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2012年8月の5件の記事

2012年8月25日 (土)

《プロメテウス 3D》神話的逆説

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 そもそもが《エイリアン》シリーズの続編あるいは前日譚として企画されたらしく、それが一人歩きして"プロメテウス"という名にかけたのか、"聖杯探求"ならぬミレニアム版"人類の起原"の長~い探求の旅と相成ったようだ。
 プロメテウスといえば、ギリシャ神話では、人類の創造者とか、天界からくすねてきた火をゼウスの禁止を無視して人類にもたらし、ゼウスの怒りをかって永遠の拷問の憂き目を見ることになった神で有名らしい。その、原初的おどろおどろしさを、80年後の遙か彼方の惑星に舞台を設定して映像化した一つの神話的故事ってところ。

 感想をだけを先にいえば、《エイリアン》に劣らぬ面白い映像性で気には入ったけど、《エイリアン》をおしなべていた、勿論"1"のことだが、静謐な宇宙の孤独って雰囲気に見合うようなものが欠如していたのが残念。"3D"ものの現在の"企業的限界"とでもいうべきなのか、3D的"アクション"に比重がかかり過ぎた当然の帰結であろう。それでも、目的の惑星に到着し、古代遺跡並みに古い基地の洞窟あるいは地下道(実は、宇宙船)を巡り、探索してゆく過程は、些か難点はあったものの、スリリングで悪くはない。初歩3D的な、「びっくり飛び出し映像」的なものから卒業した、3D映像にはもってこいの、ホログラフィーの多用はさすがリドリー・スコットの面目躍如ってところだろう。

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     人類的創造者あるいは殲滅者

 基本設定は、《エイリアン》と同様、企業から派遣された惑星探査宇宙船とその関係者と目的地での未知との遭遇。 今回は、企業の本質たる企業利益追求だけのためではなく、経営者の"不死"という、しかしミレニアム的今日では逆にそこそこの寿命が基準になりつつあるし、権力・企業的にはもっと端的に映画《ソイレント・グリーン》並に上限がいよいよシビアーなものとなってゆきかねないのだけど、嘗ての秦の始皇帝なんかの古典的欲望と、始皇帝の不老・不死の探求、徐福の《蓬莱行》と軌を一つにした"不死"あるいは"永遠の生命"の獲得がその探索の契機となっていた。つまり、釈迦の昔からの"煩悩"そのもの、そして遙か遠い宇宙からこの太陽系までを座標とした人類史的スパンでの、その"業"の炎の因果応報劇。そこに、ヒンドゥー教の破壊神シヴァの一瞬にして一つの国を滅ぼすというトリシュラーやゼウスが古い人類を滅ぼすために起こした大洪水等の神々の意志と神話的エピソードが、SF的意匠のもとに、基軸に据えられる。要するに、嘗て人類を創出した異星人達が、今度は地球の人類の殲滅を謀ろうとしたという逆説。
 《エイリアン》の宇宙における孤独な人間とは随分と趣きを異にした、嘗てプロメテウス神や人間ヘラクレスが神々と戦ったように、宇宙的神話=神と人間達との戦いという神話的再構築ともいえる些か哲学的な趣きすら含んだ正にミレニアム的感興に富んだ作品とまで言ってしまうと随分と褒め過ぎではあろう。

Prometheus3


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2012年8月24日 (金)

 《 呪怨 2 》 ニッポン・ホラーの不滅の金字塔?

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嘗て米国版《 リング 》を観てマアマアのレベルだったので、オリジナルの日本版を観てみたら、案の定の"ニッポンお化け映画"の類だったので、やっぱりなと亡くなった伊丹十三が、ともかく日本映画のメーキャップのお粗末さに言及していたのを思い出しながら暗澹としたものだった。
 ところが去年だったか、"YOU TUBE"で、タイのロック歌手マイの主演した、自分の意に染まぬ人間を片っ端から屠り自分の屋台の麺の具にして客に供していた正に"タイ女"の典型あるいは究極って意味でのハイパー・リアリズムな空恐ろしいホラー映画、外国仕様タイトル《ミート・グラインダー 》、タイでのオリジナル・タイトルはズバリ《 人肉クォッテイヨウ(米麺)》を探していて偶然見つけた《 ミッドナイト・ミート・トレイン 》、これが一風変わった些かの哀愁すら漂わせたスプラッター・ホラーだった。今じゃお気に入りのホラー作品の一つでもあって、これが実は日本人監督が撮ったものとは後日知ることとなって、最近の日本のホラー事情も大部様変わりしてきたのだろう、と今頃になって初めて、レンタル屋の日本映画のホラーの棚から一本有名な作品を借りてみた。本来なら、《 ミッドナイト・ミート・トレイン 》の監督・北村龍平のを借りるべきだったのが、名前を忘れてしまって、清水崇のこの有名な作品を手に取った次第。 

