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2014年2月の2件の記事

2014年2月15日 (土)

平成のアジテーター小林よしのりの「AKB論」

Akb


 
 昨年のAKB総選挙を総括する討論会で、マンガ家の“ よしりん ”こと小林よしのりが、
《 AKB論 》を執筆中と漏らしていたので、どんな内容なのか興味を持った訳だけど、文章ではなく、マンガであった。のっけから肩すかしを喰ってしまった。マンガ家故に文章よりもマンガの方が展開し易いのだろうか。

 小林のAKBおよび姉妹グループに対する想い入れは、自身がAKBの“ 広告塔 ”と称するほどの並々ならぬものらしく、AKB=アイドル、それも“ 純血・清純 ”という、日本だと宝塚少女歌劇団あたりに成立した( ? )ようなかなりレトロな観念を抱いているようだ。尤も、宝塚のファンは基本、女性なので意味はないけれど。
 TVなんかで活躍しているアイドルたちって、そんな規範を前提として見られていたのだろうか? 古くは山口百恵や聖子・明菜、更にはアムロや宇多田ヒカルたち。その手の規範は、専(もっぱ)らそのアイドルたちが所属している事務所が押しつけてくる営利行為でしかあるまい。アイドル=商品として見、その賞味期限を少しでも長らえさせるための。一言で謂えば、搾取的軛(くびき)。そんな企業的営利を居直ってそのアイドルたちの上にヌケヌケと金看板として掲げたAKB( 企業 )運営。つまり、商品(アイドル)のパッケージの上に、《 恋愛禁止 》の謳( うた )い文句をうやうやしく金文字で記し、消費者の歓心を煽るって手管。そしてそれは是非の世論を喚起し注目を集めるという秋本=AKB運営の常套手段“ サプライズ ”方式の一環でもある。
  
 しかし、そのアイドルを愛するはずのファンの側までもが、そんな人間性を否定するような挙に出るのだろうか? よしりん先生の叫ぶ“ 疑似恋愛 ”って、アイドルが純血=処女のままで居て欲しいということであるらしいけれど、一方的な所謂(いわゆる)プラトニック・ラブという奴なのだから、彼の目の上のたんこぶだったらしい指原莉乃が劇場総支配人を務めるHKT( 博多 )の曲の歌詞にもあった如く、例え憧れの娘=アイドルに好きな男子が居たって好い、それで彼女が幸せならば・・・という純粋ティーンエイジャー的な( 陶然的 )感傷ってどうなるのだろう。
 
 
 《 スキ! スキ! スキップ 》

もし君が他の男の子と
楽しげに話してても
しょうがない

ジェラシー感じるより
そっと見て見ぬふり
君が君らしく
しあわせそうなら

 
 この歌詞は、そもそもが“ 恋愛禁止 ”を唱えた( らしい )秋元康が書いたもので、恋愛的実関係の伴わない、それ以前の段階とも謂える片想いのプラトニックな( 疑似 )恋愛を、燃え上がった(一方的な)恋情が総てを溶融する陶然的境地を唄っているのだけど、それは憧れの娘=アイドルを一人の幅をもった人間として観ている。その歌詞の中で、秋本は、“ 片思いは傷つかない ”とも書いているが、それだと実関係に入ってないからということになってしまう。そうではなく、高まる恋情の溶融が故に総てが許せるのだろう。この些か取って付けたような破綻したフレーズだと、秋元康=AKB(運営側)の体制的イデオロギーのプロパガンダって趣きになってしまう。平均年齢の若いHKTの面目躍如な作品だけに、正に珠( たま )に疵( きず )って訳で残念。
 
