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2012年12月の3件の記事

2012年12月16日 (日)

昏い谷間の家族的ジレンマと絆《はたらく一家》(1939年)成瀬巳喜男

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 以前紹介した《 まごころ 》(1939年8月公開)より半年早い3月公開のこの《 はたらく一家 》、前年の11月に刊行されたばかりの徳永直著《 はたらく一家 》(短編集)からの映画化らしい。徳永は所謂"プロレタリア作家"だったのが、大量検挙された小林多喜二たちが獄内で殺害等された頃に転向したのだけど、その後に書かれた短編集のようだ。徳永のオリジナルは読んだことはないが、この成瀬の作品からすると、イデオロギー色を希薄化したものであっても、やはり現実を真っ直ぐに見据えようとすれば厭(いや)でも現実社会=政治への批判的ニュアンスが諸処かしこから滲み出てきてしまうというのが了解される。

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 "開戦"=太平洋戦争の直前の、昏い時代の谷間で盲目的にもがき続けるしかなかった貧民たちの姿が、モノクロ画面に周到に定着され、時代相というものがリアリティーをもって浮かび上がってくる。映画の制作に入ったであろう'38年には、国家総動員法が施行され、作家や音楽家たちも"従軍"作家として大挙してそれぞれ戦地へ赴いていて、時代はすっかり戦争色。映画が公開上映された翌年(1939年)には、「満蒙開拓青年少年義勇軍壮行会」が挙行、「国民徴用令」すら公布され、更にその翌年1940年の暮れの"太平洋戦争 開戦"まで一気に全体主義的軍国主義の無能と悪辣の濁流はすべてを呑み込んでゆく。
 この東京の下町のある貧しい一家の物語も、そんな暴風雨の前の、やがて一吹きで消滅してしまいかねない命運の一瞬のゆらぎに過ぎない。成瀬一流のユーモラスさを混じえた演出が、一層の時代の昏さ、救いようのない闇の深さを際立たせる。

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 11人家族、戦前なら必ずしも珍しくはなかったろうが、常態化した"不景気"が一層その傾斜を強くする最中、さすがに一家の長男・希一は、明るい展望の全く持てない今就いている"職"と、老いの見え始めた父親、そして尋常小学校出てすぐ薄給の"小僧"となった二人の弟たちの収入だけでは、その11人もの家族を養ってゆくには、永遠に馬車馬のようにしゃにむに働き続けねばならなず、そんな先行きの全く見えない危うい自転車操業を繰り返しているうち、自分がすっかり歳を喰い、人並みの生活=結婚して自分の家族を持つということすら到底望むべきもない夢の又夢、否、今後何処までいっても遠い彼方に夢想するだけの金輪際掌中にすることの出来ぬ彼岸の幻影と化してしまいかねない焦燥感に囚われてしまう。
 それがこの物語の基本的モチーフというところ。
 そして彼は解決というより飛躍策を企図するようになる。昼間働いて夜学の電気学校で勉強し、今より増しな収入を得られるようになれば、家にも、そして彼の人並みな人生設計にも、何とか明るい展望が開けるはずだ、と云う。一見至当な解決策とも思えるこのアイデアも、さて、現実には、誰よりも家計を預かり、やり繰りに四苦八苦してきた母親ににべもなく一蹴されてしまう。彼がそのために家を出るという条件故であろう、今でさえギリギリでやり繰りしているにも拘わらず、息子の中で一番稼ぎの良い長男に出て行かれてしまっては堪ったものではない。

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 遅く帰ってきた希一が父親に家を出る気でいるのを伝えた後、更にこう云う。

 「おれは死んだと思ってくれればいいじゃないか」

 今まで寝ていた母親がガバッと起きあがって一気にまくし立てる。

 「バカ野郎!! 生きてるもんが、どうして死んだと思えるんだよ!」
 「米は上がる、薪や醤油も上がるし、お父ちゃんのお給金は下がる一方だのに、お前までに出て行かれたら後はどうなると思ってるんだよ!」 
 
