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2011年8月の3件の記事

2011年8月19日 (金)

悪夢あるいは少年期的夢想《 ファンタズム 》

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 今でも揉めているあのリビア生まれらしいドン・コスカレリ監督、このホラー映画《 ファンタズム 》(1979年)シリーズ以外余り知られてないようだけど、実際寡作のようだ。七十年代末というと、ジヨージ・A・ロメロの《ゾンビー 》(1978年)以降ぞくぞくとホラーのニュー・ウェーブが現れた時代。クローネンバーグの《 スキャナーズ 》シリーズ(1981年)、ジョン・カーペンターの《 ハロウィン》シリーズ(1978年)、そしてこの《 ファンタズム 》シリーズ。なみいるホラー映画の中でも、この《 ファンタズム 》は、些か異色で、元のオリジナル(第一作)があくまで少年が主人公ってことで、その少年期的醒酔定かならぬ悪夢的世界というところだろう。怨霊フレディー・クルーガーの跳梁跋扈する《 エルム街の悪夢 》(1984年)と似ているけど些か雰囲気が違う。

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 米国のある小さな町で殺人事件が起こる。
 実は、妖し気な若い娼婦になりすましたトールマンと呼ばれる怪しげな葬儀屋=魔怪が、夜な夜な若い男を墓場に誘い込んでは殺害していたのであった。トールマンって、文字通り長身の痩せて長髪を風になびかせたゴッつい容貌の年配の男で、いまわの際にすーっと本来の魔怪の姿に戻るのだが、そのゴッついオヤジと"事"に及んでいたと悟った時には後の祭り、到底死んでも死にきれまい。
 不可解死したその男の友人、ミュージシャンのジョディーとアイス・クリーム屋のレジーが葬儀に出席した日、好奇心の旺盛なジョディーの13歳の弟・マイクが霊園の藪から双眼鏡で、葬式屋のトールマンが、墓から棺を取り出し、あろう事か真っ黒い霊柩車に棺を放り込み何処かに立ち去ったのを目撃してしまった。そこから、マイク、ジョディーそしてレジーと異界とこの世を行き来する魔怪トールマンとの長い戦いが始まることとなる。

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   中には死者から脳を抜いて作られた小人が入っている。

 基本的に舞台は《モーニング・サイド》霊廟。
 件の墓場もその敷地内。トールマンってどう見ても吸血鬼ドラキュラって感じだし、墓場で男達を誘惑する若い女も吸血鬼カミーラって雰囲気で撮られていて、正にゴシック・ホラーそのものって道具立てなんだけど、霊廟自体は蔓草が伸び朽ち果て頽廃した赴きではなく、むしろそんなイメージを払拭するように、すべては手入れが行き届き清潔でテラテラと照り輝いている。棺のずらり並んだ廟の奥にホワイト・ルームと呼ばれる白色灯に真っ白く照らし出された部屋の中央に二本ポツンと銀色に輝くステンレス・スチール風のポールが立っていて、それが異次元世界との出入口。そしてトールマンの配下に、中世の修道士の如く真っ黒い頭巾と修道服をまとった小人達と、空中を飛ぶステンレス・スチール風球体(キラー・ボール)の二種居て、どうも持ち去られた屍体が処理され、異世界で労働に従事する奴隷としての小人、その脳だけ抜き取り中に閉じこめたのがフライング・キラー・ボールということらしい。

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 最初は半信半疑だったジョディーも、マイクが切り落とした追いかけてきてトールマンの手指の一本入った小箱を確かめると、ヒョコヒョコ動いていて、嫌でも認めざるを得なくなって、自分はステンレス・スチール製かアルミニウム合金のシルバーに輝いたコルト45ガバメントを腰に隠し、マイクには散弾銃を渡す。マイクは片脚の脛の部分もランボー宜しく大型ナイフを隠していて、まだ13歳のマイクが大きな散弾銃を使い慣れているようで、そう云えば、バイクに跨って猛スピードでかっ飛ばしていたし、車の下に潜り込み修理もしていたりして、ニューヨークのような過密に犇めいた都市部と離れた平均的な米国の家庭ってそんなものなのかと感心させられてしまう。現在は規制、規制と色々と小五月蝿くなってそうは行かなくなってしまっている可能性もあるけど。

