《モールス》 吸血少女は養蜂箱でゆられて

最近のホラー映画って、ゾンビー系列に負けず劣らず吸血鬼(ヴァンパイアー)系列も目白押しで、画面を観ている途中で、アレレと思ったら吸血鬼だったりして、肩すかしを喰って戸惑いを覚えたりしたものだった。吸血鬼ものが別に嫌いという訳でもないけど、どうも若干白けてはしまう。余りに古色蒼然に過ぎるからなのか・・・ゾンビーが人肉を喰らうワイルドな肉食系に較べて、吸血鬼って所詮チューチューと首筋から血を吸うって所作が何とも菜食系あるいは植物系にも似た元祖ドラキュラ伯爵に由来する貴族的耽美主義、あるいは妙にすました感じが、ホラー映画として些か物足りなさを覚えてしまうからなのか。確かに、ワイルドにライフルや自動小銃を撃ちまくって屠ってゆくのと違って、あれこれとややこしい手順でとどめを刺さねばならぬ吸血鬼ってちょっと面倒くさい。
元祖というべきジョージ・A・ロメロ監督《ゾンビー》(1978年)が片っ端から次々と現れるゾンビー達を銃で頭を吹っ飛ばし屠ってゆく一種の爽快さで忽ち世界的に人気爆発したのも、正にそれであった。むしろ、人間ではない、もはや一度死んだ「屍鬼」故に余計なやましさや心配は無用で、猟の如く撃ち放題殺し放題って理屈だ。正にポスト・ベトナム戦争的戦術といえよう。

制作国の米国では不評だったらしけど、土曜の初回上映で、客は疎ら。
けど、僕は結構面白く観せて貰った。監督があの《クローバー・フィールド》のマット・リーヴスで、CG処理に難をいう向きもあるようだけど、あれはあれで良かったと思う。劇中、《ロメオとジュリエット》の本までこれ見よがしに出てきて、いやでも二人の主人公、十二歳のアビーとオーウェンの淡いラブ・ロマンスを際立たせる。《ロメオとジュリエット》の原作の悲惨な結末を避けて、アラン・パーカー監督《小さな恋のメロディー》(1971年)並に手に手を取っての駆け落ちというハッビーな方途に設定されている。

この映画、実はスウェーデン映画《ぼくのエリ 200歳の少女》(2008年)のリメイク版という。そういえば、ビデオ屋で見た覚えがあって、単に子供映画と決めつけていたら、結構有名な映画という。これにも元のオリジナル・原作があって、 ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト著《モールス》、もろホラーらしい。このハリウッド版のはオリジナルのタイトル。
ケンタッキー山脈の南端、ニューメキシコ州はロス・アラモスの粉雪舞う暗い夜道を、二台のパトカーに先導され救急車がある男を搬送してゆくシーンから始まる。
ロス・アラモスといえば、長崎・広島に投下した原爆製造基地がある地として有名だけど、それ以降もあれこれと様々な噂の絶えない如何にもって感じの怪しげな場所だ。舞台設定としては申し分ない。
搬送された男は顔面から酸で焼けただれていて、早速地元の刑事(イライアス・コティーズ)が一人で現れる。しかし話せる状態ではなく、受付で署に電話をかけている間に、男は十階の部屋から飛び降りて死んでしまう。そして、画面は以前に遡る。
ある夜、いじめられっ子オーウェン(コディ・スミット・マクフィー)のアバートの隣室に、アビー(クロエ・グレース・モレッツ)という名の同い歳の少女とその父親らしき人物の二人が簡単な道具だけで引っ越してくる。やがて、そのアパートの敷地でいつも一人で遊んでいたオーウェンの前にその少女アビーが現れる。この寒空に素足だった。
「わたしが女の子じゃなかったら?」
なんて意味不明な言葉を、如何にも意味ありげに言うそんな謎だらけの少女アビーに、オーウェンは次第に興味を持ちはじめ、いつの間にか恋愛感情すら抱くようになってしまう。ある日オーウェンが虐(いじ)めグループに頬を叩かれ派手なバンドエイドをしているのをアビーに問われると虐めグループのことを素直に話した。
「やり返すのよ!」
アビーは叱咤し、もしもの場合の助っ人も買って出た。
「わたしは見かけより強いのよ」