 家族への思いと自己の決して身の程知らずなものですらない月並みな欲望実現の葛藤的ジレンマ=青年的焦燥に、小学校時代の恩師・鷲尾先生に悩みを打ち明けにゆくものの、余りの錯綜した葛藤故に「親孝行とは何か?」なんて抽象的な質問に終始する他なかった。突然「家を出たい」と告げられた父親もなす術もなく、息子が口にした鷲尾先生を頼って善後策を求めに赴く。そこで漸く、長男・希一の悩みの具体的な内容を知って、鷲尾先生、後日一家の家を訪れ一家と忌憚なく話し合って何とか最善の路を探ろうとする。
 外は夜雨が篠つき、杳として進まぬ話し合いに、布団の中で寝ているはずの小さな弟妹も気になってか時折様子を窺い、詰襟学生服の弟たちが正座しっぱなしの脚に痺れをきらし始める。一頻りタバコを燻らせていた鷲尾先生、やがて意を決したように口を開く。弟たちの方に水を向けると、それぞれ、「海軍」や「弁護士」やら皆それぞれ自分達の将来の希望・夢を語り始める。感極まって湯飲みを畳の上に投げつけた後冷めたように父親は諭すように長男に云う。

 「いいから出て行け。5年でも、10年でもいいから・・・」

 そして弟たちにも同様に思うままにやってみろと。しかし、その後、

 「おれだってまだ頑張れる・・・」

 等と些か自棄的な言葉を零し出す。啖呵は切ったものの、はて現実の己が力量を冷めた眼で見てみると甚だ心許なく、遁辞とも受け取られかねない消極的な言質しか出てこない。涙にくれる長男に鷲尾先生が外で茶でも飲みながら二人でゆっくり話そうと促し外へと向かう。弟たちは、二階の自分たちの部屋に戻り、父親の不憫さに言及しながら、それぞれの方途を見据えその日一日を頑張っていこうとでんぐり返しを繰り返し続ける。
 趨勢は、目標への努力は怠らずもう少し現状のまま留まってみようといった、何の解決にもならない現状維持的詐瞞の類。そしてそれがその一家だけにとどまらず、どうにも行き詰まった袋小路でひたすら藻掻き続けるしかない庶民という社会=国家体制的な問題だという構造なのだろう。それがオリジナルの作家・徳永直やこの作品の監督・脚本・成瀬巳喜男の抱懐したものなのだろうが、問題は、その翌年、1940年には太平洋戦争に突入し、彼らの夢も希望も失われてしまう。次々と戦場に狩り出され、あるいは爆撃で一家の家すら灰燼に帰してしまう命運に至ってしまうのかも知れない。正に風前の灯。決して「雨降って地固まる」的な楽観的ニュアンスは描出されない。そう想いたい庶民的楽観主義はスルリと長男が提示した論理の上っ面を滑り落ちてゆくしかない。

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 こんな下町にも希一たち兄弟の行きつけの"喫茶店"があった。一見"甘味屋"の類のように思えるが、ちゃんとしたサモワールも備わっていて、やはり一応喫茶店に間違いはない。そこの娘の光子の格好は当時の定番の大きなエプロンを纏っている訳でもなく、むしろタバコ屋や駄菓子屋の娘然とした普段着。そんな趣きで、当時も喫茶店はあったのだろう。
 次男源二が読んでいた「早稲田中学講義」のテキストの間に、白人の女優らしきプロマイドが挟んであったが、公開翌年には「内閣情報局」が発足し、そんな場面も許されなくなってしまったろう。
 それにしても、その後の時代の流れを知っている戦後の我々は、希一たち兄弟や一家のその翌年遅くに遭遇する"開戦"を逆算してしまい、彼らの一縷の望みにかけた束の間の高揚した瞬間=でんぐり返しの反復が、いよいよシニカルな趣きをもって終映の向こうのモノクロ画面に明滅して見えてしまう。


父親       徳川夢声
母親       本間敦子
希一(長男)   生方明
源二(次男)   伊東薫
昇(三男)    南青吉
栄作(四男)   平田武
光子(喫茶店の娘)椿澄枝
鷲尾先生     大日方伝

監督 成瀬巳喜男
脚本 成瀬巳喜男
原作 徳永直(1938年11月刊 短編集『はたらく一家』(三和書房)
撮影 鈴木博
音楽 太田忠
美術 松山崇
制作 東宝映画(1939年11月)

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 国内的閉塞、その無能と悪辣の論理的帰結としての厚顔無恥な対外侵略

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2012年12月 8日 (土)

