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2011年2月12日 (土)

生薬としての人血饅頭  魯迅《薬》(中国映画)

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          作家・魯迅

   中国近代の代表的小説家・魯迅の短編《薬》は、大部以前、一度だけ、文化大革命後に作られたモノクロ映画で観たことがあった。清末のまだ、男達が長い弁髪を垂らしていた時代が舞台で、そのプロローグから原作とは相違し、原作だと暗い闇に閉ざされた未明の茶館から始まるのが、映画だと既に陽も昇った白い靄に包まれた小さな町を、木製の枷をはめられた死刑囚が兵士達に囲まれ、人々で溢れた通をゾロゾロと行進してゆくシーンから始まる。原作にはない、それにちょっと先行する部分を撮り足したのだけど、清朝役人が町民達に対して行うパフォーマンス=プロパガンダとしての"公開処刑"の顔見せってところだろう。嘗ての日本ならさしずめ"市中引き回し"って訳だ。

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   ここのシーン、第二次大戦後すぐ中国南部からタイに移民してきた貧農青年の困窮と肺病の果てに生薬として子供達の臓腑獲得に走ってしまった悲劇をタイ人好みの猟奇的ホラー仕立てにしたタイ映画《シー・ウィー》のラスト・シーン、青年の故郷・中国南部でのショットが似ている。中国系らしい若い二人のタイ女性監督が、この1981年制作の中国映画《薬》を観ていた可能性は高く、相似したテーマ故に尚更。中国からタイに移民してきた貧農達の、タイでの悲惨な情況って、バンコク・ロケで撮られたブルース・リー主演の《ドラゴン危機一髪》でも描かれているように周知の事柄。この《シー・ウィー》、シー・ウィーに同情的だった女性新聞記者役を、オリジナルの方の《バンコク・デンジャラス》で清々しくヒロインを演じたプリムシニー(クリーム)が演じていたのもあって好きな映画の一つでもある。

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 朝靄立ちこめる中国南部のある村の通りを、村はずれの処刑場までゾロゾロと死刑囚がカーキ色の軍服に身を包んだ国民党兵士達に引き立てられてゆく。胸を患っている少年シー・ウィーの母親は、肺患に効くらしい臓腑を獲るため、他の同じ目論見を抱いた村民達と一緒に最前列で、死刑執行の時を今か今かと固唾をのんでじっと待っている。母親が取り出した短剣がキラリとにぶく輝いたのを眼前にした死刑囚が、おもわず仰け反った次の瞬間、国民党軍将校の銃が火を吹いた。一瞬の沈黙の後、なだれを打って人々は突っ走る。思い思いの身体部位に狙いをつけて。旧中国で幼少の頃から習い覚えた民間療法的所作でしかなかったはずなのが・・・

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 ひるがえって、魯迅の《薬》のテーマも同じで、それに処刑された青年=夏瑜が革命派で、( そのモデルは魯迅と同時代の有名な女性革命家・秋瑾 )、彼のことを役人に密告し銀貨を貰った夏家の三爺、処刑人・康大叔から夏瑜の血に染まった饅頭を銀貨二十元で買った茶館の主=華老栓・華大媽夫婦、康大叔の話を聴いて謀反人=夏瑜に怒りを顕わにする茶館の客達、人血饅頭は食べたが、結局はあえなく息絶えてしまった少年小栓。町民達に疎まれ爪弾きにされる夏瑜の老いた母親・夏四奶奶、つまり旧弊清末の新しい波に戸惑う市井の人々の心の揺らぎ。

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 さすがに魯迅の小説(この映画にも)には、小綺麗なカラー映像で土鍋でコトコト煮るシーンも鮮やかなタイ映画《シー・ウィー》ほどにも生々しい光景は描かれていないけど、香港映画《餃子》では肺患ではなく、若返り=回春剤としての"堕胎児"の肉塊であった。これはオムニバス映画《スリー 2》の一編でもある、もろホラー映画で、中国の旧習的な民間療法が、近代西洋医学・薬学の間隙を縫うように今以て精神文化圏の底を脈々と流れ続けていることの土俗的発露というべきものでもあろう。

