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2011年2月の2件の記事

2011年2月25日 (金)

《エレファント》 復讐するは我にあり 1999年

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  『お前達は、子供達に、この腐りきった社会の単なる歯車や羊になれと教えてきた!』
と、1999年四月二十日、米国コロラド州リトルトンのコロンバイ高校で、銃を乱射し生徒・教師13人を殺害し24人を負傷者させた同校生徒の二人組の主犯格エリック・ハリスは死後に発見された遺書らしきもので、学校側や社会を激しくなじり、告発した。

 2007年のバージニア州バージニア工科大学で起こった韓国籍のチョ・スンヒ青年による教員・学生32人殺害事件まで、米国最大の学校内大量殺戮事件としてコロンバイ高校の事件は記録されていた。
 ガス・ヴァン・サント監督のこの《エレファント》では、場所もオレゴン州に設定し、エリック達の自作ビデオに着想を得た作りの淡々としたドキュメンタリー風に描かれていて、出演も生徒役は皆素人ばかり。自宅で二人が学校に武装して乗り込む少し前に『まだキスしたことがないんだ』と互いに抱擁しキスするシーンと、最期の方で、突然犯人の一人が親友であるもう一人の犯人を射殺するシーンが、恐らく現実にはなかった監督ガス・ヴァン・サント自身がイメージした二人の微妙な関係の表象だろう。

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 実際には、卒業間近の二人は、長年「いじめられっ子」だったという。
 とりわけ、このコロンバイ高校って、所謂"進学校"ならぬ"スポーツ校"で、それは又米国の学校、否、社会といっても過言ではないくらいにスポーツ選手が花形でもてはやされ、特権化し、横暴三昧の可成りお粗末で歪んだ閉鎖的世界の象徴でもあり、そんなスポーツ選手達(二人はジョックJockと呼んでいたらしい。男子の急所を守るスポーツ用品のサポーターの隠語)に毎日、露骨な"いじめ"を受けてきた。校内でも教師達は知らぬ顔し、警察すら見て見ぬふりをするだけ。他にも居たいじめられっ子達が自己防衛のためもあってか、結成された黒いトレンチ・コートをトレード・マークにした《トレンチコート・マフィア》なる団体に加入していたものの、学校のカフェ・テリアにある彼等専用のテーブルに一緒に坐ることもなく、関わりは薄いものであったらしい。確かに、そんないじめられっ子ばかりが寄り添うように同じテーブルにしがみつくってのも青年的客気が許さなかったのかも知れない。映画では、この《トレンチコート・マフィア》には触れてないけど、授業中にジョックらしき生徒が何かを犯人に擬せられた青年に投げつけるシーンが挿入されている。彼の方がやれば即校長室に呼ばれた可能性もありそうだけど、何しろスポーツで売り出している高校であってみればジョック様々で教師も知らぬ顔。

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 二人はアルバイトをしながら稼いだ金で、様々な銃や弾薬、爆薬の類を買い貯めていて、自動小銃やマシンピストル、ショットガン、拳銃で武装し、更に手製爆弾や時限発火装置付きのガス・ボンベ等をバッグに詰め、駐車場から、トコトコと長い距離を歩いて校舎内に入った。映画では、キャンパス内で、比較的仲の良かったのであろうクラスメートとばったり遭遇し「中には入るな! 地獄を見るぞ!」と警告とも決意表明とも取れるセリフをそのクラスメートに吐きながら校舎に向かうシーンがあり、ピンときたそのクラスメートは他の生徒に警告して廻る。しかし、誰一人真に受けるものもない。

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 やがて「復讐するは我にあり」とばかりに復讐劇の火ぶたが切って降ろされる。ところが画面ではことさら血腥いシーンはなく、二人や生徒達の姿態が淡々と描かれてゆくばかり。そして突然あっけなく、犯人の片方に(映画では登場人物は仮構されている)に自動小銃で射殺される相棒。最期に残った犯人は食堂の大きな冷凍庫の中で隠れていたカップルを見つけゆっくりと狙い撃ちしてゆく・・・実際には二人は駆けつけた警官とちょっとだけだけど銃撃戦を展開し、図書館で互いに銃で自殺して果てる。余りに血腥い事件故に"生な"リアリティーを、地方の高校の広いキャンパスのむしろシュールなくらいの単調さで被覆して描いた行き方は悪くはない。