《 捜査官X 》'武侠'=骨肉的江湖

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 最初から期待してなかった《 秋瑾 〜競雄女侠 》、コマーシャル性ってことでか安手の清末武侠片かと見間違うくらいに変容していて、「秋風秋雨、人を愁殺す」なんて詩境的雰囲気微塵もない単なるアクション物でしかなかった。もう一つの、予告編観てちょっと新機軸なのかなと期待した金城武が清末ならぬ初期民国捜査官を演っている《 捜査官X 》、オリジナル・タイトル《 武侠 》、こっちもそんな先入観をサラリとかわされ、あげく立ち現れたのがギンギンの民国"幇"的故事片のドニー・イェンはじめ最期にはあの悪名高い(その割には坊ちゃん坊ちゃんした風貌の)ジミー・ウォン御大までもが激烈カンフー・バトル全開。それにしてもドニー・イェンのアクション指導なかなかのもので、久し振りに骨のある武侠片を見せて貰ったって感じだ。

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 そもそもこの邦題《 捜査官X 》って、どう考えても金城武を主演に据えた未だ清末的残滓色濃い民国初期を時代背景にした"探偵物"って感じだった。中国の辺境・雲南のとある少数民族の村に紛れ込んだ二人のお尋ね者が、押し入った先で偶々居合わせた紙漉職人リュウ・ジンシー(ドニー・イェン)に抱きつかれ結果的に倒されてしまうという椿事が起き、我らが捜査官・徐百九シュウ・バイジュウ(金城武)が颯爽と現れる。パナマ帽にまん丸銀縁眼鏡、くすんだ長衣に斜にかけた布鞄の中には幾種類もの針灸針を常に隠し持つ。
 件の偶然に偶然が重なった椿事的強殺犯退治事件も経絡秘孔的知識を援用し快刀乱麻に解いてゆく。椿事が偶然ではなく絶妙なまでに計算され尽くした詐術的偽装殺人であることを解き明かし、平凡な紙漉職人だったはずのリュウ・ジンシーの隠された真相に肉薄してゆく。

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 実は彼は十年近く前、荊州の方からやって来た異郷人で、今の女房のアユー(タン・ウェイ)と出遭って一緒になったのであった。徐百九の無神経なまでの執拗な尋問にも、リュウ・ジンシーは平然として対応するばかり。やがて、生家の父親に命令されある男を殺害し、恩赦で十年の刑期で出獄したばかりであったと父親や生家に対する嫌悪の念も露わに告白してみせた。 しかし、後に明らかになったその実態は戦慄すべきものであった。遙か昔西夏王国80万人が屠られた民族的怨念を雪ぐべく、冷酷無惨な大量殺戮を宗とする秘密組織(幇)" 七十二地刹 "の、リュウ・ジンシーはその教主の長子タン・ロンであった。そんな罪業を厭い、組織から逃れるため身分を偽って辺境の寒村に身を潜めたのだった。我らが捜査官・徐百九の杓子定規な頑なさを通り越した偏執狂的なまでの拘りが、" 七十二地刹 "一党に、やがて、リュウ・ジンシーの潜伏先を知らしめてしまう。村の祭祀の日、突如、謎の男女二人組が姿を現し、リュウ・ジンシーに詰め寄る。

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  この双刀の女殺戮者は怖い。これにタイ女の血でも混じった日にはアジアに敵なし。正に東方不敗。  

 「お前はタン・ロンだろ?」
 リュウ・ジンシーは殴られても蹴られても首を横に振る。業を煮やした女(教主の妻)は短剣で村の長老の首を抉り、更に別の村民を斬り殺そうとするや、もうこれまでとリュウ・ジンシー、とうとう正体を現してしまう。死闘の末二人組を葬るが、一味によって村のあっこちに火が放たれ住民たちの殆どは城砦に避難。徐百九、彼のために一計を案じるが失敗し、リュウ・ジンシー自らの片腕を刀で切り落とし、兄や仲間に決別の証とする。が、アユーや子供たちの待つ家に、彼の父である" 七十二地刹 "の教主(ジミー・ウオン)が既に待ち構えていた。そこで最期の死闘が展開され、徐百九も針で教主のツボを狙い、それが功を奏したのか首に刺した針先に雷が落ち即死してしまう。その時怒り狂った教主の凶手にかかって徐百九、一命を取り留めたのか否なのか・・・リュウ・ジンシーとアユーの一家の普段の朝の光景が流れる。やっぱりオリジナルのタイトル通り"武侠"片って訳で、ドニー・イエンが主演なのだろう。

