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2013年10月の2件の記事

2013年10月19日 (土)

暗澹にゆらめく光  『観 光』 ラッタウット・ラープチャルーンサップ

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 巻頭の《ガイジン》(原題・ファラン)がタイ南部の島を舞台にした米国ハーフの青年の甘酸っぱい青春物語の類だったので、てっきりこの短編集の表題にもなっている《 観光 》(原題・サイトシーン)も同様に母親と二人っきりの主人公である息子の楽天的な青春物語かと思っていたら、どうもそうではないシリアスな要素が頭をもたげてきて、些か面喰らってしまった。
 巻頭辞が『母へ』とあるように、作者ラープチャルーンサップの母親の面影が見え隠れして、父親の影の一向に見えてこない母系制的な母・息子の親密な関係性もその投影なのだろうが、ぼくら外人旅行者たちの考える、あるいは一つの皮相な先入見として了解されているのが正にそれだった。タイの堅実な中産階級はともかく、それから外れた階層の女たち=偶にタイの新聞・雑誌にも、見え見えのぐうたらで女にだらしない男輩に容易に騙されたりする【愚かなタイの女】と皮肉られ指弾される女たち。これはタイ演歌=ルークトンやイサーン系のモーラムの、通奏低音というより、基本そのもの。


 《ガイジン》の主人公の青年の母親が水商売で、米兵の子供を宿し、主人公が小さい頃に帰国してしまってそれっきりのようだし、この《 観光 》の方の、数ヶ月後に北部の職業大学に入学予定の青年主人公の母親はバンコクのオフィス勤めのOLらしいものの、父親の"チ"の字も出てきやしない。両母親とも、無論女手一つで息子を育て上げてきたのだから当然なのだろうが、中々に気丈な女性で、タイ映画のようには一人息子に対して甘くない。父親不在って特殊性が、父性をも自ら背負い込まねばならない立場に追いやられた故ってところなのだろう。とりわけ、《 観光 》の方では、恐らく長年の無理・過労が祟ってか失明を余儀なくされてしまうという流れの中で、絶望的にも自らを叱咤し毅然として親としての矜持を堅持せざるを得ない母親の哀れさと切なさが際立つ。


 『 母は決して仕事を休まない女性だ。一度も。偏頭痛でも、風邪でも、インフルエンザでも。嵐が来ても、土砂崩れの警報が出ても。数年前に、母のオフィスのあるビルに血塗れのデモの参加者を乗せたストレッチヤー運び込まれ、夜間外出禁止令が出たときですら、仕事は休まなかった。一度などマラリアにかかっても仕事に行き、トイレで吐いているのを上司に見られ、帰宅するように言われた。それでも、どうしても仕事に戻ると言いはり、結局会議中に意識を失った。救急車で運ばれたが、その翌日には仕事に戻っていた、そういう女性だ。』

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 タイのオフィス勤めの女って、ペン・エーク監督の映画《 ルアン・タロック 69 》の女主人公がバンコクのあるオフィスのOLだったけど、リストラ要員をくじ引きで決めることになって運悪く主人公が引いてしまいクビ。タイのバブルが弾けた頃だったのか、再就職なんて一片だに念頭になく、早速タイの定番、液体洗剤をガブ飲みして自殺しようとして果たせなかったのだけど、この《 観光 》の方の母親は、ワーカー"ホリック"というより"パラノイア"ともいうべき仕事への執着が異常で、そんな不況的時代背景というより、一人息子を育てるために絶対今就いている仕事=職場を手放すまいと懸命にしがみついてきたニュアンスが強い。タイ人ってちょっとでも給料や条件の良い仕事に就こうと簡単に離職してしまうという観念が流布しているだけに、その姿は凄惨ともいえよう。何よりも、この短編集の巻頭で引用された次のシモン・ド・ラ・ルーベレのフレーズがすべてを語って余りある。

 『 シャムの人々が日々の暮らしに追われることなく、
  夕べにはあまたの家々から楽しい歌声だけが
  聞こえてくるのは、なにも不思議なことではない 』
《 新しいタイ王国の歴史 》(一九六三年)