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 一昔前にシシー・スペイセク主演の《キャリー》という映画があった。いじめられっ子のさえない容貌の地味な娘が、いじめにとうとう堪えられなくなって、堪忍袋の緒を切って超能力全開、次から次へとクラスメートから教師からを復讐の炎で焼き尽くしてゆくオカルト・ホラーの復讐物の金字塔的作品であった。この辺りからか、社会の負的あるいは影的側面にその根をもった復讐譚的なホラー映画の百花繚乱が始まったと言えなくもない。そんな背景には、コロンバイ高校がそうであったように病んだ米国の歪んだ実態があったって訳だ。百パーセント商業映画では、もっぱらそれはオカルト=ホラー映画の好餌として様々なアイデアと意匠を凝らして作られ続けている。

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 タイ映画にも《アイ・ファーク》という、これはタイの田舎を舞台にした"いじめ"物で、それが"復讐劇"にまで至る寸前で主人公の青年は旧弊な村落の男達に嬲り殺されてしまう。これは、主人公の青年が元僧侶であった故に、復讐という殺生=破戒行動を忌んだというすこぶる仏教国タイ的な構図なのであろう。現実のタイは、旦那が愛人を作ったということだけで、いとも簡単に殺し屋を雇って愛人や場合によっては旦那まで殺してしまうお国柄であってみれば、随分と抑えた正に惨劇ってところだろう。
 只、この映画の、その秩序(維持)主義的な側面・機能性を見過ごす訳にはいかない。つまり、いじめられる側=少数者がそんな体制に抗議したりするのはまだ許されるが、間違っても多数派の如く物理的暴力に訴えたりすることは断じて許されないという秩序主義。
 先だっての軍政の傀儡アシピット政権と熾烈な銃撃戦まで展開し戦った農民達や救われない庶民達の長期にわたるバンコク占拠が、そんな有り様に"否"を突きつけた動きと言えなくもない。

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 日本でも同様、某都知事や保守権力がぬけぬけと「いじめは、いじめる側=多数派の仲間意識・一体感を培う」とばかりに賞賛し推奨までする排他的な抑圧社会を旨とする輩・勢力が跋扈しふんぞり返っている。その世論工作を担っているのがマスコミで、嘗て長年いじめに遭ってきた中学生の娘だったか、おめおめと自殺したりすることを拒絶し、敢然とではなく、多勢に無勢とばかり秘密裏に、毒物を給食に混入する挙に出た事件があったけど、その折、長年散々娘をいたぶり愚弄しいじめ続けてきた連中をではなく、我慢に我慢を重ねてきてとうとう堪忍袋の緒が切れ、なけなしの報復の一矢を報いた娘の方を更にバッシングしたのだった。つまり、いじめられっ子はどんなに苛まれついには自死へと追いやられても問題ないが(その限りにおいてのみ同情目たらしく紙面を飾ってくれはするが)、逆に反撃でもしようものなら、とんでもない"悪"として、忽ち権力・社会総動員して叩き潰されてしまう。つまり、米国と風土と民族性の若干の違いがあるだけで、殆ど大差ないのが分かる。
 一体いかなる理由で、いじめられっ子がそんな理不尽且つ悪辣極まりない仕打ち・抑圧に一方的に唯々諾々と我慢し堪えなければならぬのであろうか?

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    カフェテリアを闊歩する二人(実際の監視カメラ画像) 

 ガンジーの非暴力主義(非暴力直接行動)は確かに立派なものであるけれど、実行には少々じゃないくらいに強靱な精神力が必要となろう。それは、まだ幼さを残した中学生や高校生なんかに求めえべきものでもあるまい。次から次へと悪辣な権力やそれをかさに着た走狗達が襲い掛かり、両隣の友の頭が叩き割られ、あるいは至近距離から銃で顔半分を吹き飛ばされても、怯むことなく逆上することもなくシッカと屹立し敢然と非暴力を堅持しなければならないのだ。政治的なものならいざ知らず、巷間の悪辣・陰惨ないじめなんかの被害にあっている孤立無援な者達に、一体どんな面さげて、大抵の大人達すらが容易に為し得ないことを呈示しようというのか。

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       最後に自殺した二人(実画像)