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 散弾銃はともかく、出てくる道具って大半が銀色というより白色=ステンレス色に照り輝いていて、この記号性って、どろりとした腥(なまぐさ)い異世界というより、科学・テクノロジー的(異空間)な象徴と考えられなくもなく、従来のゴシック・ホラー的な闇に支配された世界の横っ腹にテクノロジー的白色光で風穴を穿(あけ)ようってことなのだろう。(その辺りは、《 ファンタズム4 》で説かれる。)
 
 最期に追いかけてきたトールマンを落とし穴に陥れ、タイミング良くジョディーが崖上から大きな岩を次々と落として出口を塞いでトールマンも一巻の終わりって運び。ところが、場面は、束の間の微睡みから醒めたように暖炉の傍で、いたわるようにレジーが傷心しうなだれたマイクに説いて聞かすシーンに反転。両親も死に、兄ジョディーまで亡くなったマイクの、孤独と恐怖から紡がれた長い悪夢=夢想に過ぎない、とレジーが優しく言い聞かせ、一緒に旅にでも出ようと誘う。何はともあれ、今はレジーの云う通りにしようとマイクは自分の荷物を取りに部屋に向かう。そこに突然、死んだはずのトールマンが再び現れ、マイクを異空間に引きずり込んでしまう。
 この付け足しのような最後のどんでん返し的シーンはもう今じゃホラー映画の常套で色んな作品で見られ、これからも多用されるのだろう。「どっこいそうはいかないぞ」という、例えば権力犯罪追求映画などで定番の観のある機密とやらをマスコミに持ち込みあるいは送信してめでたしめでたしってのは現実にはまずあり得ないという官許デモクラシー的お伽噺への反省・批判の具象化と見るのは余りに穿ち過ぎであろうか。ホラー映画って、監督や制作者のやりたい放題ができるって面があるからだ。

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 監督のコスカレリ、この第一作だけで、続編を作ろうなんて考えてもないのが見ていると分かってしまう。予想外にヒットしてしまって続編制作となってしまったのだろう。第二作以降からは、この第一作にあった、否この作品自体と云っても過言ではない少年期的夢想(世界)って側面が霧散してしまっている。確かに、物理的にマイク自体、あるいはマイク役のマイケル・ボールドウィン自身がもう少年ではなくなってしまったという現実的制約もある。
 トールマン役のアンガス・スクリム(85歳)まだ存命で、次作が期待できなくもないのだが、最期の《 ファンタズム4 》から既に十数年が過ぎている。

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 マイク   マイケル・ボールドウィン
 ジョデイー ビル・トンブリー
 レジー   レジー・バニスター
 トールマン アンガス・スクリム
 
 監督  ドン・コスカレリ
 脚本  ドン・コスカレリ
 撮影   ドン・コスカレリ
 音楽  フレッド・マイロウ
     マルコルム・シーズグレイブ
 SFX/VFX/特撮  ポール・ペパーマン
 制作 アヴコ・エンバシー・ピクチャーズ 1979年(米国)

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2011年8月12日 (金)

一触即発的黒人ゲットー《ドゥー・ザ・ライト・シング》

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 英国ロンドンで連日、ある黒人が警官に射殺された事件を発端とする暴動が打ちつづいていて、放火と略奪で大英帝国の首都は焦土と化しつつあるようだ。英国=ロンドンの場合、根が深そうだし、容易に沈静化は見られないのかも知れない。丁度、昨年タイの首都バンコクがそうなった如く。
 今春、北アフリカや中東の反政府デモがどんどん拡がっていき政治変革にまで至った力学的プロセスに、米国やフランスと並んで英国も、水面下で何等かの関与をしていたのが見え透いているし、それが今度は自分達のお膝元って訳だ。だから、簡単に銃器を使用したりして弾圧を強めれば、何のことはなかった高みから偉そうなご託宣並べていたのが、およそ現実の姿とは真逆の"札付き"的詐術だったとバレてしまうジレンマ。

