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2011年10月18日 (火)

赤塵舞うニュー・フロンティア  ポイペット&シソフォン

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                シソフォン駅

 '98年春に始めて、タイのアランヤ・プラテートからカンボジアのボーダーの町ポイペットに入った。バスの方が便利なようだったけど、タイで列車に乗るのって、ドン・ムアン空港からファランポーンまでの間しかなかったので、敢えて鉄路でファランポーン駅から六時間かけて東端のアランヤ・プラテートまで乗ってみた。途中で殆ど客も降り車内はガラーンとして侘びしいものだった。何しろ辺境貿易ラッシュの町ってことで、小さいながらも開発ラッシュらしく町全体が建設・改装ラッシュで埃っぽく、も一つ落ち着けなかった。セヴン・イレヴンも真新しく、それなりに活気に満ちていた。
 が、一旦国境を越えて、カンボジア側、ポイペットの町に入ると、様相はガラリと変わり、もう南のコ・コン以上に黄塵舞う、正に交易ラッシュ=ニュー・フロンティアって感じであった。現在は定かでないけど、当時タイ側のイミグレを出るともう難民かと思われるような風体のどう見てもカンボジア人のオヤジさんが近寄ってきて自分の大八車でカンボジア側のイミグレまで5バーツで運ぶと迫ってきた。似たような風体の人々が皆一様に肩に背に何かを担いで運んでいて、南のコ・コンの方ではまず見かけなかった風景に、これこそ草の根ボーダー・エリア交易ラッシュなんだろうと感心してしまった。

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         シソフォンの町並

 今回の旅に出発する際、関西空港のテレビで、ちょうどタイ=カンボジア間の自動車密輸(窃盗)団の報道番組をやっていて、アランヤ・プラテート=ポイペットのボーダーで、タイ軍ではないかと思われる装備のタイ当局が、林の向こうのカンボジア密輸団と激しい銃撃戦を展開していて、タイ軍がロケット・ランチャーすら使っていたのには驚いてしまった。今回行く予定の場所だったので、凄いところなんだなーと飛行機の中で勝手にあれこれ空想を逞しくしてしまった。しかし、所詮ふつうの旅行者には関わることのないエリアであり事件でしかなく、もう少し時代が早ければ、例えばシャムリアプでも賊の手にかかる可能性ももあったろうが。

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           マーケット近辺

 
 ポイペットの町は、通過するだけで、ゆっくり留まることもなかった。ともかく、ゴチャゴチャとし埃っぽいばかりで、一瞥的光景しか記憶にない。ここも、コ・コンと同様カジノがあるようだけど、小金を持ったタイ人や中国人御用達で、バック・パッカーには無縁。それでも国境の町、ゆっくり見て回ればそれなりの面白さもあるのだろうが。
 走り寄ってくるバイク・タクシーやピックアップ(ハイエース)の攻勢に合って忙しなくそそくさとシソポンの町に追い立てられるように出立。ハイエースのエアコンの利いた座席に坐らせられ30バーツ。ポイペット=シェムリアプの悪路の噂を聞いていたのが、デコボコもあったものの存外快適で、いつの間にか向こうにシソポンの象徴ともいえる独特の形をした山影が見えてきた。現在では、ポイペット=シェムリアプは完全舗装され飛ばしまくりであっという間らしい。
 
 シソポンの町も、発展途上を絵に描いたように建設中の建物が多かった。ちょっと先にバッタンバン行きのタクシー(ピックアップ・トラック)乗場がある名もないゲストハウス(シングル100バーツ)に泊まった。カンボジアの置屋と同じスペースと造り調度の部屋で、ひょっとして娼館も兼ねているようなゲストハウスだった。それらしい女達が何人も居たけど、ふつうの年配の人なんかも"生活"していて、そこに住んでいるまだ三十歳台のオーナーは教師をしているらしかった。確かに教師って雰囲気で、好意的に接してくれた。学校教師と置屋風の混在あるいは共生ってのも、如何にも発展途上国らしくて好い。シャワーはなく、水槽の水を手桶で浴びるタイプ。

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 走っている列車には客がいっぱいで、その後ろに繋いだ屋根のない貨物車両にも人々が満載されていて、カンボジアで列車が走っているのを初めて見た。シソポンの駅に行ってみるとガラーンとした駅舎に人影はまばら。ホームの端にコンドームの広告看板があるのには笑わせた。土を固めた道路の上を小さなポニーみたいな馬にひかせた馬車やバイクが竹篭に入れた豚なんかを運んでいたりして、活気のある町ではあった。夜にはあっちこっちに露店が出てか細い灯りで店を開いていた。カンボジア独特のフルーツ・サラダの店なんかもあって、フルーツ・シェイクなんかを飲みながら、カンボジアの地方の夜景(殆ど闇)を眺めたりしたものであった。それこそ、この時期のカンボジアの風物詩って奴で、今・現在ではプノンペン並に煌々とした灯りの下での営業だろうと思ってたら、ブログ見ると、最近でも街灯の類が殆どないという。

 それにしても、かつては走っていたアランヤ・プラテート=プノンペンの列車って何時になったら再開するのだろう。

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  タイ国鉄東端アランヤ・プラテート駅

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