Junon2_1
 
 只、この《 呪怨2 》は2003年の作品ってことで、《 リング 》とそんなに時間的な隔たりがなく、冒頭の、のりピーと婚約者の乗った車が猫を轢き、のりピーが運転席から車体の底部越しに轢かれた猫の方を覗くシーンで、さっそく、猫の死骸のそばに駆けよってゆく死霊(少年)が登場するのだけれど、これが走り寄り方が、ヒョコヒョコとして、たとえ小児の歩きだからっておよそ"恐怖"の一片だに窺えない代物。幾らなんでも、それらしい演出ってものがあるだろう!と、そのシーンでまず絶句させられてしまった。一昔前の、低予算の中国のホラー映画じゃあるまいし。おまけに、国産ホラーといえばもうこれしか無いみたいに、べったりと実に平板な白塗り。気分はすっかり学芸会? 暗闇に白塗りしたのがうごめいたからって、終戦直後ぐらいならまだしも、誰が怖がるのだろう。尤も、これが汎アジア的な感性であるのは、ノンシィー・ニミブットの《 ナンナーク 》以前のタイ・ホラーがブルーやグリーン一色の塗りたくりなのを見ると了解できる。確かに、ビデオと違って、暗い映画館のスクリーンでは、それなりに迫力もあり音響効果も相乗して"怖く"は思えるのだろうが、しかし、それとて程度問題だ。ハリウッドの子供の幽霊・死霊・屍鬼の類のリアルなメーキャップと較ぶべくもない。 
 それに、あの小児霊って、どう見ても"座敷わらし"のイメージでしかない。"座敷わらし"って、東北じゃあ、むしろ"精霊"のイメージが強く、陰湿&悪辣の負的ニュアンスじゃなく、幸運を運んでくるキューピット的存在という。だから、どう転んでも"恐怖"を生じさせる質のものじやない。さりとて、そんなイメージを、何としても"怖い"存在に見せかけようとしているようには到底みえず、ひたすらおざなりな演出があるばかり。かえって、そこに何か別様の意味、隠されたニュアンスでも仕掛けられているのかと勘ぐりたくなってくる。

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 後で出てくる女の白塗り死霊も然り。《 リング 》の小夜子の白塗り・垂れ下がった長い黒髪と同様、"怪談"物の"お岩"以来のトラデショナルな美意識と意匠ってとこなのかも知れないが、舞踏集団"山海塾"やなんかの嬰児的奇形児的しぐさを彷彿とさせるような"不気味さ"の演出もあるものの 、"恐怖"的演出とはほど遠い。むしろ、海外、とりわけ欧米あたりでは、嬰児的奇形的イメージと仕草は、"原爆"や"ミナマタ"を象徴するようなネガティヴなニュアンスとして感受される可能性も高く、本来の( ハリウッド・ホラー映画的な )恐怖とは別様の"恐怖"を抱くのかも知れない。
 同じ頃の、タイのホラー、その大半は日本のと同様(オキサイド&ダニー・パン兄弟のも含めて)"駄作"だけど、《 ナンナーク 》で主演したサーイ・チュリンプラの病院を舞台にした《 ヒエン 》なんか"ハリウッド" ライクな技術・効果を駆使しそれなりによく出来ていて感心したものだ。

