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2013年9月 8日 (日)

殆ど廃港"門司港・国際フェリー岸壁"の向こうに、外国貨物船

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 ( 停泊中の白亜の巨船 飛鳥 Ⅱ号 クリック拡大)


 今だに門司港に行ってみると、【 国際港 】という大きな表示板がこれみよがしに掛けられていて、仰々しいフェンスとその思い入れの程を絵に描いたようなプレハブ・カスタム( これって、何時でも解体できる、つまりそもそもが最初からちゃんと、少なくとも対岸の下関の国際港並に常態化しようなんておくびにも思ってなかったってことなのだろうか、と常にここに来る毎に勘ぐってしまう )の奥の全く人の気配のない岸壁が、正に自民党半世紀支配の賜物=慢性不況の不滅の金字塔の如く白々と横たわっているばかり。

 フェンスの手前の一般岸壁には、外航大型クルーズ客船《 飛鳥 Ⅱ 》やなんかが稀に停泊し、偶然見る機会があって、それが元々のやり方なのかも知れないけど、ブラス・バンドなんかも参加したセレモニーなんかをやっていて驚いてしまった。
 確かに、韓国フェリーよりも二回りくらいでかい、五万トン級の白亜の巨船は、見上げねばならないくらいの海上のマンションって赴きで、決して優雅なシルエットではない。昨今の一億総ベンチャー時代宜しくの利益追求型の典型で、嘗て鑑真号に乗って初めて上海に赴く途中、黄濁した揚子江を下る中国の鑑真号よりはるかに小さな客船とすれ違ったことがあった。小さな割には三層か四層もあって、そのデッキいっぱいに鈴なりになった乗客の凄さに、これぞ八億人民中国といわんばかりで感心してしまった覚えがあって、ふとその時の、見栄えも余裕もへったくれもない、ともかく詰め込み式の即物性と異質同臭を思い出してしまった。。

Photo

 先日、そこへ赴いた際、【 国際港 】の向こう側の民間企業の岸壁があって、その奥まったところに、かなり大きな黒塗りの船影が望め、何だろうと思って32℃の白日に晒されながらテクテク歩いてゆくと、貨物船であった。それが只の国産貨物船だったら、そのまま引き返したであろうが、船尾に見覚えのあるタイ文字が記されていた。
 
《 KIRANA NAREE 》
 
 英字ではそう記されていて、余りに大きな貨物船なので何を運んできたのだろうと思ってふと陸側に振り向くと、巨大なサイロが連なっていた。比較的最近できた建物で、《 門司港サイロ 》と記され、地場の企業と兼松や協同飼料が合資して造った一万六千トンのトウモロコシ他の飼料サイロという。元々門司港はタイ最大の国際貿易港レムチャバン港と友好姉妹都市宣言をしていて、一昨年、それまでの香港経由ではなく、" タイへのダイレクト混載サービス "をも始めていたらしく、その一環としての《 KIRANA NAREE 》号の寄港なのだろう。" Marine Traffic.com "で調べると、三万七千トンの" バルク・キャリアー"つまり" ばら積み混載貨物船 "とある。ばら積みとは、梱包などされてない剥き出しの原料なんかを指すらしい。だからか、サイロ側から巨大なクレーンで掴(つか)みあげていた。これは結構大変な作業らしく、一日二日では終われない長期の接岸が必要のようだ。

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  ( 旧大連航路上屋二階での旧大連写真展 )

 一週間ぐらい過って、" Marine Traffic.com "で、現在地のチェックをしてみたら、もう岸壁を離れ、玄界灘の途中でプツリと航跡が途絶えていた。以降の通信をしてないのか、カバー・エリアを過ぎてしまったからなのか、事情に疎いので詳びらかではないが、タイに戻ったのだろう。

 この" Marine Traffic.com "は、国際的な船舶関係のサイトで、船名が分かれば大体チェックできる。現在あるいは最近の位置・航跡も大まかに知ることが出来る。勿論その精度の程は定かではないが、一般の者には、遊び程度に、気に入った船を岸壁で見つけたりしたら、そのサイトでチェックすればその位置が分かるし、ああ今はあそこを航行しているのかとか、あの港に停泊しているのかとか確認でき、あれこれと想像力を掻き立てることもできる。更に、グーグル・マップで、その場所がどんな場所なのかも、写真が登録されていれば景観も知ることができる。尤も、ぼくはそこまで好事家ではないが。

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  ( 現在の門司港駅  完全に補修作業用足場構築物に蔽われてしまった。)

 以前、このブログの《 〔門司港=釜山フェリー〕リバイバル 》という記事で、同じ場所に接岸していたプノンペンの表示のあったカンボジア船籍の《 RICH QUEEN》号( 1500トン )にちょっと触れたことがあった。偶々岸壁で見つけたに過ぎないのだけど、破損していて、その修繕中だった。カンボジア船にしては、乗組員の殆どが中国系( カンボジアにも中国系はいっぱいいるけど、明らかに彼らとは異なる中国そのものの風貌であった。 )だったので、カンボジアンにこんなところで会えるのか一縷の期待を抱いたため、ちょっと驚いてしまった。船籍と乗組員の国籍が違うのはよくあること。で、ついでに、久し振りに思い出したので、チェックしてみると、果たして、マップに日本語表記の地名がずらり並んでいて、何処だろうと拡大してみたら、大阪と兵庫の先辺りを行ったり来たりしているようだった。小さな一般貨物でなの、小回りの利く仕事をこなしているのだろう。

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 (Rich Qeen号 先週は大阪港あたりを行ったり来たりしていたようだが、8日現在、東シナ海・寧波の沖辺りを北上中。日本にやって来るのだろう。)


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