差別殺人事件」があったけど、今一つその動機が曖昧・不可解で、それこそが時代の反映であり、時代相そのものでもあった。この不可解さが如何なるものであったのか、当人より他知る由もないのだろうし、あるいは又、当人自身にも定かならぬものかも知れない。
 その不可解さの間隙に伏在していたものとは、かの元派遣社員の期間工氏が、何かに憑かれてしまったのか、あるいはこの世のものならぬ超越的な何ものかに使嗾(しそう)され誘われたものであったも知れないという推論も成り立ち得よう。
 
 2001年のこの《フレイルティー/妄執》、映画的には地味な作品で、最近リニューアルした《エルム街の悪夢》の1984年から2003年までのオリジナルなんかと較べようもない程、ホラー映画のオドロオドロしさは皆無。
 この映画の面白さは、専らストーリー・プロットにあって、自分達の家族の耕作地を拡げるために手作業で一つ一つ地雷を撤去してゆく緊迫感に満ちた2005年作品ベトナム映画《癒された地》なんかと同様、低予算ながらも仲々にスリリングで飽かせない。意匠や映像で(更に音響効果で)驚かせ怖がらせる感覚的イメージ的恐懼とは別の、むしろオーソドックスといっていいくらいに人間の心理にジリジリと迫ってくる心理的恐懼タイプ。

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 この映画の面白さの要因の一つは、主人公の少年時代、子供であることにあろう。
 父親と息子、という関係だが、ツルゲーネフの『父と子』はよく知らないけど、キリスト教国では、旧約聖書のアブラハムとその息子の関係ってのが、一つの了解性として成り立っているのかも知れない。ユダヤの神ヤッウェの敬虔なる僕(しもべ)アブラハムがその一人息子イサクを神に云われて神に生贄として差し出すため、正に薪の上に横たわらせたイサクを刀で屠ろうとした次の刹那、神の使い=天使が現れて、アブラハムの忠実さを褒め称え止めさせたというユダヤ教的故事。全能の割には随分と姑息で小賢しい神のようで、ヤッウェ=YHWH=エホバの同根の神故に、キリスト教もこの「試し」って幼稚な詭弁(詐欺のイロハ)を自家薬籠中のものとして多用している。
 勿論この映画で父親が我が子を直接生贄として差し出すというシーンはないものの、子供の自立性を無視し監禁したりして、「神に選ばれた者」としての観念を強権的に押しつけ続け植えつけた。世にごまんと似たり寄ったりの事件・事象が起き続けているのは周知の如く。
 背景になった米国南部ってのがミソで、米国の南部って、南北戦争・黒人問題なんかも含めて、映画的には、《イージー・ライダー》以来、保守性・閉鎖性・欺瞞的キリスト教が跋扈する鬱々としてどんよりと籠もった何が起こるか定かならぬ不気味な異郷のイメージが強いらしい。南部なら何でもありって訳で、今じゃホラー映画の舞台のメッカの観すら呈している。

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 ある日、FBIの事務所に一人の男が現れる。
 世間を恐怖のどん底に陥れている《神の手》と名乗る連続猟奇殺人犯を知っていると男は、応対に出た捜査官に告げる。捜査官は半信半疑。じっくり男の素性を知ろうとする。
 実は犯人は、彼の弟で、彼に自殺予告をして既に死んでいて、バラ園に埋めたという。そして、長々と弟が何故そんな挙に出るようになったのか、少年時代にまで遡って話はじめた。
 母親が死んで、父親と彼と弟の三人家族。
 ある日、父親が自分は神の声を聴いた、と二人に告げた。そして、自分を神に選ばれた者と称し、神の選んだ斧と革手袋、そして神が選んだ神の敵=悪魔達の名の連ねられたメモを見せた。父親は、メモに連ねられた人物=悪魔の居場所を探し始める。兄たる少年は、最初父親が母親の死やなんかでおかしくなっているんだと思った。ところが、事態はやがてどう逃れようもないほどにのっぴきならぬ処まで至った。ある晩、突然父親が、倉庫に縛られ口にテープを貼られた見知らぬ女を連れ込んだ。そして、二人をその女の前に連れて行き、この女が悪魔なんだといい、片手で恐る恐る蹲った女の頭に触れた瞬間、父親は電流に撃たれたようになって慌てて手を引いた。そして、手にした大きな斧で満身の力をこめて女の頭上に振り下ろした。少年は呆然とした。父親が完全に狂ってしまったと思い、恐怖に戦いた。
 それ以来、父親は息子二人を連れて、神の教えてくれた名前の人物を捜し出しは、倉庫に連れ込み殺害し続けた。まだ小さく訳の分からぬ弟は、父親におもねるように僕にも感じると云いだし、一人彼だけが神の声が聴こえぬまま、孤立してしまう。彼は正気を失った父親を狂人呼ばわりし罵った。そしてとうとう、父親に倉庫の真っ暗な地下に監禁されてしまう・・・そして、父親に告げた。僕にも神の声が聴こえると。そして、次の獲物=悪魔を連れ込むと、父親は彼に斧を渡し、お前が殺れと命ずる。逡巡していたものの、覚悟を決め、頭上高々と振り上げた斧を打ち下ろしたものの、途中で横にいた父親の腹に思いっきりぶち込んだ。父親は崩れ落ち、動顛する弟を呼び何かを囁いた。獲物にされた男の縄をほどこうとした次の瞬間、弟が斧を高く掲げ突っ走ってきて獲物の男に襲い掛かった・・・
 話を聞き終わっても捜査官は疑いを捨てず、結局二人でバラ園に来るまで確かめに行くことになった。スコップで地面を掘り始めた男が、捜査官に、彼の事務所に飾ってあった彼と一緒に並んだ母親の事を尋ねる。そして、捜査官の身体に触れ、電撃が走ったように男は痙攣し、捜査官が自分の母親を殺害する光景が脳裏に過ぎった。そして、捜査官を殺害する。最初から、その捜査官も、男の手にした悪魔の名の連なったメモに名が記されていて、計画的にバラ園におびき寄せたに過ぎなかった。
 後日、FBI事務所は大騒ぎ。男に接したもう一人の捜査官は杳としてその男の顔を思い出せず、何台もの監視カメラに映っている男の姿は肝心なところで映像が乱れていて、全然使い物にならなかった。・・・

