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2013年8月の4件の記事

2013年8月31日 (土)

 アベノミクス的凋落 門司港

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 結局、40℃世界突入に至らなかった今年の夏、それでも定番の門司港チェックでは、AKB指原莉乃の総選挙の意表をついただんとつ一位のインパクトには及ばないものの、身の丈に合った、それなりの変化が、しかし、頻発していた。
 
 長年" 国際港 "の真後ろに曖昧に佇みつづけてきた旧税関倉庫が、今夏漸くリニューアル・オープンしその全貌を露わにした。岸壁に沿った細長い建物は、《旧大連航路上屋》と命名され、貸ホール・貸室がずらり並んだ二階立て。一階に、おざなりな船舶関係の展示、奥のかなり広いスペースを占めた映画好きの主催者の映画関係の蒐集物の展示があって、二階は旧大連の写真展。自分たちの手に余る今時大きな箱物を作ってしまっての、とりあえずの穴埋策ってところだろうが、ともかく、発想が陳腐。所詮悪名高い"第三セクター"的亡国的末路。最近じゃー、" アベノミクス "なんて横文字を使うらしい。

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 かてて加えて、この町のレトロ・エリアのシンボルでもあるらしい、現代イタリア風の"門司港ホテル"も、とっくに売却案が出ているとか。売却先候補のトップが、大阪の企業らしく、この町の小高い山頂にポツンと建てられた黄金に輝くミャンマー寺院=パゴダ(仏塔)の近くにあった国民宿舎跡地にホテルを建設予定している企業でもあって、これが債務超過企業ってことで、一向に進展のない泥沼状態のようだ。これって、嘗て、仰々しく国際港を銘打った割にはプレハブ・カスタムだった、その上、更に醜名をほしいままにした前代未聞の《たった半年間の国際フェリー》の顛末を思い出す。大概にして欲しいものだ。

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  ( リニューアル・オープンした旧大連航路上屋 )


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    ( 解体される「朋友」旧館 )

 そもそもが日緬友好の一環だったらしい、めかり山頂のそのパゴダも日本側がいよいよ破綻してきて、ミャンマー側で支えているって話しを何処かで聞いて呆然としてしまった。
 ミャンマーって、軍政ってこともあるが、ラオスと並んで開発途上国の代表格の一つであることには間違いなく、そんな国が一方的に財政を支えねばならないとは、飽食・贅沢大国としてアジアに冠たる先進国を自称してきた割には、何ともさもしい限り。
 戦時中、ミャンマーで戦死した日本兵たちの霊をも祀っているともいわれていたらしいのが、遺族や軍人会メンバーたちの年々の老齢化と死去そして自民党半世紀支配の産物=底なし万年不況によって、いよいよ生き残った高齢者たちの経済力が衰微してしまって、後は幕末の激戦地・田野浦の某神社の如く廃墟と化してしまいかねなくなったのを、ミャンマー側の財政支援で何とか持ちこたえているようだ。

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 門司港レトロの売りの一つでもある門司港駅舎の大がかりな改修工事と歩調を合わせたように、とうとう藤原新也の指定麺館《朋友》の旧館が、業者によって取り壊されてしまった。自然崩落する可能性も高かった旧館、中々に大正・昭和初期の香りが捨てがたく、ぼくの好きな建物の一つだったが、実に残念。既に、鉄筋の新館に移って久しく、全部崩してしまった後で、旧館の佇まいそのままに再建するってことはありえないだろう。
 オリジナル新也指定麺館《萬龍》の方も、建物自体、かなり老朽化していて、些か気になる。こっちは一回り建物も大きく、座敷童や中国妖怪でも潜んでいそうな昼尚暗い趣きの座敷席も味わい深い。ぼくが、この店で気に入っているのは、割り箸の紙袋にひっそりと記してある一句。
 