          *          *

 
 『 長いアンダマン諸島の最南端に位置する島で、森と石でできた小さな要塞だ。母の上司がルクマクの写真をオフィスの連絡板に何年も貼りっぱなしにしていて、母は、なぜ人がそれほどそこに行きたがるのかどうしても知りたいと言った。素晴らしい砂浜。トルコ石のように緑がかった青い海。浅瀬に泳ぐ無数の魚。母の上司は、そこを天国と呼んだ。ぼくが子どものころ母がこう言ったのをいまも覚えている。タイの国は能なしとガイジン、犯罪者と観光客の天国よ。いまさら天国だなんて言われてもね。でも、本当にそんなに近くに天国があるのなら、行ってみるのも悪くないわね。』


 アンダマン諸島に向かうべく南部行きの列車内から物語は始まる。
 バンコクのファランポーン中央駅からトランまで12時間乗りつづけ、今度は16人乗りの細長いモーター・ボートに乗り換え8時間かけて目的地のコ・ルクマク(島)へ至るというスケジュールだった。途中、プラチュワプキーリカンを過ぎたあたりで海に削られた半島は針のように狭くなり、タイ湾の茶色く淀んだ太平洋側とアンダマンの青いインド洋側の海が両方に望め、人生でその光景を見ることが出来るのはほんの一握り、もし事態が違っていたら、こんな光景を見る時間を持てなかった・・・そこから、物語の本題に入ってゆく。
 
 その事態とは、『 偏頭痛によって引き起こされた網膜剥離。偏頭痛が続き、目の奥が痛み出した二ヶ月前に検査をしていたら、失明は免れていたかもしれない、いまとなっては手遅れ 』になってしまった母親の目のことで、それでも助かる一縷の可能性はあった。シンガポールから専門医を呼び寄せて行う実験的手術だった。只それには途方もなく高額な費用が必要で、息子が数ヶ月後には北部の大学に入学する手はずになっていることもあってだろう、母親は断念してしまう。三ヶ月後には完全に失明してしまう。
 母親は仕事を辞め、二人でタイの地図を拡げ、一緒に眺めて決めたのがアンダマン諸島最南のルクマクだった。自分で視る最後の"光景"、最後の視覚的記憶として、南の"天国"を選んだのだ。ところが、途中で船酔いし体力を消耗してしまい、昼食をとるために立ち寄るはずだった手前のトラウェン島に一泊する運びに。
 『 大地を覆う清涼な皮膚のような滑らかな海。枕のように清潔で白く柔らかな砂。ひとかたまりになって素早く動くレインボーフィッシュの群れ。蟹が慌てて走っていき穴のなかに身を隠し、砂の上にできたばかりの窪みを無数に残す。』
 このトラウェン島は、ルクマクと同様、母親が望んでいたような場所だった。
 そして、その小さな島にはある伝説があった。ボートに揺られながら母親が語ったものだ。
 

 『 トラウェン島は一九三〇年代から四〇年代には流刑地だった。政府はこの島に、詐欺師、王党派、反体制派の作家、共産主義者を送り込んだ。戦争後、囚人たちは反旗を翻し、島の権力者全員を殺害した。その報復として政府は食料を送らず、本土に帰る手段のない囚人たちを見殺しにした。海軍に島の回りの警戒にあたらせたので、チャオライ――のジプシー――が彼らを救出しに来ることもできなかった。政府は、後に囚人たちは領海内で全員餓死したと発表したが、夜になると丘の上に火が灯るのを見た、ちらちら揺れる小さなオレンジ色の炎が外海から見えたという漁師が何人も現れた。謀反人たち――あるいはその子どもたちか、それとも幽霊か――は軍事政権を攻撃する準備をしつつ、本土に帰るのを待っている 』

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 ( 作者ラープチャルーンサップ プロフィールがも一つはっきりしない。近況不詳らしい。)


