« 2013年11月 | トップページ | 2014年1月 »

2013年12月の3件の記事

2013年12月31日 (火)

深夜の不協和的共振  辻潤と稲垣足穂 『横寺日記』

Photo_2

 《 弥勒 》で有名な大正・昭和の作家・稲垣足穂に、戦時中(昭和十八〔1943〕年頃)、東京・新宿は横寺町に住んでいた時代の星座を中心に認めた『横寺日記』がある。 家業(明石)の破産そして時節柄もあってか、足穂のかなり貧窮していた時期でもあったらしいが、【10月29日 金曜】の項に、これまた翌年には餓死してしまった落剥的漂泊者・辻潤が、突然真夜中二時頃に現れた際の記述がある。以前のあれこれの成り行きで足穂には招かざる客となっていたようだ。
 すっかり微睡んでいた頃、闖入者が辻潤と気付いて毛布を頭から被って狸寝入りを決め込もうとしたが、引っぱがされ、結局夜が明けるまで、「ミルキーウェイとは然し俗な言葉だね」などと四方山話につき合わされたらしい。その途中、ふと用足しに裏へ出ると、


 「オリオンは屋根の向う。左の木立の上に双子星。この東に作りつけたような大ぼしが出ている。こいつが木星かなと思ったが、改めて表へ出て、色が華やかだからあけの明星だと解釈された。これに較べると、シリウスも青白く神経質に顫えているとしか受け取れない。ヴィナスの上に別な大星があり、二ツ合わして不思議な天上的木の実がぶら下がっている感じである。いつかの火星はやや間隔をとって、別のどんよりした色の遊星を伴うておうしのナートに迫り、全天は壮麗な大奏楽、それとも建築的とでも云いたい諧調に置かれていた。途方途轍もない大伽藍の円蓋を内部から仰いでいるようである。」

 
 足穂はプラネタリウムなんかにも足繁く通ってたらしく、東京に出てくる以前の明石時代には天体望遠鏡すら持っていたという。尤も、この頃にはすっかり貧窮生活も馴染んでいたようで、自分の眼鏡すら質屋に入ったり出たりの繰り返し。天体望遠鏡など影もなかったろう。落剥的漂白者の辻潤すらが、見かねて、愛用の尺八一管で門付けをして得た金の幾ばくかを足穂に酒代として置いていったりしていたというから凄い。
 尤も、この日記の巻頭の【八月七日 土曜日】の項で、

 「世には本当の行き詰まりも困窮も存在しないこと、いわゆる不幸とは浅慮なまなこに映じた仮初(かりそめ)の姿に他ならず、常にその奥には深い祝福が存すること・・・」

 と記している。【祝福】という独特なニュアンスを持った言葉で分かる通り、キリスト教を通った足穂らしい思想的態度ではある。【祝福】なんて観念とは無縁の辻潤の方は、(否、彼自身も当時の先駆的新思想としてキリスト教を通過してはいたが)、この項の最後にこうある。


 「辻老は、隣合せの墓地で百舌(もず)が囀(さえず)り出したのを合図に、『こおろぎと蠅取蜘蛛はなんといっても可愛いよ』という話を中止して、私の枕辺にあった聖フランシス伝を取上げ
まことの修道僧とは四弦琴のほか
何者も己が所有とは思惟せざる者なり
 という巻頭言を繰返し読んでから、『忘れてはいかん』とそこについている固有名詞、Gioachno di Fiore を紙片に控えて、尺八を腰に差して出て行った。」


Taruho_2_2


 つまり、辻潤の定番、尺八一管と風呂敷包み一つの求道的流浪者スタイルの再確認って訳なのだろうが、これは余談だが、そのいつも大事そうに携えていた風呂敷包みの中味は、他ならぬ彼の流浪のそもそもの機縁たる無政府主義者・大杉栄のもとに去った愛妻・伊藤野枝がそれ以前に彼に寄こしたラブ・レターの類だったという。
 壮大なるコキュ的ロマンチシズムと云うべきか。それにしても、辻潤の近辺には何と似かよった苦渋と悲哀に満ちた愁いを漂わせた男たちが居並んでいるのだろう。金子光晴、武林無想庵・・・。


 「向こうは旅館の着物で別に寒くはないんだよ。元旦にね、君、梅が咲いているからね。おどろいたよ、何しろポタポタと雫が垂れるオランジュがぶら下がっているようだったな」
 
 
 以前宮崎で橙(だいだい)そっくりのヴィナスを見たという辻潤の言葉だけど、嘗てはそのくらいに澄んだ空気だったからかと、足穂も別の星を「木の実がぶら下がっている感じ」と同様に表現していてることから、感心しつつも、幾ら何でもそりゃちょっと修辞が過ぎてやしまいかと、ふと、足穂も辻潤も、名うてのアル中でもあったことが脳裏を過ぎった。尤も、アルコール中毒、今でいうアルコール依存症患者が、そんな視覚過敏的な変成意識状態に陥るのかどうか定かでないが。

 ぼくがこの短編日記で気に入ったフレーズが、

 「太古からこのような天を仰いできたろう総ての心霊達と共にある気持だった。神秘的な共感・・・」


 冒頭引用の「全天は壮麗な大奏楽」の延長線上の、「今朝はいかにも大ドームを見上げているようだった」明け方の一大光景に対する感慨で、46億年前に太陽系=地球が誕生し、数百万年前にヒト属が現れ、ついに数十万年前我々ホモ・サピエンスが出現し、
その間、夜毎頭上に燦然と輝き続ける星々を見上げてきたろう。勿論その永い日月の推移の間には我々現代人が見知らぬ様々な異変・変容もあったろう。同じ星座、星々の瞬きをそのとてつもなく永い時間を隔てながらも眺めているという共有的な一体感、確かにそれはある種の先祖返り的な、あるいは本能的内奥からの、あるいは最下層的(無)意識的な共振性ともいうべき魂を震わせるような昂奮を覚えさせる。

