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2011年9月22日 (木)

《 女たちへのいみうた 》 金子光晴の詩と異郷的絵画

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 この戦後金子の死のあと作られたアンソロジーは、《 女たちへのいみうた 》と題された割には、「おんな」に関して認められたものは半分にも満たない。日本とアジア・ヨーロッパを行き来していた頃、つまり、大正末から昭和のはじめ頃、自身の甲斐性なさ故に、青年アナーキストに妻の森三千代を寝取られ、すっかりコキュとして有名になってしまった。その後も、ダラダラと三千代を引き連れて、アジア・ヨーロッパを、一歩踏みはずと奈落の底が待っている薄氷の上を覚束ない足取りで渡ってゆく芸当を繰りかえし続けた。
 金子と三千代の間に生まれた、例の有名な"兵役"に取られまいとありとあらゆる手管を弄して挙げくまんまと成功して犬死にから免がれた息子・乾がやがて嫁を貰い子供をもうけた頃も、金子と三千代は同居を続けていたようだ。もうここまでくると、腐れ縁を通り越して、赤い糸で前世から結ばれていた因縁・宿命の仲というべきだろう。戦後幾らもしないうちに新参の若い女詩人を二度も入籍するという不純物も含みながらも。幼少から女道楽にうつつを抜かしてきた放蕩息子のなれの果てが、離婚・再婚の随分と一途な純愛的曲折。確かに金子のご真影、哀愁漂う由縁だろう。

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 《 どくろ杯 》にも記されているが、旅先での旅費の捻出のため、彼は春画はじめ在留邦人の人物・家族画みたいなものまで精力的に描きまくったらしい。金子のこのエピソードを読む毎に、アルメニア生まれの神秘思想家グルジエフの、如何にも胡散臭い《 注目すべき人々との出会い 》中の、旅先で金に困って、鳥に刷毛で色を塗って高く売りつける如何にも胡散臭い挿話が思い出されてしまう。有名な春画は何点かインターネットでも見ることができるけど、素人の手慰みと片づけるには些か妙味漂い、やはり彼の若い時分、日本画家に私淑していたとの由。道楽者の養父が、まだ幼い金子の画才を見込んで、弟子入りさせたらしい。
 先だってアマゾンで安く手に入れた画集《 金子光晴 / 旅の形象 》を開いてみてびっくり。仲々面白い。例えば、金子が当時やっかいになっていたベルギーの日本美術蒐集家イヴァン・ルパージュ氏家族の絵なんかユーモラスで笑わせるけど、絵柄が何とも今風で、古臭さを感じさせない。ルパージュ氏は、いわゆる日本びいきの一人で、新進気鋭の詩人であり絵心もそなえた本物の日本人ということで、歓待したのだろう。その後も、三千代ともどもに厄介になったという。アジアでこそ単なるバック・パッカーですら歓待してくれることもあるけれど、金子の時代も現在も、マルマラ海峡を越えてしまうと底の底まで冷え冷えとしたものってのが相場。

 一方、三樹書房版の金子の画集は、国内の、特に三千代女史が大事に仕舞っていたものらしく、かなり春画風のものが多く、それはそれで問題ないのだけど、ただ如何せん、肝心の部分を「検閲」よろしく、塗り潰してある。これは何ともいただけない。作家の作品に第三者が落書きをしているのと同様。インターネットで散見される四点はそれを取っ払ったオリジナルな奴だけど、そっちの方を先に観ていたので、てんで頂けない。マア、戦前同様、官憲が因縁をつけ、下手すると長い裁判にまでもつれ込むのを、何しろ弱小出版社なので回避したのだろう。なんだかんだカッコつけてみたところで、この国は、今だ表現の自由すらないお粗末な非-文化的な国でしかないのが、こんなところからでもバレてしまう。

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 上海の有名京劇戯院。現在は「逸夫舞台」。外にはダフ屋も徘徊。ここぞという決めの

 シーンに到ると「オッ!」と叫び声をあげる。
  

 