 借間酒家何処有
 牧童遥指杏花村

 これは、晩唐の詩人・杜牧の《清明》の中の後半部分で、盆と花見を兼ねたような、先祖の墓参りしそこでご馳走を楽しんだりする中国の清明節(春)の時節のある細雨篠つく日の点景らしく、その前に、次の句が先行する。

 清明時節雨粉粉
 路上行人欲断魂

 杏花村というフレーズからも桃源郷の甜い匂りが漂ってきて、何とも悠々とした水墨画の世界を想わせる。  
 そういえば、以前このブログの《 廃れゆく町 門司港 》で紹介した旧赤線の面影の残る錦町の路地裏、三階建ての旧い建物が連なっていたのが、殆ど壊されるか改修されて只の普通の民家になってしまって、なけなしのレトロすらいよいよ壊滅的。

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  ( まず本格的な足場から造った一大補修工事中の門司港駅 )

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2013年8月24日 (土)

屍鬼的猛駆 ワールド・ウォーZ(2013)

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 封切り土曜日(10日)の初回に観にいった。
 昼前の初回上映で、客はマアマアの入りだったけど、子供の姿が全くなくて、あれ? この映画って子供が観れない"レート"なのかと思い、ああやっぱりゾンビー映画でエグイ場面もあるからなのかって勝手に納得して、後でネットで調べてみたら、" G 指定 "、つまり" 制限無し "ってことだった。同じ映画コンプレックス内には親子連れで溢れていたけれど、単にこの" ワールド・ウォーZ "の上映館には入ってなかったというだけ。ぼくが観たのは"2D"と"3D"の内、普通の上映形式の"2D"だったからかも知れないが、三百円も高い方に皆流れるってのも考えられない。他の上映館で"パシフィック・リム"や"ローン・レンジャー"なんかも上映してたので、そっちに流れたのかも知れない。" ワールド・ウォーZ "の客の年齢・性別は種々雑多だった。

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 やはり大きな劇場の画面で観ると迫力と臨場感が違う。
 国内の普通の映画館じゃスクリーンの大きさ知れてるけど、嘗て、その場所は忘れてしまったが、インドのある映画館、どちらかといえば些かの旧さすら感じさせる佇まいで、ともかく、スクリーンを目一杯広く取っていた。上映映画は《 テルマ & イズー 》、アメリカの広い曠野が、本当に迫力もって拡がっていた。国内の映画館ではまず覚えたことのない迫力に、感動すら覚えた。スクリーンの大きさで、こうも違うものなのかってつくづく感心させられ、家のテレビやワイド型のパソコン・モニターじゃ、幾ら高精度画面であっても
その迫力と臨場感は知れている。そこが映画館で観るのと、ビデオで観るのとの決定的な違いだろう。だから、ビデオだけ観て、その映画をあれこれ評したり論じたりするのも限界がある。
 この映画も、しかり。
 ビデオじゃ面白さ半減。後は、ストーリーとかシナリオとか彩度ってところで、喋々するしかないのだろう。かと言って、南西辺境州辺りじゃ、上映される映画って知れているし、結局レンタルってことになってしまう。

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             (クリック拡大) 

 予告編は観たが、殆ど事前情報なしに劇場で観て、やっぱし街中や都市を俯瞰したスペクタクル・シーンは中々のもので、感心させられた。つまり、専らアクション・シーンってことで、それ以外は、皆、何処かで見覚えのある断片ばかりで、もはや《 ゾンビー映画 》の定番ともいうべき標準的要素=記号のオン・パレード。只、それを巧く独自の粉飾を施し、演出していて陳腐感はない。
 唯一、終幕のシークエンスが難点。
 " 続編 "をこれ見よがしに臭わせているのだろうけど、余りに中途半端。続編に続けたいのなら、それはそれでちゃんとけじめをつけて完結してほしいものだ。昨今の、結末造りの面倒臭さをそれで誤魔化そうとする傾向が、もはやハリウッドの定番と化してしまってるのだろうか。