 主演が"のりピー"こと酒井法子で、のりピーの初映画主演作品とも記してあってあえて《 呪怨1 》ではなく《 呪怨2 》を選んでみた。勿論期待はしてなかったが、多少の興味をもって観させて貰った。当たり障りのない月並みな演技ってとこだろうが、それにしても、たかだか合成麻薬やらコカインを使っていた一消費者に過ぎぬのりピーを、あたかも麻薬の大元たる"暴力団"以上に、あるいはそれを長年にわたって殆ど野放し状態に許してきた、どう贔屓目に見ても馴れあっているとしか思えない警察や麻薬課の連中以上に、下劣・悪辣な存在とばかり、正に"官民"挙げて後世に残るような一大バッシングしてきた当時の末期自民党権力の、ためにする"一大パフオーマンス"の、何とも哀れなスケープ・ゴードに陥れられたのりピーの不運。この底なしの官民挙げての魔女狩りシステムこそ、"ニッポン・ホラー"そのものだろう。考えてみただけで震撼としてくる。灼熱の三十度世界におけるこの"寒々とした現実"こそが、正真正銘の"ホラー"ってわけだ。

 さすがにこの《 呪怨2 》だけではと思って、参考のために《 輪廻 》も観てみた。《 呪怨2 》よりは凝っていて、幾らかは増しなのだろうが、優香が一人健闘していたものの、やっぱり詰まらない。個人的に"劇中劇"の類が白けさせられるので好きではないのだが、それを除外してもテレビのホラー劇って感じしかしない。ふと、相似な演出の中国ホラー《寒村客桟 》を思い出してしまった。レンタル料百円であっても、その手間と時間をドブ捨てした喪失感は誰も補償してくれない。

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2012年8月18日 (土)

 異星の接近とゆらぎ《アナザー・プラネット》

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 今年の後半に太陽系最果ての惑星ニビルが地球に異常接近するなんてセンセーショナルでおどろおどろしい終末論的な破滅的陰鬱漂う怪しげな憶測が一部で騒がれてはいるが、ある日、突如夜空に姿を現し、日に日に地球に接近してくる惑星、そしてそれが地球に、その住民達すらそっくり相似なものだとしたら・・・
 基本的にはSF(サイエンス・フィクション)なのだろう。しかし、地球と同等な大きさの惑星が接近してくれば、実際には引力ということを考えただけでも、月は言うまでもなく、地球上は天変地異的な大災害・大災厄が多発するのは言をまたない。で、SFというより幻想的というのが至当とも思えるけれど、さにあらず、この地球と相似の惑星は、そんな引力的変動を生じさせない組成だったり、あるいはそんな装置が人為的に設置されているというすこぶるSF的な仕掛けも成り立ち得なくはない。(只、その場合、この映画の基本ともいうべき、パラレル・ワールドあるいは"反-物質"・"反-世界"的な構造に些かそぐわない。)
 むしろ、何らかの理由で、本来の軌道を外れ異常接近してきたいわゆる"反=地球"なのかも知れない。常に太陽の真反対の軌道に位置していて、我々の地球からは決して見ることの出来ないもう一つの地球って奴だ。太陽系の軌道って、かなり微妙な力関係で成り立っている早い話随分と危うい代物らしい。ちょっとした偶発的作用によって、軌道が変わり、それがゆくゆくは他の惑星との異常接近や衝突に至ったりする可能性は常にあるという。

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 この映画、静的で、メランコリックな雰囲気に包まれていて、これは未見だけど、同時期に公開(国外での話)されたデンマーク映画《メランコリア》に基本的モチーフと雰囲気が似ている。こっちは他の惑星が現れ、次第に地球に接近し、ついには衝突の危機に・・・という筋立てらしいが、ひょっとしてどっちかがいわゆる"対抗"映画なのかも知れない。当然、予算をかけてない方のが対抗の側だろう。