 この些か怪奇譚めいた伝説的挿話(エピソード)は、物語展開上の偶発的効果や付け足しというより、一種の定番的手法、つまりかなり政治的なニュアンスの強い寓話の類なんだろう。本来は昼食を食べるためだけに立ち寄る通過点でしかなかった小島が、そこに敢えて立ち止まり、母親の念願の地でもあった天国=ルクマクを省くように、副次的な意味しかなかったはずのトラウェン島で物語を完結してしまっている。それも、敢えて母親にその島にまつわるエピソードを語らせているってのが、意外と曲者かも知れない。
 タイは元々軍部独裁政権( それも米国がらみの )が長く、今現在でも陰に隠れてはいるものの一触即発的で依然としてその流れにあるのだろうし、頻繁にクーデターや流血事件を起こしてきた歴史があって、先年のタクシン派=アピシット政権( 軍政側 )との角逐やもっと前の1992年の流血事件あたりまでが、この小説=母親の時代範囲だろう。ちょっと穿(うが)ち視が過ぎるのかも知れないが、彼女の伴侶の不在がそんな事件との何らかの係わりを匂わせる挿話とみれなくもない。
 
 夜明け前、ふとバンガローの蝶番が軋む音で眼が覚めると、真っ暗な遠くの海の上を移動するちらちら揺れるオレンジ色の炎が透かし見え、一瞬死んだ囚人たちの霊かと見間違うが、やがて母親の手にした石油ランプの灯りだと分かる。


 『 ようやく見えた。視野の隅にかすかな光りの線が見える。入り江の向こうにかすかに伸びる光の糸が見える・・・
 ぼくは光に目を据えたまま浜辺を渡り、砂州へと向かう。その砂の小径は幅が一メートルもなく、その白い先端が海面に突き出ている。黒い空が深みのある藍色に変わり、夜がゆっくりと朝に変わり、ようやく母の小さな姿がほの明るいランプのそばに見える。ぼくは生暖かな海水に足を洗われながら、砂州を歩いていく。母といっしょに日の出を見るために。そして潮が満ちてくる前に母を連れ戻すために。海が膨らむ前に。この砂の道が再び海の底に変わる前に。』
                    

 些かステレオ・タイプだけど、真っ暗な海、つまり暗黒の只中の一縷の光、そして人一人がやっと渡れるだけの幅しかない細い径、希望の光ともいえる曙光を見るために渡ってゆくのだろう。それは、しかし、すぐれて共時的な、我々の位相でもある。


 《 観光 》ラッタウット・ラープチャルーンサップ 訳・古屋美登里(ハヤカワ文庫)>


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2013年10月 5日 (土)

バーチャル・リアリティー的ゆらぎ  惑星ソラリス(1972年)

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 アンドレイ・タルコフスキーとえば、どういう訳かモノクロというイメージがあって、この
《 惑星ソラリス 》のDVDを観てみると、カラーだったので驚いてしまった。
 《 ストーカー 》の前半の静謐なモノクロ・トーンの世界って、世界や存在の秘密でも明かしてでもいるかのような一種秘儀めいた蠱惑を覚えさせてくれたが、この《 惑星ソラリス 》、如何にも嘗ての旧懐的( レトロな )総天然色って色調ながら、それ程古臭さを感じさせない。
 も一つ、これも些か意表を衝かれてしまったが、かなり長い時間使って、当時のソ連( 現在のロシア )にはまだ迷路の如く複雑に入り組んだ高速道路網ってなかったみたいで、わざわざ日本までやって来てロケ撮りしたらしい延々と高速道路を疾駆するシーンがある。その画面のあっちこっちに、何と漢字の標識や看板が並んでいるではないか。ロケ撮りした東京の高速道路をそのまま映像化してしまっているのだ。
 確かに、リドリー・スコットの《 ブレードランナー 》( 1982年 )の如く、未来の無国籍的世界の映像化というアプローチもあるのだから、そんなものと解釈し直せば違和感はない。何よりも、高速道路のトンネル内の無機的な高速の光りの流れってところが、宇宙空間における宇宙船による超音速移動の際のイメージとオーバーラップするので是非欲しかった情景なのだろう。

