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2013年4月の4件の記事

2013年4月28日 (日)

 家出少女と狼たち《 HICK ルリ十三歳の旅 》

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 《モールス》で可愛い吸血娘を演じていた名少女役クロエ・グレース・モレッツのその翌年の作品で、"ロード・ムービー"ってことで一見してみた。考えてみれば、前作《モールス》も、舞台はスウェーデンの小さな町の集合住宅だったけど、彼女達(吸血娘とその同伴者のオヤジさん)はあっちこっち生贄の血を求めての流離ってきたのだし、やがて少年も元の同伴者に替わって彼女と一緒に吸血の永い旅へと出立するところで終わるので、やはりロード・ムービーのカテゴリーに入れても許されなくはないだろう。
 台湾女優ビビアン・スーに似た個性的な風貌のクロエ、年齢相応に肉付きが良くなってきていて、走るシーンの艶やかな肌の下のはち切れんばかりの脂肉の躍動には暫し唖然としてしまったが、しかし、それはあくまで平均的な"年齢相応"の"発育"的肢体に過ぎない。けれど人気女優故に、嘗て同じ年頃(?)の宮沢リエが肥満との格闘を余儀なくされた轍を踏む事になるのだろうか。

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 日本や中国でもそうだが、況(いわん)や資本主義的病弊の最先進国=米国では、いよいよ"家族"の崩壊に拍車がかかっているようで、この映画でも、今じゃポスト・ベトナム戦争以来の病み疲弊した米国ってのが通奏低音の如く昏く淀んで起伏し続けている。
 米国・中西部ネブラスカ州のとある田舎町の崩壊家庭で育てられてきた少女ルリLULi、彼女の誕生日の翌朝さっそく母親が自分の荷物を持って見知らぬ不動産業者と一緒に出てゆき、父親もいまいましい素振りは見せわするが大してショックのようにも見受けられず、そのまま埃だらけの自分の車で何処かへ行ってしまう。父親がその夜か翌日になると戻ってくるのかどうかも定かならぬ不確かさ、けれどルリはいつも通りに独りぼっちで所在なさ気。愛用のスケッチブックに幼さを残したタッチの絵を描き、鏡に誕生日に貰った女性の護身用としちゃあ大きすぎるS&Wの.45大口径の回転式拳銃を構えてクリント・イーストウッドの真似をしてみたり、ドレスをあれこれ着替えて色んなポーズやセリフを言ってみたり・・・ふと見たテレビ( 粒子の粗い白黒画面、つまり、時代は六十年代後半ぐらい? )の「一攫千金!」「ラスベガス!」の宣伝画面に触発され、"ラスベガスに行こう!!"と決心する。

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 ヒッピー・ゼネレーションで流行った肩掛けバッグに着替えやスケッチ・ブックそしてプレゼントに貰ったピストルを突っ込み、可愛い臍(へそ)を出した短めの服に短パン、白縁のサングラスのスタイルで自分一人の旅に出立と相成るのだけど、このスタイルって、どう見たって《 タクシー・ドライバー 》('76年)で元家出娘の街娼役のジョディー・フォスターがしていたものと相似で、鏡に向かってピストルを構えて呟くシーンともどもに、オマージュなのだろう。 ドレスを何度も着替えたり口真似したりもナタリー・ポートマンが《 レオン 》('94)で演ってたのと相似。ぼくは未見で知らないが、クロエの以前の作品のと相似なのもあるらしい。
 そして映画の流れも、最後は係わった男(トラビス、レオン)ともどもに血塗られた結末が待っていた有名な両作品を踏襲するように、誕生日のプレゼントに貰った護身用(女性の、それも少女用としては危険すらあるので、むしろジョークとしてのプレゼントというのが常識だろうが)の大口径ピストルが禍して、血みどろの陰惨な結末へと滑り落ちてゆく。この作品には女性作家のオリジナルがあるらしいけど、そっちの方はつまびらかでなく、映画の方は、両作品を十分に意識して作っていることは間違いない。只、両作品(片やアート、もう一つは商業主義)ともそれなりのレベルの作品であったのに比して、あくまで少女俳優クロエ・グレース・モレッツがメインらしく水で薄めたような当たり障りのない代物ってところに落ち着いてしまっている。