 ある日、俊才女子大生ローダは、車の走行中、ふと頭上に浮かんだ惑星の幻想的な姿に見とれ、親子三人乗った車に激しく衝突してしまった。ローダも被害者親子の父親も九死に一生を得、数年後漸くローダは刑務所から出所する。母子を殺してしまったことに自責の念に囚われ、前途洋々としていた学生生活に再び戻ることを拒絶し、しがない高校の掃除婦の仕事に就く。誰とも話をしなくてもすむからだ。同僚は目の不自由な老人一人。何も視たくないと、世を厭って自らの視力を奪ったのだった。それでもローダには親近感を抱いていたのが、更に今度は両の耳の聴力すら破棄してしまう。オディプス王の神話の如く。
 やがて、一人生き残った父親ジョンの家を訪れ謝罪しようとするが、果たせず、掃除会社の派遣員と偽って、突如奪われた妻と息子への想いが断ち切れず鬱々とした日々を送っていたジョンの部屋の掃除を続けることとなる。次第に、ジョンの暗澹とした心に淡い恋情が芽生え、とうとう結ばれてしまう。が、ローダは、ついに真実を告げ、ジョンは呆然とし、罵声を浴びせる。
 「とっとと失せろ!」
 予期した反応にローダは肯く。そして、こう言って一枚のチケットをジョンの部屋に残して去ってゆく。ローダはもう一つの地球へ向かうロケットに乗れるキャンペーンに応募し、彼女の置かれた立場を素直に認めた応募動機が、主催者側に評価されて搭乗チケットが送られてきたのであった。
 「もう一つの地球が地球側に発見され意識された瞬間から、もう一つの地球では変容が始まったみたい。ひょっとして、二人(亡くなった妻子)に会えるかも・・・」
 後日、ローダはテレビで、ジョンがもう一つの地球へ向かうロケットに乗り込む実況を観、とりあえずの安堵の念をなで下ろす。ふと外出時に向こうを見やると、何処かで見覚えのある姿が見えた。もう一人のローダであった。

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 その上っ面は相似であっても、その内側は真逆という反-物質、反-世界的原理だと、ローダに"親近感を覚える"同僚の老人もそうだけど、ローダによって自身の家族を殺されたジョンもローダとはマイナスとプラスの真逆な性向。真逆な電荷故に"引き合う"のだろう。そしてジョンと結ばれ、炸裂し、ゼロになる。その観念性を、さほど剥き出しにせずに、静的でメランコリックな雰囲気の内に溶解してしまっている。
 それにしても、最後に忽然と姿を現したもう一人のローダ、定式的にはローダとは逆の性向(電荷)を帯びているのだろうが、一端変容し始じめた"ゆらぎ"の最中、果たしてプラス・マイナスどちらの性向を伏しているのだろうか。その姿は、些かの危うさを漂わせ、ローダの意表を衝く目論見すら秘めているようにも見えるのだが。


監督 マイケル・ケイヒル
 脚本 マイケル・ケイヒル&ブリット・マーリング
 撮影 
 音楽

 ローダ   ブリット・マーリング
 ジョン   ウイリアム・メイボーザー
 ジェフリー ロビン・ロード・テイラー
 制作 2011年(米国)


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2012年8月10日 (金)

《 上海 & 蘇州号 1993年》

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 上海に至る前に、ウルムチからの列車の中で寝ている間にパスポートの入ったウエスト・バッグを盗まれ、敦煌の公安でパスポート紛失証明書を作って貰った。一ヶ月有効のビザでもあって、120FEC(外氾券)も取られてしまった。本当は払う必要のない金であったのだが。敦煌の公安の詐取・横領の類だった。それでも、とりあえずは役に立って、《 蘇州号 》の帰国便のチケットを買う時、このパスポート紛失証明書と紛失したパスポート・ナンバーで間に合った。ここのCITSの職員がけっこう臨機応変に対応してくれる好人物だったからかも知れない。