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 心理学者クリスは田園地帯にある瀟洒な実家で、父の友人である元宇宙飛行士バートンと会う。バートンは以前、惑星ソラリスの探査宇宙ステーション"プロメテウス"で任務に就いていた宇宙飛行士で、知的存在の可能性を問われていたソラリスを蔽っている海が甚だ厄介な性質のものであることを帰還して当局に報告したが、却って疎まれてしまった。失意に屈折したバートンの帰還当時の当局とのやりとりのビデオを一緒に観て、クリスは、バートンに冷ややかな眼差しを向ける。
 この緑滴る田園光景の中にあるクリスの生家に到る最初のイントロが、例の川の中で長々と尾を引きゆらめき続ける水草のシーンで、水と青々とした生物、地球の生命の初源を想わせる。そして、それが遥か彼方の惑星ソラリスの表面を何処までも蔽いゆらめき続ける海に連なってゆく。

 やがて、クリスは惑星ソラリスを見下ろす探査宇宙ステーション"プロメテウス"に到着する。しかし、出迎えの者はおろか、ガランとして基地の中は荒れ放題。クリスの友人らしい物理学者ギバリャンは既に自殺していて、サイバネティックス学者スナウトと天体生物学者サルトリウスだけしか居なかった。すくなくともそのはずだった。ところが、このプロメテウス号に踏み入れて幾らもしない内、見知らぬ娘が徘徊しているのを何度も見かけたり、サルトリウスの部屋に正体不明の男の姿を見かけたり。
 ソラリスの海に強いX線を照射してから後見られるようになった現象という。人間の記憶や思念を、ソラリスの海が物理的存在として具現し実体化するらしい。要するにコピーされたクローンという訳だ。彼らはそれを客と呼んだ。それでも、クリスにはまだまだ半信半疑の他人事、自分自身の事として感得された訳ではなかった。そして唐突に、ある日、彼が十年前に死別した妻ハリーが彼の前に現れた。自分の最愛の妻だった女が当時のまま、同じ体臭と吐息、同じ眼差しと声そして肉体で彼の眼前に佇み、言葉を交わし、そのしなやかな手で彼に触れてきた。紛れもなくハリーだった。

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 悪夢を払うようにクリスはハリーを騙してカプセル・ロケットに閉じこめ宇宙に発射した。もう二度と会うこともないだろうという訳だった。生前、二人のある諍いの後、彼が所持していた有毒物質をハリーが飲んで自殺する可能性が予知できたにもかかわらず、それをそのままにしておいたために起きた悲劇・・・そのトラウマが、更に彼女を騙してカプセルに閉じこめ放り出してしまったという精神的呵責。
 ところが、何事もなかったかのように、ハリーが又彼の前に現れた。
 クローンと分かっていても、眼前のハリーはやはりハリーそのものだった。普通なら二度と手にすることが出来ない最愛の妻だった彼女を、もうクリスは手放すことはしなかった。二人の学者たちの前にも連れて行った。ところが、今度はハリーが次第に本来の自分の記憶を取り戻すにつれ、自身の曖昧な立場に悩みはじめ、ついには液体窒素で自殺してしまう・・・


 クリスとスナウトとの会話にこんなくだりがある。
 『 我々はなぜ苦しむのだろう? 』
 『 宇宙的感性を失ったからだろう 』
 『 古代人はもっと純粋で、それゆえ悩みもなかった。シジフォスの神話さ 』
 『 君の脳波を送ってから、客は全く来なくなった。それに海の様子も変わりはじめている。島が形成されている・・・』 