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 ネックはやはり相方の男で、先行する両作品は、タクシー運転手トラビスも、違法移民の殺し屋レオンもしっかとしたアイデンティティーのあるキャラクターだったけど、この映画での相方、エディ・レッドメイン演ずるエディーは、時代を反映してか、か細いフリーターで、飲んだくれのルリの父親同様うだつのあがらない"駄目人間"ってイメージ。何とも煮え切らない。尤も、この片足の悪いか細いエディー、映画が進むに連れて段々とその沈鬱・陰鬱な性向が露わになってきて、少女を愛するが故に自分の生命を賭けた前二者と相違して、それが彼なりの対応の仕方であったにしろ、むしろ家出少女ルリに危害すら加えるという正に"現在"的病的屈折的顛末。    
 実在の連続殺人犯チャールズ・スタークウェザーを扱ったマーティン・シーン&シシー・スペイクス主演の《地獄の逃避行》Badlands('73年)、連れ去られ同道する羽目になった少女キャリル・アン・フューゲートは当時15歳( 見初められたのは13歳の時 )で、このルリと殆ど同世代。この線でいけば結構面白い展開に至れたのではないかと思うけど、それらは所詮"前世紀"的産物、末期資本主義的"現在"じゃリアリティーは得られないと制作者達は考えたのだろうか。

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監督・脚本: デリック・マルテイーニ 
原作・脚本: アンドレア・ポーテス
撮影: フランク・ゴッドウィン
音楽: ボブ・ディラン、ラリー・キャンベル
制作 ストーン・リヴァー・プロダクションズ 2011年(米国)


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2013年4月20日 (土)

花嫁は棺の上にのって 『A.M 3 ルアン・ホー・コン・ターイ』

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 元々日本では殆ど観る機会のないタイ映画、昨今はYOUTUBEもそうだが、タイ映画関係のブログ・サイトも増え、結構精力的に展開している人たちも増えて、我々丘に登った浦島太郎たちにとって遥か彼方となってしまった竜宮の情報のあれこれを得易くなってありがたい。後はもう一歩踏み込んだタイの文化に関するサイトなんかが出てきてくれれば御の字。
 そんな中でチェックしてみたのが、この2012年の3D映画《"ティー・サーム" 3A.M   》。三話オムニバスのホラー映画で、嘗てアジアン・ホラー・オムニバス《 スリー 》のシリーズが有名だったけど、各国を代表したものであってそれなりにちゃんとしたレベルのばかりだった。しかしながら、この3D映画《 ティー・サーム 3 A.M 》は、いかにも"タイ風"に、"サバーイ・サバーイ"精神的産物といわんばかのお手軽オムニバス。けれど、タイ国内では結構ヒットしたという。3D映画って、"サバーイ"スピリットのタイ人にとって待ちに待った玩弄物の極みのようで、次から次へと量産しているようだ。確かに、内容よりも、その視覚的こけおどしに酔って(そんなレベルの作品にまだお目にかかったことはないが)いればいいだけだから、正にチーパーな悦楽の玉手箱。それでも、やがてそんな小手先のこけおどしにも飽きてくるのもはっきりしているし、今度はきっぱり" 三次元映像 "って展開なのだろう。" びっくり飛び出し映像 "って、遥か'60年代頃流行っていたって話しだけど、すぐ廃れてしまって精々がiMaxあたりで趣味的に細々と生き延びていたに過ぎないようだ。

