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2014年3月の3件の記事

2014年3月22日 (土)

砂丘のゆらめき『 楽園の瑕 東邪西毒 』

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 確か1994年版の方の《 楽園の瑕  東邪西毒》、名古屋のシネマスコーレであったか観た覚えはあるけど詳細はつまびらかでなく、この2008年版《 楽園の瑕 終極版》と一体何処が相違しているのか定かでない。
 それにしても、もう二十年も前の作品、皆若々しい。ブリジット・リン( 林 青霞 )1992、3年の《 笑傲江湖 》シリーズの東方不敗のゆらめく性(別)不確かな妖艶さの後を受けたように、ここでも兄妹・性別・自他の同一性すら不確かにゆらめく妖しげな存在性を漂わせている。

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 冒頭、仏典に曰く“ 旗未動、風也未動、是人的心自己在動 ”と提示される。
 中国西方砂漠のとある朽ちた一軒の陋屋が舞台。
 砂丘の上を風が吹き抜け、襤褸はためき、オアシスの水面に波紋がゆらめきわたる。あばら屋故に木洩れ陽が射し風に吹かれて回転し続ける大きな鳥籠の影がゆらめき、人物たちの面をもその陰影がゆらめく。ともかく総てがゆらめき続ける。
 途中現れる失明寸前の流浪の剣士( トニー・レオン )も盗賊たちとの一戦で明暗のゆらめきの一瞬の隙を衝かれ斃れ、灼熱の陽光に干からびやがて風の運び続ける砂に埋もれてしまう。

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 その砂礫の上の一軒家にいつの間にか棲みついた男、背まで伸びた長髪に褪せた破服をまとい、後に「西毒」と呼ばれるようになる欧陽鋒( レスリー・チャン 張 国栄 )、殺人請負の仲介人を生業とする。
 近くにオアシスがあり、鳥や動物が水を求めてくるように、言い難い様々ないわく因縁を抱えた男や女が辿り着き、そして去ってゆく。
 もう幾年も、毎年決まった時節になると一人立ち現れる友、後「東邪」と呼ばれるようになる黄薬師( レオン・カーフェイ 梁 家輝 )。今年も現れ、腰まで伸びた黒髪の間から、愁いに満ちた眼差しを覗かせながら土産の酒壺を一つ卓子の上に置き、飲むと過去を忘れるという。銘は《 酔生夢死 》。
 自ら盃を重ねる黄薬師、嫌い断る欧陽鋒。
 実は黄薬師、毎年決まった時節に、嘗ての欧陽鋒の恋人(マギー・チャン 張 曼玉)と逢瀬を重ねていたその帰りに立ち寄っていたのだった。如何にも王家衛好みのストーリー立て。

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 燕国の凛々しく黒衣を纏った美麗な剣士・慕容燕( ブリジット・リン)が現れ、妹を裏切り侮辱したと黄薬師の“殺害”を依頼する。すかさず今度はその妹が現れ、その兄を殺害して欲しいと頼みこむ。ブリジット・リンの兄妹の二役だが、欧陽鋒はその兄妹が同じ人物と悟る。その兄のはずの慕容燕、実は故あって性を偽り世間では男としてふるまってきた女。曖昧朦朧にゆらめく性の妖花・・・ブリジット・リンの十八番だろう。東方不敗なみに剣戟の一場面くらい欲しかったが、一閃 ! 黄薬師の腹を横様に斬って見せただけ。

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 眼の完全に見えなくなる前に、一目故郷の桃花を見て脳裏に刻みつけておきたいと、その路銀欲しさに、近郷の農村を荒らす盗賊退治の仕事にありつくトニー・レオン扮する剣士。土煙をあげて押し寄せてきた盗賊一味と一人対峙し、次から次へと斬りまくる。躍動感そのもの。
 次に現れた、ジャッキー・チュン( 張 学友 )扮する裸足の洪七、途中で斃れた桃花剣士の仕事を引き継ぎ、怒涛のように押し寄せる盗賊一味を斬り倒し続け蹴散らしてしまう描写に、更にスピード感が加わる。正に疾風的躍動そのもの。
 同じ砂漠の一軒家を舞台にした二年前のツイ・ハーク脚本・レイモンド・リー監督の《 ドラゴン・イン 新龍門客棧 》とは随分趣きが異なって、映像美を追究するウォン・カーフェイ( 王家衛 )の面目躍如。
 最後に欧陽鋒、一軒家を焼き払い炎に包まれるのを尻目に自らの野望を遂げるべく新天地に疾駆してゆくんだけど、そういえば、《 ドラゴン・イン 新龍門客棧 》でも最後には客棧=旅館に火を放って皆去ってゆく。
 風は砂を運び、炎は灰を運ぶのだろうか。