 浦江賓館にチェック・インして直ぐに、規定のパスポート白黒写真を撮り(12元)、外灘近くのバス停から26路のトローリー・バスで高安路まで行き(4角)、少し戻った場所にある日本領事館へ。二種類の書類を書かされ、パスポート発行だと一週間以上かかるので、帰国便との関係で間に合わず、"在留証明書"を発行して貰う。(105元FEC)。そして、その証明書に更に中国ビザのスタンプを公安で押して貰わないと出国できないと言われ、敦煌の公安が作った例の紛失証明書は、ビザとしての効力はないと断言された。
 その領事館で一緒になった日本人学生も、西寧賓館のドミトリーで、リュックを盗まれ、パスポート、チェック、現金、学生証等を持って行かれたらしい。けれど、彼は紛失証明書を作って貰った時、一銭も払ってないと言う。正に敦煌の公安の悪辣さ!って訳だ。けど、やはり彼とて事態は同様で、北京の日本大使館で、その"紛失証明書"さえあれば、新たにビザを取得する必要もなく出国できる旨の言質を得ていたという。ところが、ここ上海の日本領事館では、「否!!」上海から出国したければ、"在留証明書"が必須と断言される。官僚主義的弊害の極みって奴だろう。皆がそれぞれに一つの事柄であれこれ規約・慣例を設けてプロフィットをくすね取るって構造・・・
 直ぐそこから二人して漢口の公安まで行き、ビザ申請手続きをした。翌日の午後取りに来いと言われる。日本人学生は、チェックしか持ってなくて、TC(トラベラーズ・チェック)は"紛失証明書"では換金してくれず、"在留証明書"じゃなければ駄目という。彼は二日後の鑑真号で帰国する予定なのが、まだそのチケットすら買えてないと零した。
 翌日2時過ぎ、学生と漢口路の公安の外人登録所へ向かい、ビザを受け取る。"在留証明書"、正確には" 帰国のための渡行書 "の裏側にビザのスタンプが押され、120元FEC取られる。一ヶ月ビザの料金だ。結局あわせて、300元FEC以上かかった計算になる。この頃のレート100$=530FECで考えても随分とボラれたことになる。学生は、急いで銀行で換金し、東方飯店で鑑真号の帰国便チケットを購入しに向かった。

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 出国の当日、南京東路の"上海第一食品商店"の二階で本を買い、10時半開店のレストランで早めの昼食。エビ入り中華丼風とレバー入りスープ、豆沙中包(3個)で計11元。急いでホテルに戻り、支度して12時少し前にチェック・アウト。本を大部買い込んで重いリュックを担いで、急ぎ足で大名路の船着き場へ。5分ぐらいで到着。浦江飯店の利便性の良さよ!
 窓口で港湾使用料(出国税)400円(15元FEC)を払う。そこの待合室で、敦煌の紛失証明書関係で世話になった日本人留学生と再会。事の顛末を話すが、何事も信じやすい質なのか、てんで理解出来ないようだった。その後、イミグレを通る時、案の定、パスポート・ビザの問題で係官が因縁をつけてきた。
 要するに、仮ビザ=パスポート紛失証明書がないことを問題にしているのだった。官僚主義の論理的帰結故に、漢口路の公安が、敦煌の公安が作った紛失証明書をもはや不要とばかり取り上げたので、それがなくても本当に出国できるのか? と念を押して確認し、「大丈夫!!」の言質を寄こしたのが、早速この様であった。ともかく、"確認"をとることの、"言質"を取ることの無意味さにはつくづく呆れ果てさせられてしまう。とりわけ、権力・官僚関係では国の如何を問わず殆ど無意味。更にそれからもう一歩踏み込んで、物理的"証拠"の確保ってところまでやらねばならないようだ。これはもうその社会の制度が、完全に形骸化どころか、百パーセントもう死滅していることを意味する。バーチャルとしてのみ成り立っているだけ。個人、とくに貧乏旅行者って、そんな境界世界をばかり縫って歩いているようなもの。
 後年、インドのボンベイから、イエメンの南都アデンに入る時および首都サナアから出国時でも同様なトラブルが、同じように起こってしまった。物的証拠を確保しなかったためでもある。これ(物理的証拠確保)には更なる敏捷さと機知ってものが必要だ。今ではテープ・レコーダーや携帯の録音機能を使うことで出来はするが、これはしかし、権力・官僚の逆鱗に触れるという危険性も孕んでいて、やはり"機を見るに敏"って能力を養ってないと難しい。かえって余計問題を複雑に、とんでもないのっぴきならぬ状況に陥る可能性も高くなってくる。