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 最初誰だか分からなかったものの、何処かでその面影に見覚えがあって誰だろうとクレジットを確かめてみたら、あの前思春期恋愛映画《 フェーン・チャン 》(2003年)少女ノイナー役のフォーカス・チラクンではないか。後年、このブログでも紹介したタイ版怪異母性本能映画《 ゴースト・マザー 》(2007年)に出演していた頃の彼女の風貌とも随分と変化してしまってすっかり大人の女の風貌になっていたのが懐かしかった最初の第一話《 ケート・サヨーン 》はカツラ屋に持ち込まれた死人の髪の怪異譚だけど駄作。タイには日本同様、駄作ホラーはてんこ盛り。
 最後の第三話《 オーバー・タイム 》も、今じゃタイ映画の中堅の働き盛りってポジションのチャクリット・イェナムとレイ・マクドナルドの二人が出ていて、ターター・ヤングの青春映画《 オー・ネガティブ 》以来のコンビ。が、タイ=バンコクのトレンディーなオフィスってこんなのかと勉強にはなったものの、せわしなくどんでん返しが続くドタバタ物で殆ど駄作。アイデアは悪くないけど、余りにも造りが杜撰過ぎ。
 結局このオムニバスは総じて粗悪。只、第二話の《 ルアン・ホー・コン・ターイ 》The Corpse Bride (中国タイトル"陰陽棺" これは、白黒二つの棺桶が並べられているのと道教的な怪異的ニュアンスを付与するためからだろう。)は、何しろ題材が死んだ花嫁と花婿が並んで棺に入った新婚家庭=屋敷での怪奇事件というのが如何にもタイ風味って感じで興味を惹いた。
 ルアン・ホーで「花嫁のための家」という意味らしく、コン・ターイが「死人、屍体」なので" 屍者の花嫁屋敷 "ってところだろうが、定番の訳語があるのかも知れない。
 病院から派遣された屍体の番人役の青年がその死んだ花嫁に恋をするって話で、即物的にいえば" 屍姦 "。随分と好事家的な猟奇物になってしまうところを、純白の棺に収まった花嫁チェリー役のカーンクラウ・ドゥアイシヤンクラウ(グレース)のスマートな肢体を美麗に映し、エロティシズムを醸し出したエロスとタナトスの供宴!、とまではいかないものの、その匂りぐらいは妖しく漂って、それなりの恋愛怪異譚にはなっている。

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 一緒に病院からやってきた遺体保存処理専門の年配のナースが些か不気味さをこれ見よがしに漂わせ、やがて彼トニー一人を残して自分の車で帰って行く。トニーは病院よりも遙かに金になるこの屍体の番人役を買って出たのだったが、なりゆきで花嫁チェリーの棺を開ける羽目に陥ってしまう。それがそもそもの災厄のはじまりで、その中に納められていた美麗な若い女の姿にすっかり魅了されてしまう。彼女のベッドの脇の小机から見つかったビデオ・ディスクとデジカメに残されていた映像に暗澹としてしまう。花嫁チェリーが新夫にロープで手足を縛られ虐待されている光景がそこにあったからだ。甜い眠りから今にも目覚めむっくりと起き出してしまいそうな生気に溢れた美しい肢体の、この花嫁に。一体なんてことをこの悪辣な新夫はしていたんだと、怒りすら覚え、早速一緒に並んでいた二つの棺を離し、新夫の収まった黒い棺を、黄金の仏像を安置した部屋に運び込み、聖糸でグルグル巻きにして、新夫の霊を中に封じ込めた。
 そして青年 は、チェリーの艶めかしい裸体を洗い清め、愛撫した。ところが、封じ込めていたはずの新夫の棺の蓋が開けっ放されていて、眼前に、その新夫の在りし日の姿がありありと映し出され、実は、新夫は花嫁チェリーを虐待ではなく、助けようとしていたのが分かってしまう。花嫁が、何らかの理由で自傷行為に走りかねず、やむなく手足を縛っていたに過ぎなかった。と、新夫がそのロープを外してやった次の刹那、一振りで花嫁は新夫の喉を掻き切り、更に自身の白い喉元を深々と抉って果ててしまった。
 青年がふと気づくと白い棺の中に納められていて、泣けど叫べど花嫁チェリーの乗った蓋はびくともしなかった。・・・
 怪異譚としては危ういエロスとタナトスのもつれ合いを耽美的に描き出そうとして面白く
もあるのだけど、これこそ嘗てアジアン・ホラー・オムニバス《 スリー 》中の《 餃子 》が長編でも撮られていたように、つまらない作品作るより、もっと濃密にちゃんと撮って欲しい作品だ。もったいない。

