« ペシャワールの宿 《カニス・ホテル》 | トップページ | 宇宙人になれなかった少年の物語 大島渚《 少年 》1969年 »

2011年11月29日 (火)

残影的十一月映画

1911

 今月も残り僅かだが、劇場やレンタル・ビデオで結構あれこれ近作を散見してみて、期待していたロード・ショウは皆程度の差こそあれ肩すかしを喰ってしまった感は否めない。ジャッキー・チェン主演の《1911 / 辛亥革命》は、ひょっとしてという一抹の危惧は抱いていたものの、やはり一番期待していたのが、何ともドンドンパチパチ映画じゃ話にもなりはしない。蒋介石が政権を握る以前の、孫文を擁立した初期の国民党故に、中国にも台湾にも受けるというスタンスなのはともかく、あまりにも戦闘シーンに精力を使い過ぎて総じておざなり。戦闘シーン、確かにアクションは僕も嫌いではないけれど、もう一ひねりして気の利いた戦闘シーンにするとかすれば又印象も変わったのかも知れない。眼前の建物や航空機めがけて弧を描いて飛んでゆく派手なRPG(ロケット・ランチャー)なんかが当たり前の昨今の映画の戦闘シーンを見慣れた眼には、地味を絵に描いたようなコテコテの「二百三高地」的、人民解放軍的肉弾戦は、余程巧く作らないと、いわんやその連綿ではうんざりしてしまう。尤も、観客皆同じ世代ではないし、そんなのが好きな人達もいるのも確か。ジャッキー・チェン、同じ歴史物作るなら、ジェット・リーなんかと《太平天国の乱》や《上海小刀会》、
あるいは《義和門》なんかをやってほしい。これだと、原理主義的中国共産党的には必ずしも面白くないものかも知れないが、ブルース・リーの《ドラゴン怒りの鉄拳》以来の普遍性を得ることができるのではないだろうか。

Photo

日本留学中の短刀を持った女性革命家・秋瑾

 ソダーバーグの《コンテイジョン》、今流行の「細菌・ビールス」物の一つで、僕の好きなカテゴリーの一つでもあって、ソダバーグがどんな風に開示して見せて呉るのか楽しみにマアマアの入りの映画館の座席に坐った。悪くはなかったけど、やはりもう一つってところだろうか。むしろお決まりのようにやたら仰々しいくらいに国家的・国際的機関的偉いさん達が出てくるけれど、それに拮抗するフリー・ジャーナリスト=ブロガーのアラン(ジュード・ロー)が何とも胡散臭い英国のタブロイド新聞並のイカサマ師の如く描かれている。監督のソダーバーグ自身、「デマ=噂・風評の類の危険性」を口にしていたようだし、普通に解釈すれば、ひたすら売らんがためのデマゴギー的パフォーマンスに終始するブロガー=アランってことになる。けれど、今春の「東北大震災」時における「フクシマ原発」災害事件での一連の東京電力や関係省庁のデタラメさ加減、とりわけ東電のひたすらなるデマの連発って事態、更ににもかかわらず誰一人として処分も刑事告発もされてないという凄さを鑑みれば、何とも納得のいかないソダーバーグ的展開ではある。映画は虚構で作られたものでしかないが、少なくともデマゴーグ=アラン(ジュード・ロー)と同等な欺瞞と犯罪性を米国政府=製薬会社=国際機関のどこに描出してみせたろうか。劇場での一回きりの鑑賞という制限の中では記憶にない。この手の監督はレトリックを駆使するので、口にした言葉も百パーセント素直に受け取れないけれど。それにしても、これは余談だが、自民党って東電同様一体何時になったら今度の「東北大震災」=ツナミ・原発災害事件の責任を取るのだろう。二万人以上の住民が死に、被害はむしろこれから一層列島中をあらゆる面から蝕んでゆくというのに。それを許しているこの国の住民達って、その最期の権利=義務すら放擲しようとしているようだ。

Contagion

|

« ペシャワールの宿 《カニス・ホテル》 | トップページ | 宇宙人になれなかった少年の物語 大島渚《 少年 》1969年 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« ペシャワールの宿 《カニス・ホテル》 | トップページ | 宇宙人になれなかった少年の物語 大島渚《 少年 》1969年 »