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2013年2月23日 (土)

《 博士の異常な愛情 》大量報復熱核戦争行進曲

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 1963年といえば米国の傀儡の南ベトナム国王ゴ・ジンジェムが、宗主国たる米国の意に添わなくなったためクー・デ・ターを起こしたベトナム軍将校達に殺害されたり、隣国の韓国では、同じく米国の傀儡のファッシスト=朴正煕パク・チョンヒが大統領になり名実共の札付き軍部独裁ファッシストとして君臨することになったり、宗主本国=米国でも、ケネディー大統領がダラスで暗殺され、大統領といえども、所詮実際の"権力"の"番頭"程度の存在でしかないことが露呈してしまったりの記憶されるべき歴史的な年であった。
 この東西冷戦の真っ直中の1963年にこのスタンリー・キューブリックの代表作の一つ《 博士の異常な愛情 : または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか 》が作られた。《時計仕掛けのオレンジ》同様ブラック・ユーモアの趣きで、テーマがシリアスなだけに一層そのブラックさが際立っている。就中、ピーター・セーラーズ演ずる車椅子に乗った元ナチ科学者"ストレンジラヴ"博士の「 総統!! 私は歩けます! 」と高らかに勝ち誇って叫ぶシーンはその白眉。

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 米国のある戦略空軍基地の司令官ジャック・D・リッパー将軍が反-共産主義的パラノイア症候群とでもいう心的病に陥いり、先制攻撃主義の虜となって独断で配下の核爆弾を積んで常時飛行中の戦略空軍爆撃部隊にソ連の軍事基地攻撃を命ずる。やがてホワイトハウスの知ることとなって、大騒ぎ。作戦室に大統領はじめ政府首脳と軍幹部達が居並び、ソ連の駐米大使も呼ばれ、何機もの核爆弾搭載の爆撃機が一斉にソ連のそれぞれの目標に向かっていることをホット・ライン電話でソ連首相に伝え善後策を協議することとなる。予め作戦要領で確定されている各機の侵入ルートと攻撃目的地をソ連側に教え、英国将校マンドレイクが解読したリッパー将軍が自殺して不明になった各機に対する呼び出しコード番号で各機に連絡して、三機がソ連の迎撃で撃墜された以外は皆帰還し始め何とか一件落着の安堵に包まれたのも束の間、ソ連首相からまだ一機だけ飛行を続けていると怒りの連絡がある。事故か自己破壊装置が作動したためか外部との連絡が取れなくなったコング少佐の一機が燃料洩れで本来の目的地より大部近い目的地に変更し決死の爆撃行へとひた走り続け、ついに目的地にコング少佐自身が跨った核爆弾(水爆)が投下される。
 ソ連が秘密裏に経済効率をも加味して作った敵国に核攻撃されると自動的に作動する最終戦略大量報復兵器【全生物殲滅装置】、世界中に半減期100年という強烈なコバルト・ソリウムの放射能をばらまき一切の生物を死滅させてしまう超級水爆が、自動的に作動。世界は大量の死の灰に蔽われてゆく・・・第二次世界大戦の頃英国で流行ったヴェラ・リンの唄う『また会いましょう』We'll Meet Againがゆったり流れる中、キノコ雲の祭典が繰り広げられる(エンディング)。ナチス・ドイツ科学の粋ともいえるミサイルV1(報復兵器第1号: 宣伝相ゲッペルスが命名)、V2(報復兵器第2号)がドーバー海峡を越えロンドンに飛んできて炸裂する光景とダブらせているのだろう。実に象徴的且つこれ以上ないシニカルな歌詞となって再び二十年後に甦ったという訳だ。

  また会いましょう

  何処かわからない いつかもわからない

  けれどきっとある晴れた日にまた会いましょう

 

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 一部の権力者達のみ、遥か地底の奥深くに伸びた坑道を地下基地に造り替え、地上の放射能が半減するのを待ち続ける。ノアの箱船の如く。只違うのは、旧約聖書では"正直者"ノア故に乗れたのが、現在では逆にソドムとゴモラを牛耳っている札付きばかりが正直者達を追い払って我がもの顔でふんぞり返っているということで、それは再びソドムとゴモラの再建以外、悪逆の再生産以外の何ものをも意味しはしない。
 米国大統領が不安げに問う。

