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2012年4月の1件の記事

2012年4月29日 (日)

 太古の残影 ﹤マレナード物語﹥

South_india_1

 もうかれこれ二十年近く前、インド人作家サルマン・ラシュディーの書いた《悪魔の詩》が、イスラムを冒涜しているとして非難され、イランの指導者ホメイニ師が暗殺指令まで出し、ラシュディーが生命を狙われ英国に亡命までした事件があった。元々インドでも、もっと以前の彼の《真夜中の子供たち》がインドのエスタブリッシュメントに批判的だったため逆恨みされていたらしく、正に孤立無援の四面楚歌。刺客を恐れ遠い英国に亡命をする他なかったのであろう。ところが、そのとばっちりで、邦訳をした筑波大の五十嵐一教授が筑波大構内で刃物で殺害されるという前代未聞の事件が起こり、その上あろうことかこの国の司法・警察は、すっかり知らぬ半ベエを決め込み、迷宮の闇に葬ってしまうオマケまで付いてしまった。

 この南インド・カルナータカの作家K.P.プールナ・チャンドラ・テージャスウィーのカンナダ語小説《 マレナード物語 》も、そのラシュディー事件のとばっちりを受け、本来もう少し批判的(シニカル?)であったらしい部分をかなり出版社の意向で削除・改変したという。カースト・宗教・権力批判はやはりインドでも容易ではないようだ。やたら怒りっぽく設定してある作者の化身らしい主人公の作家(小説が映画にもなっている)と素朴な隣人たちのやりとりがコミカルに演出されてはいるものの、もう一つ面白味に欠けているのは、そんなところに起因しているのかもしれない。

 マイソールに住む老いた父親のアーユルヴェーダ的養生のために蜂蜜を求め地元の養蜂組合の事務所を訪れるところから物語は始まる。主人公が南インドでは花形産業の"映画"の原作を手がけたのを知り、養蜂家見習いのマンダンナがすっかり有頂天になってあれこれ便宜を図ったりして近しくなってゆく。蜂蜜=ミツバチ=養蜂という何とも日向臭い地味な題材でストーリーは展開されてゆく。場所が南インドの西ゴート山脈周辺だけに違和感はない。近年お決まりの環境破壊も進み反対運動なんかも起こっているという。

 そんな田舎町に、ある日、地方政府の大臣がやって来てセレモニー最中に、マンダンナが叩いた太鼓のせいで蜂たちが暴れ出し参加者たちに襲いかかってしまう。すっかりメンツをつぶされた警察に睨まれたマンダンナ、やがて別の闇酒の嫌疑で逮捕されてしまう。ところが、稲作研究センターに実験室をもつ植物学者兼昆虫学者であるカルヴァーロ博士が、何としてもマンダンナを釈放してもらわないと困ると言い出し、主人公たちを驚かせる。あんな山出しのマンダンナなんかのどこにそんな重要性があるのか誰も理解できないからだ。"生物学者"カルヴァーロにとって、それは冗談ではなく、本当に自分の助手として、それも生物史的大発見のための絶対に必要な存在であった。

 その一大発見とは"空飛ぶトカゲ"、マレナードの森に古代から棲息してきた、進化の過程からはずれた、木から木へ枝から枝へと飛行するカメレオンであった。
 やがて、主人公やカルヴァーロたち一行は、その"空飛ぶトカゲ"探索と捕獲の旅へと赴くこととなる。太古の秘密(クエスト)への珍道中的探求行ってところであろう。森に住む少数民族すら加わっての珍道中のあげく、追いつめられたカメレオンは、切り立った断崖絶壁から、眼下に遙か彼方まで拡がったジャングルへと飛翔し逃げ去って行った。

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 アーサー・ヒル監督の《明日に向かって撃て》で、追っ手に追われたブッチとサンダンス・キッドが断崖から真下の滝壺に飛び降りる有名なシーンはじめ、今では映画で、頻(よ)くラスト・シーンなんかに使われる一つの定番となった感すらある。敵や観客を煙に巻き、生死・帰趨を曖昧にして余韻を残すって手法だが、七、八百メートルの絶壁の下、遙か遠くアラビア海に面した海岸までうち続くジャングルってのも中々に壮大な景観(シーン)ではある。
 何しろ当方映画好きなため、相似した光景にはすぐ映画のシーンが浮かんできてしまうのだが、最初に頭上の巨木の枝に件の空飛ぶカメレオンを見つけた時のシークエンスは妙にリアルな描写で、作者が実際に頭上を幾度も見上げながら書き進めていく姿すら思い浮かんでくる。

 「目の前で飛び移ってくれたからこそ、それが一歩一歩ゆつくりとあがっていくのが目で追えるのだ。樹皮の上を、樹皮と完全に同じ色になって登っているのだから、一度でも目を離したならば、再び見つけるのは不可能だ。ほんのちょっとの間でも視野から離れてしまったらもうおしまいだ。気が気でなくなった時、後ろでザワザワと物音がした。」
 「私は、トカゲを、瞬きもせず、全身を目にして追い続けた。私は今、限りなく神々しい瞬間にいるのだ。瞬きでもしようものなら、時の幕が情け容赦なく降りて時間が移り変わってしまう。このトカゲを見失ってしまう。そうはさせるものかと、固く決意して目を見開いて追い続けた。」
                                                                        このシーンの場合、やはりシュワルネッガー主演の《プレデター》だろう。プレデターは変容ではなく透明だけど、両の眼を皿のようにし、ありったけの神経を集中して、鬱蒼としたジャングルの枝葉を視分けてゆく。グレネード・ランチャーの引き金にしっかと指をかけたままってところが決定的に相違するとはいえ。

 「マレナード物語」 K・P・プールナ・チャンドラ・テージャスウィー

             翻訳・井上恭子 (めこん)

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