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2013年4月28日 (日)

 家出少女と狼たち《 HICK ルリ十三歳の旅 》

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 《モールス》で可愛い吸血娘を演じていた名少女役クロエ・グレース・モレッツのその翌年の作品で、"ロード・ムービー"ってことで一見してみた。考えてみれば、前作《モールス》も、舞台はスウェーデンの小さな町の集合住宅だったけど、彼女達(吸血娘とその同伴者のオヤジさん)はあっちこっち生贄の血を求めての流離ってきたのだし、やがて少年も元の同伴者に替わって彼女と一緒に吸血の永い旅へと出立するところで終わるので、やはりロード・ムービーのカテゴリーに入れても許されなくはないだろう。
 台湾女優ビビアン・スーに似た個性的な風貌のクロエ、年齢相応に肉付きが良くなってきていて、走るシーンの艶やかな肌の下のはち切れんばかりの脂肉の躍動には暫し唖然としてしまったが、しかし、それはあくまで平均的な"年齢相応"の"発育"的肢体に過ぎない。けれど人気女優故に、嘗て同じ年頃(?)の宮沢リエが肥満との格闘を余儀なくされた轍を踏む事になるのだろうか。

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 日本や中国でもそうだが、況(いわん)や資本主義的病弊の最先進国=米国では、いよいよ"家族"の崩壊に拍車がかかっているようで、この映画でも、今じゃポスト・ベトナム戦争以来の病み疲弊した米国ってのが通奏低音の如く昏く淀んで起伏し続けている。
 米国・中西部ネブラスカ州のとある田舎町の崩壊家庭で育てられてきた少女ルリLULi、彼女の誕生日の翌朝さっそく母親が自分の荷物を持って見知らぬ不動産業者と一緒に出てゆき、父親もいまいましい素振りは見せわするが大してショックのようにも見受けられず、そのまま埃だらけの自分の車で何処かへ行ってしまう。父親がその夜か翌日になると戻ってくるのかどうかも定かならぬ不確かさ、けれどルリはいつも通りに独りぼっちで所在なさ気。愛用のスケッチブックに幼さを残したタッチの絵を描き、鏡に誕生日に貰った女性の護身用としちゃあ大きすぎるS&Wの.45大口径の回転式拳銃を構えてクリント・イーストウッドの真似をしてみたり、ドレスをあれこれ着替えて色んなポーズやセリフを言ってみたり・・・ふと見たテレビ( 粒子の粗い白黒画面、つまり、時代は六十年代後半ぐらい? )の「一攫千金!」「ラスベガス!」の宣伝画面に触発され、"ラスベガスに行こう!!"と決心する。

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 ヒッピー・ゼネレーションで流行った肩掛けバッグに着替えやスケッチ・ブックそしてプレゼントに貰ったピストルを突っ込み、可愛い臍(へそ)を出した短めの服に短パン、白縁のサングラスのスタイルで自分一人の旅に出立と相成るのだけど、このスタイルって、どう見たって《 タクシー・ドライバー 》('76年)で元家出娘の街娼役のジョディー・フォスターがしていたものと相似で、鏡に向かってピストルを構えて呟くシーンともどもに、オマージュなのだろう。 ドレスを何度も着替えたり口真似したりもナタリー・ポートマンが《 レオン 》('94)で演ってたのと相似。ぼくは未見で知らないが、クロエの以前の作品のと相似なのもあるらしい。
 そして映画の流れも、最後は係わった男(トラビス、レオン)ともどもに血塗られた結末が待っていた有名な両作品を踏襲するように、誕生日のプレゼントに貰った護身用(女性の、それも少女用としては危険すらあるので、むしろジョークとしてのプレゼントというのが常識だろうが)の大口径ピストルが禍して、血みどろの陰惨な結末へと滑り落ちてゆく。この作品には女性作家のオリジナルがあるらしいけど、そっちの方はつまびらかでなく、映画の方は、両作品を十分に意識して作っていることは間違いない。只、両作品(片やアート、もう一つは商業主義)ともそれなりのレベルの作品であったのに比して、あくまで少女俳優クロエ・グレース・モレッツがメインらしく水で薄めたような当たり障りのない代物ってところに落ち着いてしまっている。

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 ネックはやはり相方の男で、先行する両作品は、タクシー運転手トラビスも、違法移民の殺し屋レオンもしっかとしたアイデンティティーのあるキャラクターだったけど、この映画での相方、エディ・レッドメイン演ずるエディーは、時代を反映してか、か細いフリーターで、飲んだくれのルリの父親同様うだつのあがらない"駄目人間"ってイメージ。何とも煮え切らない。尤も、この片足の悪いか細いエディー、映画が進むに連れて段々とその沈鬱・陰鬱な性向が露わになってきて、少女を愛するが故に自分の生命を賭けた前二者と相違して、それが彼なりの対応の仕方であったにしろ、むしろ家出少女ルリに危害すら加えるという正に"現在"的病的屈折的顛末。    
 実在の連続殺人犯チャールズ・スタークウェザーを扱ったマーティン・シーン&シシー・スペイクス主演の《地獄の逃避行》Badlands('73年)、連れ去られ同道する羽目になった少女キャリル・アン・フューゲートは当時15歳( 見初められたのは13歳の時 )で、このルリと殆ど同世代。この線でいけば結構面白い展開に至れたのではないかと思うけど、それらは所詮"前世紀"的産物、末期資本主義的"現在"じゃリアリティーは得られないと制作者達は考えたのだろうか。

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監督・脚本: デリック・マルテイーニ 
原作・脚本: アンドレア・ポーテス
撮影: フランク・ゴッドウィン
音楽: ボブ・ディラン、ラリー・キャンベル
制作 ストーン・リヴァー・プロダクションズ 2011年(米国)


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