« 《 孫悟空 》マーブル彫像 (旅先グッズ 2) | トップページ | 花嫁は棺の上にのって 『A.M 3 ルアン・ホー・コン・ターイ』 »

2013年4月 7日 (日)

湘江を遡ると美女神と革命の原郷に至る 《湖南の扇》 芥川龍之介

Photo

 大正10年の龍之介の中国行は、その最初から、つまり、門司港から筑後丸に乗る以前から、そして乗船し、玄界灘に出、上海へ着いた後も、これでもかこれでもかと病に苛まれ続けた病苦と不本意の正に苦心惨憺-旅ともいうべきものであった。
 そもそもが彼の"支那趣味"に端を発したその願望成就としての中国行ではあったが、それは又、後年"自死"へと帰結する、死に至る病と引き換えるに等しいものでもあったようだ。とりわけ情人・秀しげ子との関係が疎ましいものになって、逃げるように中国行に赴いたような話もあって、病をおしての中国行ってのがいよいよ生臭く、『人生は地獄よりも地獄的である』(侏儒の言葉)なんて厭世的な彼の代表的フレーズも何とも即物的な色合いを呈したものとなってくる。

 この短編の大まかなストーリーは、長沙を湘江を日清汽船の船で遡って訪れた僕は、デッキで出迎えの人物を待っている間、岸壁の出迎え人達の向こうの葉柳の傍に佇んだ一人の支那美人が扇子を半開きかざし船上の誰かに合図しているらしいのを目撃する。出迎えは来ず、代わりに東京に留学していた同級生の譚永年が現れる。
 翌々日、彼に従って、嶽麓観光のためモーター・ボートで川を疾走していると、反対方向からモーターボートが現れ、すれちがいざま、譚永年がそれに乗っていた妓女の一人を、先日斬首刑になった五人の内の一人、匪賊の頭目・黄六一の情婦だと教える。
 その日の夜、譚と一緒にある妓館に向かい、鼓弓弾きや何人かの芸者(妓女)を呼び夜宴と相成った。岸壁に見かけた華奢な支那美人"含芳"が隣りに坐り、やがて、譚が女将から茶色に変色したビスケットを貰い、得意げにテーブルの上に置いた。それが、斬首された匪賊の頭目・黄六一の血を染みこませた、食べると"無病息災"になるといわれるビスケットだと講釈を始め、自分は医者だからそんな迷信は困るんだと言い訳しながら、僕に食べてみろと半分に割ったのを寄こす。結局、食べなかったものの、件の昼間モーターボートに乗っていた黄六一の情婦である玉蘭が躊躇いもせず、
「わたしは喜んでわたしの愛する・・・黄老爺(黄六一)の血を味はいます」
「あなたがたもどうかわたしのように、・・・あなたがたの愛する人を」
と答え、ビスケットをかじり始めた。
 帰途、同じ船の船室のテーブルの上に、前の客が忘れていった扇子が一本置いてあって、早速今回の滞在費を鉛筆で計算し始めた。

Photo_4
 

 龍之介は、上海を中心にした中国南部よりも北部の首府・北京の方が気に入っていたようで、南部への齟齬と失望を瀧井折柴宛のハガキに次のように吐露している。
 
 『・・・長沙は湘江に臨んだ町だが、その所謂清湘なるものも一面の濁り水だ 暑さも八十度を越へてゐる バンドの柳の外には町中殆樹木を見ぬ 此處の名物は新思想とチブスだ 』

 上海や揚子江を遡った支流・湘江沿いの湖南の町々の、水墨画のような古色蒼然とした赴きのはずが(上海同様)洋風建築群に浸食されていたりしたその風物や大陸性の気候などが、体調今一の龍之介には一層堪え難く映ったのだろう。そして、それとは別に、「ここの名物は新思想とチブスだ」という箇所は注目に値する。"新思想"が名物なのだ。一般に有名で流布しているってことで、正にそのような町として"長沙"を特定し挙げている。
 更にもう一つ、時事新報社の佐々木茂索宛のハガキにこう認められている。 

