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2012年7月の2件の記事

2012年7月21日 (土)

武侠影片《 龍門飛甲 》そしてチョッと《金陵十三釵》について

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 中国武侠映画の雄、ツイ・ハークとジェット・リーのコンビによる久しぶりの、それも初の3D武侠映画《 龍門飛甲 》、中国では昨年の暮れ公開になったらしい。確かに、ツイ・ハークの得意のワイヤー・アクションなんて3Dの申し子のような存在で、3Dが世界を席巻し始めてもう何年も過ぎていて遅きに逸した感すらある。YOUTUBEで観せて貰ったが、あくまで小さなウィンドウと2Dなので、劇場のスクリーンとは迫力の点で問題にならないものの、ストーリーや画面展開には十分。

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さっそくのっけから、もうシリーズの定番と化してしまった《 小刀會 》序曲が勇壮に奏でられる。師匠のキンフーの《 龍門客桟 》以来ではあるが、ツイ・ハークよっぽどこの曲が好きなようで、今回はエンディングにも使われ、もう堂々とこの"龍門客桟"の押しも押されぬテーマ曲と位置づけている。2001年に上海で亡くなった作曲者の商易も草葉の陰で、同じ悪徳権力に抗する故事(物語)のテーマ曲ってことで満足しているだろう。

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 時代は明、成化年間。
 皇帝の寵愛を一身に受け、我が世の春を謳歌していた万貴姫(史実的には皇帝より二十歳ぐらい年上らしい。そもそもが、皇帝の幼少時からの乳母役だったらしく、その事で、当時も後世も色々な揣摩憶測を生んだようだ。)、惜しむらくは跡継ぎが杳(よう)として産まれず、自分以外の女の腹から産まれた、つまり世継ぎとなるべき子をことごとく抹殺し続けた。朝臣の謀反を監視・摘発する密偵組織"東廠"とは別に、明王朝全土に、文武百官の一挙手一頭足、民間の謀反・陰謀までを対象としてその監視網を張り巡らせ、生殺自在の恐るべき諜報機関"西廠"を駆使し、今も、皇帝の子を宿し逃走した官女・素彗容を、西廠の総帥=督主の雨化田が陣頭に立って、追跡・扼殺作戦を展開していた。
 とある川岸で一度は西廠の配下に捕らわれたのを、周迅扮する女挟・凌雁秋が助け、彼女をともない砂漠のど真ん中に一軒ポツリと佇んだ旅籠"龍門客桟"に向かった。噂を聞き知って訪れるであろうジェット・リー扮する侠客・趙懐安を待つために。果たして、そこには既に、西廠の手の者達はじめ、モンゴル(韃靼人)の隊商等の怪しげな連中等がとぐろを巻き、互いに疑心暗鬼、一触即発的的状況。尤も、前回の《 新龍門客桟 》では結構スリリングさが醸し出されていたのに比べ、今回はそんな緊張感は希薄。ここがこの作品の真骨頂ってところなのだが・・・やはり眼目があくまで"3D"的展開ってところにあるからなのだろう。
 やがて趙懐安一味や、更に雨化田も一味を引き連れやって来て、ゴビ砂漠の客桟(宿)は正に弩張剣抜虎跳龍蟠!! 忽ち、血で血を洗う相克劇。そして西夏王宮の廃墟での財宝まで出てきて、ついに官女・素彗容がその正体を露わにし、命の恩人であるはずの女挟・凌雁秋を背後から刺してしまう・・・

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 ともかく、実際に劇場のスクリーンで3D映像を観てみたいものだ。"びっくり飛び出し映像"的なものの域をでないものなのか、ジェット・リーなんかの剣法はじめ"立体"的に描かれているのか興味のあることろ。年齢的な問題からだろう「カンフーものはもうやりたくない」と言っていたジェット・リー、ここらで彼の華麗なカンフー技の決定版的なものを立体的な3D映像で残しておいて欲しいものだ。ツイ・ハーク&ジェット・リーといえば黄飛鴻(ファン・フェイ・フォン)シリーズだし3D版を新たに撮るべきだろう。確かに、いずれ既存の映画を3D化って運びにはなるのだろうが、正に3Dのための3D映画として。

