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2011年11月11日 (金)

ペシャワールの宿 《カニス・ホテル》

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メヘラン・バンク(元カイバル・ホテル)の隣のカニス・ホテル

 ペシヤワールの新市街(カントンメント)、サダル通りに面した有名なカイバル・ホテルの横の狭い細路を隔てた隣に、アフガン人が営っているらしい《カニス・ホテル》があった。
 カイバルの屋上から一跨ぎで渡れそうなカニスの屋上で、ターバン巻いたアフガン人の爺さんが、カバーブの下ごしらえをやっているのがよく覗けていた。時間になると一階の通りに面した日本の焼鳥屋に似た佇まいのカバーブ屋を開いた。時間がちょっと遅めで、チャイとナーンの朝食には間に合わなく、美味いだけに残念であった。

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     サダル通りの裏通り

 サダル通りには、銀行や新聞社の建物もあったりするメイン通りだけど、アフガン人の経営するカーペット屋やハンディー・クラフト店も軒を連ねていた。一つ奥に入った横町にも店が並んでいて、アフガン人の物売りも、見つかるとパキスタン警察に蹴飛ばされ追い出されながらも、又すぐに戻ってきたりしていて、アフガンの香り漂う一角であった。
 カニス・ホテルは老舗《グリーン・ホテル》には到底及ばないものの、一応ふつうのホテルで、二階にアフガン・レストランも備わっている。ドミトリー(大部屋)は屋上のベッド置き場の一角に後から設(しつら)えたもので、カイバルの如く、泊まり客が残していった本や情報ノートを保存し活用するといった共有性ってものが希薄。単に泊まるだけの施設って感じでそれほど人気はなかったろう。それでも、泊まったら泊まったで和気藹々ってところがドミトリーの面白さであり、僕もつい何度か足を運んでしまった。

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  面白い装飾(塑像)の古い建物

 遠くカイバル峠の向こうにアフガンの白い嶺峰が望める寒期にはさすがに水シャワーはしんどく、この屋上ドミトリーにも、ホット・シャワーが完備していて、若いスタッフが苦労して湧かしてくれていた。隣のカイバル・ホテルにはその上ストーブがドミトリーにも設置してあって、点けると結構暖かったものだが、カニスにはなかった。
 ここのドミトリーは日本人と欧米人半々ぐらいで、韓国人なんかも時折入ってきた。ある日中、日本人ばかり四、五人で屯していた時、ふと見慣れぬけばけばしく化粧した二人の地元の女が現れた。娼婦達であった。ホテルの客相手なのだろうが、貧乏旅行者のドミトリーなんかに娼婦が客取りに来るってのも前代見物。間違って入ってきたのだろうが、冗談でも若いとも美形とも云えぬ女達で、さすがに皆閉口してしまった。ペシャワールには、昔からの旧い娼館があるという話は聞いていた。インド映画に出てくるようなゴージャスでロマンチックな古色蒼然とした趣きのあるもののようだったけど、パキスタンといえども即物的になりつつある昨今、果たしてそんな流暢なものが何時までもありえたろうか。

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  アフガン・バザールのアフガン人たち (チャイ屋)

 アラビアン・ナイト風にのどかなイエメン等と相違して、結構昼間は殺伐とした感じのするパキスタンのラマザンであるが、ある昼下がり、カニスのアフガン・レストランの廊下に面した窓にカーテンがしてあって何かと覗いてみると、ゆったりした上下のシャルワール・カミーズに身を包んだ男達が黙々と食事をしていた。聞くと、アフガン人のカッワリーかなんかの楽団の面々で、三十代の唄手に云わせると、腹が減っては良い演奏が出来ぬということらしかった。確かにその通りだろう。原理に汲々としない融通無碍なその鷹揚さに親しみを覚えてしまったけど、今じゃ原理主義=タリバンの勢い増す増す盛んのようなアフガニスターンではある。

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   一息ついたナーン職人たち ( アフガン・バザール )

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