 『・・・今日西湖見物の序に秋瑾女史の墓に詣でた 墓には【 鑑湖秋女侠之墓 】と題してある女史の絶命の句に曰【 秋風秋雨愁殺人 】 この頃の僕には蘇小々より女史の方が興味がある。』

鑑湖=紹興の湖で、紹興酒の原料としての良質の水としても有名。

 蘇小々は、中国南朝時代の銭塘の有名な歌妓らしく、そんな古色情緒たっぷりな文人的中国趣味なんかよりも、もっと現実的な颯爽とした革命女侠の方に関心が向いていたようだ。文人達に詠われてきた蘇小々の墓の方は定かではないけれど、斬首刑に処される何年か前には東京に留学していた女性革命家・秋瑾の墓には詣でたという。西湖は湖南ではないものの、上のハガキと併せて、旅先でのあてはずれや不本意はともかく、龍之介の中国南部の旅の真骨頂がその辺にあるらしい事は了解できる。

Photo_5


Photo_6



 「廣東に生れた孫逸仙等を除けば、目ぼしい支那の革命家は、――黄興、蔡鍔、宋教仁等はいづれも湖南に生れてゐる。これは勿論曾國藩や張之洞の感化にもよつたのであらう。しかしその感化を説明する爲にはやはり湖南の民自身の負けぬ氣の強いことも考へなければならぬ。僕は湖南へ旅行した時、偶然ちよつと小説じみた下の小事件に遭遇した。この小事件もことによると、情熱に富んだ湖南の民の面目を示すことになるのかも知れない。・・・」 
                  《湖南の扇》(大正15年1月《中央公論》)

 孫文はじめ中国革命の雄たちの名を列挙し、如何にも曰くありげなプロローグから始まる、龍之介の化身たる"僕"の揚子江・湘江を遡った江南の都・長沙でのとある"小事件"の顛末記。
 湖南=長沙の名物=新思想(革命思想)の土壌=「湖南の民の自身の負けぬ氣の強いこと」、「情熱に富んだ湖南の民の面目」という単純な図式だけど、戦前の日本的教養の低層に確固として流れ続けていた支那(中国)趣味に巧くリンクした、《ポスト東京大震災》ともいうべき刻一刻と昏さを深めていく大正末の抑圧的時代閉塞的現状に対する龍之介風のアンチ・テーゼであったといえよう。ここでいわれる"情熱"とは、革命の実現への強い意志と激しい情熱以外の何ものでもあるまい。
 只、龍之介当人も零していたらしい彼のレベルからすれば"今一"の感は拭えない出来映えであっても、僕的には興味深い、それまでの神経質そうな芸術至上主義者のイメージが強かった芥川龍之介像の面目一新した短編だ。
 大正12年(1923年)月刊《文藝春秋》から巻頭を飾るようになった『侏儒の言葉』の【支那】の章に次のような言葉がある。

 「蛍の幼虫は蝸牛(かたつむり)を食う時に全然蝸牛を殺してはしまわぬ。いつも新しい肉を食う為に蝸牛をまひさせてしまうだけである。我日本帝国を始め、列強の支那に対する態度は畢竟この蝸牛に対する蛍の態度と選ぶ所はない」

 このパラグラフもつい最近知ったものだけど、明治維新以降一貫して大日本帝国が辿ってきた途の本質を衝いて実に端的。
 中国旅行から戻って以降、一層確信的になったようで、当時伸長著しかったプロレタリア文学にも好意的であったらしい。そもそもが、彼がまだ十代の頃、彼の実父が新宿(今の新宿2丁目あたり)で営んでいた牧場《耕牧舎》で牛乳配達の仕事をしていた久板卯之助に社会主義の手ほどきを受けていたという。久板卯之助といえば、社会主義者というより、関東大震災で甘粕等軍部に妻の伊藤野枝や幼児に近い甥の橘宗一と一緒に殺害された無政府主義者・大杉栄の主宰していた《 労働運動社 》のメンバーのアナーキストであった。
 さりとて、龍之介が社会主義者や革命主義者、とくに運動に係わっていたって話は聞いたこともなく、それらに理解を示しシンパシーを抱いた作家ってスタンスだったのだろうけれど、やはりその差は紙一重って感もなくにしもあらず。龍之介は龍之介のスタンスで自らの社会理想・思想の下に、益々暗澹・苛烈を極めはじめる精神的・物質的煩悶に身を焦がしながら、作品化していったのだろう。