 因みに、戦前・戦後を生きた俳優の殿山泰司の自伝に、稲垣足穂に関するこんな記述がある。
 
 
「歓送会の座敷では、おれは離れたところから、タルホ先生の言動に神経を集中していた。それは友を戦線に送る会なのか、タルホ・パーティなのかまるで分からないようであった。
『きみ、きみ、酒はね、こんな物で飲んではいけません、いけませんよ、塗物です、塗物で飲みなさい』そういって、自分ではガブガブと鱶(ふか)のように、湯呑茶わんで冷酒を飲んでおられた。
 『こんな牛鍋なんかで酒を飲んではいけません、いけませんよ、これはメシを食うものです、牛鍋で酒というのは下品ですよ、いけません』と、いいながら自分では、スキヤキ鍋の中に箸をつっこんでは、パクパクとやっておられた。おれはその言行不一致の法則を、驚天動地のように素晴しいと思った。」
     殿山泰司《 三文役者あなあきい伝 》(講談社)1974年

《 弥勒 》稲垣足穂 ( ちくま文庫 )2005年

|

2013年12月21日 (土)

 ペシャワール日記 ( 3月1994年 )

Peshwar_a

 ( ペシャワールのトライバル・テリトリーの手前のアフガン・バザールのレストランで食事中のアフガン人一家。並んだ料理は定番。) 


 1994年3月18日、インドのダラムサラからパキスタンに入国する。
 金曜日でイスラム国の休日。10時にカスタムが開き、ラホールからフライング・コーチ(バン)で一気に古都ペシャワールへ。( 勿論パキのこと、すんなりではない )
 バス発着所から新市街の“ KHANI'S Hotel ”まで( オート )リキシャで。相場の6Rs( ルピー )払う。運転手、25ルピーだと言い張り、ホテルの中まで追いかけてきて騒ぎだす。ホテルの若い従業員まで一緒になって『 25ルピー 』コールを連呼するも鼻も引っかけずに無視。


Peshwar_e

 ( カニス・ホテル。左端にホテルの入口。二階はレストランで、右端の朱色の板塀の上で以前はカバーブをアフガン人の親爺さんが焼いて売っていたいた。この時はもう塗りつぶされ壁になっていた。)


 屋上のドミトリー( 多人房 )で40ルピー。
 以前、ベッドなんかをいっぱい置いてあった倉庫に移っていて、元のドミトリーはスタッフたちの宿舎になっていた。一階の通りに面したカバーブの売店も閉じられていた。隣の“ カイバル・ホテル ”がまだ営っていた頃に、頻く買いに行ったものだったが。

 例の肥えたアフガン人の闇屋のオヤジさんが居たので、邪魔になっていたミニ三脚とカメラ用のリモコンを売りつける。250ルピー。( 呉れてやったようなものだけど )。オヤジさん、“ カイバル・ホテル ”時代からの外人旅行者御用達で、アフガン行もムジャヒディーン経由で仲介したりしていた。

 昨夜遅く小雨が降っていたが、今日は朝から曇りがち。薄ら寒く、下はシャルワール( パキスタンの薄い生地のゆったりしたズボン )、上はTシャツ、そして寒くなるとトレーナー。夕方からトレーナーを脱ぎ、フィールド・ジャケット。結局一日中、雨が降ったり止んだり。夜は停電。


 
 20日 ; 朝7時頃起床。上空には灰色の雲が拡がっているが、アフガン方面の空は青く晴れ間が見えた。さすがに、山々にはもう白い積雪は見られない。
 角のチャイ屋で、ナーンとチャイで朝食。但し、ナーンは少し冷え気味で今ひとつ。4ルピー。
 道端で、少年たちが学校の宿題の紙粘土で作ったような小さな壺に絵具で着色していた。こっちの少年は、中学生くらいになるともう鼻の下に髭を生やしオッサン面で、大人か子供か全く区別がつかなくなる。

 昼食を比較的近い小さなアフガン・バザールにあるアフガン・レストランで食べる。
 カバーブ9本、ナーン2枚、カフワ・チャイ( 砂糖入り )1ポツト。計24ルピー。
 二階の窓から下の通りを眺めながらカフワを飲む。カフワには砂糖が入っていて、入らないのがチャーイ・エ・サブズ( 緑茶 )のようだ。ここではカフワは少し大きめのグラスがついてきた。
 さまざまな相貌、髪・瞳の色、服装のアフガン人たちが二日前の雨でぬかるんだままの泥濘と化した道路をそそくさと歩いてゆく。狭い一角だけど、実に多勢のアフガン人で溢れている。ぼくの横にも、中央アジア風とでもいうのか、ロシア風になまった(?)ファルシー( ペルシャ語≒ダーリー語 )を喋るタジクがウズベキの金髪・薄い灰青色の瞳のアフガン人がカバーブを頬張りながら窓の下を眺めていた。


Peshwar_d


 ( カニス・ホテルの屋上。ここにドミトリーや廉価の個室が並んでいた。突き当たりのテラスから下のサダル通りが見下ろせ、斜め向かいにG・P・Oがあって便利な場所であった。)

