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2010年8月21日 (土)

タイ・ホラーの金字塔《ナンナーク》について

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  タイ・ホラー映画の金字塔となった1999年公開のノンシー・ニミブット監督《ナンナーク》、初めて観たのは翌2000年の春頃であったか。
 時代は、頭上高く銀色に輝くモノレール"スカイ・トレイン"が走り始め、コピーの殿堂MBKもナウく模様替えをし、何か今までとはちょっと違う、敢えて云えば新たな世紀の幕開けって雰囲気が感じられなくもなかった。サイアム・センターの"タワー・レコード"に行くと、《ナンナーク》のビデオがずらり並んでいた。まだDVDの時代ではなく、カセット・ビデオVHS全盛の頃で、早速199バーツで買った。主演のヒロイン、サーイ(インティラー)・チュリンプラの新しいアルバム(カセット・テープ)《D》も出ていて、更にタイの若者の購買力を見せつけるようにピンクのパッケージに収まった、こんなのありかと思わず絶句してしまった"DOJO MUSIC"系のオーイの百万枚記念のアルバム《モースト・ウォンテッド》もこれ見よがしに並んでいた。

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 定宿ではなく、スリウォン通りにある旅行代理店のオフィスに備わったビデオデッキで観させて貰った。そこに元TTゲストハウスの住人だったY君が居た関係でだけど、丁度これも元常連だった別の会社のH君も現れ、傍のソファーでさすが大手、開いたアタッシュ鞄めいっぱい詰まったチケットを慣れた手つきで処理していきながら、大型のテレビ画面をちらりと見遣り、「おっ、ナンナーク」と呟いた。ああ、現地ではこんなふうに発音するのか、と感心してしまったが、彼もY君もまだ映画の方は未見だった。それでも、当時《ナンナーク》は 世界的ヒット作《タイタニック》を抜く興行収入を挙げ、漸くタイのホラー映画も映画界自体も新たな時代に突入することとなった。

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 プラカノンには行った事がないが、すこし手前のエカマイには頻く通い、旧い商店街が並んでいるぐらいなことは知っていた。それが更に百五十年くらい昔だと、もうさっぱり想像もつかない。日本の今現在の地の明治維新の頃の姿を想像する事の困難さを思い合わせれば、ニミブット達の時代考証に拘わったのも至極当然であったろう。当時の写真見ると、バンコクに限らず、タイ一般が上半身裸が普通だったようで、女性も胸当てなど着用したりしなかったり、あるいは特別な時のみ巻いたりしたりって感じだ。けど、幾ら何でも主演の十七才のサーイが乳房も露わって訳にもいかなかったようだ。

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 ヒロインのナーク、オリジナルでは村長の娘だったとは最近知ったのだが、大事な箱入り娘についた虫が、村長の処で庭師として働いていたマーク。そんな使用人と娘の結婚を封建制剥き出しの時代に認められる訳もないだろうけど、これって、女性歌手のトン・パクラマイがヒロインを演じた《クワン&リアム》と似ている。場所もモノレール駅もあるプラカノンからもうちょっと奥へ入ったバーン・カピの、同じチャオプラヤー川に注ぐ遙か昔に開削されたらしいセンセープ運河沿いの、映画では田園地帯って赴きだった。リアムも村長かそれに準ずる位階の娘で、相手のクワンも下位の百姓の息子に過ぎず最期には二人とも死んでしまう悲恋物。但し時代はこっちは戦前の頃で、《ナンナーク》は十九世紀。

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 《ナンナーク》あるいは《メー・ナーク・プラカノン》の一つの作品としの初出は十九世紀中頃で、その元となる事件は、十九世紀の前~中期頃という。
 娘ナークの父親はプラカノンの郡長・クンシーで、夫はチュム・トットカン。夫婦には既に子供が何人か居て、最期の妊娠で母子とも死亡。残された子供達が財産を、父親チュムと再婚する女に奪われてはならないと、プラカノンのあっちこっちで死んだ母親ナークの幽霊騒ぎを起こし、再婚を阻んだ、という事件がオリジナルらしい。それを典拠として所謂「怪談・悪霊譚」としての「ナン・ナーク・プラカノン」が創作されたという。
 津村文彦著《ナンナークの語るもの》によると、近代国家形成過程における仏教の国教化と在来の呪術等に対する取り込みと優位性の「怪談・悪霊譚」的形象化いうことになる。
 けれど、これも逆に、権力の定式、この民心を惑わせるもの(怪事)として、如何にももっともらしい理屈を架構し、合理の粉飾を施した秩序主義的な再構成的産物といえなくもなかろう。つまり、本来の「事件」と説明されていたものこそが、権力サイドが自分達の都合と意志で歪曲・変容し作り上げたもので、所謂「怪談・悪霊譚」としての「ナン・ナーク・プラカノン」の方がオリジナル、あるいはオリジナルなものの淵源的な要素をそのままに構成されたものの可能性もあるということだ。所詮国家権力のやることだから、そこまで穿ち視して漸く物事を論じれるって訳だ。