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 この頃、《 蘇州号 》はまだ就航したばかりで、明るく真新しかった。"2ーB"の和室の大部屋で、浦江賓館で同室だった連中と一緒に並んだ。2時頃に出航。シャワー室は個室式なのが良かった。ハンドルを回すと湯が出、温度調節のハンドルも備わっていた。
 レセプションで20ドル札を両替すると、1$=101円のレート。
 鑑真号に比べてかなり狭まった食堂は、しかし、客も疎ら。夕食は冷奴(200円)、焼き魚(300円)、みそ汁(50円)、ライス(50円)。計600円。その頃から少しづつ船が揺れ始める。台風の接近で、翌日も朝から揺れ続け、針路を、長崎五島沖→関門海峡→瀬戸内海のコースに変更。関門海峡あたりから7ノット位いにスピードを落とし、揺れも少なくなってきたが、船酔いで殆ど寝たまま。夜8時頃に起きて食堂に向かうともう閉まっていて、上海で買ったピーナッツとコールド・ドリンク、カップ・ヌードルで夕食。リビング・ルームのソファーで、浦江賓館で一緒だった神戸と広島の学生と談笑しながらテレビの台風情報に見入る。翌日の午前中には台風は、この船の接岸する関西方面に向かうらしい。
 翌朝、外に島影が覗け、空一面灰色の雲が覆っていた。海は静か。スピードはマ前日より上がっていた。ドイツ人学生に、携帯品や外人用の入国カードの記入の仕方を教える。テレビで、10時現在、台風は愛知県の方に向かっているという。大阪は今夜は晴れ。土産物の荷物があるので、雨に降られると鬱陶しいので助かった。
 1時過ぎ上陸。
 イミグレ、カスタムと簡単に通過できたものの、神戸の学生が、しつこく調べられていた。一体どうしたのかと尋ねると、係官にどこら辺を廻ってきたのかと問われて、"昆明"と答えたら、こうなってしまったという。連中の頭の中にインプットされた昆明=雲南="ゴールデン・トライアングル"、タイ、ミャンマー、ラオスって発想で"ドラッグ"というシグナルが点滅したのだろう。彼は髪は短く、リュックも真新しい如何にも普通の学生然とした出で立ちだったのだが、「昆明」の一声で、札付きのように睨め付けられ、随分と永く調べられていた。筆者はといえば、長髪に髭、薄汚れたリュック、おまけにヨレヨレのネパーリの上下、更にはパスポートまで所持してなかったにもかかわらず、殆どそのままスルー状態。尤も、パスポートがないので、何処を廻ってきたか定かでないから因縁をつける口実を得られなかったということも考えられる。それにしても、大概には"如何にも"スタイルだったんだが。

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 それでも何とか皆無事に"冤罪"をこじつけられることもなく通過。
 梅田の地下街のカレー屋で、神戸の学生、ドイツ人学生、英国人の婆さん達と一緒に食事し、散会。ドイツ人学生、気弱そうだが一癖ありそうな青年で、カレー屋のカウンターに並んだ時、筆者のすぐ隣に坐ってカレーをパクついていた英国婆さんの方を顎でしゃくり、「英国人って、味覚がないんだぜ!」と意地悪く小声で囁いた。けど、年寄りは地獄耳、そうでなくても十分に聞こえる音量ではあって、聞かされるこっちが恐縮してしまう明け透けぶりには、今時同じヨーロッパ人どうしでもこんなかと、とんだ旅の余燼のくすぶりではあった。


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2012年8月 3日 (金)

 《184次直快至"上海" 1993年》

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 1993年といえばもう20年近く前、その頃と現在とは随分と中国もその雰囲気や佇まい、そして人々の様相も変わってしまったろう。その一昔前の嘗ての中国のバックパッカーたる筆者の旅からの帰路という一コマを辿ってみるのも一興かも。

 新彊ウイグル自治区の省都ウルムチから敦煌、ゴルムド、西寧、洛陽そして上海というコースを辿った。季節は夏。朝、古都・洛陽駅で上海行硬座(42元)184次直快(成都→上海)13時39分発のチケットを買う。ここは、当日券のみの販売。
 定刻通り列車は出発。中途駅なので最初から混んでいて、5時間立ちっぱなして漸く坐れた。荷物棚も隙間なく二人掛けの座席の下にリュックを放り込んでいたのが、後ろの席の母親が幼児に廊下で小便をさせ、それが列車の振動でだんだんリュックの方へ流れてきて、慌ててリュックを他のシートの下に移した。
 さすがに現在ではもうないだろうが、当時は列車の床で大小便を垂れ流すのは(勿論子供だけ)慣例で、三人掛けのシートの下には人が潜り込むのも普通に行われていた。勿論流れてきた大小便の被害に遭うリスク込みってやつだろうが。高目の軟座(ソフト・シート)の方ではまずあり得なかった慣例だろう。
 翌年に乗った時には、ともかく中国人客の驚くほどに沢山に飲食物を持ち込み、更に車内販売や各駅頭の売店であれこれ買い込んで、とにかく喰いまくり飲みまくる様には驚いてしまった。この辺りから中国の改革開放的躍進が始まったのだろう。そのダイナミズムやそれまで永い間一方的に後進国の搾取の上にあぐらをかいてきた欧米先進国の住民達を震撼なさしめるものにすら発展していった。同じ頃発売になった中国のフォーク・ロック・スター的存在らしい張楚のアルバムの中の《上蒼保佑吃完了飯的人民》という曲なんて正にそんな時代の中国を端的に現している。