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  ロス暴動

 
 発端となった黒人射殺事件の詳細ははっきりしない。
 どんなに見え見えであっても、曖昧なまま闇に葬ってしまいかねないのも悪辣な権力の十八番。少数派黒人と白人警官との人種差別に根ざした齟齬・軋轢となると、これはもう米国の独壇場だったはず。比較的最近では、1992年春に起こったロス暴動。ロドニー・キングという無抵抗の黒人が警官達に襲われ、顎の骨を砕かれたり、片眼を潰されたりした悪辣な暴力だったにもかかわらず、警官達は無罪の評決・判決を受けた。このロドニー事件の二週間後にも、ラターシャという15歳の黒人娘が背後から韓国系の店先で女店主に拳銃で射殺される有名な事件も起きていて、その年の11月、この韓国店主、殺人罪で有罪がはっきりしていたのに、五年の保護観察と罰金500ドルそして400時間のボランティア活動というすこぶる差別的政治的判決。

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        ブラック・パンサー機関誌

 ヒップ・ホップのアイスキューブがこの業腹な事件に怒り心頭に達して"ブラック・コリア"という曲を発表し、そのゆゆしき不当性と韓国系店主達の悪辣さを罵った。で、翌年春のロドニー・キング事件の悪辣な権力の論理そのものの人舐め判決。とうとう堪忍袋の緒を切った怒った黒人達が町へ繰り出し積年の恨みと怒りを爆発させ暴動へと発展。投石や略奪・放火が続き、州兵では心許(もと)ないと、ついには完全武装の海兵隊まで投入されることとなった。死者50~60人、放火などで倒壊した建物1100軒、逮捕者1万人。

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 この暴動では、ラターシャ事件とその判決の余りに剥き出しの不当性故にか、韓国系商店が狙い撃ちされた面もあったようだ。国内のテレビのニュースやなんかで、自分の商店の前に佇んだ韓国人オーナー達が、拳銃を威嚇ではなく、水平に向けて撃っている光景は有名だった。元々かなりあからさまに黒人達に侮蔑的で、黒人コミュニティーに融け込むこともなく、営業時間を終えるとさっさと自分達のコリアン居住区に逃げ帰るばかりだったらしい。 彼等の大半は、ベトナム戦争時にベトナムに出兵した韓国兵だったようで、米国政府が優遇策として容易に移民できるようにしたためにベトナム戦争終結後、大挙してやってきた連中らしい。かの高名なアタッシュ・ケースいっぱいに米ドル札を詰め込んだ南ベトナム政府軍将軍グエン・カオキと同じ時期に渡米したのだろうか。

 
 そのもっと昔に遡ると、1965年ワッツ(現ロスアンゼルス)暴動があり、折からの公民権運動と絡んで、米国のあっちこっちで連鎖反応的に勃発することとなった。これも白人警官の黒人に対する暴力が原因と云われていて、二年後には同じ熱い夏に、ニュージャージー州のニューアークで、黒人タクシー運転手が警察に暴行を受けたのが発端の暴動が起き、23名の死者と1500名以上の逮捕者が出たらしい。この頃はもう、黒人武装革命組織《ブラック・パンサー党》が全米に組織されていた。正に、黒人=アフロ・アフリカン達の長く熱い夜だった。

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 「ホーット!」
 ニューヨークはブルックリン、本来は黒人居住区(ゲットー)だったのが次第にヒスパニックが増え始め韓国人の店も出来順調に繁盛している一画、白人達が黒人達が住み始めたので慌てて別のエリアに移り住んでいってその打ち捨てられた朽ち果てた安アパートの一室で、折からの連日の暑熱に朝っぱらから酷暑に堪えかね思わず汗びっしょりになった剥き出しの半身でベッドから跳ね起きた自称"市長"メイヤーの開口一番であった。

 "長く暑い夜"、これこそ米国黒人達の暴動の嘗ての定型句。
 夜陰に乗じるって武力で圧倒的に劣る貧しい黒人達の戦術的な面もあったであろうが、気の利いた冷房設備と無縁な彼等が我慢に我慢を重ねとうとう我慢の限界に達する時が、正に熱気を臨界点にまで高めた夜だったのであろう。熱気を孕んだ闇は火を炎を誘い、更に灼熱と化し、あらゆるものを焼き尽くしてしまう。