Photo_2
 
 プロローグでいう「小事件」とは、斬首された匪賊の首領・黄六一の血をひたした血ビスケットを、黄の愛人だった妓女・玉蘭が、愛情の証として食べたという出来事。「血ビスケット」とは、これは知る人ぞ知る女性革命家・秋瑾をモデルにした魯迅の《薬》にも出てくる「血饅頭」のアナロジーというより龍之介的変容というべきか。尤も、龍之介が魯迅の《薬》を読んだのかどうか定かではないけど、龍之介が中国旅行中に記した手帳には、こんな記述がある。

 「日清汽船の傍、中日銀行の敷地及税関と日清汽船との間に死刑を行ふ。刀にて首を斬る。支那人饅頭を血にひたし食ふ。 ━━ 佐野氏」

 必ずしも魯迅の《薬》に影響を受けての創作ではないことが窺われる。
 殊更強調された玉蘭の美しく且つ野性の象徴のような白い歯に噛まれ、咀嚼されるのが、柔らかい饅頭ではなく、固く、むしろ粉っぽくすらあるビスケットに替えられている。妓女が血饅頭を食べたとしても別に違和感はないにもかかわらず、龍之介がそれを敢えてそのまま使わなかったのは、彼の美意識のなせる業であったろうか。
 ビスケットは普通、整った白い歯を前提としたら、余り美的な食物とはいえず、逆にやっかいな代物。白い硬質な歯で柔らかい饅頭を噛む時、その柔らかな表皮に、動物的な歯がぐさりと喰い込み、引きちぎるのは正に"野性"という外にない。物語上、既に白い歯を野性と提示した故に、饅頭だと陳腐、その歯の野性をもっと際立たせるための人工の極まったような硬質なイメージのビスケットをもってきたのかも知れないし、又、むしろ野性に拮抗するような人工のビスケットを対置させることで野性を相殺しようとしたのか。
 けれどビスケットは、噛むともろく砕けてしまい、白い歯のあちこちに粉砕粉がこびりつき、その美しいはずの歯を汚してしまって、その美は損なわれてしまう。但し、それはあくまで即物的な純粋視覚的な面での問題であって、小説だとそのあたりの細部は捨象されてしまいはするが。
 血饅頭=旧態依然の因習と思想=前近代ではなく、舶来の=西洋近代の象徴としてのビスケットなのだろうか。
 勿論龍之介は安直な西洋近代主義者でもなく、そのビスケットに旧態の象徴としての斬首受刑者の鮮血をひたすという、西洋近代・科学と前近代的土俗性の短絡と溶融を謀って、その土俗信仰ともいえる本来の(民間)療法的自己回復・再生への願望を、新たな西洋近代的な地平の上での成就ってことを提示してみせたのだろうか。 

 生々しい斬首や血という、政治というものの中でのエロスとタナトスの供宴が、妓女と匪賊の頭目の愛情譚という表装の下に淡々と描かれていて、もう少し周到に作れていれば随分と面白いものに仕上がったのではないかと思われ、時間の不足を嘆いていたらし龍之介の不覚をも併せて、残念。

 尚、僕の同級生たる譚永年なる人物、1898年の《戊戌政変》の失敗の際、上記の"情熱"の権化の如く、敢えて逃亡を潔しとせず自ら"犠牲"となって有名な譚嗣同と日本に亡命し孫文等と革命運動に邁進した畢永年の名を組み合わせたもののようで、共に湖南人。
 Liu Gengyu 著 《 『湖南の扇』論  ━中国革命との関連をめぐって━ 》に黄六一をも含めて詳しい論考。ネットで見れる。
 
    《 大道寺信輔の半生・手巾・湖南の扇 》 芥川龍之介(岩波文庫)
         尚、『湖南の扇』だけなら、ネット文庫何種かあり。

|

« 《 孫悟空 》マーブル彫像 (旅先グッズ 2) | トップページ | 花嫁は棺の上にのって 『A.M 3 ルアン・ホー・コン・ターイ』 »

旅行・地域」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事