昏い谷間の家族的ジレンマと絆《はたらく一家》(1939年)成瀬巳喜男

以前紹介した《 まごころ 》(1939年8月公開)より半年早い3月公開のこの《 はたらく一家 》、前年の11月に刊行されたばかりの徳永直著《 はたらく一家 》(短編集)からの映画化らしい。徳永は所謂"プロレタリア作家"だったのが、大量検挙された小林多喜二たちが獄内で殺害等された頃に転向したのだけど、その後に書かれた短編集のようだ。徳永のオリジナルは読んだことはないが、この成瀬の作品からすると、イデオロギー色を希薄化したものであっても、やはり現実を真っ直ぐに見据えようとすれば厭(いや)でも現実社会=政治への批判的ニュアンスが諸処かしこから滲み出てきてしまうというのが了解される。

"開戦"=太平洋戦争の直前の、昏い時代の谷間で盲目的にもがき続けるしかなかった貧民たちの姿が、モノクロ画面に周到に定着され、時代相というものがリアリティーをもって浮かび上がってくる。映画の制作に入ったであろう'38年には、国家総動員法が施行され、作家や音楽家たちも"従軍"作家として大挙してそれぞれ戦地へ赴いていて、時代はすっかり戦争色。映画が公開上映された翌年(1939年)には、「満蒙開拓青年少年義勇軍壮行会」が挙行、「国民徴用令」すら公布され、更にその翌々年1941年の暮れの"太平洋戦争 開戦"まで一気に全体主義的軍国主義の無能と悪辣の濁流はすべてを呑み込んでゆく。
この東京の下町のある貧しい一家の物語も、そんな暴風雨の前の、やがて一吹きで消滅してしまいかねない命運の一瞬のゆらぎに過ぎない。成瀬一流のユーモラスさを混じえた演出が、一層の時代の昏さ、救いようのない闇の深さを際立たせる。

11人家族、戦前なら必ずしも珍しくはなかったろうが、常態化した"不景気"が一層その傾斜を強くする最中、さすがに一家の長男・希一は、明るい展望の全く持てない今就いている"職"と、老いの見え始めた父親、そして尋常小学校出てすぐ薄給の"小僧"となった二人の弟たちの収入だけでは、その11人もの家族を養ってゆくには、永遠に馬車馬のようにしゃにむに働き続けねばならなず、そんな先行きの全く見えない危うい自転車操業を繰り返しているうち、自分がすっかり歳を喰い、人並みの生活=結婚して自分の家族を持つということすら到底望むべきもない夢の又夢、否、今後何処までいっても遠い彼方に夢想するだけの金輪際掌中にすることの出来ぬ彼岸の幻影と化してしまいかねない焦燥感に囚われてしまう。
それがこの物語の基本的モチーフというところ。
そして彼は解決というより飛躍策を企図するようになる。昼間働いて夜学の電気学校で勉強し、今より増しな収入を得られるようになれば、家にも、そして彼の人並みな人生設計にも、何とか明るい展望が開けるはずだ、と云う。一見至当な解決策とも思えるこのアイデアも、さて、現実には、誰よりも家計を預かり、やり繰りに四苦八苦してきた母親ににべもなく一蹴されてしまう。彼がそのために家を出るという条件故であろう、今でさえギリギリでやり繰りしているにも拘わらず、息子の中で一番稼ぎの良い長男に出て行かれてしまっては堪ったものではない。