 銃を使った大量殺戮事件が起きる毎に、米国が銃社会だから起きた事件と言われる。確かに一理あるけれど、銃がなくても、日本の如く毒物や刃物を使うことになる。つまり、社会的な矛盾・抑圧にその根があるのであって、如何なる手段を行使するかは、所詮二次的な副産物でしかあるまい。
 それに、米国には建国以来の「革命権」あるいは「抵抗権」というものが保証されていて、その名残りが銃社会って訳だけど、建国当時はともかく、現在の軍隊との装備的較差は圧倒的になっていて、殆ど有名無実。警察と対峙するのがせいぜい。

 監督 ガス・ヴァン・サント
 脚本 ガス・ヴァン・サント
 撮影 ハリス・サヴィデス
 制作 米国 2003年

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2011年2月12日 (土)

生薬としての人血饅頭  魯迅《薬》(中国映画)

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          作家・魯迅

   中国近代の代表的小説家・魯迅の短編《薬》は、大部以前、一度だけ、文化大革命後に作られたモノクロ映画で観たことがあった。清末のまだ、男達が長い弁髪を垂らしていた時代が舞台で、そのプロローグから原作とは相違し、原作だと暗い闇に閉ざされた未明の茶館から始まるのが、映画だと既に陽も昇った白い靄に包まれた小さな町を、木製の枷をはめられた死刑囚が兵士達に囲まれ、人々で溢れた通をゾロゾロと行進してゆくシーンから始まる。原作にはない、それにちょっと先行する部分を撮り足したのだけど、清朝役人が町民達に対して行うパフォーマンス=プロパガンダとしての"公開処刑"の顔見せってところだろう。嘗ての日本ならさしずめ"市中引き回し"って訳だ。

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   ここのシーン、第二次大戦後すぐ中国南部からタイに移民してきた貧農青年の困窮と肺病の果てに生薬として子供達の臓腑獲得に走ってしまった悲劇をタイ人好みの猟奇的ホラー仕立てにしたタイ映画《シー・ウィー》のラスト・シーン、青年の故郷・中国南部でのショットが似ている。中国系らしい若い二人のタイ女性監督が、この1981年制作の中国映画《薬》を観ていた可能性は高く、相似したテーマ故に尚更。中国からタイに移民してきた貧農達の、タイでの悲惨な情況って、バンコク・ロケで撮られたブルース・リー主演の《ドラゴン危機一髪》でも描かれているように周知の事柄。この《シー・ウィー》、シー・ウィーに同情的だった女性新聞記者役を、オリジナルの方の《バンコク・デンジャラス》で清々しくヒロインを演じたプリムシニー(クリーム)が演じていたのもあって好きな映画の一つでもある。

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 朝靄立ちこめる中国南部のある村の通りを、村はずれの処刑場までゾロゾロと死刑囚がカーキ色の軍服に身を包んだ国民党兵士達に引き立てられてゆく。胸を患っている少年シー・ウィーの母親は、肺患に効くらしい臓腑を獲るため、他の同じ目論見を抱いた村民達と一緒に最前列で、死刑執行の時を今か今かと固唾をのんでじっと待っている。母親が取り出した短剣がキラリとにぶく輝いたのを眼前にした死刑囚が、おもわず仰け反った次の瞬間、国民党軍将校の銃が火を吹いた。一瞬の沈黙の後、なだれを打って人々は突っ走る。思い思いの身体部位に狙いをつけて。旧中国で幼少の頃から習い覚えた民間療法的所作でしかなかったはずなのが・・・

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 ひるがえって、魯迅の《薬》のテーマも同じで、それに処刑された青年=夏瑜が革命派で、( そのモデルは魯迅と同時代の有名な女性革命家・秋瑾 )、彼のことを役人に密告し銀貨を貰った夏家の三爺、処刑人・康大叔から夏瑜の血に染まった饅頭を銀貨二十元で買った茶館の主=華老栓・華大媽夫婦、康大叔の話を聴いて謀反人=夏瑜に怒りを顕わにする茶館の客達、人血饅頭は食べたが、結局はあえなく息絶えてしまった少年小栓。町民達に疎まれ爪弾きにされる夏瑜の老いた母親・夏四奶奶、つまり旧弊清末の新しい波に戸惑う市井の人々の心の揺らぎ。

