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2012年2月25日 (土)

ペルーの赤いバラ物語 《 悪い娘の悪戯 》リョサ

Carlos_revilla

            カルロス・リヴェーラ画

 嘗て16世紀、征服者"コンキスタドール"スペイン軍によって侵略・蹂躙され壊滅したインカ帝国のマチュ・ピチュやクスコーなどの遺跡で有名な南米ペルー、そして死刑が制度的に無かった故ともいわれる禁固25年を喰らって下獄した、我国の保守(自民党周辺)勢力こぞって"サムライ"との賛美も惜しまなかった元ペルー大統領フジモリの一連の騒動もまた現代のペルーとして記憶に新しく有名。

 しかし、1996年のMRTAトゥパク・アマル革命戦線のゲリラによる首都リマの"日本大使館人質事件"で、世間で喧伝されてきたものとは裏腹に、ペルー当局による武力突入後、投降していた若い娘ゲリラが施錠までされて一旦外に連れ出され、又直ぐ建物の中に引き戻されてから四肢を切断され殺害されたり、他のゲリラも喉を掻き切られたり、首を切り落とされたりしたりの惨劇が繰り広げられたりしていたという。後に、それらが発覚し訴追されるようになると、フジモリと当時フジモリの配下だった事件の指揮官は、事件当時は西側世界にその手際を賞賛されすっかり有頂天に自画自賛していたのが、コロッと掌を返すように互いにその責任をなすりつける泥仕合を展開。自らの悪辣と最下等ぶりを世に知らしめた。あげくに大統領就任の際の二重国籍ではない旨の宣誓など何処吹く風、ぬけぬけと日本に亡命を決め込んだ。当初は"亡命ではない!"と断言していたフジモリであったが、やがて時の首相・小泉が周知の事柄の如く"日本人(日本国籍所有者)が日本に居て何が悪い!"と啖呵をきる始末。まったく言う言葉もない。
 更に、当方もブログで初めて知ったのだが、フジモリは在任中、貧困層の主に先住民族の女達数十万人(中には男すら含まれていたいたという)に、強制的に不妊手術を施したらしい。中国政府のチベット族などに対して行われたものは可成りこれ見よがしに非難されてはいたものの、何故かペルー=フジモリのそれは寡聞にして聞いたことがなかった。

Mrta


 そんな邪なフジモリと1990年に大統領選を張り合い、敗北してしまったのが、この小説の作者マリオ・バルガス・リョサであった。当初はリョサが作家としての世界的知名度で圧倒的優位にたっていたのが、突然浮上してきたフジモリに逆転されてしまった。
 リョサは、若い頃は、キューバ革命の影響もあって、"革命"志向の左翼的な方途を採っていたのが、やがてソ連・キューバの全体主義的圧政に幻滅し、思想的にはともかく、政治的には次第に中道右派的あるいは保守リベラル的な方途に赴き現在に至っているようだ。フジモリとの一騎打ちも、既に中道右派的な立場での戦いであったらしく、確かにそれでは、貧困層が圧倒的らしいペルーであってみれば些か危うい選挙戦展開ではあったろう。
 卑劣・悪辣を絵に描いたようなフジモリではあるのだが、マスコミによるとペルーの貧困層には"人気"があるらしく、彼の娘も大統領選に落選はしたもののそれなりの支持はあったようだ。丁度、悪名高いフィリピンの独裁者マルコスと相似。貧困層に支持者が多いからって、その支持された者が正当な存在かどうかは別の問題。貧窮に喘いでいる人達って、藁にすらすがらざるをえないって危うい立場から、目先にこれ見よがしにかざされた燦然と輝く"黄金"にそれと分かっていても遂触手を伸ばしてしまい、容易に手練れの輩に操られてきたのが歴史的教訓なのだが。逆にそんな魑魅魍魎的権力を叩き潰せれば、所謂"革命"って訳だ。
 
 そんな経緯を念頭におけば、この2006年に発表された小説《 悪い娘の悪戯 》の流れが意外とすんなり了解出来るかも知れない。何よりも、この"自伝的"とも謂われる小説の、リョサを擬したようなスクウェアーな主人公にはどうにも為す術もなくひたすら翻弄され続け、利己的で禍々しくそれでいて魅惑的なヒロイン(実質的主人公)が、正にそんな"貧困層"出自の"成り上がり"の権化のような存在なのだから。