  泡

   一

 天が、青っぱなをすゝる。
 戦争がある。

 だが、双眼鏡にうつるものは、鈍痛のやうにくらりとひかる揚子江の水。
 そればかりだ。

 おりもののやうにうすい水・・・・・・・がばがばと鳴る水。
 捲きおとされる水のうねりにのって
 なんの影よりも老いぼれて、
 おいらの船体のかげがすゝむ。

 らんかんも、そこに佇んで
 不安をみおろしてゐるおいらの影も、

 愛のない晴天だ。
 日輪は、贋金だ。

   二

 呉淞はみどり、子どものあたまにはびこる、疥癬のやうだ。

 下関はたゞ、しほっから声の鴉がさわいでゐた。

 うらがなしいあさがたのガスのなかから、
 軍艦どものいん気な筒ぐちが、
 「支那」のよこはらをぢっとみる。
                                                       
 ときをり、けんたうはづれな砲弾が、
  濁水のあっち、こっちに、
 ぼっこり、ぼっこりと穴をあけた。

 その不吉な笑窪を、おいらはさがしてゐた。

 水のうへにしゅうしゅうきえた小銃の雀斑を。
 もぐりこむ曇日を、
 なみにちってゆくこさめを、

 頭痛にひゞくとほくの砲轟。
 「方図もない忘却」のきいろい水のうへを・・・・・・・冬蠅のやうに、おいらはま
   ひまひした。
 
                                 《鮫》より  

 
 

  落下傘

  一

  落下傘がひらく。
 じゆつなげに、

 旋花のやうに、しをれもつれて。
             
 青天にひとり泛びたゞよふ
 なんといふこの淋しさだ。
 雹や
 雷の

 かたまる雲。
 月や虹の映る天体を
 ながれるパラソルの
 なんといふたよりなさだ。

 だが、どこへゆくのだ。
 どこへゆきつくのだ。

 おちこんでゆくこの速さは
 なにごとだ。
 なんのあやまちだ。

  二

 この足のしたにあるのはどこだ。
 ・・・わたしの祖国!

 さいはひなるかな。わたしはあそこで生れた。
  戦捷の国。
 父祖のむかしから
 女たちの貞淑な国。

 もみ殻や、魚の骨。
 ひもじいときにも微笑む
 躾。
 さむいなりふり
 有情な風物。

  あそこには、なによりわたしの言葉がすつかり通じ、かほいろの底の意味まで
   わかりあふ、
  額の狭い、つきつめた眼光、肩骨のとがつた、なつかしい朋党達がゐる。
                                                             
  「もののふの
  たのみあるなかの
  酒宴かな。」

 洪水のなかの電柱。
 草ぶきの廂にも
 ゆれる日の丸。

 さくらしぐれ。
 石理あたらしい
 忠魂碑。
 義理人情の並ぶ家庇。
 盆栽。
 おきものの富士。

  三

 ゆらりゆらりとおちてゆきながら
 目をつぶり、
 双つの足うらをすりあわせて、わたしは祈る。
  「神さま。
  どうぞ。まちがひなく、ふるさとの楽土につきますやうに。
  風のまにまに、海上にふきながされてゆきませんやうに。
  足のしたが、刹那にかききえる夢であつたりしませんやうに。
  万一、地球の引力にそつぽむかれて、落ちても、落ちても、着くところがない
   やうな、悲しいことになりませんやうに。」

