《ヴェール=ザーラ》二十二年の孤独と追憶そして愛
もはや一つのジャンルと化してしまった感のある"在米インド人の一時帰国"、その定番とも謂うべき《サワデス》と同年に前後して封切られた同じシャールーク・カーン主演の些か時代めいた一大恋愛叙事詩《ヴェール=ザーラ》、一昔前の音楽家マダン・モハンの作った曲を全面に散らばせた仲々魅力的な作品に仕上がった秀作だ。
ヒット・メーカー、ヤシュ・チョプラ監督作品で、二枚組DVDの特典版を観ると、ヤシュ・チョプラ、可成りオリジナルのマダン・モハンの音楽に拘っているようで、全盛期のラータ・マンゲシュカルのパートナーでもあったらしい。それもあってか、彼女もプレイバック・シンガーとして参加している。ソヌー・ニガムやウディット・ナラヤンとマンゲシュカルのかけ合い等もあってこの特典版も面白い。
偶然出遭ったパキスタン娘ザーラ(プリティー・ジンタ)とインド空軍兵士ヴェール(シャールーク・カーン)との恋、しかし、娘には故郷に既に許嫁(いいなずけ)が居て、結婚の日取りも決まっていたという設定。お決まりのヒンドゥー=モスレム(イスラム)、インド=パキスタン、親が一方的に決める許嫁・男尊女卑(保守主義)=恋愛の自由と男女平等という様々な要素が、恋愛という一時に収斂してゆき、裏切られ男として最大の侮辱を受け終生その恥辱を背負ってゆかねばならなくなった許嫁の男ラザ・シラジ(マノージュ・バジパイ)に、その故に、ヴェールはどうにも逃げようもない選択を迫られる。インドのスパイに仕立てられてしまったのだ。
誰にも知られぬままの永い幽閉の罠、それは又ヴェールのザーラへの愛を彼に証してみせねばならない責務でもあった。それから免れ逃れようとすれば、ザーラを裏切りザーラやラホールでは高名なザーラの家族を貶め、ヴェール自身もラザと同様に永遠の恥辱と屈辱に我が身を灼く羽目に陥ってしまう。けれど煩悶の末、若きヴェールは、自らパキスタン・ラホールの獄に繋がれる方を選んだ。おまけに彼が乗るはずだったバスは途中で断崖絶壁から転落し生存者も居ず、公式にはヴェールはそのバスの乗客として死亡したことに。ヴェールの故郷パンジャブの父母やラホールのザーラも悲嘆のどん底に。

それから二十二年の後、ラホールの獄、囚人番号786ヴェールの独房に女性弁護士サーミヤが現われた。二十二年の間じっと沈黙を守り、一人静かに獄房の日々を送ってきたヴェールに、閉ざされていた遙か昔の青春の日々が次第に甦り始め、訥々と嘗てのザーラとの出遭いからを語り始める。裁判で無実を晴らすための証人を確保するため、ザーラの両親も亡くなっていて、弁護士サーミヤは、国境を越えインド・パンジャブのヴェールの実家を訪れる。ところが、とっくにヴェールの父も母も亡くなっていた。悄然としてヴェールの家の庭先に佇んだサーミヤの背後に、ふと振り返ると、白髪も混じったザーラが現れ、ついで彼女の乳母だったシャブー(ディヴィヤ・ダット)までも。とうとう二十二年もの永い空白を経て、ラホールの裁判所法廷で、ヴェールとザーラの二人は再び巡り会うことに・・・
この映画のハイライトの一つでもあるザーラと婚約者ラザがとその家族達が婚約式なのか、イスラム聖人の聖廟に集い聖人の棺に触れる儀式会場に突如嵐の如く中庭に現れる。折から降り始めた雨に濡れ佇んだヴェールにザーラが気付いて、式を放棄してヴェールの傍へ歩み寄ってその胸の中へ飛び込みしっかとヴェールに抱かれるシーン。婚約者ラザや参加者達の強張り呆然とした表情を次から次へと捕らえてゆく巧みなカメラ・ワークともどもに緊張と昂奮を掻き立てるガザール歌手のアハメッド&モハッド・フセイン兄弟の唄う"アヤ・テラ・ダル・パル"が個人的には一番気に入っている。