 「100年も?」

 不気味な笑みを浮かべてストレンジラヴ博士が応える。

 「大丈夫。原子力発電で動力も確保でき生産も食料も簡単に手に入り、男1人に女10人の割合で生殖活動すれば遠からず人類は復活できます」

 最初キューブリックが企図したのは、車椅子からぎこちなく起きあがったストレンジラヴ博士の名セリフ「総統!! 私は歩けます!」の後に、全員でのパイ投げ合戦のシーンだったようだ。それも単なるお笑いではなくて、パイ投げの果てに「奴らも本当はそんなに悪い奴じゃない」という和解あるいは予定調和的な親和的な感慨を洩らすという設定だったらしく、大洪水ならぬ死の灰の氾濫した世界という結末に一縷の救いを求めたのだろうか。それだと蛇足に過ぎてしまいかねない。ケネディー暗殺事件でそのシーンがカットされたという話もあるようだが、正解だったようだ。
 
 元ナチ科学者・ストレンジラヴ博士、米国の核兵器開発に係わった(ユダヤ系)科学者達の一つの典型として造形された人物像であって、かならずしも特定の科学者をモデルにした訳でもないだろう。札付きのジョン・フォン・ノイマンやエドワード・テイラー、そしてヴェルナー・フォン・ブラウン等がその対象となったのだろう。
 "原爆の父"オッペンハイマーなんかは、アインシュタインと相違してモロ開発に関与したものの、それはむしろ原爆のその圧倒的な破壊力に世界の権力者(軍国主義者)達が恐れをなして核兵器に手を出したりしなくなることを企図しての戦略的な関与だったらしく、後、その些か反戦的な意趣で"水爆の父"と呼ばれたエドワード・テイラーと関係が悪化したという。彼は他の何人かの科学者と共に、米国だけが独占的に優位に立つのを危惧し、核開発技術をソ連にも伝えたともいわれている。実際米国だけが圧倒的優位に立っていたら恐らく世界史ももっと変わった(当然現在よりも遙かに悪く)ものになっていたかも知れない。

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 オッペンハイマーの意志に反して実際に二つの都市(市民)に対して使われたことに彼は驚きと共に後悔したという。アインシュタインすら、米国の大統領にナチ憎し恐るべしで原爆開発=使用を、他のユダヤ人科学者と連名で教唆し推進する挙に出、結局彼らの一連の働きかけの結実として米国の原爆(水爆)=核兵器開発および使用があったことには変わりはない。彼らは第一次世界大戦を経験済みにもかかわらず、権力(軍)が如何なる精神構造の持ち主か、あるいは両大戦が所詮"帝国主義"的な植民地争奪戦でしかない簡単な事実すら把握出来なかったのだ。
 知能指数なんてあくまで権力・企業にとっての有用指数でしかない。
 やはり知性とイマジネーション、この権力・企業が一番嫌い憎むものこそ、人間に先ず必要ってことだろう。
 勿論それは普通誰でも子供でも持っているはずのものなのだが。アインシュタイン達って、シミレーションなんかはお手の物でも、イマジネーションにおいて著しく欠けるものがあったようだ。

  昨今の何処かの国のように、ベトナム戦争時に米国の傀儡と呼ばれた自民党総理・佐藤栄作の"ノーベル平和賞"受賞以来(かの非暴力・無抵抗主義者のガンジーは幾度も受賞を拒否したという)どんないかがわしい賞か分かってしまったノーベル賞を貰って得意満面の科学者なんかが、" 一番でなけりゃ駄目だ!! "とばかり明治維新以来の立身出世物語的スローガンを、相も変わらず連呼し、先年の"東北大震災・ツナミ&東電原子炉爆発事件"の第一責任者=自民党と官僚・関係(科)学者達の誰一人として、二万人の死者と多くの人々が悲惨の巷に苛まれているにもかかわらず、今だに責任を取ろうともしない亡国的・没知性的惨状など何処吹く風の、更なる惨状を謀っているってことで、前述のアインシュタイン達の傾向性が単に偶然的なものじゃなく、もっと本質的なところから出たものではないかと云ってしまうと平衡を欠くだろうか?


監督  スタンリー・キューブリック
脚本  スタンリー・キューブリック
     ピーター・ジョージ
     テリー・サザーン
原作  ピーター・ジョージ
撮影  ギルバート・テイラー
音楽  ローリー・ジョンソン



コロンビア映画 1964年公開(米国)

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