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 そんな1960年代的残像を色濃く残し、二十数年後に舞台をニユーヨークに移して蘇らせたのがスパイク・リー監督の《ドゥー・ザ・ライト・シング》であった。
 冒頭から意表を衝くように、ダンサーだったらしいブルックリン出身のロージー・ペレスのアスリート風の激しいダンスから始まる。狂言廻し的存在のムーキー(スパイク・リー)のプエルトリコ系の愛人ティナという設定。二人の間に子供が一人居て、口うるさい彼女の母親との家には、偶にしか顔を出さない。金が出来た時のみ、漸く顔を出せるようだ。ともかく、全米一かどうかはともかく、貧乏人、失業者の多い地区で、ムーキーもイタリア系のサル(ダニー・アイエロ)のピザ屋で配達のアルバイトをやって何とか喰いつなぐのがせいぜい。妹の部屋に居候を決め込んで、妹に幾らもういいかげん"自立"したら如何と諭されてもない袖は振れぬと知らん顔。この美人の妹を、ピザ屋のオーナー=サルが気に入っていて、偶に店に姿を現すとサルがあれこれサービスするのが、ムーキーには苛立たしい。何たってサルは年配だし、イタリア系=白人で、その上ムーキーのボスなのがいよいよ許せない。そして、この糞熱さだ。

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 "ヒート!" 
 ここで、通りに面したDJ"ミスター・セニョール・ラブ・ダディー"(サミュエル・L・ジャクソン)のFM108ラジオ局から英国レゲエバンド=スティール・パルスの"キャント・スタンド・イット"が流れる。
 サルの店"サルズ・フェーマス・ピザリア"、昔からあるこの店に、近所の若い黒人達が通い、子供の頃からの彼等の顔も名前もよく知悉しているサルにとってはここが第二の故郷。やがて出来のよくない二人の息子ピノ(ジョン・タトゥーロ)とビット(リチャード・エドソン)に店を譲るつもりで、"サル&サンズ・ピザリア"に店の名前を変えようとも考えていたのが、かなり人種差別的な長男のピノに、仲間(白人区)にバカにされていて辞めたいと吐露され、愕然としてしまう。
 メイヤー(オジー・デイビス)が毎日ビール代欲しさに店に現れ、店の前を"ブルックリン一綺麗"に掃除すると称してサルに1ドル札一枚貰うことからピノには堪え難い。うちは慈善事業団体かい?と父親に喰ってかかる。常連のバギング・アウトが店の壁に貼ってあるのは皆白人=イタリア系のブロマイドばかりじゃないか、黒人のも貼れと怒鳴り始めたために店を追い出され、
 「サルの店をボイコットしろ!」 
 と店の客達に言い放つ。バギングアウトを外に強引に連れ出したムーキー、別れ際に、バギング・アウトに「黒で居ろ!」と忠告を受ける。

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 その後、今度はラジオ・ラヒームがバカでっかいラジカセを手に大音量でパブリック・エネミーの"ファイト・ザ・パワー"を轟かせながら現れる。怒ったサルに、ラジオ・ラヒームはチーズ・ピザ二枚を注文。それが凝(しこ)りとなり、陽が落ち夜の帳もすっかり降り尽くした夜、閉店の看板を掛けようとした直後、バギングアウトと連れだって再び現れる。"ファイト・ザ・パワー"を店内に響かせながら、壁に黒人達のブロマイドを貼れとバギングアウトが叫ぶ中、とうとう切れたサルがバットでラジオラヒームのラジカセを叩き壊してしまう。そして後は、なし崩し・・・暴動へ。しかし、スパイク・リーは、ブルックリンの町を焼き払ったりする一大暴動へとは発展させず、暴徒がすぐ向かいの韓国人のコンビニに押し掛けようとするのを、いつもそこでビールを買っている黒人の親爺に押し止めさせる。すべてはサルのピザリア一店に集注し、燃焼しつくす。

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 翌朝も早くから暑熱に茹だりながらムーキーは起きだし、焼け跡と化したピザリアに向かう。サルが一人佇み、ムーキーの求める給料250ドルを、一枚一枚100ドル札で5枚クシャクシャにして投げつけて渡すシーン。週給の倍の500ドル。そして通りいっぱいに聞こえんばかりに大声を張り上げる。
 「ムーキー、ファッキン・リッチ!」
 
