グル・ダッドの《十四夜の月》1960年インド映画
前年('59)の《紙の花》Kaagaz Ke Phoolの興行的不振を取り戻すように、イスラムの男達の何よりも重んずる"信義"をテーマに、インドのイスラム世界の男女の三角関係を描いたヒット作。以前、ギータ・バリが女海賊として男勝りに活躍した共演作《バーズ》鷹'53を紹介したが、今回は、グル・ダッドと切っても切れない運命的女優ワヒーダ・レヘマンとこれもお決まりの喜劇俳優ジョニー・ウォーカー、そして長年の友・ボリウッド俳優レヘマンの三人の親友の一人の美女を巡っての錯綜した齟齬と運命的悲劇。
似たような設定、ボリウッドに限らずあっちこっちで見られるが、例えばマニ・ラトナム監督の《ボンベイ》なんかも出遭いはブルカを被った女(マニーシャ・コイララ)だったし、何よりも女の顔をすっぽり覆った、イスラム社会特有の成人女性の外套とも云うべきブルカ(中世インドを席巻したアフガン王朝以来なのであろう)故に成り立つ筋立て故に、一般的なヒンドゥー社会ではなくイスラムだったのだろう。「取り違い」のコミカルな話の筋立てには恰好の道具だけど、グル・ダッドとイスラム世界に造詣の深いらしい監督モハマッド・サディーク、脚本のサギィール・ウスマニ達は、逆にシリアスな悲劇に仕立てた。尤も、シリアスであっても、話のネックが「取り違い」なので、シリアスに作れば作るほど滑稽味が増し、「人間」=社会にシニカルな眼を向けているダッドには計算尽くなのであろう。
インド北部、ネパールの真下に位置するウッタル・プラデーシュ州の州都ラクノウの街のイスラム社会が舞台。同じ州に1992年のバーブリー・モスク襲撃事件のあったヒンドゥーの聖地アヨーディヤもある。ヒンドゥー=モスレム(イスラム)の諍いは、この映画が作られた頃('60)の方がまだ生々しかったはず。インド独立―パキスタン分離独立はその10年前に過ぎない。もっと間近な時代の《バーズ》('53)のヒロインの殺された父親もイスラム商人だった。ダッドには、ヒンドゥー=モスレムの共生の思想があるのだろう。
ある日、繁華街を歩いていた親友同士のナワブとミルザ、ふとした事から、警視の息子ミルザが目聡く盗人がブルカを纏った女の手首から腕輪を盗む現場を見つけ、盗人を捕まえ、盗んだ腕輪を女に返す。その中年の女の脇にいた娘が驚き、ブルカの顔の部分のベールを上げた。その余りの美貌に、ナワブはすっかり魅入られてしまった。この後、人混みの向こうでもう一度ベールを上げるのだが、この構図もマニ・ラトナム監督の《ボンベイ》でのマニーシャ・コイララのやる仕草と殆ど相似。更に後に出てくる結婚式でも、子供達がチョロチョロ走り廻る所作・描き方が同様に相似で、どうもマニ・ラトナム、この映画に意識的か無意識的にか相当に影響を受けているようだ。
結局、ナワブの意中の娘ジャミーラに、成り行き・行き違いで、仲々行き着けず、その間に持ちかけられた見合いをナワブは、もう一人の親友アスラムに持ちかける。こんな結婚をさせられたら俺はもう終わりだよ。お前が本当に俺の親友なら、お前が貰ってやってくれ、と。幾ら何でも随分と虫のいい親友噺にもかかわらず、アスラムは気軽に引き受ける。その結婚相手が、実はナワブの恋いこがれていたジャミーラその人であった。
アスラムも結婚当日の夜に漸く初めて結婚相手の素顔を、当然花嫁の方も、初めて見ることとなる。恥ずかしがって俯いたまま容易にベールを上げて見せてくれぬ花嫁に、俺の顔は真っ黒で、出っ歯でとか散々不安がらせ、堪らず花嫁が顔を上げ、ベールを引きあげると、その輝くような美しさにアスラムは暫し言葉を失い、そして感嘆して呟く。十四夜の月(イスラムでは満月)のように美しい、と。「月のように美しい」とは、別に丸顔を謂うのではなく、専ら夜空に輝く満月の如く美しいという意味で、タイでも女性美の極致を現す定型句。(尤も、グル・ダッドが他のニュアンスをも含んで使っているのかどうかは定かでない)
やがて、アスラムはナワブに頼まれ貰った自分の嫁ジャミーラこそが、ナワブが想い患っていた娘だと分かってしまい、苦慮し、妻のジャミーラに、ジャミーラを宝石と言い換えて自分の採るべき方途を尋ねる。そんな事とは知らず、ジャミーラは、宝石は親友に返すべき、と応える。その後ある人物に、妻に嫌われる方法を尋ね、夜毎巷間を徘徊し、踊娘の処にも通うようになる。ジャミーラに嫌われ、別れ、ナワブと再婚させようとしたのだろう。
その内、ナワブも老いた母親の懇願にとうとう負け、渋々意に反してアスラムの妹と結婚する羽目に。結婚式の当日、仲々姿を現さない親友アスラムを迎えに、母親の止めるのも聞かず馬車で突っ走っる。ところが、アスラムはナワブと妹の両方が傷つくことになるその結婚が堪えられず、拳銃で自殺し、残ったジャミーラがナワブと結ばれることを謀り、正に引き出しから取り出した拳銃の引き金を引こうとした次の刹那、ジャミーラが現れる。死ぬ前にせめてもう一度ジャミーラの花嫁姿を見ておきたいとジャミーラに頼み着替えて戻ってきた時、ナワブが馬車で駆けつけ、アスラムの家にずかずか入ってきて、丁度大きな鏡に二人の姿が映し出され、アスラム夫婦の話し声が聞こえてきた。ふと覗き見ると、アスラムの前に坐っていた彼の妻の顔が持ち上げたベールの下に顕わになっていた。一瞬ナワブは彼の目を疑った。誰あろう、彼女こそが、自分が嫌がりアスラムに押しつけた結婚相手こそが、意中のジャミーラであったのを漸く知り、愕然とし、馬車で結婚会場と化した自分の家に戻っていった。そしてそのまま、自分の部屋に籠もり毒を呷った。アスラムが駆けつけた時には、もう虫の息であった・・・
頻(よ)くある三角関係ものの一つの定型と云ってしまえばそれまでだが、要はそれをどう撮るか演ずるか作るかってことだろう。《バーズ》も嫌いではないが、これも又違った風味の悪くはない作品だと思う。ワヒーダ・レヘマン、初めて観る女優だけど、所謂美形女優で、何処か可愛さもあって、ダッドが寵愛したのも当然だろう。本妻のプレイバック・シンガー=ギータ・ダッドも美形なんだけど、やがて二人とも疎遠になり、酒(煙草)に耽溺し、常用していたらしい睡眠薬との相乗効果で帰らぬ人となってしまったという。
グル・ダッド アスラム
ワヒーダ・レヘマン ジャミーラ
レヘマン ナワブ
ジョニー・ウォーカー ミルザ
ミヌー・マムタズ レハナ
監督 モハマッド・サディーク
脚本 サギィール・ウスマニ
撮影 V.K.マーティ
音楽 ラビィ
プレイバック・シンガー モハンマッド・ラフィ
ラータ・マンゲシュカル
アシャ・ボスル
制作 グル・ダッド・フィルムズ 1960年(インド)

歌姫ギータ・ダッド
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