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 さすがに魯迅の小説(この映画にも)には、小綺麗なカラー映像で土鍋でコトコト煮るシーンも鮮やかなタイ映画《シー・ウィー》ほどにも生々しい光景は描かれていないけど、香港映画《餃子》では肺患ではなく、若返り=回春剤としての"堕胎児"の肉塊であった。これはオムニバス映画《スリー 2》の一編でもある、もろホラー映画で、中国の旧習的な民間療法が、近代西洋医学・薬学の間隙を縫うように今以て精神文化圏の底を脈々と流れ続けていることの土俗的発露というべきものでもあろう。

 《シー・ウィー》なんかも、中国移民労働者の形をとっているものの実際にはタイ人達自身の本能的衝動の具象化であろう。日本でも同様、似たり寄ったりの根拠による民間療法的食材としての動物の臓腑の吃食なんて当たり前に流布している割には、アジア諸国のそれを随分と「前近代」的産物とばかり指弾したりしている。近親憎悪といってしまえばそれまでにしても、西洋近代を金科玉条とする白人志向の皮膚は黄色いくせに、その中身はすっかり白んぼのバナナ野郎は願い下げにして貰いたいものだ。西洋近代医学の最先端が、別種たる動物の臓腑摂取なんて半端なものではなく、もろ同種"人間"の臓腑の移植なのだから。もう"食べる"という間接的なものではなく、露骨に"移植"なのだ。これは、魯迅の頃の時代的制約というべきものだろうが、しかし、事態はグルリと反転してしまった。禍々しくもあった漢方的(?)民間療法の類が、いつの間にか、元の位置に返り咲いたと云えなくもない。それも、バナナ野郎よろしく、「最先端」の意匠の下に。

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 嘗て幕末の日本でもそうであった如く、魯迅は近代西洋医学に、病んだ中国の人々を救う希望の光りを見出した。しかし、それから一世紀近く過った、中国共産党六十年支配の今日、果たして中国の人々は如何? 相変わらず人口の半分近くを占める農民達って、確かに清末の頃よりは少しは改善されたろうが、やはりまともな医療を仲々容易には受けられない情況が続いているという。その上"改革開放"の走資派的政策によって加速度的に中国全土に資本主義的害悪が瀰漫(びまん)し、例えば抗ガン剤なんかがそこら辺のうらぶれたゴミためみたいな工場で作られさすがに中国当局も"駄目"を出したとか、数年前日・中を騒がせた有害物質メラミン入りの粉ミルクが今だに中国国内で流通しているとか・・・"人民に奉仕"するなんて観念皆無のもっぱら私利私欲にのみ立脚した悪徳亡者のオンパレード・跳梁跋扈。

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 そんな情況を目の前にして魯迅果たして一体如何な想いを抱くだろう。
 魯迅が先進の地として留学した日本はといえば、巷説じゃ今では、まともな医者にかかれる確率って二人に一人からいよいよ三人に一人になったという救いようのない医療的実態。今後更に一層先細りになってゆくのだろう。これはあくまで「まともな」であって間違っても「良い」医者を指しているのではない。病院が所詮企業であって、社会的・公的な存在ではなくなって久しく、患者に不必要に薬を出さないような良心的な医師は病院からスポイルされパージされるのが当たり前になっている。半世紀支配の自民党が企業に丸投げして久しくもある老人介護医療も同様。
 魯迅が知れば、暗澹とし、しばし言葉も出てこないに違いない。やがてそれが中国の現実ともなってゆくのだから。
 魯迅は、だから、早く逝って好かったのだ。
 あれだけの血と犠牲を払ってきたあげくがそんな亡国的有様。つまり、情況は、清末の頃と基本的にそう極端に隔たっている訳ではないってことだ。昨夜、中国サイトで本当に久し振りにモノクロ画面の《薬》を観ることができ、改めてその想いを強くした次第。

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       女性革命家・秋瑾 

                           
 監督  呂紹連
 原作  魯迅
 撮影  韓涵侠
 制作  長春電映制片庁(1981年)

 [補]秋瑾→夏瑜

 これは秋・夏の単なる思い付きで改変したのじゃなくて、屈源《楚辞》の九章に 出典がある「懐瑾握瑜」を援用したようだ。瑾も瑜も美玉を指し、純粋で優美な 品格の備わったもの比喩。元々魯迅が刑死した秋瑾を悼んで書かれた作品ともいわれていて、彼女に対する敬愛の念の表現なのだろう。

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