 それにしても、原作じゃオーソドックスな鈍い足取りのゾンビーたちのようだけど、この映画じゃ、疾駆し、集団暴走し、高い塀すら怒涛の如くよじ登ってゆくそのダイナミズムには、もはや人間性を失った" 集団狂気 " =" 狂犬の大軍 "って意味ありげな表象ともども、暗い座席で思わず固唾を呑んでしまった。人によっては狂駆するゾンビーたちに我が身を仮託する者も居るのだろうが、ぼくは専らスピード系の悪夢の如く、押し寄せるゾンビーたちに追われまくるブラッド・ピットの背に自身を投影してしまった。
 このゾンビーの大軍が高い塀の上を波状に乗り越えを試行錯誤する場面って、南インド映画の雄"スーパー・スター"ラジーニ・カントの《 ロボット 》(2010年)を想起したのは、ぼくだけじゃあるまい。あの荒唐無稽さ、そしてその執拗さには感心させられてしまったけど、あれをもう少しハリウッド的に洗練したのが、狂えるゾンビーの大軍の、マス・ゲームを一歩も二歩も発展させた狂躁ってところだろう。

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 ブラッド・ピッド扮する元国連職員の主人公ジェリーが、国連次官に緊急招聘されることになっての活躍だけど、ソダーバーグのパンデミット・ホラー《 コンテイジョン 》でのWHOと似たり寄ったりの設定。ゾンビー映画って、元祖ロメロの《 ゾンビー : ドーン・オブ・ザ・デッド 》(1978年)からして正にそうだったように元々パンデミック( 世界的感染 )映画でもあった。
 医学者でもない元・国連職員、それもパージされていたジェリーが、国連指定の青年医学者が原因究明のため韓国に向かうのに同行し、彼をサポートする、かなり重要な任務に強制的につかされてしまう。ゾンビーの群れから逃げ延びた先の海上の空母から彼の家族が陸地に戻されてしまうと脅迫され、しぶしぶに。
 が、韓国に航空機で着いた途端、頼みの医学者は頓死。もはや戻る時間的余裕もなく、ジェリーがそのまま任務を続行する。韓国から更にあっちこっち世界を駆け巡り、その過程でゾンビーたちに" 襲われない人間 "の存在に気づき、それが既に致死性つまり" 死に至る病 "に罹っているために、ゾンビーたちに嫌われ襲われずに済んでいるのではないかと推論し、様々な致死性の疾病の病原体をゾンビーと化していない人間たちに注入するという手立てを考える。生き残った医学者たちも賛同し、事の成り行きで、ジェリー自身にその病原体を注入することとなる。で、結果は、つい先っきまで憎悪剥き出しに吠え立てていたゾンビーたちが、するりと彼の脇を通り抜けてゆくばかり。とりあえず、人類は、終末的災厄を免れることができた・・・
 「これで終わったわけではない・・・」
 と、ジェリーが意味ありげに呟いて後、何が何だか急に曖昧になり、不消化なまま映画は終わる。幾ら続編をほのめかしたいからといって、せっかく面白くできていたものを。肝心の最後がどうも・・・って作品、続編がらみでなくとも決して少なくない。

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2013年8月11日 (日)

  幻視する聖処女  ジャンヌ・ダルク

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 ( ルーアンの処刑台前のジャンヌ  クリック拡大)

