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2011年6月24日 (金)

《ソイレント・グリーン》 2022年ディストピア

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 ジョージ・オーウエルの《1984》や、J・G・バラードの《破滅三部作》等のSF小説の持つ終末世界の独特の暗澹と寂寞って奴が、この1973年のハリウッド映画《ソイレント・グリーン》には、希薄のように思えてしまうけど、それは意外と時代的懸隔、つまり当時は正にその如くそこはかとなく仄暗さと孤絶感に揺らいでいたのかも知れなかったものが、意匠や時代的・共同的感覚・観念の変遷によってそのリアリティーがすっかり褪色してしまったのかも知れない。尤も十年後に作られたリドリー・スコットの《ブレード・ランナー》は今現在でもその意匠や雰囲気は十分に通用するものではあるが。

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 まだ当時売れっ子だったチャールズ・ヘストン、SF《地球最後の男オメガマン》や《猿の惑星》シリーズの後、この《ソイレント・グリーン》を撮ったらしく、SF小説《ステンレススチール・ラット》シリーズで有名なハリイ・ハリスンの原作とはちょっと異なっているという。未読なので具体的には定かでないが、人口増加が極まって、食糧不足そして石油等の資源の枯渇、極端な貧富の差、一般の自動車は鉄屑と化し、サイクル・リキシャ(自転車タクシー)が復活したりという情況は、しかし、環境問題と併せて今世紀後半までに解決できなければ、いよいよ我々の現実として切迫したものとなってくるだろう。

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 それに何よりも、一番この映画で象徴的なものが、正に《ソイレント・グリーン》たる老人問題。細々と生き残った農業・牧畜=野菜・肉は一部の特権階級御用達で、大半の下々の庶民は海のプランクトンから作られるというクラッカーの新製品《ソイレント・グリーン》のみ。その実、それは、一般死や安楽死で亡くなった老人達の肉体を原料にした末期的リ-サイクル的産物。戦後タイを震え上がらせた出稼ぎ中国人《シー・ウィー》の如く幼い少年・少女の抉った内蔵を煎じて肺病の生薬するなんて遠慮がちな部分的摂取なんかではなく、もろ丸ごと原料にしてしまう先端科学的な非情なまでの効率性追求。そして、やがてそれは未だ病んでない健康な老人から更に一般の大人達にすら及びかねなくなってくる。否、原料にすべく人間を作り育てる、つまり飼育するようになると映画では叫ばれる。

 この映画での2022年世界では、食糧不足故にもはや生産にかかわることのなくなった消費するばかりの老人=余剰人口と見なし、廃棄の対象となり、且つ死骸の処理すら効率性に鑑(かんが)み、食料の原料として処理されてしまったのだけど、何故、牛や豚あるいは犬なんかの動物では駄目なのかといえば、家畜の飼料自体が払底し尽くしているって情況故なのであろう。情況はますます悪くなる一方で、主食《ソイレント・グリーン》の配給すら途切れがちで、その度に暴動が起きてしまう。人間だと、別途に家畜飼育のための飼料=食料を確保・消費する必要もないという更なる効率化、つまり先で自分達の食料となるのを前提として、食し、成長し、そして一定の時間・年齢に達すると屠られ食料の原料となるという最短のサイクル。けれど、これはいよいよそのサイクルが漸次的に短くなってきて、やがて消滅の憂き目を見てしまうのが必然の自転車操業的泡沫策。
 人肉食って過去の歴史にも世界のあちこちで実行されてきたもので、それでも、大抵は何かの理由による危機的情況における一時的なものでしかなかった。それが恒常化し、生産ラインなんかを全国的・地球的規模で構築するなんざ、確かに人口爆発という情況では一見当を得た策のように思えても、余りに先が見え過ぎていよう。

 この老人問題に集約されたものこそ、もうそこまで我々の間近に接近しつつある緊要な課題であって、先ずはこれから一層列島中に溢れかえる老人の群れ。半世紀以上もこの列島を支配してきた自民党政府と企業が国民のまっとうな生活というものを一切破壊し尽くしてきた結果、そして民主党なる自民党とも米国とも不可分なくらいに癒着した鵺(ぬえ)的補完物によって絶望的に不可避となってしまった論理的帰結・・・(一般的)年金のなし崩し的消滅+老齢者介護の破綻→制度的姥捨て山。最初は高齢者、そして次第に年齢が下ってくる。それは当然安楽死という形をとるだろう。多年権力の言いなりになってきたこの列島の住民達であってみれば、従順に、むしろ美徳でもあるかの如く。それなりの洗脳装置は既に造り上げられていて、いとも容易に屠殺場に赴いてゆくのだろう。勿論疫病やその他諸々の側面的施策で老人達の数を減少させながら。穿(うが)ち視派からみれば、昨今の流行病や気候・温度の極端な揺れなんかも人口・老人減らしのための然るべき世界的組織の陰謀ってことになってしまうのだろうが。

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 この映画のラストで、刑事たるC・ヘストン、同居老人のエドワード・G・ロビンソンが
、《ソイレント・グリーン》が老人達の屍体を原料に作られた物と知って絶望し、安楽死の施設《ホーム》で死んでしまった後、屍を乗せたトラックの跡をつけ、自身の眼でその秘密を目撃してしまう。そして、彼を抹殺しようとする権力側のエージェントと死闘の末生き残り、担架で運ばれる途中、駆けつけてきた同僚のボスに叫ぶ。
 「ソイレント・グリーンの原料は人間だぞ!」
 この辺り、ハリウッド映画の定式ではあるけど、しかし、例え世間に知れ渡ったとしても事態に大して変化は見られまい。世間ってのは、所謂「発展途上国」ぐらいならまだ可能性は残されていようが、先進国なんかでは殆ど意味はない。逆に権力に居直られ、老人達の一層の献身が美辞麗句を散りばめながら求められてしまうのがおち。死闘の末入手した権力犯罪の秘密書類を新聞社に運び込んで一件落着なんて現実的にはあり得ない、米国製=ハリウッド製デモクラシーの子供騙し的虚妄をこの映画も踏襲しているけれど、彼のボスは既にお偉いさんの意を受けていたので、闇に葬られてしまうだけだろう。当然運び込まれた病院で、C・ヘストンは、別のエージェントに今度こそ殺害されてしまうのだろうし。
 そんな世界的な壊滅的な情況に至っているなら、それは秘密にしている意味自体ないだろうし、早晩もっと差し迫った事態に至って、月か衛星基地に一部の特権階級のみが逃走する極秘計画でもあればともかく、そうでないならばむしろ堂々と権力自身が明らかにするだろう。
 それでも、久し振りに観た《ソイレント・グリーン》、折からの東北大震災によって一層拍車のかかったこの国の亡国的イマージュと相俟って、暗澹とした未来が仄白く何処までも開けてしまっている白昼夢にも似たディストピア世界に誘ってくれた。そんなニューヨークから離れ、遙か南の海を目指し果てしない流浪の旅に出たのが、《ザ・ロード》ってことになるのだろう。ホント昏い。

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監督 リチャード・フライシャー
脚本 スタンリー・R・グリーンバーグ  
原作 ハリー・ハリソン 
撮影 リチャード・H・クライン

チャールズ・ヘストン
エドワード・G・ロビンソン
チャック・コナーズ
ジョセフ・コットン
制作 メトロ・ゴールド・メイアー(米国)1973年

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