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監督 キーラティ・ナークインタノン
チェリー カーンクラオ・ドゥアイシアンクラオ(グレース)
青年  トニー・ラークケーン
新夫   ピーター・ナイト
製作   ファイブ・スター (タイ)2012年

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2013年4月 7日 (日)

湘江を遡ると美女神と革命の原郷に至る 《湖南の扇》 芥川龍之介

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 大正10年の龍之介の中国行は、その最初から、つまり、門司港から筑後丸に乗る以前から、そして乗船し、玄界灘に出、上海へ着いた後も、これでもかこれでもかと病に苛まれ続けた病苦と不本意の正に苦心惨憺-旅ともいうべきものであった。
 そもそもが彼の"支那趣味"に端を発したその願望成就としての中国行ではあったが、それは又、後年"自死"へと帰結する、死に至る病と引き換えるに等しいものでもあったようだ。とりわけ情人・秀しげ子との関係が疎ましいものになって、逃げるように中国行に赴いたような話もあって、病をおしての中国行ってのがいよいよ生臭く、『人生は地獄よりも地獄的である』(侏儒の言葉)なんて厭世的な彼の代表的フレーズも何とも即物的な色合いを呈したものとなってくる。

 この短編の大まかなストーリーは、長沙を湘江を日清汽船の船で遡って訪れた僕は、デッキで出迎えの人物を待っている間、岸壁の出迎え人達の向こうの葉柳の傍に佇んだ一人の支那美人が扇子を半開きかざし船上の誰かに合図しているらしいのを目撃する。出迎えは来ず、代わりに東京に留学していた同級生の譚永年が現れる。
 翌々日、彼に従って、嶽麓観光のためモーター・ボートで川を疾走していると、反対方向からモーターボートが現れ、すれちがいざま、譚永年がそれに乗っていた妓女の一人を、先日斬首刑になった五人の内の一人、匪賊の頭目・黄六一の情婦だと教える。
 その日の夜、譚と一緒にある妓館に向かい、鼓弓弾きや何人かの芸者(妓女)を呼び夜宴と相成った。岸壁に見かけた華奢な支那美人"含芳"が隣りに坐り、やがて、譚が女将から茶色に変色したビスケットを貰い、得意げにテーブルの上に置いた。それが、斬首された匪賊の頭目・黄六一の血を染みこませた、食べると"無病息災"になるといわれるビスケットだと講釈を始め、自分は医者だからそんな迷信は困るんだと言い訳しながら、僕に食べてみろと半分に割ったのを寄こす。結局、食べなかったものの、件の昼間モーターボートに乗っていた黄六一の情婦である玉蘭が躊躇いもせず、
「わたしは喜んでわたしの愛する・・・黄老爺(黄六一)の血を味はいます」
「あなたがたもどうかわたしのように、・・・あなたがたの愛する人を」
と答え、ビスケットをかじり始めた。
 帰途、同じ船の船室のテーブルの上に、前の客が忘れていった扇子が一本置いてあって、早速今回の滞在費を鉛筆で計算し始めた。

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 龍之介は、上海を中心にした中国南部よりも北部の首府・北京の方が気に入っていたようで、南部への齟齬と失望を瀧井折柴宛のハガキに次のように吐露している。
 
 『・・・長沙は湘江に臨んだ町だが、その所謂清湘なるものも一面の濁り水だ 暑さも八十度を越へてゐる バンドの柳の外には町中殆樹木を見ぬ 此處の名物は新思想とチブスだ 』

 上海や揚子江を遡った支流・湘江沿いの湖南の町々の、水墨画のような古色蒼然とした赴きのはずが(上海同様)洋風建築群に浸食されていたりしたその風物や大陸性の気候などが、体調今一の龍之介には一層堪え難く映ったのだろう。そして、それとは別に、「ここの名物は新思想とチブスだ」という箇所は注目に値する。"新思想"が名物なのだ。一般に有名で流布しているってことで、正にそのような町として"長沙"を特定し挙げている。
 更にもう一つ、時事新報社の佐々木茂索宛のハガキにこう認められている。 