 カール・テオドール・ドライヤー監督の《 裁かるるジャンヌ 》(1928年)は、侵略者英国軍に囚われてから、焚刑(火あぶり)に処されるまでの、正にイエス・キリストがゴルゴダの丘で十字架上で磔刑に処されたのと同様の、文字通りの受難劇=パッションそのものだったが、このリュック・ベンソン監督の《 ジャンヌ・ダルク 》は、スペクタクルを全面に押し出したエンターテイメント性の強い作品になっている。
 オルレアンの聖処女=ジャンヌ・ダルクが、生地ルーアン地方のドンレミでの少女時代に体験した奇蹟から、王太子シャルル( シャルル七世 )に謁見し啓示( 実際には、大天使ミカエルの声ってことになってるらしい )の内容を伝え、フランス軍を率いて、英国軍に占拠されていたオルレアンを奪回した。ところが、尚も英国をフランスから完全に追い出そうと戦争続行を唱えるジャンヌを、そのお陰で戴冠できたシャルルが裏切り、英国軍の手に落ちたジャンヌは"異端裁判"にかけられてしまい、ついには異端=魔女(史実的には、魔女・背教者・異端者・偶像崇拝者・涜神者等々の英国軍の傀儡=司教ピエール・コーション一派の教会側のつけたい放題の罪状だったらしい)として火刑に処されてしまう。体良く、ジャンヌは、シャルル七世たちに利用された聖処女=救国の英雄に過ぎなかったという訳だ。

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 幻視という些かシュールな事象を、ダスティー・ホフマン演じる黒衣の幻影はじめ、ジョン・ブアマンの《 エクスカリバー 》(1981年)を彷彿とさせるイマジネーティヴな場面ともども、余り凝った映像表現に淫することなく、スムーズに処されていて、結構面白く作られている。現代風のスペクタクルって面で、"戦の女神"でもあったジャンヌ役に、鋭い眼差しのミラ・ジョボヴィッチは、うってつけだったろう。甲冑姿もよく似合ってる。


 ぼくが一番気に入っている場面は、冒頭の、生地ドンレミ村の田園地帯を、信仰心篤く幸せに満ちた少女ジャンヌが、溢れる喜びにかられるように駈け巡るシークエンス。
 野原を走り、小川を突っ切り、とある草地に倒れ込み仰向けになって、白雲が流れ晴れ渡った大空を見上げる。と、突如、何か意識に変容でも起こったように、雲の流れが信じられないくらいに速くなり、教会の鐘の音が鳴り響き、見慣れぬ少年の横顔が過(よ)ぎる。そして、彼女の名を呼ぶ声が・・・ふと、気づくと、すぐ傍らに、銀色に輝く長剣が一振り転がっていた。
 それが所謂ジャンヌ・ダルクの奇蹟の一瞬なのだろう。
 そして、その雰囲気は、ジョン・ブアマンの《 エクスカリバー 》にも似て、中世の神秘的説話に満ちた《 アーサー王物語 》にまで連なってゆく。
 《 アーサー王物語 》は、英国内に留まるものでなくて、ドーバー海峡を越え、フランスにも及んでいる。かの円卓の騎士の一人ランスロットも、出自はフランスという。その、いかにもいわくありげな、神秘の剣エクスカリバーかと見まがうような撮り方が好い。( ランスロットだと秘剣アロンダイトらしい )

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 シャルル七世と敵対していたブルゴーニュ派捕らわれ、英国軍に売り渡されて、ルーアンのル・ヴルイユ城砦の塔に幽閉されたジャンヌ、その仄暗い牢獄で不意に現れたダスティー・ホフマン演じる黒衣の男を幻視するようになる。専ら、ジャンヌの矛盾を追及する心優しい審問官の如く。
 件の長剣も問われ、ジャンヌは神意=奇蹟として、正にジャンヌの傍らに"現れ"たのだと了解してきたのが、黒衣の男は、戦闘中に弾かれ飛んできたものから、騎士が途中で放り捨てたものまで、あらゆる可能な由来を映像化してみせる。様々な考えられる無数の可能性の中から、お前( ジャンヌ )がそれ「 神意=奇蹟という由来 」を選んだに過ぎないのじゃないか、と。ジャンヌは、唯だ、絶句するしかなかった。

 やがて、処刑直前、牢内に再び黒衣の男が現れる。
 映画の中で、ジャンヌが求めてもその機会を与えられなかった、信仰心篤いジャンヌの日々の糧ともいえる" 懺悔 "を、最後に彼が執り行ってくれた。ジャンヌの告白が済むと厳かに彼が囁いた。
 
