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2010年7月25日 (日)

バックパッカーの楽園 上海《浦江飯店》

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  上海といえば、バックパッカー達にとって、以前はアジア大陸から陸路で延々とユーラシア大陸・アフリカに至る玄関口であり、とりわけ貧乏旅行を旨とするパッカー達にとっては廉価な海路の玄関口でもあった。(新)鑑真号・蘇州号で上海に入るパッカー達にとって、港から歩いてたった五分の"プージャン"《浦江飯店》は、南京東路や外灘ワイタンも近いこれ以上利便性のある宿は他になかった。そして、何よりも佇まいが、真向かいに聳える名所・上海大厦シャンハイ・マンションよりもクラシックで情緒があった。ここにパッカー相手のドミトリーがあるなんて知らない人には信じられない事だったろう。2005年にドミトリーは廃止され、すっかり改装されて、今現在は百ドル前後の高級ホテル《アスターハウス・ホテル》として、嘗ての租界時代の華やかな頃の佇まいを取り戻したようだ。アインシュタインやチャップリンも泊まった部屋ってのもあるらしい。

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 けど、我々バックパッカーにとっては、革命後国有化され、文革や上海コミューン等の動乱を経て、《上海大厦》や《和平飯店》等の大ホテルとは異なる、そこから漏れたようなもっとチーパーな客層を対象にしたチマチマと外貨獲得するための中級ホテルとしての《浦江飯店》が馴染みやすい。勿論、当時その近くにもっとはるかに廉価な小さな人民招待所の類はあった。ただ、筆者もアプローチしたことはあったけど、IDカードを見せる段階で、外人は泊まれないとすげなく断られるのが通常。留学生はどうだったのだろう。それにその招待所は雰囲気が如何にも怪しげで、そんな雰囲気が好きな連中には涎が出るような逸品だった。

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筆者がプージャンに泊まるようになったのは九十年代の前半で、この頃はまだ上海自体が漸く近代的な街に変貌し始めた時期で、南京路も嘗ての古色蒼然とした人民中国的な燻(く)すんだ佇まいが一種独特の雰囲気を醸し出していて、それが外人旅行者達には魅惑的でもあったのが、段々と近代的な西欧的な意匠に変容してゆき、世界の何処にでも有るようなお決まりばかりが聳えるような街に変わっていった。
 十九世紀にオリジナルが建てられ、二十世紀初頭、蘇州川に外白渡橋(ガーデンブリッジ)が架かると、今の位置に移ったという。今年が丁度百年だろうか。その頃は上海でもダントツにナウく人気のあるホテルだったらしい。

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 パッカー達が泊まれるドミトリー(多人房)って高が知れていて、それ以外の部屋は(普通の)個人旅行者やビジネス関係の連中が入り、中には放送局のような機器がびっしり設えられた訳の分からぬ部屋もあって、一体ここはなんだろうとあれこれ想像力を巡らせなければならなぬミスティックなホテルではあった。ひょっとして、即物的に株関係の設備だったのかも知れないが。時代を感じさせる燻すんだビクトリア朝風の装飾、歩くとミシミシと床板が軋んだりして、やたら情緒を刺激してくれた。映画撮影にはもってこいのこんな立派且つ骨董品的価値ある建物に僅かな料金で泊まれるのだから信じられない話で、中国の他の都市・町ではまずあり得ない。老朽化し旧い建物だけなら洛陽にもあったけどちょっと比較にならない。それに何しろここはオールド・ファッションつまり旧欧米帝国主義的形式の名残の個室トイレだったので、他のパッカー及び人民宿の定番の"総て丸出し"人民厠的なプレッシャーからは免れていたのも長所の一つだったかも知れない。

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 部屋によっても違うが、エアコンや天井ファン、バスタブやシャワーの設備があったりなかったり。93年に30元だった五階の十人部屋にはテレビやバスタブが付いていて、窓の真向かいに薄茶の《上海大厦》が聳え、蘇州川を通る船の音が聞こえてきたりした。バスタブはトイレが併設されていた関係もあって面倒で、大抵は三階にあるシャワー室を使っていた。偶に部屋代に朝食券が付くことがあり、朝、中途半端な空間の軽食レストランのテーブルに就くと、小さな堅めに焼いたトースト二枚、バター&ジャム、目玉焼き二枚、珈琲のセット・メニューが出てきた。

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 浦江飯店のある虹口エリアは、一般の居住区で、十九世・二十世紀初頭に欧米の企業が大量に売り出した建売り集合住宅がひしめき、百年の歴史を刻んで醸し出された燻んだ佇まいが旅行者には好餌の観光エリアで、北側の魯迅公園や内山書店址辺りまで興味が尽きない。勿論時代と伴に、特に昨今急速に開発が進んで、昆明の旧市街と同じ運命を辿りつつあるらしい。九十年代当時は、浦江飯店のすぐ裏手に、当時肝炎の元凶と畏れられた割り箸ではない茶色に変色した使い回し箸の備わった小さな小龍包子の店やなんかがあったけど、今ではどうなったやら。(割り箸普及は、辺境のウイグル自治区の方が早かったのは笑わせる。)

 因みに、'94年 新鑑真号  神戸行 二等西式 1620+30=1650元

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