 『・・・今日西湖見物の序に秋瑾女史の墓に詣でた 墓には【 鑑湖秋女侠之墓 】と題してある女史の絶命の句に曰【 秋風秋雨愁殺人 】 この頃の僕には蘇小々より女史の方が興味がある。』

鑑湖=紹興の湖で、紹興酒の原料としての良質の水としても有名。

 蘇小々は、中国南朝時代の銭塘の有名な歌妓らしく、そんな古色情緒たっぷりな文人的中国趣味なんかよりも、もっと現実的な颯爽とした革命女侠の方に関心が向いていたようだ。文人達に詠われてきた蘇小々の墓の方は定かではないけれど、斬首刑に処される何年か前には東京に留学していた女性革命家・秋瑾の墓には詣でたという。西湖は湖南ではないものの、上のハガキと併せて、旅先でのあてはずれや不本意はともかく、龍之介の中国南部の旅の真骨頂がその辺にあるらしい事は了解できる。

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 「廣東に生れた孫逸仙等を除けば、目ぼしい支那の革命家は、――黄興、蔡鍔、宋教仁等はいづれも湖南に生れてゐる。これは勿論曾國藩や張之洞の感化にもよつたのであらう。しかしその感化を説明する爲にはやはり湖南の民自身の負けぬ氣の強いことも考へなければならぬ。僕は湖南へ旅行した時、偶然ちよつと小説じみた下の小事件に遭遇した。この小事件もことによると、情熱に富んだ湖南の民の面目を示すことになるのかも知れない。・・・」 
                  《湖南の扇》(大正15年1月《中央公論》)

 孫文はじめ中国革命の雄たちの名を列挙し、如何にも曰くありげなプロローグから始まる、龍之介の化身たる"僕"の揚子江・湘江を遡った江南の都・長沙でのとある"小事件"の顛末記。
 湖南=長沙の名物=新思想(革命思想)の土壌=「湖南の民の自身の負けぬ氣の強いこと」、「情熱に富んだ湖南の民の面目」という単純な図式だけど、戦前の日本的教養の低層に確固として流れ続けていた支那(中国)趣味に巧くリンクした、《ポスト東京大震災》ともいうべき刻一刻と昏さを深めていく大正末の抑圧的時代閉塞的現状に対する龍之介風のアンチ・テーゼであったといえよう。ここでいわれる"情熱"とは、革命の実現への強い意志と激しい情熱以外の何ものでもあるまい。
 只、龍之介当人も零していたらしい彼のレベルからすれば"今一"の感は拭えない出来映えであっても、僕的には興味深い、それまでの神経質そうな芸術至上主義者のイメージが強かった芥川龍之介像の面目一新した短編だ。
 大正12年(1923年)月刊《文藝春秋》から巻頭を飾るようになった『侏儒の言葉』の【支那】の章に次のような言葉がある。

 「蛍の幼虫は蝸牛(かたつむり)を食う時に全然蝸牛を殺してはしまわぬ。いつも新しい肉を食う為に蝸牛をまひさせてしまうだけである。我日本帝国を始め、列強の支那に対する態度は畢竟この蝸牛に対する蛍の態度と選ぶ所はない」

 このパラグラフもつい最近知ったものだけど、明治維新以降一貫して大日本帝国が辿ってきた途の本質を衝いて実に端的。
 中国旅行から戻って以降、一層確信的になったようで、当時伸長著しかったプロレタリア文学にも好意的であったらしい。そもそもが、彼がまだ十代の頃、彼の実父が新宿(今の新宿2丁目あたり)で営んでいた牧場《耕牧舎》で牛乳配達の仕事をしていた久板卯之助に社会主義の手ほどきを受けていたという。久板卯之助といえば、社会主義者というより、関東大震災で甘粕等軍部に妻の伊藤野枝や幼児に近い甥の橘宗一と一緒に殺害された無政府主義者・大杉栄の主宰していた《 労働運動社 》のメンバーのアナーキストであった。
 さりとて、龍之介が社会主義者や革命主義者、とくに運動に係わっていたって話は聞いたこともなく、それらに理解を示しシンパシーを抱いた作家ってスタンスだったのだろうけれど、やはりその差は紙一重って感もなくにしもあらず。龍之介は龍之介のスタンスで自らの社会理想・思想の下に、益々暗澹・苛烈を極めはじめる精神的・物質的煩悶に身を焦がしながら、作品化していったのだろう。