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 まさか《 捜査官X 》をシリーズ化するんじゃないんだろうが、余りにも金城武演ずる捜査官・徐百九のキャラクターがこれ見よがしに作られていて、ついそんな憶測までしてしまう。
"民国初期"ってのがミソで、それまで余りスクリーンでお目にかかることのなかった時代設定なのでつい興味をもって観ることになったのだけど、"辛亥革命100年記念"ってことで中国圏で当時を背景にした作品があれこれ作られることとなった成り行きの産物なのか。辛亥革命自体とはちょっと外れた、しかし、中国のもう一つ根深いところでの時代的風景(フィクションではあるが)として興味の尽きない作品ではある。
 西夏国といえば、同年に作られたジェット・リー&ツイ・ハークの古装武侠片《龍門飛甲》にも西夏王宮が出てくる。単なる偶然なのだろうか。

ドニー・イェン
金城武
タン・ウェイ
ジミー・ウォング
クララ・ウェイ
リー・シャオラン

監督 ピーター・チャン(陳可辛)
脚本 オーブリー・ラム
撮影 ジェイク・ポロック
美術  イー・チュンマン
音楽 チャン・クォンウィン、ピーター・カム、
    チャッチャイ・ポンプラパーパン
アクション監督 ドニー・イェン
主題歌 「迷走江湖」
     作詞・作曲・唄 ドウ・ウェイ
制作 香港・中国合作(2011年)

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2012年12月 1日 (土)

暗い時代の青春謳歌《 一番美しく 》 黒澤明

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 敗戦前年の1944年(昭和19年)四月に公開になったこの黒澤明監督作品、二年後の原節子主演の《我が青春に悔いなし》と比較すると、確かに極端に戦前・戦後のメリハリがきいているけど、一つの全体主義国家の渦中と、それが潰えた戦後のまがりなりにも自由と平等の上っ面であっても冠することの出来る世の中との差異ということだろう。
 尤も、敗戦直後のGHQ(占領軍本部)も早速米国式民主主義の正体を露見するような強権的な"検閲"を駆使していたのではあったが。それにしても、戦争末期、実際には殆ど敗戦間際って状況にあって、( ところがこれが必ずしも国内的には"イコール"にならないのが、我が大ニッポン帝国の属性ともいうべき情報統制とやらで、果たしてどれほどの国民がそんな認識を持ちえていたいたのか甚だ怪しいのではあるが ) 大本営は如何なる意識の下に"銃後の守り"ともいうべき女子挺身隊なんかを主人公にしたプロパガンダ映画を作らせたのだろう。
 当時英米なんかではとっくに女性が軍需産業なんかに動員されていて、"総力戦"を喧伝していた割には後塵を拝したってことだが、端的に自軍=皇軍の買いかぶりと封建主義的な男尊女卑的観念そのもの故であろう。背に腹は替えられなくなっての泥縄式。

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 前年には真珠湾攻撃のヒーロー山本五十六元帥が戦死し、14~25歳女性の"勤労挺身隊"の動員、学徒出陣も始まり、翌1944年には、東京等で疎開も開始され、二月には毎日新聞がかの有名な所謂《 竹槍事件 》を起こし、首相・東条英機を激怒させた。陸軍の朝日に対抗して海軍の毎日新聞であったらしく、権力の実権を握っていたのが陸軍だったので、実際の戦況を、つまり殆ど敗っぱなしの事実を国民に知らせることを厭い、"勝った! 勝った! の全勝軍"を決め込んでいたのを、もうこれ以上の隠蔽と詐瞞は余りに亡国的背信行為と、毎日新聞が海軍の意を汲んで実際の戦況を新聞上で知らせてしまったのだ。
 【勝利か滅亡か 戦局は茲まで来た】 【竹槍では間に合はぬ 飛行機だ、海洋航空機だ】
 "敵が飛行機で攻めに来るのに、竹槍をもっては戦い得ないのだ。問題は戦力の結集である"
 と、ぶちあげてしまって、東条が毎日新聞を廃刊にしろ!!と切れたらしい。何しろ同月東条が「本土決戦」「一億玉砕」を、そしてその実践として"竹槍訓練"を国民に向かって連呼する"非常時宣言"を出した矢先の出来事。結果、廃刊にまでは至らなかったものの、担当記者を即陸軍に徴兵し激戦地に追いやる挙に出た。只、海軍がそうはさせず難なきを得たという。