この曲はもう一シーン、ザーラとラザの結婚式の場面。婚約式?でこれ以上のない屈辱の辛酸を舐めさせられたラザがインドへ戻るためにバスに乗ろうとしたヴェールをスパイ容疑で警官を使って捕らえさせ出口のない罠に陥れ、自分を裏切り他の男を愛した女=ザーラとの結婚式に内に屈辱と憎悪に燃え上がった紅蓮の炎を秘めたままいどむラザ、そして警察署内の一室で最愛のザーラやパンジャブの両親と二度と会えることのない孤独と幽閉の方途を選び書類にサインをするヴェール。それらの場面をうねりような旋律で畳みかけるフセイン兄弟の唄。
ラザ役のマノージュ・バジパイ、2003年の《ピンジャル》では、周囲に迫られて不本意な略奪婚をやらかすが、既に婚約者と結婚式の間近かった娘に対する後ろめたさもあって真底尽くすムスリム男を好演していたのが、ここでは逆にシャールーク演ずるヴェールに許嫁を実質的に取られてしまう謂わば"コキュ"的な、ヴェールの敵役で、苦悶し悲哀に満ちた役どころを巧く演じている。ザーラへの愛を試されることにもなる永い幽閉の罠に自ずから踏み込んだヴェールを浮かび上がらせ輝かせる闇という重要な役どころ。《ピンジャル》の印象的な好演故の抜擢だったのだろう。こんな屈折と悲哀が滲み出たような役がよく似合うバイ・プレーヤーだ。
"テレ・リエ"、"ド・ポル"、"メイン・ヤハーン・フーム・ヤハーン"なんかも場面にマッチして仲々聴かせる。"ド・ポル"は、甘い声のソニー・ニガムとラータ・マンゲシュカルのデュエットで、インド側の駅のプラットホームでのヴェールとザーラの別れ際に流れる。典型的な時代がかった恋愛映画の別れの場面なのが、ヤシュ・チョプラの巧みな演出で、違和感なく見せられてしまう。そして、ザーラをパキスタンから迎えに来たラザの暗い眼差しが何か不吉な将来を暗示し、一層哀惜の念を掻き立てる。
もう一回、ザーラとラザの結婚式前、ラホールの宮殿か何かの建物の前での束の間の再会(逢瀬)=別れの場面で流れるが、やはりプラットホームでのシーンの方がしっくりくる。
前半でパンジャブの田舎に住むアミターブ・バッチャンとヘマ・マリニが扮しているヴェールの両親が、ヴェールの伴ってきたザーラに屈託無く接し、明るく幸福な雰囲気に満ちていたのが、弁護士サーミヤが裁判で証人として出廷して貰うため訪れた時、建物はそのまま残っていたもののとっくに二人とも亡くなっていたというその落差が妙に無常と悲哀を感じさせた。二十二年という時間の流れ。死体すら戻ってこなかったヴェールのバス事故死に絶望と悲嘆に暮れ、寂しく相次いであの世に旅立ったであろう二人の姿が、今では村の子供達に解放されてでもいるのか娘達の駆け回る広い庭の向こうに垣間見えてしまう。子供達のざわめきすら遠い潮騒の如く響く静寂な一瞬。そして、突然庭の何処かから「ザーラ!」と叫ぶ少女の声が聞こえてくるのだけど、このかそけき静寂が好い。
少し遅れて同年にリリースされた《サワ・デス》もA・R・ラヘマンの曲と渾然一体となった秀作で、この2004年はシャールーク、のった年でもあったようだ。
ヴェール シャールーク・カーン
ザーラ プリティー・ジンタ
サーミヤ ラニー・ムカルジー
ラザ・シラジ マノージュ・バジパイ
ヴェールの父 アミターブ・バッチャン
ヴェールの母 ヘマ・マリニ
ザーラの父 ボーマン・イラニ
ザーラの母 キロン・ケル
ザーラの乳母 ディヴヤ・ダット
"テレリエ" ラータ・マンゲシュカル&ループ・クマール・ラソッド
"メイン・ヤハーン・フーン・ヤハーン" ウディット・ナラヤン
"ド・ポル" ラータ・マンゲシュカル&サヌー・ニガム
"アヤ・テレ・ダル・パル" アハメッド&モハッド・フセイン
監督 ヤシュ・チョプラ
脚本 アディテイヤ・チョプラ
撮影 アミール・メヘト
音楽 マダン・モハン
サンジーブ・コリー
制作 ヤシュ・ラジュ・フィルム 2004年(インド)
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