 クリスは緑滴る自分の生家に戻っていた。
 瀟洒な我家に近づくと、窓から中にいる父親の姿が覗けた。窓際に寄ってみると、天井から水がシャワーのように流れ落ちていた。テーブルの上は水浸し。その漏水を頭から浴びながら、それをてんで意にも介さぬように父親は、ゆっくりと本を手にとって眺めていた。父親の濡れた背から湯気のように水蒸気が上がっていた。
 暗澹としてクリスは意味を悟った。
 ソラリスの海の物質化、つまり作り出され実体化されたモノは、必ずしも十全なものではなく、所詮人間の断片的な記憶や意識をつなぎ合わせた疑似的なもので、些細なところで欠落やほころびがあった。
 要するに、その父親も、緑滴る田園地帯の我家も、ソラリスが作り出した擬似的現実( バーチャル・リアリティー)なのだ、と。( 勿論、ソラリスの海に、補修能力が備わっていれば、限りなく近似したモノが再生産されるようになって、ついにはその百パーセント相似なもの、究極のものとして完璧なクローンが作られてしまうのだろう )

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 つまり、ソラリスの海の上に出没した小島とは正にそれだったのだ。
 探査宇宙ステーション" プロメテウス "の中に現れていた個々の物質化されたクローンが、今度は、記憶丸ごと海の上に実体化されてしまったという訳だ。
 その場合、クリスは、そのソラリスの海の上の小島に封じられてしまったことを意味するのだろうか? 
 それまで、視点がクリス中心に展開されていたのに鑑みれば、この孤島でのシーンも同軸上にあるものと考えて普通で、だとすると何らかの理由でクリスが惑星ソラリスの小島に転送・取り込まれてしまったってことになる。けれど、それでは今ひとつ説得性に欠ける。
 それはむしろ、ソラリスの海に送られたクリスの脳波=記憶・意識が、その小島に、クリスの意識もろとも実体化された光景の描写というべきだろう。
 あるいは、逆に、クリスの記憶・意識の中で、ソラリスの海で実体化されたものがクリスの脳に転送されイメージとして溶融してしまった混淆的産物なのだろうか。それは、それまでクリスの外に物質的存在として実体化されていたものが、今度はクリスの脳=記憶・意識の中に侵入したことを意味する恐るべきもの。( これは、しかし、他でもないこの地球上で《 マインド・コントロール兵器 》として既に現実問題として数十年くらい前から散々世界中で騒がれ指弾されてきたものと相似なものでもあって、権力・科学者たちが頑なに世界的シンジケートでも結んででもいるかのように告発を黙殺し情報を封殺してきたものでもある。アインシュタイン以来の科学者たちの人類に対する犯罪性は止まることがないようだ。)
 それらのいずれとも判じがたいラスト・シーンは、淡いノスタルジア的恍惚なのか戦慄すべきバーチャル・リアリティー的陥穽なのか。

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 宇宙ステーション" プロメテウス "の一室で、クリスとハリーが寄り添いながら会話する場面、その部屋の壁にずらり絵が並べてあって、その中の一つ、ブリューゲルの《 雪中の狩人 》(1565年)がこれ見よがしに映し出される。フランドル(?)の冬の凍った池の上で子供たちがスケートなんかで遊んでいる光景・・・それはクリスの幼少の頃の記憶と連なっていたものだけど、北欧のラース・フォン・トリアー監督の映画《 メランコリア 》で、同じこの絵がラストの巨大惑星メランコリアが地球に衝突するシーンで次第に燃えてゆき、飛んでいた鳥が墜落してゆくような映像となっていたのを思い出した。偶然の一致とは思えないし、ともに" 未知との遭遇 "というテーマで共通している。ともに象徴的に扱われているこのルネサンス=人間主義の代表作ともいわれているらしいブリューゲルの《 雪中の狩人 》に、二つの映画を解く鍵があるのかも知れない。

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監督 アンドレイ・タルコフスキー
脚本 アンドレイ・タルコフスキー、フリードリッヒ・ガレンシュテイン
原作 スタニスワフ・レム《 ソラリスの陽のもとに 》
音楽 エドゥアルド・アルテミエフ
撮影 ワジーム・ユーソフ
制作  ソビエト(1972年)


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