 リカルディート="ニーニョ・ヴエノ" お坊ちゃん
 オティリア="ニーニャ・マラ"  性悪娘

 成り上がりの上昇志向の権化のような女といえば、ラテン・アメリカでは先ずアルゼンチンの"エビータ"であろうが、ラテンに殆ど無知な当方にとっては、何といっても中国の最高権力者・毛沢東の夫人にまで昇り詰めた、あの《中国文化大革命》の"四人組"の頭目・江青だ。江青と較べれば随分と"現実的"なところで苦闘していたニーニョ・マラ、最期は惨憺たる死を迎えることになってしまう。対する主人公リカルディートは、今ひとつ判然としない出自のリョサではあるが、中産階級的出自って設定にしてある。若き演劇女優・江青と当時の時代の寵児的青年映画監督・評論家=唐納を比較するとその相似性に驚くぐらいだ。リカルディートは一度彼女への想い余ってパリの橋の上で投身自殺の衝動に駆られてしまうが、唐納は、翻弄する最愛娘・江青のために数度も自殺を試みた妄執振り。当時の上海のタブロイド紙・誌に、貧民階級出の若き江青の逞しさに較べてその優柔不断さを"軟弱!!"とまで罵倒されていた。
勿論、唐納も絵に描いたような"お坊ちゃん"。

Ymasumac

      ペルーの歌姫 イナ・スマク


 1950年の夏、かのペレス・プラード楽団までやって来たペルーの首都リマはアチョ広場での全国マンボ大会の回想から物語は始まる。主人公リカルディートの住んでいた海に面したミラフローレス地区は、当時まだビルらしきものは殆ど無く一、二階建ての建物が大半だった。 『』

 「しかし、何といってもあの夏一番の衝撃は、遠い国チリからはるばるミラフローレスにやってきた姉妹だ。否が応でも人目を引く外見と、早口でまくし立てる話しぶり、語尾を飲み込んで発音せず、"プゥ"、"プェ"あるいは"プォ"と聞こえる、響きのある感嘆詞を言葉の端々に挟み込む独特の語り口。突如として現れた彼女らは、半ズボンを卒業して長ズボンに替わり、思春期を迎えたミラフローレスの少年たちをことごとく振り向かせた。そして誰よりも増してこの僕を。」

 「モデルのようなその容姿、悪戯めいた暗色の瞳、唇のぼってりした小さめの口、リリーはコケティッシュという言葉が人格化したような女の子だった。
 『君のすべてが好きなんだ』とたえずぼくは言っていた。『何よりもその話し方がたまらなくてね』。彼女の声の持つイントネーションやメロディーは、ペルー人のそれとは全然違う。独特の冗談めいた口調のうえ、使う単語や言い回しが微妙に異なっているから、僕らミラフローレスっ子はすっかり煙に巻かれてしまって、それってどういうことだろう、別の意味が隠されているんじゃないか、などと真意を思いめぐらすことになる。実際、リリーは二重の意味を持つ言葉を用いて、謎かけや地元の女の子が赤面してしまうようなきわどいジョークを連発することが多かった。」
  
 《アメリカン・グラフティー》や《スタン・バイ・ミー》を彷彿とさせる思春の頃から、遙か遠いヨーロッパですっかり老い落魄したリリー=オティーリア="ニーニャ・マラ"が惨憺たる死を迎えるまでの世の果ての長~い旅の軌跡が始まる。
 リカルデイートは10歳の頃暴走トラックに両親を轢かれ亡くし、叔母に育てられ、まだ父親が生きていた頃に読んで貰ったジユーヌ・ヴェルヌやデュマの影響で文学志向が強く、何としてもフランス=パリに"住む"のが夢となっていた。その為に、英語とは別にフランス語の学校にも通い始める。そんな時に、ある日突然現れた二人のイカした姉妹の一人、リリー(14、5歳)に一目惚れしやがて付き合うようになる。ダンスも巧いその姉妹は男女含めてみんなの羨望の的だった。が、それも束の間、その夏の終わり頃、ある金持ちの娘の誕生パーティーに皆が盛り沢山の料理と派手なバンド付きダンスを楽しむ為に集まってきた時、その邸のチリに住んでいた伯母さんに、自由な国=チリ人で通っていた二人の姉妹が、チリ人どころかリマの貧民地区の出身だったと見破られ、とんだ喰わせ娘(もの)ってことになって、いつの間にか姿をくらましてしまう。

Photo

 幻覚剤アワヤスカを飲んで描くシャーマン画家 パブロ・アマリンゴ


 実は、その二人の娘は姉妹なんかではなく、赤の他人に過ぎなかった。真相は大部後の章で明かされる。防波堤建設のアドバイザー=匠といえば聞こえは好いが、ヨレヨレの格好の老いた父親アルキメデスは、海辺の掘っ立て小屋のようなレストランで、中年となったリカルディートにおごられたビール片手に懐かし気分を漂わせながらも吐き捨てる。

