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2013年8月 3日 (土)

川の向こうはもうミャンマー タイ北部 "メー・サイ"( 3 )

Myanmer_yangon_2

 (ミャンマー・ヤンゴン市内 今は随分と小綺麗になっていると思うが・・・クリック拡大)


 以前" キャピトル・レストラン (2) "の項で、風俗好きの元学校教師の話に触れたけど、ここで再び彼と遭遇。川沿いの通りにある"ミニ・マート"で、椰子の幹からとった瓶入のジュース(以前、インドネシアのボロブドールで採取している現場でご馳走になったことがあって、フレッシュで中々美味だった)を買って戻ろうとしたら、前の石造りのテーブルに坐ってた彼に声をかけられた。大通り近辺の中国系宿の250バーツの部屋に泊まっているという。心も体調も絶好調といわんばかりに、ケタケタとよく笑った。タイに来てタイ食を毎日食べるようになって、長年悩んでいたらしいフケがピタッと止まったとタイ食の健康性をアピールすることしきり。
 その内、半年もタイ語の勉強を余りにハードにやり過ぎもうタイ文字を見るのも厭になったと嘆き、折良く、そのタイ語学校の日本人の日本語教師が帰国してしまってそれを口実に三ヶ月近くタイ語の勉強を放棄したままという。その流れの上でのこのメーサイ滞在のようで、その解放感を満喫しているのだろう。
 それでも、近々日本に戻って大学院の試験を受け、院生生活からそのまま大学職員の仕事に就くような口吻。再び教員生活に舞い戻る可能性を厭ってか、その試験に余り受かりたくない風でもあった。しまいにはタイかバリ(インドネシア)に住みたいと明かし、ぼくが、だったら試験なんて受ける必要ないじゃないかと言うと、そうもいかないような曖昧な表情を浮かべた。彼にとっても中々に、ままならぬ現実のようだった。後日、バンコクに戻る前日も、日本には帰りたくないと幾度も繰り言し続けた。
 彼とは、橋とは逆の"リバーサイド・ゲストハウス・レストラン"で時折一緒になると、メーサイ川縁のテーブルに坐り、寒さが堪えきれなくなるまで駄弁り続けた。


Myanmer

         ( ミャンマー・パガンの露店 )


 何しろ狭いメーサイ、昼間は昼間で、橋のボーダーの鉄柵で互いに行き来している人々や一回5バーツで写真のモデルをするために屯( 多い時で10数人 )しているミャンマー小娘たちを"見学"してると、彼も現れた。彼の方がもっと以前からここに滞在してて、小娘たちとも仲が良く、何かとからかったりしていたものだ。教師だったのでそのあたりの呼吸を心得ていたのだろう。
 しかし、小娘たち、実際には生活者でもあって、外人旅行者の都合に沿うような"お淑やか"娘たちではなかった。コンビニのコーラのストローをいつもくちゃくちゃ噛みながら、ガイドが連れてくる団体が5バーツかそれ以上の料金を払ってくれるのなら、しおらしくもしてようが、そうでないと見ると鉄柵から口にしていたストローで追い払うように、"ゴーッ!、ゴーッ!"とファラン(白人)の上品ぶったおばさんなんかに悪態をついた。「オーッ!」と驚きの声をあげておばさん、何て娘たちなんでしょう! とばかり憮然とした顔をして立ち去って行く、その姿が、又、彼女たちには、悪戯としての楽しみなんだろう。
 ある時、タイ側のポリスが、どんなルートでもたらされたものか定かでないが、食物を彼女たちに、数度にわたって手渡したことがあった。早速小娘たちの奪い合いが展開され、母親らしき女性が怒鳴っても誰も聞く耳持ちあわせず、最後まで騒動は続つづいた。確かに、バイタリティーに溢れ、逞しくはあった。
 
 この橋の袂(たもと)の"リバーサイド・レストラン"と、宿の先にある"リバーサイド・ゲストハウス・レストラン"から対岸の光景がよく見え、双眼鏡を駆使しながらよく観察したものだった。両方ともそんなに距離は離れていないのだけど、対岸の光景は随分と異なっていた。やはり、橋側の方が人の行き来も頻繁な繁華なエリアで、もう一方は本来の高床式茅葺き生活エリア。
 橋側の対岸には、橋の左側に寺院があって、そこから橋に伸びたオレンジ色の陸橋の下に茶店があって、インド系のミャンマー人がポットからグラスに茶を注ぎ食事している光景とか、サロン(腰巻き)をまとった分厚い顎髭をのばしたイスラム系のインド系とか色んなミャンマー人の人生模様が覗け、色々なイマジネーションを掻き立てたりした。
 中には、中国・雲南の省都・昆明の橋の上でも目撃したのと同様の光景も展開されていた。橋の向こうミャンマー側から、工事現場用のピッカ、ピッカの真新しいヘルメットを被った三人組がやってきて、橋の上(ミャンマー側)で露店を開いていた人達に立ち退きを命じはじめた。恐らく、私服のポリスなのだろう。かなり強行・威丈高で、ビニール袋に収めていた商品を川の中に放り捨てた。昆明じゃ、サイドカー付きのバイクで走り込んできて止まり、制服のポリスたちが怒鳴りつけながら、逃げ遅れたおばさんの商品なんかを盤龍川の真下に次々に放り捨てていた。何処も国家権力のやることは似たり寄ったり。
 あっという間に、ミャンマー側の橋の上から露店商の姿は消えてしまった。
 そして、暫くすると、再び何事もなかったように、元の場所に露天商が戻ってきて、普段の佇まいに帰って行った。昆明然り。


Menu_of_rsr_1999

 
 "リバーサイド・ゲストハウス・レストラン"の方だと、対岸に展開される光景ももっとローカルなのんびりとしたものに変わる。川岸にもこちら側との往来用に使われるものもあるが、時々長い竹筏が川下に向かって下って行くことがあった。黒服の腰に山刀を差した精悍な顔つきの船頭が、長い竿で操作しながら下って行く光景は珍しく感心して見送ったものだ。長い隊列を作って下って行くのは、意外にもベトナムの中部フエの街中の川で見かけたことがある。ラオス国境あたりの山岳から降りてきたのだろうか。この辺りも、ラオスは近い。
 前日も渡っていたグリーンのベレー帽に黄色いマフラーを巻いた男が、今朝も自転車を筏に乗せて、青い紐式のショルダーバッグを背負ってこちら側(タイ)渡ってくる。毎日通っているのだろうが、腰まで浸かってやってくるおばさんやプラスチックの洗面器に物を乗せ、半身浸かりながら渡ってくる親爺さん等、地元民はちょっと先にある橋のボーダー=通関を通らず、そこら辺から往来している。タイ側で仕事や買物をして夕方戻って行くのだろう。微笑ましい光景だ。


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