                                                              《落下傘》より

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  ニッパ椰子の唄

 赤錆の水のおもてに
 ニツパ椰子が茂る。

 満々と漲る水は、
 天とおなじくらゐ
 高い。

 むしむしした白雲の映る
 ゆるい水襞から出て、
 ニッパはかるく
 爪弾きしあふ。

 こころのまつすぐな
 ニツパよ。
 漂泊の友よ。
 なみだにぬれた
 新鮮な睫毛よ。

 なげやりなニッパを、櫂が
 おしわけてすすむ。
 まる木舟の舷と並んで
 川蛇がおよぐ。

 バンジャル・マシンをのぼり
 バトパハ河をくだる
 両岸のニッパ椰子よ。
 ながれる水のうへの
 静思よ。
 はてない伴侶よ。

 文明のない、さびしい明るさが
 文明の一漂流物、私をながめる。
 胡椒や、ゴムの
 プランター達をながめたやうに。

 「かへらないことが
  最善だよ。」
 それは放浪の哲学。

 ニッパは
 女たちよりやさしい。
  たばこをふかしてねそべつてる
 どんな女たちよりも。

 ニッパはみな疲れたやうな姿態で、
 だが、精悍なほど
 いきいきとして。
 聡明で
 すこしの淫らさもなくて、
 すさまじいほど清らかな
 青い襟足をそろへて。
 
                                                       《女たちへのエレジー》より 

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   No.1
    ── 航海について     

 テーブルのふちから
 海は、あふれる。

 よろけながらもスープの皿をこぼさない
 ボーイ達のやうに
 軽業よろしくつみあげて、
 僕は、船出をする。
 
 目ざまし時計、ブラシ箱、
 ふな酔ひのくすりに
 山吹でっぽう。
 それに、「マルコポーロ旅行記」。

 だが、錨をあげるなり、すぐ
 僕はさとった。
 みんな、無用なものだったと。

 すかんぽのやうに
 酸っぱいしぶきと、
 ざぼんのやうに
 あまいしぶき。

 たとへてみれば僕の心は
 くだものの汁でよごれた
 白いナフキンをそのままだ。

 その白いナフキンにうつる
 船のてすりの
 のびあがる影。
 淡い影。
 
 らんかんにかじりついて
 おづおづと僕がのぞきこむ
 度のつよい近眼鏡にうつった
 くらくらな海。

 なにを捨てるのもかってしだいだ。
 僕といふもののしみついた汚物。
 血のまじった唾でも。
 黄ろい胃液でも。

 ポケットの底をひっくり返して
 僕は、僕の底をはたいた。
 煙草のこなも
 文明のごみも。
 ひからびた四つ葉のクローバも、
 からみついた一すぢの髪の毛も。

 船足がなんとかるがるしたではないか。
 跛をひいたこの船が
 たとへ、旧世紀のぼろ船でも。
 
 ラングーンの米袋を荷揚げして
 印棉をつみこむ。
 人生とはそのくり返しさと
 さとり顔な老水先案内はいふ。

 さりながら、心若い僕は目をかがやかせて
 かう答へる。
 『地球はこれっぽちな筈がない。
 まだしられない大陸がある。
 僕は、それをさがしにゆくんだ』と。

 テーブルのむかう側から、いくらでも
 せりあがってくる御馳走のやうに
 僕は待ってゐる。
 水平線上の奇蹟の島。

 その島に芥子をなすり、胡椒をふりかけ
 僕は、最初に名づけよう。
 『サラダを添へた新ユートピア』。    
                        
                                                     《人間の悲劇》より

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  Sensation

 ── 日本は、気の毒でしたよ。(僕はながい手紙を書く)燎原に、
 あらゆる種類の雑草の種子が、まづかへつてきた。(僕は、そのことを知らせて
 やらう。)
 
 地球が、ギイギッといやな軋りをたてはじめる。・・・山河をつつむウラニウムの
 粘つこい霧雨のなかで、かなしみたちこめるあかつきがた、

 焼酎のコップを前にして、汚れた外套の女の学生が、一人坐つて、
 小声でうたふ ── 『あなたの精液を口にふくんで、あてもなく

 ゆけばさくらの花がちる』いたましいSansationだ。にこりともせず
 かの女は、さつさと裸になる。匂やかに、朝ぞらに浮んだ高層建築のやうに、そ
  のまま
  
 立ちあがつてかの女があるきだすはうへ、僕もあとからついてあるいた。
 日本の若さ、新しい愛と絶望のゆく先、先をつきとめて、(ことこまごまと記し
  て送るために。)

                                                                            《非情》より

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       若い頃の森三千代

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      金子の家族 : 右端が三千代。左端が乾(息子)

 旧仮名つかいはそのまま。漢字にルビがふってあることが多いけど、このブログ自体にそんな気の利いた機能がなく、カッコで括って附記するのも趣きがないので省略。検閲を前提としたり戦時下に隠れて書かれたものが多く、隠喩・暗喩に満ちているものの、今日からすれば意外と意味を取り易い面もある。戦前・戦中の雰囲気、その最中での旅とは如何なるものであったのかを感性とイマジネーションを駆使し、時空を越えた小旅行を体験してみては如何。

 

  《 女たちへのいみうた 》 金子光晴(集英社文庫)
  《 金子光晴 旅の形象 : アジア・ヨーロッパ放浪の画集 》今橋映子(平凡社)

  《 金子光晴 画帖 》 編・河邨文一郎(三樹書房)

 

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