 この映画の魅力は、黒人、白人=イタリア系、プエルトリコ系の会話的やりとりの面白さにあろう。ユーモラスなやりとりの下で、ジリジリと燻(くすぶ)りつづける積年の恨み・辛(つら)みが果てしない暑熱に発熱しついには爆発にまで至ってしまう。そんな危うい米国の現実。
 大統領に黒人がなったからっといっても何が変わる訳ではないのは最初から十分に分かっていたはずのオバマ政権下の米国。それ自体では意味を持たない故に誕生した、あるいはさせられたというのが本当のところだろう。所詮サーバント=オバマでしかない。後には、黒人で女でもあるブッシュ政権下で悪名を轟かせていたライスも自分の出番を今か今かと待っているのかも知れない。黒人の主演スターも多くなったしブームの観すら呈している。けれど、米国で黒人の立場や位置が大幅に改善されたとか差別が払拭されたという話はとんと聞いたこともない。

 
 監督 スパイク・リー
 脚本 スパイク・リー
 撮影 アーネスト・ディッカーソン
 音楽 ビル・リー
 制作 40 Acres and a Mule Filmworks, Universal 1989年(米国)

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2011年8月 5日 (金)

中国ホラー 東方新魔幻《画皮》

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 オリジナルが清朝時代の《 聊斉志異 》ってことで、日本にもある夜な夜な娘の霊怪が男を訪ねてきて情を交わし続け精気を吸い尽くし死に至らしめようとするのを坊主が見破るという有名な《 牡丹灯籠 》(こっちは明代の『剪灯新話』)、1980年代後期にヒットした同じ《 聊斉志異 》を典拠とした(《チャイニーズ・ゴースト・ストーリー》(倩女幽魂)なんかの妖艶ファンタジーなんかをイメージしていたら、「妖艶」は意匠だけの専ら怪異譚、「怪奇」恋愛ロマンって代物だった。そもそもタイトルからしてオリジナル共々《 画皮 》って、随分とキワモノっぽく、文字通り「(美女の)絵を描いた皮」。皮をかぶるって、こりゃどう考えても、最近のハリウッド・ホラーの定番的所作。

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 この《 画皮 》、"東方新魔幻"と銘打って、監督のゴードン・チャン(陳嘉上)は、更にアクション的要素を、「怪奇」性ともどもに前面に押し出している。オリジナルと相違し、主人公・王生を西方砂漠の将軍に据えることで、スペクタクル・アクションを売りにすることを容易にし、つまり集客=利潤追求的プロデュースという訳だ。
 マア、それはそれで良いのだろうが、実際に画面を観ていると、どうしても2000年作品《 グリーン・ディストニー 》(臥虎藏龍)の色んな場面が嫌でもダブってきてしまう。これは些かまずいのではないだろうか。何しろ"大作"なのだから。おまけに、《 グリーン・ディストニー 》は古装武侠片だったのだけど、碧眼狐狸という敵役の老婆が妖怪然とした活躍をしていて、いよいよまずい。次作では、もう少し別様の、もっとオリジナル性の強い仕様でお願いしたいものだ。

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 妖怪変化と云うくらいに、怪異・妖魔の類は、様々な変容で人を化(ば)かす。人間に化けるのは、怪異譚ではお決まりで、狸ですらが化かし誑(たぶら)かす。人間の姿と声を備えた化け物が人間になりすまし、人前に現れ接近してくる。一度にその場で喰ってしまう訳でもなく、夜な夜な通い男の精気を吸い取ってついには死に至らしめる。吸血鬼に似ている。性交することで精気を奪う。精気は生気でもある。
 只、この《 聊斉志異 》のオリジナルでは、妖異は道士が王生に魔除けとして授けた払子に怒って引き千切り、部屋に隠れていた王生の腹を鋭い爪で引き裂き心臓を掴みだして逃げてしまう。何とも凶暴な野獣剥き出しって所作だけど、人肉を貪った訳ではなさそうで、人肉を喰らう屍鬼とは異なるようだ。嘗ては、まだ現在のように人間として明確ではない、不分明で曖昧な存在もひょっとして少なくはなかったのかも知れず、《山海経》の如くこんな怪異・妖怪の類を書き残しておいたのかも知れない。