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        高僧ルアン・ポー・トー
   

 更にこの映画をうがち視すると、監督のノンシー・ニミブットは王族で、元々タイの映画にはタイ映画の創生期からして深くタイ王族が関わっていて、勃興期の作品の少なからずが彼等の手によって作られてもいたし、今現在もタイ映画界には王族の制作者・俳優も居る。ノンシー・ニミブットもその一人に過ぎないが、この《ナンナーク》の後、タイの古典的歴史絵巻《スリヨ・タイ》が未曾有の大ヒットし、学校からも劇場に観にゆく程。
 伝説中の王妃の「対ミャンマー戦争」の渦中での愛国的活躍そして死(殉教・犠牲)を見え見えの愛国主義的プロパガンダ一色には描いてないものの、やはり主演の王妃とその夫たる国王には王族俳優がなり、監督も王族、そもそもの資金提供者も王室という正にタイ王室御用映画って代物には違いない。

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 そして、その数年後にはその《スリヨ・タイ》の後を引き継ぐように、伝説的なタイの英雄的国王ナレスワンの物語《キング・ナレスワン》が三部構成で作られた。《スリヨ・タイ》同様、国家的危機に直面しての"挙国一致"的愛国主義的プロパガンダということだろう。正にタイの政治経済的情況に対応した映画作りって訳だ。映画的には、外人にはああ昔はああだったんだこうだったんだと興味津々の《スリヨ・タイ》ではあったものの、国王に対する諸侯・従者達の挨拶の仕方なんか幾度も見せられていると些か辟易させられてしまう。
 《キング・ナレスワン》までくると、もう勘弁してくれってところだ。そんな中、ノンシー・ニミブットの紛争の渦中タイ南部を舞台にした還俗僧が普通の人々に戻っていく物語《OK ベイトン》は、国教である仏教が、南部ではイスラムとの狭間でもはや機能をなさなくなってしまって、むしろ只の市井の一人間に戻ってゆく他なくなった現実情況を逆説的に描いていて面白い。つい最近の赤シャツVSアピシット政府的動乱においてプミンポン国王のポジションが一層脆くなってしまって、又ぞろ新たな御用達映画でも作るのだろうか。

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   ポップ歌手ナット主演の舞台劇

 嘗てバンコクの外れ、奥深い運河の畔に、ナークとマークの若い夫婦が住んでいた。
 ナークが身籠もり、マークは戦場へ駆り出され、夫婦別々になってしまった。やがて、ナークは臨月近くに死産し、母子共にこの世のものではなくなってしまい、精霊・呪術信仰の強い村人達は、二人が迷ってあの世に昇らず、プラカノンに居着いたまま悪霊として禍事を起こすのを畏れ、丁重に葬った。その内、戦場で負傷し、生死の間を彷徨っていたマークがバンコクの高僧トー(ルアン・ポー・トー)の寺で療養し癒え、戻ってきた。運河を遡り、わが家に着くと、小さな赤ん坊を抱いたナークが迎え、親子三人水入らずの生活に戻れた。が、村の住民達がそのことに気付き、マークの友人がナークはとっくに母子共に死産し村の外れに埋葬したと教えたものの、てんで相手にもされず、仕舞いには怒ってしまう。ナークがその事を知り、その友人を死に至らしめる。ふとしたことからマークはクがやはりこの世のものではないのを悟り慌てて、マハーブット寺に駆け込み助けを求める。その頃、最初恐れおののいていた村人も遂に堪忍袋の緒を切って、男達がナーク達の家に火を点け、焼き払ってしまった。しかし、ナークは男達をその業火で焼き殺し退散させた。
 村人が雇った呪術師がナークの墓を暴こうとすると、ナークに逆襲され狂死してしまい、とそこにマークの深傷を治した高僧トーが現れ、ナークに語り聞かせ、ようやくナークもこの世への未練を断ち切り、あの世に昇ることになり、マークと互いに涙を流しながら今生の別れをし、元の屍に戻っていった・・・

 ナーク    インティラー(サーイ)・チャリンプラ
 マーク    ウィナイ・クライブット
 
 監督   ノンシー・ニミブット  
 脚本   ウィシット・ササナティエン
 撮影   ナタナウット・キッティクン
 音楽   チャッチャイ・ポンプラパパン
      パカワット・ヴァイヤヴィット
 美術   アカデェジュ・ケーウォッド
 制作  タイ・エンターテイメント 1999年(タイ)

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