遅く帰ってきた希一が父親に家を出る気でいるのを伝えた後、更にこう云う。
「おれは死んだと思ってくれればいいじゃないか」
今まで寝ていた母親がガバッと起きあがって一気にまくし立てる。
「バカ野郎!! 生きてるもんが、どうして死んだと思えるんだよ!」
「米は上がる、薪や醤油も上がるし、お父ちゃんのお給金は下がる一方だのに、お前までに出て行かれたら後はどうなると思ってるんだよ!」
家族への思いと自己の決して身の程知らずなものですらない月並みな欲望実現の葛藤的ジレンマ=青年的焦燥に、小学校時代の恩師・鷲尾先生に悩みを打ち明けにゆくものの、余りの錯綜した葛藤故に「親孝行とは何か?」なんて抽象的な質問に終始する他なかった。突然「家を出たい」と告げられた父親もなす術もなく、息子が口にした鷲尾先生を頼って善後策を求めに赴く。そこで漸く、長男・希一の悩みの具体的な内容を知って、鷲尾先生、後日一家の家を訪れ一家と忌憚なく話し合って何とか最善の路を探ろうとする。
外は夜雨が篠つき、杳として進まぬ話し合いに、布団の中で寝ているはずの小さな弟妹も気になってか時折様子を窺い、詰襟学生服の弟たちが正座しっぱなしの脚に痺れをきらし始める。一頻りタバコを燻らせていた鷲尾先生、やがて意を決したように口を開く。弟たちの方に水を向けると、それぞれ、「海軍」や「弁護士」やら皆それぞれ自分達の将来の希望・夢を語り始める。感極まって湯飲みを畳の上に投げつけた後冷めたように父親は諭すように長男に云う。
「いいから出て行け。5年でも、10年でもいいから・・・」
そして弟たちにも同様に思うままにやってみろと。しかし、その後、
「おれだってまだ頑張れる・・・」
等と些か自棄的な言葉を零し出す。啖呵は切ったものの、はて現実の己が力量を冷めた眼で見てみると甚だ心許なく、遁辞とも受け取られかねない消極的な言質しか出てこない。涙にくれる長男に鷲尾先生が外で茶でも飲みながら二人でゆっくり話そうと促し外へと向かう。弟たちは、二階の自分たちの部屋に戻り、父親の不憫さに言及しながら、それぞれの方途を見据えその日一日を頑張っていこうとでんぐり返しを繰り返し続ける。
趨勢は、目標への努力は怠らずもう少し現状のまま留まってみようといった、何の解決にもならない現状維持的詐瞞の類。そしてそれがその一家だけにとどまらず、どうにも行き詰まった袋小路でひたすら藻掻き続けるしかない庶民という社会=国家体制的な問題だという構造なのだろう。それがオリジナルの作家・徳永直やこの作品の監督・脚本・成瀬巳喜男の抱懐したものなのだろうが、問題は、その翌々年、1941年には太平洋戦争に突入し、彼らの夢も希望も失われてしまう。次々と戦場に狩り出され、あるいは爆撃で一家の家すら灰燼に帰してしまう命運に至ってしまうのかも知れない。正に風前の灯。決して「雨降って地固まる」的な楽観的ニュアンスは描出されない。そう想いたい庶民的楽観主義はスルリと長男が提示した論理の上っ面を滑り落ちてゆくしかない。
こんな下町にも希一たち兄弟の行きつけの"喫茶店"があった。一見"甘味屋"の類のように思えるが、ちゃんとしたサモワールも備わっていて、やはり一応喫茶店に間違いはない。そこの娘の光子の格好は当時の定番の大きなエプロンを纏っている訳でもなく、むしろタバコ屋や駄菓子屋の娘然とした普段着。そんな趣きで、当時も喫茶店はあったのだろう。
次男源二が読んでいた「早稲田中学講義」のテキストの間に、白人の女優らしきプロマイドが挟んであったが、公開翌年には「内閣情報局」が発足し、そんな場面も許されなくなってしまったろう。
それにしても、その後の時代の流れを知っている戦後の我々は、希一たち兄弟や一家のその翌年遅くに遭遇する"開戦"を逆算してしまい、彼らの一縷の望みにかけた束の間の高揚した瞬間=でんぐり返しの反復が、いよいよシニカルな趣きをもって終映の向こうのモノクロ画面に明滅して見えてしまう。
父親 徳川夢声
母親 本間敦子
希一(長男) 生方明
源二(次男) 伊東薫
昇(三男) 南青吉
栄作(四男) 平田武
光子(喫茶店の娘)椿澄枝
鷲尾先生 大日方伝
監督 成瀬巳喜男
脚本 成瀬巳喜男
原作 徳永直(1938年11月刊 短編集『はたらく一家』(三和書房)
撮影 鈴木博
音楽 太田忠
美術 松山崇
制作 東宝映画(1939年11月)

国内的閉塞、その無能と悪辣の論理的帰結としての厚顔無恥な対外侵略


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