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 以前から疑問に思っていたことがある。
 大陸中国(人民中国)以外はともかく、例えば日本でも江戸時代当たりからでも《 四谷怪談 》と一緒に《 牡丹灯籠 》なんか子供の頃から夏の風物詩として慣れ親しんできたものだけど、中国本土では、一体どうなのだろう?
 勿論ぼくの云っているのは、孫文・魯迅なんかの頃ではなく、それ以降の戦後の人民中国のことで、紅い星を頂くようになってからの中国って、そんな伝統的な怪異・妖異譚的なものは、一方的に旧弊・保守的反動=反革命な残滓として、一刀のもとに斬り落としてきたようなイメージが強い。尤もそれは偏(ひとえ)に《 文化大革命 》の所産で、それ以前はもっと緩やかであった可能性もある。
 逆に、そんな紅星的時代を背景にしたその手の怪異物ってのも面白いのかも知れない。
 それだと禍々しいくらいに一番に躍り出てくるのは江青で、正に妖鬼・妖怪そのもの。それが失墜した元最高権力者・毛沢東を誑(たぶら)かすという、もうこれ以上ない怪異譚だ。で、誑かされているはずの毛沢東は、復権を狙ってそれを狡猾に利用したに過ぎず、実のところ、誑かされたのは妖魔・江青の方だったという皮肉。まあ、誰でも容易に思いつきそうなストーリーだ。こんなのは、しかし、さすがに改革開放二十年近く過った今現在であっても、中国では作れないのだろう。こんなのが、北京の中央電視台のゴールデン・アワーにシリーズ物として放送されるようになったら、中国は、他のどの国よりも、表現的自由を獲得できた一等国ってことになる。

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 妖異・小唯(周迅)が将軍・王生(陳坤)に賊から助け出され、自宅に住まわせるところから始まる。王生には妻・佩蓉(趙薇)が居て、やがて小唯が妖異の類だと見破り夫に告げるが、王生は認めようとしなかった。以前佩蓉と恋仲だった前将軍(ドニー・イェン)に助けを求めるが、仲々妖異・小唯は尻尾を掴ませなかった。その内、一向に愛妻に義理立てして小唯の誘惑に乗ろうとしない王生にじれ、妻・佩蓉に妖異の濡れ衣を着せ、殺害し、王生を自分のものにしようとする。ところが、前将軍と降魔者(スン・リー)が現れ、
妖毒に真っ白く変容した佩蓉を助け出し、町外れの寺院の洞窟に匿う。やがて、妖異を成敗するため王生率いる部隊と小唯達が押し寄せる。そこで、佩蓉と王生は互いの愛を証すように自死し、己の敗北に暗澹として妖異・小唯は、二人を生き返らせ、消滅する。

 つまるところ、妖異・小唯の"あなたの女になりたいだけ"という横恋慕と相思相愛の夫婦愛の一方的な三角関係ってとこ。オリジナルだと、妖異に腸を引きずり出され心臓を抜き取られた王生を生き返らせようと、彼の妻は一所懸命。その必死の献身的努力の結果、五体満足に生き返る。確かにこのままだと軽薄な夫と献身的な女房という月並みな図式では、今時観客の大動員は期待できず、深い愛情で結ばれた夫婦という一大ロマンの演出と相成った次第であろう。
 個人的には、妖艶さってものが欲しかった。お座なりな濡れ場シーンよりも。美人皮を脱いだ黒々と滑った正体の露わになった妖異、今時百貨商場(しょぼくれたデパート)の仏頂面して商品を投げて寄こす小姐(女店員)宜しく味も素っ気ないけれど、せっかくの周迅なら何としてもジョイ・ウォン(王祖賢)と張り合うぐらいに。

 妖異・小唯   周迅
 将軍・王生   陳坤
 妻・佩蓉    趙薇
 前将軍     ドニー・イェン
 降魔者     スン・リー

 監督 ゴードン・チャン
 脚本 劉浩良、陳嘉上 
 撮影 黄岳泰
 制作 寧夏電影制片庁・上海電影集団公司(中国・香港)2008年

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