 別のアフガン人客がスープを注文し、大きめの羊の肉片が二つ浮かんだのが運ばれてきた。やがてその中にナーンをちぎって放り込みはじめた。スープにナーンを浸しながら食べるとか、スープの中に数片入れてスプーンやなんかで食べるというのではなく、少し大きめのアルミの碗いっぱいにちぎったやつを放り込み、手でナーンを押しつけスープを吸わせ、それから指で口の中に掻き込むのであった。グチャ、グチャで、見ているだけで気持ち悪くなってきたものの、イランでも似たようなタブリーズの潰して食べるシチュー=アーブグーシュトなんてあるけど、如何にもイラン人らしく品のある食べ方であった。ひょっとしてこのアフガン人の方が原型なのかもしれず、まあ、アフガン風の茶漬けってところだろうか。

 22日 ; ちょうど一年前、クエッタからイランへ向かうボーダーへ行の列車で一緒になったオーストリア人が屋上のツインに入る。下階のちゃんとしたツインではなく、ドミではないというだけの廉価版。一見オーストリアの石畳の路地裏に棲む貧乏芸術家って趣きで、いわゆるヒッピー世代の生き残り。
 そういえば、場所は何処だったかもう忘れてしまったが、その頃の年代の走りのような老夫婦カップルを見かけたことがあった。禿げた頭に腰まで伸ばした白髪の長髪に、しぼみたるんで皺だらけの上半身を剥き出し、ラジカセから流れるロックに合わせてよれたジーンズに包んだ脚で妙な仕方でリズムをとった歩調で歩いて見せていた。背後のテーブルに彼の嫁さんらしい質素な感じの小柄な老婆が端座していた。七十代って感じで、そのも一つしっくりこないステップの踏み方が、あの時代のヒッピーの生き残りの一つの矜持なのかイキがりなのか即断しかねたものの、微笑ましく思わず苦笑してしまったことがあった。
 ベッドの上にすり切れたキリムが敷いてあって20年も使っているという。ソ連が侵攻する前のアフガンにも旅したことがあり、北部都市マザル・シャーリフや観光地バンディ・アミールも訪れたらしい。
 大きなラジカセを持っていて、聞けばタイで買ったという。リュック一つ分はあるような大型で、案の定、ラジカセ専用のリュックを別に持ち、リュック二つでの移動という。どう見ても重そうで、「アイム・ストロング」と、痩せてひょろんとした身体を伸ばして見せたが、何処かで上側の入歯を落とし、それを犬がくわえて逃げていってしまったので、このペシャワールで作って貰う予定とか。
 
 23日 ; 前日日本人がフンザに、今朝は英国人が発って、ドミトリーはぼく一人。
 今日は水曜日だけど、パキスタンは休日でGPO( 中央郵便局 )も休み。
 路上で布を拡げものを売っている者も多く、日曜バザールというところ。アフガンの地図や本を売っている店があり、薄いハードカバーの“ A Collection of Afghan Legends ”というアムリトサルで印刷された本があった。100と記してあって、それとアフガンのポストカード三枚で計80ルピーで買った。

Peshwar_b

 ( オールド・バザールの路地の両側に高く聳えたインドからパキスタンが独立する以前の旧い建物。中々面白く気に入っていたが、イスラム世界では異形。)

 
 以前カイバル・ホテルの屋上からも見えていた、このカニス・ホテルの屋上の壁から少し顔を出して背後を振り向くと、煉瓦造りの建物に混じってポツンと些か色褪せてはいるものの白いストゥーパらしき先端が金色に輝やいていた。目印になる建物をマークしてその辺に赴いてみると、門は閉まっていたが、何やら門の上にヒンディー語で刻印されていた。表側からはストゥーパらしきものは見えない。ちょっと先に路地があり、そこを入って
行くとストゥーパの裏に出た。上方にドォーム型のストゥーパらしきものが二つ上方に覗けていたが、ヒンディーのストゥーパかどうか定かではない。この近くの民家はベンガル地方からやってきた人達らしい。カルカッタの方かと尋ねたら、バングラディッシュと答えた。
バングラディッシュならイスラムのはず・・・パキスタンとインドが別れる以前から在ったヒンディーの建物なのだろうか。この路地の入口の門の上にもヒンディー語と英語でベンガル・・・と記してあって、そのに奥は廃墟になっていて、大きな柱の跡があった。こんなちょっとした路地裏にも、歴史的痕跡と消息が潜んでいた。


 
 


|

2013年12月 7日 (土)

孤島天堂 ( 復元的試作版 )

S1a


 この蔡楚生監督《 孤島天堂 》(1939年)は、上海が日本軍に占領され状況がいよいよ切迫してきたために香港で制作された抗日映画で、六月に香港で初上映され好況で十二日間も連続上映されたという。その後、重慶や東南アジア( 華僑社会 )でも上映されたらしい。つまりフィルム(プリント )は中国以外の中国人エリアにも散在していたはずが、その当時のオリジナルな形でのフィルムが杳として見つからぬまま、政治的意図によってか、かなり恣意的に再編集されてしまったものだけが残存し、現在巷でビデオ・DVD化されているという何とも不可解な状況にあり続けている。
 そこまで完膚無きまでの隠滅工作が可能となると、やはり、文化大革命における江青・康生=四人組一味がその筆頭にあげられるのだろうが、この映画の挿入歌< 何日君再来 >の絡みで、その謎の解明に迫ってくれていた中薗英助も亡くなって久しく、いよいよ悪しき<政治>力学のためにこのまま闇に葬り去られかねなくなってきた。