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 因みにこの《 龍門飛甲 》、張芸謀の《金陵十三釵》と封切り日を競合し、互いに相喰む結果となって、予定動員数を大分下回ってしまったようだ。《金陵十三釵》の方は、いわゆる"南京大虐殺"を扱ったもので、ハリウッド俳優クリスチャン・ベール、日本軍将校に渡部篤郎が扮していて、日本での公開が怪しいから?か、今のところYOU TUBEでフル画面の高精細画面で観ることが出来る。
 皇軍=日本軍が進攻してきた南京、あるキリスト教教会にミッションスクールの女学生や娼婦達が逃げ込み、そんな中に、のんだくれの米国人も一人紛れていた。やがて渡部篤郎率いる日本軍部隊が現れ、好意的というより、かなり独りよがりに対応し、後日女学生達に部隊本部で歌を唄って欲しいと伝えに来る。勿論拒むことの出来ない命令として。その辺りから飲んだくれだった米国人も主導となって女達を助け出す苦闘が始まる。女学生や娼婦が、日本軍兵士に追われ犯され殺害されるシーンも少なくない。多々問題は山積みしてはいても、ともかく"平和と繁栄"に酔い痴れる現在の中国人達に、かつての侵略戦争の悲劇を忘れる事なかれといったところなのだろうが、"極限状況"映画って側面も強い。カラフルな娼婦達も悪くないが、張芸謀のレベルからしたらもう一つの感は否めない。中途半端ってところだろうか。

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 只、渡部篤郎演じる日本軍将校、今までのステレオタイプの"悪役"と、合作映画が多くなってきて見られるようになってきた"必ずしも悪人ではない善良な日本人"の間をいくような、つまりどっちでもあるような独特の描き方(渡部自身の演技・主張によるものかも知れないが)が目を引く。額面通りなら、これは無表情な官僚的インテリ将校って訳で、かなり悪質。官僚的ってのが正にそれ。今現在の日本でもそうだが、官僚って輩はともかく"責任"感ってのが皆無。利権はしゃぶるように漁るが、その責任だけは金輪際取ることはない。彼もその類なのだろう。シナリオがそうだったのか、渡部自信がそう演じたかったのか。

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2012年7月 6日 (金)

ミレニアムのイエズス会的暗欝 《 無慈悲な昼食 》 ロセーロ

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 あの悪辣を絵に描いたような元ペルー"違法"大統領フジモリが敬虔なカトリック教徒であったのかどうか定かでないけれど、国外のスペイン語圏で有名になってから漸くコロンビア国内でも出版されることになったこのエベリオ・ロセーロの《 無慈悲な昼食 》、コロンビアのカトリック教会を指弾して憚らない内容故に、コロンビア国内では仲々陽の目を見なかったようだ。
 国教批判の小説って、たとえば仏教国タイでも、ウィモン・サイニムヌアンの《蛇》など国教である仏教界を辛辣に批判している小説って少なくはない。ネットのニュースでも、坊主達の性がらみ、金がらみ、麻薬がらみの事件なんて日常茶飯。カトリックの総本山バチカンでも、少年男色的虐待事件がセンセーショナルに報じられたのはつい最近で、あるサイトのニュースでは、バチカンと英王室がらみのもっといかがわしい少年虐待事件も報じられているようだし、コロンビアでもカトリックがらみの事件が少なくないのだろう。そう言えば、カトリック圏には"解放の神学"派も居たはずで、ゲリラ活動中に死亡したコロンビアのカミロ・トーレス・レストレポ神父は有名だったらしい。