 「『その頃からじゃ。オティリータがわしらを恥じるようになったのは』怒りがぶり返してくる。
 『白人みたいに金持ちになりたがった。見栄っ張りでずる賢くて。世渡りにかけては天下一じゃ。あんなふうにやり手でないと、一文無しが外国なんぞに行かれるわけがない。九つか十でラディオ・アメリカの番組に応募して、メキシコ人やチリ人、アルゼンチン人の口真似で優勝。賞品のローラースケートを勝ち取った。母ちゃんの雇い主の心までつかみおった。アレナス夫妻じゃ。魅了したと言ってもいいかもしれん。実の娘も同然に扱われるようになってな。娘の友達から娘に昇格。甘やかされちまったよ。それからじゃ。実の父ちゃんと母ちゃんの子であることを恥じるようになったのは。要するに、ちっちゃい時分から恩知らずになる芽はあったというわけじゃよ』」

 次の二章では、舞台は60年代初頭のパリ。リカルディートは、念願のパリで職探し。ユネスコの通訳の試験を受けたりしている最中、パリで出遭ってすっかり親密になってしまったペルーの革命組織のオルガナイザー=パウルに、キューバに送り込む革命戦士養成のための奨学生の、一時的受け入れに協力しているうち、奇遇にも、リリーに、しかし、今度は"同志アルレッテ"と名乗る革命戦士候補娘として出会うことになる。そして、本人は"革命"なんぞに金輪際興味のない単に"華のパリ"に憧れて乗っかった"渡りに船"でしかなかったのが、晴れてラテン・アメリカの革命の根拠地"キューバ"(まだ革命の英雄=チェ・ゲバラが活躍していた)に、本人の意志とは裏腹に渡る運びとなってしまう。ところが、リリー=同志アルレッテはハバナ(キューバ)のペルーの革命組織の司令官の愛人の座にどっかと居座ってしまう。パウルにそのニュースを聞かされ愕然としてしまうリカルディート。けれど、これも、フィクションと歴史的現実を短絡させても意味がないけれど、やはり江青が、散々上海でその不品行をバッシングされ、一路革命の根拠地=延安に向かい、毛沢東や周恩来なんかの中国共産党幹部の居並ぶ只中に這入り込み、上海の映画・演劇人の男達を虜にしたそのスラリとした肢体で同様に魅了し、正妻にこそなれなかったものの、何番目かの妻の座にちゃっかり居座ってしまったのと相似。

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    パブロ・アマリンゴ

 ところが、3年後、パリで声をかけられた時には、もうリリー=同志アルレッテではなく、ファッション雑誌から抜け出してきたようなあか抜けたドレスに身を包んだアルヌー夫人となっていた。次には英国、日本、そして再びフランスと次から次へと、アバンチュールと成り上がりの階段を昇ってゆくはずが、世知辛いこの世の中、江青のように"打てば響く"ような機知に欠けた"ニーニャ・マラ"であってみれば、次第に上昇のはずが、転落となってしまい、終いには乳ガンや膣内の悪性腫瘍などで美麗だった裸体も満身創痍。駆け落ちした老いたパトロンに別れる時に貰った地中海に面した運河の町セートの小高い丘の上の小さな家で、老いて翻訳の仕事すらままならなくなったリカルディートに看取られながら衰弱し息絶える。

 確かに、壮大なメロ・ドラマと謂えなくもない。逐一、時代の流れも、ペルーの情勢も書き込まれ、3時間ぐらいの長編映画を観ている感すらある。リョサの作品、何編か映画化されているらしく、この作品もそのまま映画に出来そうだ。大部以前、リョサの作品読んだことがあったが、同じ八重樫夫妻訳の趣きは異なるらしい《 チボの狂宴 》を是非読んでみたくなった。
 それにしても、本来はミュージシャン、それもラテン・アメリカの町々での路上ミュージシャン(街頭芸人ともギターを爪弾きながらなら吟遊詩人とも呼ばれる)だったはずが、出自の岩手で石川啄木や宮沢賢治に幼少の頃から薫陶でも受け、知らず文学的脈路に踏み入ってしまい、ひょんなことから翻訳の、ラテン・アメリカ文学の翻訳の仕事に携わることになろうとは、八重樫氏本人が一番驚いているのかも知れない。先では哲学・宗教的な領野のものにも触手を伸ばすようだけど、中・南米大陸には、インカ・マヤ・アステカそして最近ではアマゾン流域にも古代アマゾン文明らしき遺跡も発見されているらしく、コンキスタドール=スペイン軍征服後も含めて仲々興味の尽きない領野で、面白いものを期待できそうだ。 
 
 《 悪い娘の悪戯 》マリオ・バルガス・リョサ 翻訳・八重樫克彦・由貴子(作品社)

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