 よしりん先生、自身が純血・清純を求め、マジに“ 恋愛禁止 ”を叫びながらも、所謂ヲタ( オタク )たちの中に狭隘な純血主義者=報復的行動に走るアンチたちを指弾し、それでも結局自身も彼らと同じ心理的陥穽に陥ってしまう所詮一つ穴のともがらと大団円を決め込んでしまう。要は、“ AKBの広告塔 ”としてネットや世論を盛り上げるための私設のアジテーターを買って出ての宣伝・プロパガンダの一環ってとこなんだろう。何しろ、よしりん先生、左右どちらにも偏らない“バランス感覚 ”を旨としているらしいのだから。


 昨年のすっかり列島を席巻した《 AKB総選挙 》、よしりん風に言うと、AKB運営側のゴリ押しの前田敦子をヲタ=(コア)ファンが立てた大島優子が倒し、こんどはその優子をライト・ファン=大衆が指原莉乃を立てて倒したって図式になるのだろうが、そもそもアイドルって大衆の上に成り立つ概念以外の何ものでもなく、その対極というより微妙に重複した形で対置されるものがアーチストだろう。だからサッシーこと指原莉乃は、紛うことなく純正アイドルってことだ。

 よしりん先生、アイドルの中のアイドルたる王道的AKBセンターの資格を“ 容姿・パフォーマンス・恋愛禁止 ”としているけど、元々日本女性って美人が少なく、嘗てパリ・ジェンヌ( パリ娘 )たちが世界中から美人の代名詞のように喧伝されていた頃、あるパリ男が「彼女たちは、化粧が巧いんだ」と解き明かしたという故事にちなめば、日本娘も同様で、皆化粧が巧くなってそれらしく見れるようになってきてるに過ぎない。
 一つの教室をそのまま切り取ってきたような AKB的布陣にあってみれば、初代・二代、前田敦子・大島優子ともに美形とは言い難い。“ ブス・キャラ ”と自らすら称してやまない指原莉乃とそう言うほどに容姿に差はない。カメラマンの桑島智輝がいみじくも吐露したように指原莉乃にも美的要素は多分にあって、例えばある角度からみれば「 オッ! 」と思わせる美的輝きを発する。色んな角度から被写体をファインダーから覗き視るカメラマン故のリアリティーだろう。これは蛇足だけど、最近ある美容雑誌から《 THE BEST BEAUTY OF THE YEAR 》なる賞まで貰ったとか。
 美少女といわれている“ まゆゆ ”こと渡辺麻友もメーキャップを施してアニメ風あるいは宝塚風の美少女ってところだし、そもそも彼女たちは舞台( ステージ )の上でその真価を問われるのだから化粧してからが勝負=実像ということになる。( 素っぴん顔はこの伝でいくと虚像となってしまう。 )

 この本で面白かったのは、よしりん先生の宿敵といわんばかりの“ 異形 ”指原莉乃に対する執拗なまでの拘りだ。よしりんのヒットしたマンガの主人公のキャラクターと同一視しての“ 異形 ”のレッテル貼りらしいが、

 「 指原が博多へ行くと、《 地獄の黙示録 》のカーツ大佐のように王国を作ってしまう 」
 
とまで茶化し決めつける。だとすると、CIAから派遣されたカーツに対する刺客ウィラード大尉は誰になるのだろうか。まさかよしりん先生自身じゃあるまい。それだと映画と相違して、先生自身既に白旗を揚げてしまってる。博多の屋台で対談した際のことだったのだろうか。
 
「さっしーは、全然へタレじゃなく、恐るべき鉄の心臓でした。しみじみと恐怖を味わいました・・・これをもって、わしは指原莉乃に対するアンチ言論を終了します。もうアンチネタも尽きました」

僕的には、カンボジアの奥地の小さな王国のカーツ大佐よりも、十代前半の娘たちのHKT故に、遙か広大な中国を怒涛の如く席巻し蹂躙した文化大革命のあだ花、若き紅衛兵たちを率いた江青の方が面白いと思うのだけど、ちょっと幾ら何でもサッシーには可哀想過ぎる茶化しではあろう。
 後数ヶ月後に迫った次のAKB総選挙、一体如何なる展開になるのだろう。
 指原莉乃が再度絶対的不動の首位を守るのか、辞めた大島優子の票をもモノにして渡辺麻友が覆すのか、更に全然別の若いメンバーが一気に駆け上がって来るのか予断を許さない。