凍結した川の上で、学校から生徒達がホッケーとスケートの野外授業となった時、虐めグループに因縁をつけられ、手にしていた棒を寄こせとリーダーが迫ると、その長い棒でリーダーを横様に一振り叩きつけた。と、呻き声を出してリーダーは叩かれた耳を押さえその場にうずくまった。耳が裂けてしまったのだが、それを最初から見ていた教師が傍へ駈け寄ろうとした途端、生徒達の叫び声があがった。氷の下に屍体があったのだ。事件に紛れるように、オーウェンは停学処分を免れたが、実は、その屍体こそ、老いて以前の働きができなくなった父親らしき男を見限ってアビー自身が自分の手にかけて屠った男だった。そしてその被害にあった男がオーウェンと同じアパートの住人だったことから、警察の聞き込み調査の訪問を受けることとなる。
すっかり親しくなった二人は互いの部屋を行き来するようにまでなるのだが、アビーの父親らしき男が、アビーに諫めるように告げる。
「あの小僧とつきあうのは止めとけ!」
男は、アビーに犯させまいと自分を叱咤するようにすっかり夜の帳が降りた町にでかけてゆき、前回の失敗の屈辱を雪(そそ)がんと駐めてあった乗用車の後部座席と床の間に身を伏せて待った。若い男が戻ってきた。今度こそはと覆面した老いた男は自身に言い聞かせた。と、再びドアが開きもう一人男が飛び込んできた。友人だった。覆面の男は焦った・・・結局、男は失敗し、車ごと横転し、追いかけてきた男達や住民達が駈け寄ってくる前に、もはや身動きもならない車の下で辛うじて自分のバッグから酸を取り出し、自分の正体を知られぬために自身の顔にぶっかけた。走り寄ってきた男達も強列な酸の臭いに思わずのけぞった。

そして、冒頭の救急車のシーンに画面は戻る。
アビーが吸血鬼であることを知ったオーウェンは、アビーの部屋で見つけた古いフィルム写真に今と変わらぬアビーと共に写っていた自分と同じくらいの少年を思い出す。その少年こそ、アビーと一緒にいた父親らしき人物だった。悪夢のように畳みかけてくる現実、一人尋ねてきた刑事をアビーが屠り、学校のプールで虐めグループにとリーダーの兄に襲われあわや死んでしまうのかと思われた時突然アビーが現れ皆殺しにしてしまって、オーウェンはもはや夫と離婚で揉め精神的に不安定な母親と一緒の生活には戻れないと断念し、アビーと一緒に、つまりアビーのために生きてゆく方途を選んでしまう。アビーを隠した大箱と一緒に列車に乗り、当てどもない、少なくとも例の父親らしき男と同じ年になるまでの長い旅をつづける方途を。

一回の吸血で一体どのくらい保つのか定かでないが、愛するアビーのためと思って多くの行きずりの人間達を殺害し、血を抜き取り、アビーに飲ませるという背徳的行為を、オーウェンと同じ少年の頃から六、七十歳代になるまでには、少々じゃないくらいに繰り返してきたのだろう。膨大な人数にも達するだろう。
もう疲れた・・・とは劇中でのオヤジさんの言だった。
年々闇すら減ってしまいつつある日本と違って、米国は遙かに広く、それでも中部・南部なんて拳銃所持が再燃化し、腰にホルスターまで吊してこれ見よがしに拳銃をひけらかす世相であってみれば、ナイフや酸なんかで屠るなんて殆ど絶望的な技と言わざるを得ない。そんな現実を益々体力も気力も落ちていく初老の身でひしひしと感じていたに違いない。況や嘗ての自分と同じような若い少年が現れたりすると、気力も萎えてしまいかねない。それとも、アビーへの献身的な愛情の方が勝って、新参のオーウェンに後を托し、自らは一人静かに死に赴くある種の動物のように何処かへと消えていったのだろうか。
ふと、日本人監督・北村龍平のホラー映画《ミッドナイト・ミート・トレイン》を思い出してしまった。ある種の得体の知れない異種生物のために、選ばれた殺戮犯マホガニー(ヴィニー・ジョーンズ)が夜な夜な最終電車内で乗客を屠っては異生物が食べやすいように解体処理までしてくれるサービスつきの献身ぶりだったのが、カメラマンの主人公にその栄誉ある座を奪われてしまうその哀愁漂よう血塗れた感傷。そのどこかに通じるものを感じてしまった。
アビー クロエ・グレース・モレッツ
オーウェン コディ・スミット=マクフィー
刑事 イライアス・コティーズ
アビーの父親らしき男 リチャード・ジェンキンス
監督 マット・リーヴス
脚本 マット・リーヴス
原作 ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト《モールス》
撮影 グレッグ・フレイザー
音楽 マイケル・ジアッチーノ
制作 オーバーチュアー・フィルム 米国(2010年)
11 sep. '11
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