 コロンビアの首府・ボゴタの、とある教会では、三年前から、月曜は娼婦、火曜は盲人、水曜は不良、木曜は老人、金曜は母娘と、平日の昼は"慈悲の昼食"、つまりフリー・ランチってわけで、皆一応に事情(わけ)ありでこの教会=アルミダ神父の下で働くこととなった老体に鞭打って料理を造り続ける3人の老いた女リリア達、寺男として給仕とその後の片付け一切を任されていた背にコブのある巨漢タンクレド達も息つく暇もない。
 とくに金曜の"母娘"の日には、主催者のアルミダ神父自身が直接仕切って女達にサービスをする昼食会で、教会のすべての成員も同じテーブルにつかされる。聖具室係の老セレステ・マチャード、同じく事情ありで幼くしてマチャードの養女となった書記のサビーナ・クルスまでも。この"母娘"の日だけに限ってアルミダ神父がしゃしゃり出てくる理由ってのが、後述されるが何と居並んだ女達に"直"に接することが出来るからってことらしい。所謂"破戒僧(神父)"なのだ。聖具室係の老セレステ・マチャードも、幼い頃のサビーナを幾度も手籠めにしてたようで、この二人の教会代表者、札付きの"背教"者。その上、吝嗇で、従事者達を奴隷のようにこき使って厭うこともない。

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 (突如出かけた二人の教会代表者の代わりにやってきたマタモーロス神父に、タンクレドが告解する。)
 「神父はぶるぶるっと身ぶるいし、ぐびっと一杯気つけの酒をあおって復活した。
 『何が心配なんだ?』と尋ねる。『他殺を防ぐために自殺を計画するのは罪のせいではない。それは疲れのたまった日常、人間的な暮らしのせいだ。日々は止めどなくやってくる。その疲労から逃れるには休息が一番だ』
 『ここでは誰も休むことなどできません』タンクレドはついに告白するに至った。『ぼくらは酷使されているんですから』
 "本音を言えば"と内心でつけ加える。"ここでは誰もがアルミダ神父と聖具室係を殺したがっているんだから"」

 それが故の、以下の"冒頭"のタンクレドの言葉である。この言葉は何重にもニュアンスが重複し繋がっている。それが謎解きにもなっている。
 
 「自分が獣になるかと思うと、彼は怖くてたまらない。毎週木曜の昼どきは特に『心配なんだよな』。そうひとりごちながら窓を見やると、ガラスにわが身が映っている。こぶでも背負っているように背骨の湾曲した男。そいつの瞳をのぞき込む。自分の知らないもうひとりの自分。"ああ、別人だ、別人だ"と思いつつ己が面がまえをしみじみながめ、『毎週木曜は』と繰り返す。『木曜は何といっても老人の日だからな』。」

 ボゴタ中のホームレス老人達がこぞってやってくるのだ。時間前から集まって、さっさと扉を開けろと口汚く罵り、いぎたなく歯のない口で料理を掻っ込み、そして終わって時間になると、今度は一向にテーブルから、教会から離れようとしない。しがみつく老爺老婆達をひっ剥がすように門の外に放り出す酷薄な自分の姿に、やはり慄然とせざるをえないタンクレド。

 更にタンクレドの告解は続く。

 「ある日、彼女(サビーナ)に連れられて二階の小部屋に行きました。そこにはアルミダ神父と聖具室係が金を隠しているんです。神父様。・・・・・・
 金の入った木箱が六箱、部屋いっぱいに置かれて南京錠はかかっていません。・・・・・・
部屋の隅にある黒っぽい塊は七冊から十冊ほどの聖書で、整頓されずに放りっぱなし。埃だらけで今にもばらけそう。六つの木箱はそれとは逆に、ピカピカに磨かれて輝くばかりです。
 木箱の前でサビーナがひざまずき、ふたを開けると縁まで札束がぎっしり詰まっていました。神父様。彼女は僕のほうを振り返り、両手で札束をぐちゃぐちゃとかき混ぜたんです。・・・・・・
 『ひと箱だけ』と、『持ち逃げするのよ』と。やけっぱちになって淫乱みたいにこれみよがしに体を伸ばすと、僕の手を取り、自分のほうへと引き寄せたんです。濡れた唇を黙祷するように動かして。彼女の裸も見てしまいました。服を脱ぎ出したんです、神父さま。札束の上で、ですよ。自分の金でもないのに。それはドン・フスティニアーノが教会に出入りするようになってから、尋常でないスピードで増えはじめた金です。」