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2014年2月 1日 (土)

陶然的酔生夢死 『 おしまい町駅ホーム 』 

Jun2


 深夜あるいは未明の醒酔定かならぬ彷徨。
 
 センシティブで不可思議さをかもしだす戸川純の唄の、それまでの彼女の雰囲気からもう一つ踏み込んだ、彼女の心の奥底に伏在する仄暗い闇を垣間見たような、それでいても一つ醒めたユーモラスさえ湛えた唄声が妙に深みをもって迫ってくる。その奥底に、ふと死の匂いが見え隠れし漂っているのは、かつての彼女の妹・京子の自殺そして彼女自身の自殺未遂の体験から洩出したものであろうか。
 You Tube で見つけた戸川純のこの曲には、昏いトーンのクエイ兄弟の人形アニメーション映像《 人口の夜景 》(1966年作品)の部分が巧く使われていて、一層イマジネーティブな様相を呈している。オリジナルのアニメーション作品《 人口の夜景 》とは些か趣きを異にしてるものの、戸川純の唄とこの曲自身のトーンとに絶妙に融け合って、も一つ別の世界を構築してしまっている。


 深夜酩酊しあるいは泥酔した酔っぱらいが、覚束( おぼつか )ない朦朧とした意識と足取りで、ヨロヨロとそれでも通い慣れたように人気のない地下鉄駅の階段を降り、プラット・ホームのお決まりの場所・寝場所に、音を立てて転がり込む光景あるいは彼の脳裏にゆらぎ続ける心象風景って趣きもなきにしも非ず、つまり酒精によって誘発された朦朧陶然とした酔生夢死的彷徨って奴なのかも知れないけれど、やはり、戸川純自身が、水谷紹のこの詞にかならずしも肯定的ではないらしいことからも、“ Dive into the Railroad ”を直裁に受け止めるべきなんだろう。尤もその時も、画然と酒精的朦朧陶然と一線を引くというのではなく、むしろ曖昧に融合し一層更なる朦朧陶然としてゆらめく態のものに違いない。
 ぼくがこの戸川純のこの曲が好きなのも、彼女の独特の世界が誘発する朦朧陶然の故だ。他の歌手が唄ったらまったく別ものになって、これほどぼくに拘泥させることなどなかったろう。 


 曲の後半、少し長めのストリングスの間奏の後の“ ここのホームは ”から、グ~ンと盛り上がって、“ 安心してよくってよ~”が、何処へでも好きなところへス~ッと行けてしまうんですよ、飛び込みさえすれば。《 夜明け 》と《 明日 》以外なら、想い出の場所とか、この世の何処でも、あの世でも、ひょっとして異( 次元 )世界にすらと、実に陶然として死への意念を昂ぶらせ、ここのホームは、絶対に、他の駅のホームのように失敗することなく、確実に、と言わんばかりの、グ~ンと危うい放物線を描いて高揚させ甘美な死へと誘ってゆく。
 “ ここのホームは安心してよくってよ~  どこへだって抜け出せてよ ” 
 この何とも凄絶な歌詞を戸川純はむしろ朗々と唄いあげてゆく。あたかも冥界からの使者の如く、アジテーターの如く、あるいは勧誘員の如く、冥界の秘密の甘露アムリタをふりまきながら。
 それにしても戸川純、地下鉄会社が見たら眼を剥きそうな曲を、実にイマジネーティブな酔醒定かならぬ陶酔的彷徨の果ての法悦境をすら来たし得かねない作品世界にまで昇華してくれている。 普通のJRやなんかの地上の電車じゃなく、地下鉄ってところがミソなんだろう。地下鉄独特の仄昏さと都市性。

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