 前回、前々回とこの映画< 孤島天堂 >の、アトランダムなのかひょっとして意図的な緊密構成なのか定かでないかなり乱雑な再編集に関して私見を展開してきたのだけど、どうにもその煩雑さを払拭できず、分かりづらいものになってしまった。ビデオ編集ソフトを使って再構成したものを提示できれば一目瞭然だけど、そうもいかず、結局画像による簡略な再構成ということになってしまった。詳細に画像=場面をつないでいけばベストに違いないけど、それほど微妙なものでもないので、簡略なものにした。
 一応< 復元的試作版 >と銘打ってみた。
 元々監督や制作者たちによって編集され作られた映画を、後日誰かが本来の物とは別様なものに再編集(特定箇所のフィルムの削除も)したものを、本来のオリジナルに近く再編集し直すってのは、バラバラにされたジグソー・パズルをはめ込み組み立ててゆくのにも似た面白さもあるけれど、実際には、その皮膜一枚奥に、決して大げさではなく、べっとりと多くの人間たちの血や苦悶・叫びが貼りついてもいるのを知っていれば、そうもいかないだろう。勿論、あくまで試行錯誤的な一つの試論以上のものではないが。

S2


S3


S7


S9


 冒頭、神秘青年と舞姫( 中国ブログでは妓女とも呼んでいる )二人が上海・外灘(わいたん)の高層ビルの屋上で、日本軍に包囲された租界を孤島に見立てて、そこは地獄か天国かと、歌詞字幕付きでこの映画のテーマ曲を唄う。当時すでに人気のあった上海明月歌舞団出身の黎莉莉の歌声が聞き物だったのだろう。

 租界の境界だろうバリケードの向こうにある新聞販売店あるいは新聞配達所から何種類かの新聞を貰って新聞売りの少年たちがバリケードを越えてこちら側に戻ってくる。早速聾唖のピーナッツ売りの黄親爺のところに持ってゆくと、こりゃ何だといわんばかりに両の眼をまん丸にして怒る。こりゃ、"中国"の新聞じゃない! 売国奴・漢奸輩の新聞だ! と手振り身振りで怒りまくって新聞をビリビリに引き裂いてしまう。少年たちはその売国新聞を全部燃やしてしまう。


S10


S11


S12


S13


S14


 そこにバリケードの向こうから、その売国新聞を発行している親日勢力の特務たちの使い走り一味が現れる。皆悪党面だがどうみても使い走りの小悪党って雰囲気。
  「新聞を燃やせと命令した奴はどいつだ !!」 
 凄い剣幕で凄んでみせ少年たちに脅しをかけるものの、逆に少年たちは、「ぼくたちだ !! 」と胸を張り、「ぼくたちは中国人なんだ !! 」と売国新聞なんて今後一切売らないと啖呵を切ってみせる。怒った使い走り一味が少年たちを追いかけ襲いかかるが、すばしっこく逃げ回る。家族を彼ら特務に殺された気の弱いタバコ売りは、少年たちが襲われるのに断腸の思いに駆られながらも、じっと店の影に隠れ見守るばかり。止めに入った黄親爺が今度は襲われ、通りかかった舞姫が一味をたしなめる。他でもない舞姫の仲裁に一味の手もゆるむ。


S16


S18


S20


S21


S22


 騒ぎが一段落した頃、同じ広場の壁に貼りだしていた貸部屋の広告を眺めていたヒモ男(ヒモ紳士といった方が適切だろうが)と彼に騙された某令嬢のカップル、傍に露店を開いている黄親爺に場所を尋ねる。要領を得ない対応に癇癪を起こすが、彼が聾唖であることが分かって、タバコ売りの露店に赴くも、これまた同様に一向に埒があかずここでもヒモ男癇癪を起こしステッキをふりあげる。と、そこにチョコチョコと大家が現れ、部屋に案内する。 当時上海の租界は内外の難民やらで溢れ、住宅事情も良くなかったらしく、そこにつけ込んで一儲けを企む輩も少なくなかったようだ。夫を失った病弱な寡婦の難民一家がその向かいの部屋に住んでいたのが、ことのついでとばかり大家早速金払いの悪いその一家を追い出しにかかる。新聞売りの少年たちのリーダーであるその長男が抗議をするも無視され、翌日には部屋を出なければならなくなってしまう。その大家も含めて皆庶民という括りで、それに敵対するのが横暴極まりない親日特務一味という図式。


S30


S31

 上の二枚の画像、親日特務の新聞社で、幹部の一人が、使い走りたちに販売促進の檄を飛ばすが、売り子の少年たちが新聞を焼いたり拒否してるんですと苦情を零していたのが、美味しい餌でも見せられてか、結局ヘラヘラと追従するシーンなのだけれど、その後に来る、特務たちのアジトのシーンともども、この位置で適正かどうかは定かでない。ただ、少年たちの新聞焼却事件との絡みで、ここが一番適所と考えた。そして、捕らえられた抗日テロリストを含んだ運動家たちに拷問を加えるシーンの展開されるアジトと、その新聞社が同じ場所にあるのかどうかも不明。現行のビデオでは、続いているので、そのまま踏襲した。新聞社の地下のアジトってところだろうか。