 《シー・ウィー》なんかも、中国移民労働者の形をとっているものの実際にはタイ人達自身の本能的衝動の具象化であろう。日本でも同様、似たり寄ったりの根拠による民間療法的食材としての動物の臓腑の吃食なんて当たり前に流布している割には、アジア諸国のそれを随分と「前近代」的産物とばかり指弾したりしている。近親憎悪といってしまえばそれまでにしても、西洋近代を金科玉条とする白人志向の皮膚は黄色いくせに、その中身はすっかり白んぼのバナナ野郎は願い下げにして貰いたいものだ。西洋近代医学の最先端が、別種たる動物の臓腑摂取なんて半端なものではなく、もろ同種"人間"の臓腑の移植なのだから。もう"食べる"という間接的なものではなく、露骨に"移植"なのだ。これは、魯迅の頃の時代的制約というべきものだろうが、しかし、事態はグルリと反転してしまった。禍々しくもあった漢方的(?)民間療法の類が、いつの間にか、元の位置に返り咲いたと云えなくもない。それも、バナナ野郎よろしく、「最先端」の意匠の下に。

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 嘗て幕末の日本でもそうであった如く、魯迅は近代西洋医学に、病んだ中国の人々を救う希望の光りを見出した。しかし、それから一世紀近く過った、中国共産党六十年支配の今日、果たして中国の人々は如何? 相変わらず人口の半分近くを占める農民達って、確かに清末の頃よりは少しは改善されたろうが、やはりまともな医療を仲々容易には受けられない情況が続いているという。その上"改革開放"の走資派的政策によって加速度的に中国全土に資本主義的害悪が瀰漫(びまん)し、例えば抗ガン剤なんかがそこら辺のうらぶれたゴミためみたいな工場で作られさすがに中国当局も"駄目"を出したとか、数年前日・中を騒がせた有害物質メラミン入りの粉ミルクが今だに中国国内で流通しているとか・・・"人民に奉仕"するなんて観念皆無のもっぱら私利私欲にのみ立脚した悪徳亡者のオンパレード・跳梁跋扈。

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 そんな情況を目の前にして魯迅果たして一体如何な想いを抱くだろう。
 魯迅が先進の地として留学した日本はといえば、巷説じゃ今では、まともな医者にかかれる確率って二人に一人からいよいよ三人に一人になったという救いようのない医療的実態。今後更に一層先細りになってゆくのだろう。これはあくまで「まともな」であって間違っても「良い」医者を指しているのではない。病院が所詮企業であって、社会的・公的な存在ではなくなって久しく、患者に不必要に薬を出さないような良心的な医師は病院からスポイルされパージされるのが当たり前になっている。半世紀支配の自民党が企業に丸投げして久しくもある老人介護医療も同様。
 魯迅が知れば、暗澹とし、しばし言葉も出てこないに違いない。やがてそれが中国の現実ともなってゆくのだから。
 魯迅は、だから、早く逝って好かったのだ。
 あれだけの血と犠牲を払ってきたあげくがそんな亡国的有様。つまり、情況は、清末の頃と基本的にそう極端に隔たっている訳ではないってことだ。昨夜、中国サイトで本当に久し振りにモノクロ画面の《薬》を観ることができ、改めてその想いを強くした次第。

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       女性革命家・秋瑾 

                           
 監督  呂紹連
 原作  魯迅
 撮影  韓涵侠
 制作  長春電映制片庁(1981年)

 [補]秋瑾→夏瑜

 これは秋・夏の単なる思い付きで改変したのじゃなくて、屈源《楚辞》の九章に 出典がある「懐瑾握瑜」を援用したようだ。瑾も瑜も美玉を指し、純粋で優美な 品格の備わったもの比喩。元々魯迅が刑死した秋瑾を悼んで書かれた作品ともいわれていて、彼女に対する敬愛の念の表現なのだろう。

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