 「心の準備は出来たか」
 
 「はい」
 
 「よろしい」
 
 背後に回り、ジャンヌの頭に優しく掌を置く。

 「汝の罪を許す」
  
 そして、一人昂然と、ジャンヌは、英国兵や群衆が待ちかまえる、蒔きを山と積み上げた焚刑場へと歩み始める・・・

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 ジャンヌを焼いた灰は、セーヌ川に流されたという。偶像化=英雄化を恐れて、英国軍が謀ったものらしい。
 異民族支配からの祖国解放・救国の英雄=奇蹟の聖処女ってところで、西欧史に燦然と輝いているジャンヌ・ダルクだけど、それは比較的最近、近代国家が成立する頃の19世紀に入ってから"愛国の英雄"として再評価されてからのことらしい。それも、それぞれの政治的立場に則ってその偶像化=シンボル化されたものとして。
 洋の東西を問わず、歴史の舞台にのぼった女傑って少なくはなく、総じて悲劇のヒロインであることも多い。それが一層、暗い歴史の間で紅蓮の焔を燃え上がらせ、神秘的寓意的な意匠をほどこされ、数多の説話・伝説を生み出してゆく。


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2013年8月 3日 (土)

川の向こうはもうミャンマー タイ北部 "メー・サイ"( 3 )

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 (ミャンマー・ヤンゴン市内 今は随分と小綺麗になっていると思うが・・・クリック拡大)


 以前" キャピトル・レストラン (2) "の項で、風俗好きの元学校教師の話に触れたけど、ここで再び彼と遭遇。川沿いの通りにある"ミニ・マート"で、椰子の幹からとった瓶入のジュース(以前、インドネシアのボロブドールで採取している現場でご馳走になったことがあって、フレッシュで中々美味だった)を買って戻ろうとしたら、前の石造りのテーブルに坐ってた彼に声をかけられた。大通り近辺の中国系宿の250バーツの部屋に泊まっているという。心も体調も絶好調といわんばかりに、ケタケタとよく笑った。タイに来てタイ食を毎日食べるようになって、長年悩んでいたらしいフケがピタッと止まったとタイ食の健康性をアピールすることしきり。
 その内、半年もタイ語の勉強を余りにハードにやり過ぎもうタイ文字を見るのも厭になったと嘆き、折良く、そのタイ語学校の日本人の日本語教師が帰国してしまってそれを口実に三ヶ月近くタイ語の勉強を放棄したままという。その流れの上でのこのメーサイ滞在のようで、その解放感を満喫しているのだろう。
 それでも、近々日本に戻って大学院の試験を受け、院生生活からそのまま大学職員の仕事に就くような口吻。再び教員生活に舞い戻る可能性を厭ってか、その試験に余り受かりたくない風でもあった。しまいにはタイかバリ(インドネシア)に住みたいと明かし、ぼくが、だったら試験なんて受ける必要ないじゃないかと言うと、そうもいかないような曖昧な表情を浮かべた。彼にとっても中々に、ままならぬ現実のようだった。後日、バンコクに戻る前日も、日本には帰りたくないと幾度も繰り言し続けた。
 彼とは、橋とは逆の"リバーサイド・ゲストハウス・レストラン"で時折一緒になると、メーサイ川縁のテーブルに坐り、寒さが堪えきれなくなるまで駄弁り続けた。


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         ( ミャンマー・パガンの露店 )