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 最期は思わせ振りだけど、要するに大どんでん返しで、何と彼も獲物=悪魔達を見極める能力の備わった神に選ばれた者だったという落ち。仲々面白く作られていて、例えば、逃げようと思えば逃げ出せる兄少年が、兄に対抗するように父親に靡(なび)いてみせる小さな弟を、気の狂った父親の下に置いたまま逃げることができない些か類型的な兄弟的心理を巧く使って、不安と恐怖を演出している。
 けれど、それはあくまで最期の決定的確証を薄皮一枚残してのストーリー展開であって、
実は父親の吹聴し、すり込んだ「神の御業」とは、人生に疲れた父親の総て想い込みに過ぎなかった、つまり息子達もマインド・コントロールされ、想い込みを現実と取り違えていた心的倒錯という可能性を排除できない。 
 
 関西の方では、二年前からプロテスタント系の教会に、爆弾でも火炎瓶でもない、消化器が投げ込まれる事件が70件近くも頻発し、最近漸く捕まった男は、以前様々な問題を抱え逆境に喘いでいた頃、ある牧師と出遭い、信仰に目覚めて後、「善き信者」となったという。それが、何年かして件の神父が訪米してしまい、すっかり気落ちし、彼の家族や周辺で不幸が続けて起きるようになり、神の無能と悪辣に怒りを覚え、「神の声が聞こえる」と夜毎出歩くようになったらしい。件(くだん)の教会襲撃事件だ。
 これは、超越的な何ものかが、御利益どころか逆に不幸と失意をもたらし、全能の「神」としての失格と更なる「恩寵」ならぬ「悪果」を阻止すべく、神の家たる教会を攻撃し続けた忘恩・悪逆な神への怒りと鉄槌であろう。映画とは逆の様相。実に「宗教」的な行為であって、俗世界的な規範で罰するというのは、些か筋違い。当然に協会側は、その信者の心からの指弾を、教会として、神の代弁者として責任を取らねばならぬ立場であって、間違っても警察に訴える挙に出ることは許されまい。ところが、彼は警察に捕縛され、教会側が訴えを取り下げたというニュースは寡聞にして聞かない。どんな種類の「神」なのか知らないが、何ともさもしい神の家もあったもんだ。そんなのは普通「宗教産業」と呼ぶ。彼も、弱みにつけ込まれ、えらい眼にあったもんだ。嘗ては常にスペイン軍とともにあって、スペイン軍に侵略され虐殺され陵辱され収奪され尽くしとうとう叛旗の狼煙をあげようとした現地民達の前に立ちふさがり、高らかに「隣人愛」を説き続けたイエズス会、間違っても剣を振り上げたスペイン軍の前に立ちはだって、扼殺され恥辱を受けようとする現地民を守ろうとした事は決してない神の密使達=イエズス会と同類の手合いは種々様々な仮面で覆って世界中に瀰漫している。

  
監督 ビル・パクストン
脚本 ブレント・ハンリー
撮影 ビル・バトラー
音楽 ブライアン・タイラー

マシュー・マコノヒー   フェントン・ミークス
パワーズ・ブース     FBI捜査官ウェイスリー・ドイル
ビル・パクストン     ミークス(父親)
マット・オリアリー    フェントン・ミークス(少年)
ジェレミー・サンプター  アダムス・ミークス(少年)
ルーク・アスキュー    保安官
制作 2001年(米国)

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