S32


S40


S41

 
 難民一家が部屋を明け渡す当日、黄親爺とタバコ売りが自分たちの掘っ立て小屋の近くにおもちゃのような二階建ての小屋を作ってくれていて、無料医療の老先生も激励してくれて母親は感激する。入れ替わりに、ヒモ男のカップル、人力車で大きな鞄をもって現れる。
 マントをひるがえして神秘青年颯爽と登場。
 彼も同じ一角にある<榮成行堆桟 >という倉庫の二階に住んでいて、向かいに舞姫の部屋があった。早速彼女の部屋をノックし、自室に呼ぶ。彼女が現れる間に、ストーブの石炭入れに懐から出した拳銃を隠す。彼女に親日特務たちの顔写真を見せ、彼らのために多くの人々が傷つけられているんだ、と訴える。そして、これらのメンバーの顔を覚え、もし現れたら動向を探って欲しいと依頼する。


S51


S53


S54


S62


S64


S65


S66


S68


 ヒモ男、連れの令嬢にオフィスに行くと称して外出し、早速高級クラブ< 天堂花園舞庁 >で若い舞娘と一緒にテーブルに坐り、ショーに夢中になって歓声をあげる。舞娘は自分よりショーの方に昂奮するヒモ男におかんむり。 と、そこに三人連れの男たちの一人=情報課長が彼に声を掛ける。旧知の仲ようだ。彼らこそ誰あろう親日特務の幹部たちであった。遠くで様子を見ていた舞姫は思わず顔を青ざめさせた。神秘青年が見せた特務たちの写真に載っていた連中ではないか。神経を患っていて、医者に言われて夜10時には床につかねばならないんだよ、とヒモ男に言い残し、そのまま足早に去ってゆく。
 特務と接点をもっているヒモ男に接近しない手はないとばかり、早速彼に手練手管の秋波を送ってやると、簡単に釣られてヒモ男、舞娘に大晦日の年越しディナー・パーティーのチケットを買ってやってさっさと追い払う。

 ふられた舞娘、舞娘たち専用らしい控え室に戻ってヒモ男の悪口雑言を並べ立てる。借りた部屋で女と一緒に住んでいることすら知っていて、チャラい修辞を書きまくったヒモ男のくれた彼の写真を取り出して、他の娘たちに見せびらかす。その写真に書かれた彼女への歯の浮くような言葉にみんな大笑い。舞娘、憤懣やるかたなく、写真を破り、水洗トイレの中に放り込んで流してしまう。戦前に既に上海では、現在のと同様ハンドルを回すと水が流れる式の便座トイレがあったのには驚いた。それも実に勢いよ流れている。ここのヒモ男が綴った文句を舞娘たちが声を上げて読みながら大笑いしたりのシーン、現在でも通用するぐらいに面白く出来ている。
 
 ヒモ男、舞姫と二人っきりで上階のテーブルにつくやいなや、「永久の伴侶になってくれよ」と迫ったものの、舞姫にやんわりとあしらわれてしまう。

 と次に、ヒモ男の連れの令嬢が借りたばかりの部屋で一人編み物をしながら彼の帰ってくるのを待っているシーンが入る。そこに大家が様子を見に現れ簡単な会話をして戻ってゆく。

S69


S70


S92


S71


 再び< 天堂花園舞庁 >でのヒモ男と舞姫のシーンに戻り、更に神秘青年の部屋のシーンに続く。

 いきなり神秘青年がノートに「 特(務 ? )課長 李・・ 福明路十二号  毎晩 十時入睡 」と記す場面から始まる。つまり、舞姫がナイト・クラブで得た情報ということだけど、その後、舞姫が以前のシーンで神秘青年に求められていた資金面での援助に早速応えて幾ばくかを手渡す。青年は感謝の念を吐露する。夜の女は普通人より実入りは好いし日銭として入るので、地下運動家たちにとっては頼もしいサポーターではあろう。
 自分の部屋に戻った舞姫、窓から雲に見え隠れしながら輝く朧月を眺めていると、つい追憶の念にかられ、家族のアルバムを開いてみる。日本軍の侵攻で追いやられた故郷・中国東北地方(満州)の松花江での楽しかった家族たちとの生活・・・それはもはや遠い過ぎ去った日々。嘆き悲しみながら舞姫によってここで唄われるこの映画の有名な挿入歌< 九・一八 >(あるいは< 松花江上 >)が流れる。
 歌詞字幕付き。その悲しい歌声に、何処かに出かけようとしていた神秘青年も苦悶し、思わず彼女の傍へ駆け寄ってなだめる。しかし、歌姫は何よりも彼の想いを訴え、「愛してくれてないの?」 と迫る。青年はともかくテロリスト・グループのリーダーであった。そんな個々の恋愛・恋慕の情にうつつを抜かしてはいられない・・・革命( 解放 )か私情かという二者択一的なお決まり定番。何よりも解放・革命第一ってところで、二人して窓から夜空を朧ろに照り輝く月の姿を眺め続ける。
 

S81


S83


S86


S88


 本来はその前の部分もあったかも知れない再び< 天堂花園舞庁 >でのヒモ男と舞姫のシーン。
 最初に二人が同じテーブルに就いた時の服装とこの場面での二人の服装が異なっているので別シーンなのが分かる。
 ここで舞姫はあの折りにヒモ紳士と親しげだった特務たちのことを尋ね大晦日の年越しパーティーに彼らと同席する約束をヒモ男からとりつける。その内、外が騒がしくなり、二人もバルコニーにみんなと一緒に鈴なりになって外の騒動を見物する。何と暗い街路で神秘青年を警官たちがライフルを撃ちながら追いかけているではないか。
 逃げまどう人々の背後から神秘青年も姿を現し自分の住処の近くまでやってきた。タバコ売りも黄親爺も、銃声と悲鳴に驚き、子沢山な大家の一家も眼を醒ます。ふと見ると、ヒモ男の部屋に灯りが灯っていて、大家が銃声に怯える部屋に一人残った令嬢を怖がらせて電灯を消させる。掘っ立て小屋の小さな窓から外の様子を窺うピーナッツ屋黄親爺のすぐ向こうに逃げてきた神秘青年が現れ去っていった。ふと見ると、彼の去った跡に薬莢が一個落ちていた。それを拾って部屋に持ち帰り、気持ちが昂ぶってしまって、すぐ傍あるタバコ屋の小屋に赴く。