 何しろ狭いメーサイ、昼間は昼間で、橋のボーダーの鉄柵で互いに行き来している人々や一回5バーツで写真のモデルをするために屯( 多い時で10数人 )しているミャンマー小娘たちを"見学"してると、彼も現れた。彼の方がもっと以前からここに滞在してて、小娘たちとも仲が良く、何かとからかったりしていたものだ。教師だったのでそのあたりの呼吸を心得ていたのだろう。
 しかし、小娘たち、実際には生活者でもあって、外人旅行者の都合に沿うような"お淑やか"娘たちではなかった。コンビニのコーラのストローをいつもくちゃくちゃ噛みながら、ガイドが連れてくる団体が5バーツかそれ以上の料金を払ってくれるのなら、しおらしくもしてようが、そうでないと見ると鉄柵から口にしていたストローで追い払うように、"ゴーッ!、ゴーッ!"とファラン(白人)の上品ぶったおばさんなんかに悪態をついた。「オーッ!」と驚きの声をあげておばさん、何て娘たちなんでしょう! とばかり憮然とした顔をして立ち去って行く、その姿が、又、彼女たちには、悪戯としての楽しみなんだろう。
 ある時、タイ側のポリスが、どんなルートでもたらされたものか定かでないが、食物を彼女たちに、数度にわたって手渡したことがあった。早速小娘たちの奪い合いが展開され、母親らしき女性が怒鳴っても誰も聞く耳持ちあわせず、最後まで騒動は続つづいた。確かに、バイタリティーに溢れ、逞しくはあった。
 
 この橋の袂(たもと)の"リバーサイド・レストラン"と、宿の先にある"リバーサイド・ゲストハウス・レストラン"から対岸の光景がよく見え、双眼鏡を駆使しながらよく観察したものだった。両方ともそんなに距離は離れていないのだけど、対岸の光景は随分と異なっていた。やはり、橋側の方が人の行き来も頻繁な繁華なエリアで、もう一方は本来の高床式茅葺き生活エリア。
 橋側の対岸には、橋の左側に寺院があって、そこから橋に伸びたオレンジ色の陸橋の下に茶店があって、インド系のミャンマー人がポットからグラスに茶を注ぎ食事している光景とか、サロン(腰巻き)をまとった分厚い顎髭をのばしたイスラム系のインド系とか色んなミャンマー人の人生模様が覗け、色々なイマジネーションを掻き立てたりした。
 中には、中国・雲南の省都・昆明の橋の上でも目撃したのと同様の光景も展開されていた。橋の向こうミャンマー側から、工事現場用のピッカ、ピッカの真新しいヘルメットを被った三人組がやってきて、橋の上(ミャンマー側)で露店を開いていた人達に立ち退きを命じはじめた。恐らく、私服のポリスなのだろう。かなり強行・威丈高で、ビニール袋に収めていた商品を川の中に放り捨てた。昆明じゃ、サイドカー付きのバイクで走り込んできて止まり、制服のポリスたちが怒鳴りつけながら、逃げ遅れたおばさんの商品なんかを盤龍川の真下に次々に放り捨てていた。何処も国家権力のやることは似たり寄ったり。
 あっという間に、ミャンマー側の橋の上から露店商の姿は消えてしまった。
 そして、暫くすると、再び何事もなかったように、元の場所に露天商が戻ってきて、普段の佇まいに帰って行った。昆明然り。


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 "リバーサイド・ゲストハウス・レストラン"の方だと、対岸に展開される光景ももっとローカルなのんびりとしたものに変わる。川岸にもこちら側との往来用に使われるものもあるが、時々長い竹筏が川下に向かって下って行くことがあった。黒服の腰に山刀を差した精悍な顔つきの船頭が、長い竿で操作しながら下って行く光景は珍しく感心して見送ったものだ。長い隊列を作って下って行くのは、意外にもベトナムの中部フエの街中の川で見かけたことがある。ラオス国境あたりの山岳から降りてきたのだろうか。この辺りも、ラオスは近い。
 前日も渡っていたグリーンのベレー帽に黄色いマフラーを巻いた男が、今朝も自転車を筏に乗せて、青い紐式のショルダーバッグを背負ってこちら側(タイ)渡ってくる。毎日通っているのだろうが、腰まで浸かってやってくるおばさんやプラスチックの洗面器に物を乗せ、半身浸かりながら渡ってくる親爺さん等、地元民はちょっと先にある橋のボーダー=通関を通らず、そこら辺から往来している。タイ側で仕事や買物をして夕方戻って行くのだろう。微笑ましい光景だ。


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