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 コロンビアでマフィアといえば、麻薬がらみの組織のことだろう。どうもその辺から、急に思い出したようにアルミダ神父が、くだんの"慈悲の昼食"を始めたようだ。尤も、その隠匿金には手を着けず、最低の予算で"慈悲の昼食"は続けられているという。それが何を意味するのか定かでない。使うと"足のつく"ヤバい金なのか、シンジケートの闇金を預かって何らかの見返りを受けているのか・・・これがタイの仏教寺院・僧院を舞台にしたものであっても一向に違和感はない。さもあろう、とタイ人すらも肯いかねない。宗教がいよいよ無用の長物・頽廃から有害的蔓延という時代に入って既に久しい。

今じゃ教会のパトロンたるそのマフィア=シンジケートのボスからの呼び出しに、アルミダ神父と聖具室係の老セレステ・マチャードは、あろうことかミサを放棄し、出かけて行かねばならなくなった。隠匿金をめぐってのかなり想わせぶりなシーンだけど、作者はそれ以上は言及しない。前代未聞の珍事に、タンクレド達は、ビックリ。替わりに代行するはずの神父も二転三転。なす術もなく呆然としているところへ、唐突にマタモーロス神父が現れ、アルミダ神父達は慌てて雨の中を駆け出していった。

 「年齢不詳のマタモーロス---フルネームはサン・ホセ・マタモーロス・デル・パラシオ---神父は、教区でも相当の変わり種だった。風貌はどこの天国から神に派遣されたかわからぬ、羽毛をむしりとられ丸裸にされた灰色の珍鳥とでもいおうか。下は黒いウールのスラックス、上はグレーのハイネックセーターを着用し、とっくり襟をカラーに見立てている。借りものと思しき上着は妙に大きく映えるうえ、あり合わせらしき白い紐で結んだ学生靴は黒革が色褪せ、ひび割れ、靴底が減ってなくなっている。角縁眼鏡の片側のレンズは中央に亀裂が入り、一方のつるはおれたらしく汚い絆創膏の切れ端で修繕してあった。」

 これがいよいよの酒好きで、アルコール依存症の如く、底なし。只、彼は歌を唄いながらミサを行うタイプ。式次第をお決まりの賛美歌でえんえんと執り行い、信者達も一緒になって、聖堂の中は近来にない陶酔に包まれ、漏れ聞こえた歌声に通りすがりの住民達すら次々と駆けつけてくる。アルミダ神父の時には決してありえなかった溢れるような高揚。

 そして、例の告解の後、戻ってきたアルミダ神父と聖具室係が、早速リリア達にミントティーを飲まされ、暗闇の中で緑色の吐瀉物を吐いて気息奄々。すっかり酔い潰れたマタモーロス神父を、新しい神父として、リリア達と黒装束の主婦連合会の老婆達が担いでゆく。この怪しげで意味ありげな最後のシーンも、その裏で一体如何なるアナロジーあるいは記号が隠されているのだろう。
 ともかく、コロンビア史的カトリック的故事・神話の了解性の上に成立った暗喩・隠喩の類に、殆ど無知・疎遠なボクなんかには、前回の《 顔のない軍隊 》と違って、些かやっかいな代物といえよう。例えば、三人の老婆=リリアって、どう考えても、所謂"運命の(三)女神"のアナロジーに違いない・・・
 それでも、のっけから読み易く、飽かせぬ筆致で一気に終章まで読み進んでしまう。作者ロセーロの腕の冴えであろうし、訳者の達者さでもあろう。


 《 無慈悲な昼食 》エベリオ・ロセーロ 訳:八重樫克彦・由貴子 (作品社)


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