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2013年10月 5日 (土)

バーチャル・リアリティー的ゆらぎ  惑星ソラリス(1972年)

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 アンドレイ・タルコフスキーとえば、どういう訳かモノクロというイメージがあって、この
《 惑星ソラリス 》のDVDを観てみると、カラーだったので驚いてしまった。
 《 ストーカー 》の前半の静謐なモノクロ・トーンの世界って、世界や存在の秘密でも明かしてでもいるかのような一種秘儀めいた蠱惑を覚えさせてくれたが、この《 惑星ソラリス 》、如何にも嘗ての旧懐的( レトロな )総天然色って色調ながら、それ程古臭さを感じさせない。
 も一つ、これも些か意表を衝かれてしまったが、かなり長い時間使って、当時のソ連( 現在のロシア )にはまだ迷路の如く複雑に入り組んだ高速道路網ってなかったみたいで、わざわざ日本までやって来てロケ撮りしたらしい延々と高速道路を疾駆するシーンがある。その画面のあっちこっちに、何と漢字の標識や看板が並んでいるではないか。ロケ撮りした東京の高速道路をそのまま映像化してしまっているのだ。
 確かに、リドリー・スコットの《 ブレードランナー 》( 1982年 )の如く、未来の無国籍的世界の映像化というアプローチもあるのだから、そんなものと解釈し直せば違和感はない。何よりも、高速道路のトンネル内の無機的な高速の光りの流れってところが、宇宙空間における宇宙船による超音速移動の際のイメージとオーバーラップするので是非欲しかった情景なのだろう。

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 心理学者クリスは田園地帯にある瀟洒な実家で、父の友人である元宇宙飛行士バートンと会う。バートンは以前、惑星ソラリスの探査宇宙ステーション"プロメテウス"で任務に就いていた宇宙飛行士で、知的存在の可能性を問われていたソラリスを蔽っている海が甚だ厄介な性質のものであることを帰還して当局に報告したが、却って疎まれてしまった。失意に屈折したバートンの帰還当時の当局とのやりとりのビデオを一緒に観て、クリスは、バートンに冷ややかな眼差しを向ける。
 この緑滴る田園光景の中にあるクリスの生家に到る最初のイントロが、例の川の中で長々と尾を引きゆらめき続ける水草のシーンで、水と青々とした生物、地球の生命の初源を想わせる。そして、それが遥か彼方の惑星ソラリスの表面を何処までも蔽いゆらめき続ける海に連なってゆく。

 やがて、クリスは惑星ソラリスを見下ろす探査宇宙ステーション"プロメテウス"に到着する。しかし、出迎えの者はおろか、ガランとして基地の中は荒れ放題。クリスの友人らしい物理学者ギバリャンは既に自殺していて、サイバネティックス学者スナウトと天体生物学者サルトリウスだけしか居なかった。すくなくともそのはずだった。ところが、このプロメテウス号に踏み入れて幾らもしない内、見知らぬ娘が徘徊しているのを何度も見かけたり、サルトリウスの部屋に正体不明の男の姿を見かけたり。
 ソラリスの海に強いX線を照射してから後見られるようになった現象という。人間の記憶や思念を、ソラリスの海が物理的存在として具現し実体化するらしい。要するにコピーされたクローンという訳だ。彼らはそれを客と呼んだ。それでも、クリスにはまだまだ半信半疑の他人事、自分自身の事として感得された訳ではなかった。そして唐突に、ある日、彼が十年前に死別した妻ハリーが彼の前に現れた。自分の最愛の妻だった女が当時のまま、同じ体臭と吐息、同じ眼差しと声そして肉体で彼の眼前に佇み、言葉を交わし、そのしなやかな手で彼に触れてきた。紛れもなくハリーだった。

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 悪夢を払うようにクリスはハリーを騙してカプセル・ロケットに閉じこめ宇宙に発射した。もう二度と会うこともないだろうという訳だった。生前、二人のある諍いの後、彼が所持していた有毒物質をハリーが飲んで自殺する可能性が予知できたにもかかわらず、それをそのままにしておいたために起きた悲劇・・・そのトラウマが、更に彼女を騙してカプセルに閉じこめ放り出してしまったという精神的呵責。
 ところが、何事もなかったかのように、ハリーが又彼の前に現れた。
 クローンと分かっていても、眼前のハリーはやはりハリーそのものだった。普通なら二度と手にすることが出来ない最愛の妻だった彼女を、もうクリスは手放すことはしなかった。二人の学者たちの前にも連れて行った。ところが、今度はハリーが次第に本来の自分の記憶を取り戻すにつれ、自身の曖昧な立場に悩みはじめ、ついには液体窒素で自殺してしまう・・・