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     南京東路

 断続的に廻る扇風機に辛うじて暑さを凌ぎ、徐州あたりから窓の向こうに河や水路が覗けるようになって、先端の大きく曲がった独特の屋根ばかりが連なった水郷然とした景観に変わり始めた。朝、定刻より少し遅れて上海站(駅)に到着。
 南口から出ると、64路のバスがすぐ来たので乗り込む(1元)。ラッシュ時なので遅々として進まなかったものの、北京東路の江西路で降り、先ず和平飯店のCITSで"蘇州号"のチケットを買う。1010元FEC。(尚、CITSは翌'94年からは外灘沿いの中山東一路の先の"光明大厦"に移る)。
 さっそく、定宿"浦江飯店"へ直行。ウェイティング・リストに名を連ね、"13"番目。昼まで待ってやっとチェック・イン。5階のドミトリーの508号室(5×2の10人部屋)30元FEC。5階のフロントで更にキーのデポジット10元。
 テレビは備わっていたが、蒸し暑い上海なのに、エアコンも扇風機もない。窓のすぐ向こうに"上海大厦"が聳え、外灘からの自然風のみが唯一の涼。シャワーなしのバスタブ故に3階まで降りシャワーを浴びなければならないし、トイレもバス・ルームの中にあって面倒でもあった。(バスタブを使う奴って余り居なかった。)
 入口の脇に棚があって、その上にテレビと湯の入ったポット2つ、グラスが本来は10個なのだろうが6、7個並べてあって、窓際には机と椅子が1セット置いてあった。窓からは結構涼しい風と河を通ってゆく小舟の音が聞こえてきて旧い佇まいと雰囲気は悪くない。

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 南京東路(まだまだ人民中国的上海的服装の上海人たち。この独特の雰囲気が新鮮だった )


 この時は、"預園商場"の《 湖心亭茶室 》と、南京東路の一つ下った九江路にある《 人民大舞台 》の京劇観覧に些かハマった。
 《 湖心亭茶室 》は作家の芥川龍之介すらも訪れた老舗茶館で、ここの伝票には《 上海老城隍廟 湖心亭茶楼 》となっている。チャイ屋・チャイハネ・茶館とパッカー達の一つの定番で、ここは団体観光客も大挙押し寄せてくる観光名所でもある。彼等に遭遇しないためには早朝(開店時)か夕方。2階席は5時頃に閉まってしまう。10時頃点心のウィンドウの中に饅頭なんかが並べられる。
 潮州名産と銘打った二つの饅頭を注文。どちらも包装紙に"源誠"と大きく書かれ、小豆色の包装の方には"双仁細沙"、もう一つの紅と黄の包装の方は"精制老婆餅"と印刷されていた。2個一皿で4元。近くの商場で買った月餅の方が美味かった。只6元のチマキだけは高いだけあって悪くない。ゆったりと烏龍茶でもチビリ、チビリと飲みながら、池の向こうの預園の景色でも眺め、芥川やも少し前の、"上海小刀會"の義起(蜂起)の頃なんぞに想いを馳せるなんてのも旅の醍醐味。芥川の"小便譚"なんか出色。

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  横丁の人民食堂 (この頃は、まだ割り箸なし。褐色の"肝炎"箸ばかり。新彊の方にはあったのだが)
 