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 プロローグでいう「小事件」とは、斬首された匪賊の首領・黄六一の血をひたした血ビスケットを、黄の愛人だった妓女・玉蘭が、愛情の証として食べたという出来事。「血ビスケット」とは、これは知る人ぞ知る女性革命家・秋瑾をモデルにした魯迅の《薬》にも出てくる「血饅頭」のアナロジーというより龍之介的変容というべきか。尤も、龍之介が魯迅の《薬》を読んだのかどうか定かではないけど、龍之介が中国旅行中に記した手帳には、こんな記述がある。

 「日清汽船の傍、中日銀行の敷地及税関と日清汽船との間に死刑を行ふ。刀にて首を斬る。支那人饅頭を血にひたし食ふ。 ━━ 佐野氏」

 必ずしも魯迅の《薬》に影響を受けての創作ではないことが窺われる。
 殊更強調された玉蘭の美しく且つ野性の象徴のような白い歯に噛まれ、咀嚼されるのが、柔らかい饅頭ではなく、固く、むしろ粉っぽくすらあるビスケットに替えられている。妓女が血饅頭を食べたとしても別に違和感はないにもかかわらず、龍之介がそれを敢えてそのまま使わなかったのは、彼の美意識のなせる業であったろうか。
 ビスケットは普通、整った白い歯を前提としたら、余り美的な食物とはいえず、逆にやっかいな代物。白い硬質な歯で柔らかい饅頭を噛む時、その柔らかな表皮に、動物的な歯がぐさりと喰い込み、引きちぎるのは正に"野性"という外にない。物語上、既に白い歯を野性と提示した故に、饅頭だと陳腐、その歯の野性をもっと際立たせるための人工の極まったような硬質なイメージのビスケットをもってきたのかも知れないし、又、むしろ野性に拮抗するような人工のビスケットを対置させることで野性を相殺しようとしたのか。
 けれどビスケットは、噛むともろく砕けてしまい、白い歯のあちこちに粉砕粉がこびりつき、その美しいはずの歯を汚してしまって、その美は損なわれてしまう。但し、それはあくまで即物的な純粋視覚的な面での問題であって、小説だとそのあたりの細部は捨象されてしまいはするが。
 血饅頭=旧態依然の因習と思想=前近代ではなく、舶来の=西洋近代の象徴としてのビスケットなのだろうか。
 勿論龍之介は安直な西洋近代主義者でもなく、そのビスケットに旧態の象徴としての斬首受刑者の鮮血をひたすという、西洋近代・科学と前近代的土俗性の短絡と溶融を謀って、その土俗信仰ともいえる本来の(民間)療法的自己回復・再生への願望を、新たな西洋近代的な地平の上での成就ってことを提示してみせたのだろうか。 

 生々しい斬首や血という、政治というものの中でのエロスとタナトスの供宴が、妓女と匪賊の頭目の愛情譚という表装の下に淡々と描かれていて、もう少し周到に作れていれば随分と面白いものに仕上がったのではないかと思われ、時間の不足を嘆いていたらし龍之介の不覚をも併せて、残念。

 尚、僕の同級生たる譚永年なる人物、1898年の《戊戌政変》の失敗の際、上記の"情熱"の権化の如く、敢えて逃亡を潔しとせず自ら"犠牲"となって有名な譚嗣同と日本に亡命し孫文等と革命運動に邁進した畢永年の名を組み合わせたもののようで、共に湖南人。
 Liu Gengyu 著 《 『湖南の扇』論  ━中国革命との関連をめぐって━ 》に黄六一をも含めて詳しい論考。ネットで見れる。
 