 クリスとスナウトとの会話にこんなくだりがある。
 『 我々はなぜ苦しむのだろう? 』
 『 宇宙的感性を失ったからだろう 』
 『 古代人はもっと純粋で、それゆえ悩みもなかった。シジフォスの神話さ 』
 『 君の脳波を送ってから、客は全く来なくなった。それに海の様子も変わりはじめている。島が形成されている・・・』 


 クリスは緑滴る自分の生家に戻っていた。
 瀟洒な我家に近づくと、窓から中にいる父親の姿が覗けた。窓際に寄ってみると、天井から水がシャワーのように流れ落ちていた。テーブルの上は水浸し。その漏水を頭から浴びながら、それをてんで意にも介さぬように父親は、ゆっくりと本を手にとって眺めていた。父親の濡れた背から湯気のように水蒸気が上がっていた。
 暗澹としてクリスは意味を悟った。
 ソラリスの海の物質化、つまり作り出され実体化されたモノは、必ずしも十全なものではなく、所詮人間の断片的な記憶や意識をつなぎ合わせた疑似的なもので、些細なところで欠落やほころびがあった。
 要するに、その父親も、緑滴る田園地帯の我家も、ソラリスが作り出した擬似的現実( バーチャル・リアリティー)なのだ、と。( 勿論、ソラリスの海に、補修能力が備わっていれば、限りなく近似したモノが再生産されるようになって、ついにはその百パーセント相似なもの、究極のものとして完璧なクローンが作られてしまうのだろう )

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 つまり、ソラリスの海の上に出没した小島とは正にそれだったのだ。
 探査宇宙ステーション" プロメテウス "の中に現れていた個々の物質化されたクローンが、今度は、記憶丸ごと海の上に実体化されてしまったという訳だ。
 その場合、クリスは、そのソラリスの海の上の小島に封じられてしまったことを意味するのだろうか? 
 それまで、視点がクリス中心に展開されていたのに鑑みれば、この孤島でのシーンも同軸上にあるものと考えて普通で、だとすると何らかの理由でクリスが惑星ソラリスの小島に転送・取り込まれてしまったってことになる。けれど、それでは今ひとつ説得性に欠ける。
 それはむしろ、ソラリスの海に送られたクリスの脳波=記憶・意識が、その小島に、クリスの意識もろとも実体化された光景の描写というべきだろう。
 あるいは、逆に、クリスの記憶・意識の中で、ソラリスの海で実体化されたものがクリスの脳に転送されイメージとして溶融してしまった混淆的産物なのだろうか。それは、それまでクリスの外に物質的存在として実体化されていたものが、今度はクリスの脳=記憶・意識の中に侵入したことを意味する恐るべきもの。( これは、しかし、他でもないこの地球上で《 マインド・コントロール兵器 》として既に現実問題として数十年くらい前から散々世界中で騒がれ指弾されてきたものと相似なものでもあって、権力・科学者たちが頑なに世界的シンジケートでも結んででもいるかのように告発を黙殺し情報を封殺してきたものでもある。アインシュタイン以来の科学者たちの人類に対する犯罪性は止まることがないようだ。)
 それらのいずれとも判じがたいラスト・シーンは、淡いノスタルジア的恍惚なのか戦慄すべきバーチャル・リアリティー的陥穽なのか。

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 宇宙ステーション" プロメテウス "の一室で、クリスとハリーが寄り添いながら会話する場面、その部屋の壁にずらり絵が並べてあって、その中の一つ、ブリューゲルの《 雪中の狩人 》(1565年)がこれ見よがしに映し出される。フランドル(?)の冬の凍った池の上で子供たちがスケートなんかで遊んでいる光景・・・それはクリスの幼少の頃の記憶と連なっていたものだけど、北欧のラース・フォン・トリアー監督の映画《 メランコリア 》で、同じこの絵がラストの巨大惑星メランコリアが地球に衝突するシーンで次第に燃えてゆき、飛んでいた鳥が墜落してゆくような映像となっていたのを思い出した。偶然の一致とは思えないし、ともに" 未知との遭遇 "というテーマで共通している。ともに象徴的に扱われているこのルネサンス=人間主義の代表作ともいわれているらしいブリューゲルの《 雪中の狩人 》に、二つの映画を解く鍵があるのかも知れない。

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監督 アンドレイ・タルコフスキー
脚本 アンドレイ・タルコフスキー、フリードリッヒ・ガレンシュテイン
原作 スタニスワフ・レム《 ソラリスの陽のもとに 》
音楽 エドゥアルド・アルテミエフ
撮影 ワジーム・ユーソフ
制作  ソビエト(1972年)


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