S102


S104


S107


S108


S109


S121


 最愛の神秘青年の安否を気遣って慌てて住処に戻った舞姫、彼の部屋に急いだ。ノックすると、果たして窓に灯りが灯り、とりあえず安堵。神秘青年が暗殺したのであろう情報課長の写真にべったりと×印がつけられ、腕を被弾していた青年の手当をしてやる。ともかく安静するように伝えてプツリとフィルムは切れる。


S131

S133

S134


 親日特務の新聞社、当日の新聞を手にした幹部がデスクで憤慨する・・・その紙面には・・・そこでピーナッツ売りの黄親爺に画面が反転。紙面に大きく、昨夜11時 神秘青年、情報課長を銃殺する !! の見出しが躍っている。黄親爺の眼に驚きとともに思わず喜悦の色が走った。昨夜の騒ぎはこれだったんだ・・・すると、その救国的英雄は・・・あのマントの男。知らず昂奮し、食事中のタバコ屋その異様に昂ぶったピーナッツ売りの身振りに吃驚して皿の食物を落としてしまう。 


S165


S166


S167


 この下の、それぞれが同じ時間軸で繋がった一連のシークエンス、冒頭の神秘青年の部屋で青年が舞姫に、「もし何にも起こらなければ戻ってくるけど」と意味深な言葉を言い残して部屋を出てゆき、舞姫が慄然としてしまうシーン。ひょっとして情報課長暗殺の決行を目しての決行前のシーンと見ることもできなくはない。が、舞姫が手に持っているのが紙なのか神秘青年にしてやった包帯なのか画面の精度が悪く分からないけど、紙のようには見えず、この後すぐに続く神秘青年が通ってゆくのを見たピーナッツ売りの表情からして、やはり前夜の情報課長暗殺の翌日とみる方が妥当だろう。その包帯らしきものをストーブに放り込み消却するシーンが続く。
 又、舞姫がバケツとモップで神秘青年の部屋=テロリスト・グループのそのアジトで、これ見よがしに床掃除するのも、前夜の負傷した神秘青年から滴った血痕を拭って痕跡を消すためと考えられなくもない。

 <榮成行堆桟 >から出た神秘青年、タバコ屋やピーナッツ売りの黄親爺の傍を通り抜ける時、大家にぶつかってしまう。謝ってそのまま先に向かうマント姿の神秘青年に、黄親爺、何処かで見た覚えがあった。
 「そうだ、あの警官に追われていたマントに帽子の男だ !! 」
 この黄親爺の驚きの表情は前夜の神秘青年と警官たちとの銃撃事件以外には見あたらない。やはりこのラインは前夜の銃撃事件後の設定とみる方が自然だろう。けれど、一つ前の、ピーナッツ売りの黄親爺が新聞で事件のことを知る前の部分に、ひょっとしてこの一連のシークエンスが本来入っていた可能性も考えられる。

 そして、そこに例の特務の下っ端輩が現れ、タバコ屋やピーナッツ売りの黄親爺にあれこれ因縁をつけ、乱暴狼藉を働いたあげく、部屋を追い出された未亡人一家にも「何を見てやがる !!」と罵倒し細々とした商いの露店をすら蹴飛ばしひっくり返してしまう。その脇を戻ってきたヒモ男、冷ややかに横目で見遣りながら通り過ぎてゆく。

 そしてヒモ男が<榮成行堆桟 >の前を通りかかった時、入口の前で掃除を終えた舞姫がモップを洗っているところに出くわし、濡れたモップの先がヒモ男のオーバー・コートに当たって汚れてしまう。舞姫、ふと振り返ると例のヒモ男ではないか、知られてはまずいと顔を背け、謝罪もせずにいるのを怒ったヒモ男にどやされステッキで何度も叩かれても、決して彼の方に顔を向けなかった。ヒモ男、女の小隊を知らぬまま吐き捨てて去ってゆく。 
 その後、オーバーラップでヒモ男の部屋でのシーンに移る。 
 ベッドの上に寝っ転がったヒモ男に、編み物をしていた令嬢が、「何時結婚してくれるの? もう( 子供 )は三ヶ月にもなるのよ・・・」と愚痴りはじめる。ヒモ男、露骨にうんざり顔をしつつも、「もう年の瀬もおしせまってる。年が明けてからにしよう」とその場を取り繕い、先延ばしにして令嬢を騙す。