    《 大道寺信輔の半生・手巾・湖南の扇 》 芥川龍之介(岩波文庫)
         尚、『湖南の扇』だけなら、ネット文庫何種かあり。

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2013年4月 1日 (月)

《 孫悟空 》マーブル彫像 (旅先グッズ 2)

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 雲南省大理といえば、旧い甍の連なる町並み、その背後に聳える蒼山の峰峯と眼下に拡がるアルハイ湖、そしてその地名でもある大理石(マーブル)。
 もうかれこれ十年近くご無沙汰で、高速や鉄道(下関)すら通っていて一体どんな町に変貌してしまっているのか皆目見当もつかない。僕らが通っていた頃既に"俗化"が言われていたのだから、昆明の旧市街の伝でいけば惨澹たる結末ってことになるけれど、大理(旧市街)の住民達もそこまで愚かではないだろうという一縷の望みに期待する他ない。俗化されているといっても、一歩町並みから外れると、屋根瓦の上に雑草がびっしり生い茂ったりの嘗ての土塀の家並みが続いていて十分にその雰囲気は残っていた。中国でも好きな町の一つだ。サイト見ると、まだ定番「菊屋」は最近所謂中国式"珈琲庁"風に改装したようで健在だし、「太白楼」も中国人に人気があるようで結構なことだ。

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 ここのメインロードの入口近くにあった土産物街のある店の店頭に他の大理石グッズと一緒に並んでいて、丁度手頃の大きさと量産品の割には彫りが細部までしっかりした造りの彫像だったので、迷わずこの斉天大聖=孫悟空像を買った。大きさは10センチちょっと。風貌も品格すら漂っていて中々好い。ずっと自分の机のガラス戸棚の中に簡単にだが、気分はあたかも道教の異貌神=聖天大聖の如く祀ってあった。

 中国や東南アジアなんかでは、西遊記グッズ良い物があれば手に入れておこうと店先や奥の暗がりすら物色してみたりしても、ベトナムの陶製の豆西遊記一行人形くらいで意外と見つからない。唯一、バンコクのシーロムだったかのコンプレックス・ビルにあった骨董品とハンディー・クラフト両方を並べていた店の奥のショーウィンドーに、50センチぐらいの陶製の立派な聖天大聖像を見つけたことがあった。ガラス・ケースに「俺が孫様だ!」とばかりにふんぞり返っていて、すっかり気に入ってしまったものの、大きすぎて日本に郵送するしかなく、ガラスというのが何とも気にかかった。値段は貧乏旅行者でも買える価格。かなり迷った挙げ句ちょっと考えてみることにした。数日後、やっぱり安いのでこれを見逃す手はないとすっかりその気になって赴くと、「!!」ショーウィンドーの奥に天上天下唯我独尊・傲慢不遜にふんぞり返ったその姿はもはやなかった。誰かに買われてしまったに違いない。旅先で気に入ったものに出遭ったら必ずその場で手に入れないと駄目とはとっくに肝に銘じていたはずが・・・その後、二度とそんな一品に出遭うことはなかった。無念残念。

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( バンコクのある寺院に収まった斉天大聖像。ぼくが見つけたのはこんなキンキラではなかった。)


 結局上海の子供相手の駄菓子屋の店先に置いてある双六やトランプの類が精々であった。こんなものでも、日本では先ずお目にかかれないものばかりで、本場中国の、それもまだ現在ほどに物質的に豊かになっていなかった頃の子供達の伝統的なグッズだったのでそれはそれで興味津々で買い求めた。中国のテレビ・ドラマの西遊記一行の写真で作った些か高目のトランプも、たしかにオドロオドロしく一種の趣向ってところで悪くはないのだけど、やっぱり、駄菓子屋の店先に並んでいた如何にも安っぽい、印刷や絵柄、材質が何ともいえぬ味わいの「金猴王」が捨てがたい。


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