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 そんな救いようのない状況の下での、大本営からの企画(当然強制)であり、制作であった。 軍・権力側の思惑はどうあれ、それを如何に自身の意志を具現した作品に仕上げれるかが創造者としての監督のモラルと力量だろう。この映画の場合、銃後の"女子挺身隊"ってところがミソに違いない。画面を観ると、小学生と見間違えるようなオカッパ頭の少女たちの姿もあって、恐らく14歳ぐらいなのであろうが、必ずしも良くはなかったはずの食料事情にしては皆如何にも健康そうでどうもしっくりこない。一切が荒廃した敗戦直後並のイメージがつきまとってそれが先入観となってしまうのだけど、この頃はまだまだそれなりに食えてはいたのか。本当に悪かったのは敗戦直後? 
 東映の《 仁義なき戦い 》の戦後闇市時代にしては皆脂ぎった飽食的血色で何とも違和感があったが、それはあくまで戦後数十年も過ってからの映画だったからともかく、こっちのはリアル・タイムな同時代的産物にもかかわらず、一見全員健康優良児ばかり。平成的先入観からするとどうにも"リアリティー"が感じられないという不可思議な矛盾。一人、彼女たちの寝起きする寮の責任者たる寮母=入江たか子だけが些か憂いを漂わせた面長な相貌で悠揚迫らぬ佇まい。

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 《我が青春に悔いなし》が戦後解放された女を象徴するようなポジティヴな自立的意志を躍如とさせていたのに対して、この情報局選定《一番美しく》では、あくまで幾重にも強いられた枠=戦争・"撃ちてし已まむ"的状況の中で、それ以外何処にも向けようのない青春的発露を専ら前線で戦う男たちに引けを取らぬ"銃後の闘い"に燃焼させようとする。
 例え「男たちの三分の二」の目標仕事量ではあっても、戦時共産主義的な産物として封建的な男尊女卑的観念を払拭され、平等=自立のイルミネーションを眼前に幻視した女たち。人心鼓舞のためのプロパガンダ映画故に紆余曲折を経た最期には達成でき万々歳の大団円という定式は当然としても、やはりそんな中での女子挺身隊員たち個々および相関関係を黒沢は淀みなく巧く描いている。現在の視点からすれば決して面白いと思えないものの悪くはない。只、これは僕だけか知れないが、当局が戦況的危機感を煽ることを忌避した故なのかそれとも監督黒沢の意図なのか、どうも"戦争"というものがそれらしく見えてこない。今時の職場を舞台にした映画以上には見えないのだ。あたかも平時の日本の何処かの町の出来事の如く。まだ、何年も前に作られた二人の少女を中心とした成瀬巳喜男の《まごころ》の方が却って深刻度は強いように思える。
 踏切のすぐ向こうに大きな軍需工場のある静かな佇まいの広い通りを、毎朝、寮から女子挺身隊のメンバー=鼓笛隊が米国マーチを奏でながら向かってゆくシーンなんかもそんな雰囲気。尤も考えてみたら、この頃って、すべてが配給制となっていて、勝手にマイ・カーなんぞが走ってゆくなんてあり得なかったのだから、余程の繁華街ならいざ知らず、大抵の町の通りは朝夕以外はシーンと静まり返っていたに違いない。

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 制作が始まったのが1943年、末期と言っていい空襲が本格化し始めたのが1944年の映画公開後で、さすがに一億玉砕の竹槍訓練や、あちこちで空襲が始まっているような時節にこんな女学生物語みたいな軟弱なものが作られようもなかろう。ところが、現実とはその逆に、そんな危機的状況だからこそ、ホッと一息つけるような、若い娘たちのゆらぎのひとときを求めるものであるのも人間心理の常識のたぐい。「撃ちてし已まぬ!!」と健康優良児的な両肩を怒らせてみせても、教条主義的な厳(いか)つさとは無縁の、そこらの女学校の女生徒たちが学芸会の出し物ですったもんだしているかのような和気藹々(あいあい)とした雰囲気に統べられている。
 因みに、主演の矢口陽子は松竹歌劇団の出身で、映画が公開された翌年、つまり敗戦の年に監督の黒澤明と結婚。主演女優と監督の結婚ってこの頃から既に見られた現象のようだ。

 
監督 黒澤明
脚本 黒澤明
撮影 小原譲治
美術 安部輝明

入江たか子 (寮母・水島徳子)
矢口陽子  (組長・渡辺ツル)
志村喬   (会社責任者・石田五郎)
清川荘司  (会社責任者・吉川荘一)
菅井一郎  (会社責任者・真田健)
河野秋武  (鼓笛隊の先生)
横山運平  (寮の小使)

制作 東宝(1944年)

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   同年1944年の他の東宝作品

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