S145


Pzzz


Xx


S148

S149


S152


S153


S154


S156

 突如画面は、神秘青年たちがアジトで正月=元旦、つまり新年にバラまく「全市五百万市民に訴える」檄文を謄写版で印刷しているシーン。
 そして途中で切れ、テーブルの上に拡げられた< 天堂花園舞庁 >の略図を中心にした手書きの周辺地図を前に青年たちが彼らにとって最後になる作戦計画を練るシーンに変わる。< 天堂花園舞庁 >の入口から入って進むコース、そして作戦完了の後に窓から逃げ出し舟が待機している波止場までのルートを神秘青年が鉛筆でなぞってみせ、その空白に出席した特務一味を一斉攻撃する時間を「 除夕夜十二時左右 」( 大晦日の夜十二時前後 )と書き記し、彼神秘青年が手に持った風船をタバコの火で破裂させるのが合図と告げる。傍にいた舞姫に「君は舞池(ダンス・フロア)に居てくれ」と指示する。
 緊張と昂奮のない混ぜになった、それでも一縷の寂しさを湛えた表情で舞姫が「皆とは又ここで会えるんでしょう ?」と尋ねる。と、「否、僕らはもうここには戻らない。後方で遊撃工作に従事する予定だ」と決然と青年は答える。舞姫も一緒に行きたがるが、君には不向きだと断られ、君には難民収容所での任務に就いて欲しいと請われる。

 やがて話は檄文ビラの方に移り、突然ドアがノックされる。
 全員一斉にドアの方を向き、慌てて青年だけ残して隣部屋に身を隠す。背広のポケットに拳銃を握りしめ引き金に指をかけたまま、ドアを開くと、誰あろうピーナッツ売りの黄親爺であった。
 片手に例の記事の載った新聞を握りしめ、これはあんただろう、と嬉しそうに言い寄る。何言ってるんだ、と青年が知らぬ素振りを決め込んでも、黄親爺執拗に食い下がる。そして、ポケットから件の薬莢を取り出して見せる。さすがにもう誤魔化しようもなくなって、認めてしまう。実は黄親爺、日本軍の爆撃で一家が殺害され無一文になっての難民生活であった。「惨 !」と青年は、身振り手振りで語る黄親爺の悲惨な境遇に同情を禁じ得なかった。そして手にしていた新聞の広告かなんかの見出しの文字をあれこれ指差して見せた。
 「愛国的 中国人」
 更に、「仇復」(=復讐)の文字も指差した。
 恨み骨髄に達していて、せめて一矢でも報いたいのだ。
 そんなやりとりを聞いていた舞姫が戻ってきて、檄文ビラの束を手に「彼にこの檄文ビラを配布してもらったらどう」、と配布問題で困っていた青年に提案する。黄親爺は自分が認められて嬉しくなる。最初は渋っていた青年も他に良い手立ても見つからず、彼に任せることに決め、「気をつけてくださいよ」、と念を押してドアの外に送り出す。再びテーブルの周囲に集まったメンバーの前で、感に堪えないとばかり絶句する。
 「中国は決して滅びない !! 」 


S168


S159


S169


S171


S172


S173


S175


S177


S178


 新聞売りの少年たちが集まって、明日の新年元旦に門扉に貼り出す対聯(ついれん)書きに興じている。
 早速母親の処に持って行って見て貰い、「解放に男女老若の区別なし」等の文句が並んだ聯を掘っ立て小屋の門扉に貼りつける。今度は、皆で大家の対聯を見に行く。「 花開富貴樹 」等の定番の文句が認めてあり、少年たちのリーダーが「古る ~っ!! 」とその旧態依然をコケにする。大家怒って追い払う。そこにヒモ男が通りかかり、大家が呼び止めて、「明日は新年元旦ですから・・・」と対聯を指し示すと、ヒモ男見上げて答える。「太陽暦の新年でも対聯を貼るのかい ? 」
 「今は文明の世の中ですよ」と大家は切って返す。

 その後、ヒモ男が部屋に戻ると、令嬢が丁度純白の花嫁ドレスを身に纏って鏡で確かめている最中。令嬢は気恥ずかしさもあってかクスクス笑いながら「今日買ってきたの」と得意げに見せる。が、ヒモ男ウンザリ顔をするばかり。令嬢気になって「何が気に入らないの ? 」と尋ねる。「今夜、金の支払いがあるんだけど全然足りないんだ」と沈んだ表情を作ってみせる。何百元も持ち合わせはないけど、母がくれた百元ならあるわと、中国式に幾重にも包んだ餞別の包みを開いて彼に渡す。ヒモ男、小躍りしたい気持ちを抑えて再び外出する。


S182


S183


S184


S186


 < 天堂花園舞庁 >での大晦日の年越しパーティーのシーン。
 「恭賀新禧 」Happy New Yearの文字が現れるが、この時点ではまだ大晦日の夜。
 宴たけなわってところで多重映像が狂躁振りをうまく演出している。特務幹部や配下たちが勢ぞろい。尤も、特務の発行している新聞の販売に係わっている使い走り一味なんぞが入れる場所ではないようで、姿は見られない。ヒモ男の写真を破り捨てた舞娘の姿もあった。
 舞姫もヒモ男と一緒に並び、ふとヒモ男が舞姫の手を触って驚いた。
 「どうしたんだい、手が冷たいぞ」
 「ええ、体調が今ひとつなの」
 「だったらブランディーをちょっと飲めば大丈夫さ」
 すすめられたブランディーを口につけようとした次の刹那、舞姫はギョッ!とした。
 入口に颯爽と眼だけを隠した覆面姿の神秘青年が現れたからだ。奢侈で猥雑な喧噪が嘘みたいに吹き飛んでしまった。やがてここで血で血を洗う凄絶な死闘が展開されるのだ。思わず噎(む)せて咳き込んでしまう。同じように覆面した神秘青年のメンバーがぞろぞろと悠揚迫らずゆっくりと手はず通り階段を降りはじめる。それとオーバー・ラップして、テーブルの中心に特務幹部と舞姫が他の客の注目を集めながら立っている次のシーンに入る。
 早速舞姫が言い訳がましく弁解する。
 「すいません、わたしこの歌唄えないんです」
 すると小肥りした幹部特務がすかさず、
 「<何日君再来>なんてこの上海じゃ三歳の子供でも唄えるよ」
 「本当にすいません、本当に唄えないんです」
 と、そこにヒモ男が横から入ってくる。
 「ちょっと体調悪いなんて大したことないよ・・・」
 「なら、ちょっとだけね」
 満座の拍手を受けながらステージに向かう舞姫、途中テーブルに就いていた神秘青年と視線が会い、互いに眼をそらした次の瞬間、フィルムは切れる。(ビデオでは正月の新聞少年たちのシーンに繋がっている)