 夕方、ふと南京東路から一つ下った九江路にある年代物の建物を発見。《 人民大舞台 》とあった。テレビ局のバスも止まり、人だかりもしていて、大きな看板に京劇の演目と日付が記してあった。傍で演目に見入っていた人に「この劇場でこれが上演されるのか?」と尋ねると、「そうだ」と答えた。すると、ダフ屋が現れ、バスのチケットのような小さな紙切れを示した。余りにもチャチな代物なので半信半疑で、さっきの親父さんに確認をとると、「これだ」と肯ったので、大丈夫だろうとそのチケットを買った。7元。そのチケットにも7元と印刷されていた。他の日にも同額で売っていて、一体どうやってダフ屋としての利益を得るんだろうと不思議だが、そこは蛇の道は蛇ってところだろう。
 夜の7時15分から開演ということで、7時頃に劇場にやってくるともう客が入り始めていて、入口でチケットを渡し、少しちぎって、シート・ナンバーを記した部分を返してくれた。
  "楼下前座 16排26座"
 この劇場は二階建てで、一階の前から16番目の列の左から26番目の席であった。舞台に向かって右側の真ん中ぐらいの位置で十分舞台の人物の表情が確認できる場所であった。只、テレビカメラが左右の通路と中央後方の計3台設置してあって、右側のカメラが舞台中央を見るのに些か支障をきたした。
 時間になると、観客のざわめきの只中で、突如幕が開き、ドンジャン、ドンジャンと賑やかに前奏が始まり、やがて、役者が現れる。それでも、客は後から後からひっきりなしに入って来るし、あっちこっちで雑談が交わされていて落ち着かない。どうも京劇の観劇の仕方ってこんなものだというのが分かり始めた。
 持参の茶や売店で買ってきたコーラやミネラル・ウォーター、アイス・クリームなんかを飲み食いしながら、扇子をパタパタしあの役者はなんだかんだとと談じ合いながらの観劇のようだった。この劇場は大きさがころ合いで、役者が存分に動き回れる広さであった。但し、京劇専門の舞台ではないのか、スピーカーが備わっていた。最初の演目は"伐子都"という武将物で、背に何本もの旗を挿した武将の立ち回りが多く、最後は高いところから真下にトンボを切って飛び降り死ぬというもの。何しろ衣装が派手というより煌びやかで、派手な隈取りと相まってすばらしいものであった。本場の迫力満点というところだ。(日本公演だと大きな劇場で演ってしまうのでその生なダイナミック感ってものがかなり薄らいでしまうのは言をまたない。)
 最後の演目" 将相和 "が終わったのはもう11時を過ぎていて、演目の途中で客の少なからずは退席していた。途中で買い物し、浦江に戻ったのは12時ちょっと前。

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    人民的旅遊船

 ダフ屋からばかり買うのも能がないと、ある日、早朝八時に起き、急いで《 人民大舞台 》へ向かう。すぐ前の売店でパンとスプライトを買い込み、劇場の玄関口の階段に坐って朝食にしながら、チケット売り場が開くのを待ち続けた。早朝からでも、時折看板やチケット売り場の方を確かめたり、ダフ屋と話をする親父さん達の姿があった。ダフ屋のチケットを窺うと、6元。チケットにも6元と印刷されていて、一体そこからどうやって"利益"を得るのだろうと小首を傾げる。9時になるとチケット売り場が開き、一番のりで、5排の33座。6元。「前の方をくれ」とは一応言ってみたが、恐らくそれ以上前は予約席か何かであるのだろう。その昼の部の公演の最後の演目が" 西遊記 "だったので、是非前の方でかぶりつきで観たかったのだが。
 午後1時過ぎに劇場に行くともう通りにいっぱい人垣が出来ていて、すぐ中に入る。席は大部左側であったものの、迫力十分で、役者の表情も実にはっきりと見て取れた。最後のポピュラーな演目"悟空、天宮を騒がす"はやはり白眉で、幕開きと同時に、舞台いっぱいに出演役者が勢揃いした様は圧巻であった。残念ながら、まだ三蔵法師と出会う前の設定なので、西遊記一行の他のメンバーの姿はない。次から次へと繰り出すアクロバティックな立ち回りは面白く、孫悟空・斉天大聖の面目躍如。翌年には、もうこの《 人民大舞台 》ではなく、《 天蟾京劇中心・逸夫舞台 》という本家有名京劇院に移った。(続く)

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