S192


S194

S195


S196


S197


 < 天堂花園舞庁 >の年越しパーティーもいよいよ山場に差しかかり、ステージでは新年を直前にしての旧年に別れを言う定番「蛍の光」が演奏されている。<何日君再来>を唄ったはずの歌姫の姿はない。どころか、眼につきやすい場所で、神秘青年が鬼気迫った眼差しに風船を片手にして立つのを見て取って、慌てて傍にいたヒモ男の手を取り中央の踊り場に向かい踊り始める。顔は蒼白になり強ばり、キッと視線は神秘青年の風船に注がれていた。やがて神秘青年、周囲の様子を窺っていたのが、ついに決然と手にした風船にタバコの火を押しつけた。
 破裂音と同時に、一斉に神秘青年グループの面々が動きを開始する。
 壁際に整列し、特務たちの位置を確かめて次々と傍へ近づいてゆく。それと分からぬようにピストルに幾重にも巻かれたパーティー用の紙テープを乗せてカムフラージュし、人陰と狂騒音にまぎれてピストルを発射し次々と殺害していった。やがて客たちが特務たちの死体に気付き騒ぎはじめ、特務とテロリスト・グループ神秘青年一派との死闘が展開されてゆく。ヒモ男も乱闘に巻き込まれ血に染まって床の上を這って逃げようとするが、逃げる客たちに踏み潰される。特務の幹部と神秘青年の一騎打ちも始まって、プツリとフィルムは途切れる。

S199


S200


S201


S202


S203


 バリケード前で新聞少年たちや住民たちを前に新聞売りのリーダーが熱弁を揮う。
 「今日は元旦、と同時にぼくら中華民国の建国記念日でもある。」
 つまり、もう、このシーンは< 天堂花園舞庁 >での神秘青年一派が特務たちを一掃して舟に乗って去っていった後での出来事。現行のビデオでは、この長いシークエンスの後に、情報課長が殺害された新聞記事を黄親爺が読む所からはじまる一連のシーンが続き、神秘青年が頭を抱え感極まって「中国は決して滅びない !! 」と叫ぶシーンで終映となっているけれど、現行ビデオに納められている総てのシーンの中ではここが一番最後のシーンというになる。この後に、中薗が言及していた神秘青年グループが租界の外に去ってゆくシーンが続くとは思われない。時制的には、もう正月元旦の朝日が昇って充分に明るくなった後。

 と、そこに昨深夜< 天堂花園舞庁 >での一件をまだ知らないらしい特務の使い走り一味が現れ、早速因縁をつけてくる。「お前たち、一体何をやってるんだ」と。目ざとく舞姫が手にしていた本を見つけ、取り上げる。
 <難民教材>のテキストであった。神秘青年に請われた「難民収容所での任務」に就くための勉強というところだろうか。ところが、正月の酒のせいもあってか特務の使い走り一味たち、執拗に舞姫に絡み、粗暴・狼藉を続ける。とうとう住民たちも、あの大家すらが堪忍袋の緒を切って、黄親爺の「やっちまえ !! 」の叫びで一斉に特務の使い走り一味に襲いかかってゆく。広場でも一大乱闘が繰り広げられ、丁度そこに人力車に乗った包帯だらけになったヒモ男が戻ってきて、またもや巻き込まれてしまう。血塗れになって自分の部屋のある路地の方へ懸命に逃げてくるヒモ男の姿を窓から見つけた令嬢が悲鳴をあげる。
 広場に店を開いていた中国独特の商売<売湯屋>の気丈な女主人が、特務の使い走り一味に大桶から熱湯を浴びせかける。悲鳴をあげてバリケードの向こう側に逃げ出した彼ら、その頭目が配下に見せられたその日の新聞に目をやって、昨夜の事件を知る。もはや彼らの後ろ盾は居なくなってしまっていたのに気づき、慌ててその場から逃げ去ってゆく。バリケード前に集まって彼らを追い払った住民たちは歓声をあげる。そして、少年が中華民国の国旗を高々とあげてゆく。
 只、現行ビデオではそこまでで、青空にはためく青天白日旗は見られない。途中でフィルムが切れてしまっている。台湾=蒋介石・国民党と敵対していた半世紀、とりわけ文化大革命の頃には先ず認められないどころか、反革命として確実に断罪されたであろうから場面故に削除されたのだろう。


S211


S212


S213


S214


S215


S216


S218_2


S220_2


 以上、簡単により整合的な再編=復元の試みを提示してみた。
 曖昧な部分も何箇所かあるが、現状のままでは中々それ以上は難しい。意外と、セリフが周到に理解できたならばもっと整合性のある再編=復元ができたりするのかも知れない。

|

« 2013年11月 | トップページ | 2014年1月 »