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2014年3月15日 (土)

平成末の因果応報的死霊譚 『 クロユリ団地 』

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 米国版《 リング 》がそれなりに面白くてオリジナルの日本版の方も観てみたらアレレ ? 物だったその同じ中田秀夫の監督作品である《 クロユリ団地 》、元AKBの前田敦子主演ってことで注目を集め結構ヒットしたらしい。共演の成宮寛貴の効果もあったのかも知れない。でも、クレジットみたら〝 企画・秋元康 〟とあって、前田敦子の卒業ってあくまでAKB48のって限定つきだったことの方に驚いてしまった。
 《 呪怨 2 》の酒井法子と同様可もなく不可もなくの別段特筆するようなものは見られなかった前田敦子の演技ではあるが、独特のキャラクター・雰囲気をもっているので、女優としては有利なのだろう。秋元康と切れたところからが本当の勝負ってとこじゃなかろうか。事務所的にはともかく。


 以前紹介した《 呪怨 2 》の時よりはこの《 クロユリ団地 》、勿論監督は異なるものの、若干技術的に進歩の跡が見られたけど、十年もの時の経過を経ていて、勿論かけた資金が違うからってこともあるだろうけど、ハリウッドとの距離は相変わらずで縮まっているようには思えない。
 ストーリー的には月並み過ぎて呆れるくらいだ。
 そもそもホラーってそんなものだし、問題はそれを監督・制作側がどんな風に、異空間・恐怖世界を作り出すことができるかってことだけど、今流行の、びっくり仰天 !! 実は主人公自身が病んでいたのです、ってもはや擦り切れかかった定番を踏襲しつつも、それでも何とか観れるようには作れていた。只、これも昨今の常套と化したきらいもあるラストが今ひとつ判然としない、続編の《 クロユリ団地 2 》があってこそ成り立つような仕様になっている。


 とある公営の四階建ての団地に、明日香( 前田敦子 )とその家族が入ってきて、引っ越しの真っ最中。ハリウッドだとその前の、遠く離れた新住宅に引っ越す直前のシーンから始まるのが定石。いきなり新居での家族団らんの一時から始まるのだけど、早速同じ階の向かいの部屋に引っ越しの挨拶代わりの菓子折を明日香が持って行く運びとなる。何でわたしなの、と憮然として訪れるが、人の気配はあるのに呼んでもドアをノックしても住民は姿を現さず、仕方なく、ドアのノブに菓子折の入った紙袋を提げて戻ってしまう。
 その後、団地の中庭の砂場で幼い男児ミノルが一人遊んでいるのに遭遇。普通なら、気にもせず通り過ぎるはずが、何故か明日香は男児の傍へ寄って話しかける。独りぼっちで遊んで寂しくないのって心理だったようだ。しかし、これがやがて遺品整理屋の笹原忍( 成宮寛貴 )をも巻き込む一大因果応報的死霊譚に発展する機縁であった。


 実は、この団地は、以前かくれんぼ中に潜り込んだ大型のゴミ箱に閉じこめられてしまい、あげく誤って焼却場で焼かれてしまった少年・ミノルの、恨鬼と化した死霊に祟られ、次から次へと住民たちが無惨な死をとげていた、いわくつきの場所であったのだ。

 今やこの国で団地といえば、かつてのハイソで華やかな夢をはぐくむイメージはなく、専ら自民党半世紀支配の賜物、自転車操業にも似た限りなく強権的強制&サギを繰り返しつづけていよいよ見せかけだけになってゆく《 年金 》の先細りと相補に、過疎化し凋落してゆくばかりのもう目前に迫った姥捨山。孤独死、廃残死の底なしに昏い滲(しみ)ばかりが、年々一層色濃く、矩形のコンクリートを覆い尽くしつづける正に平成末的シンボル。
 そこに、夢=未来・再生の原動力のはずが、ひたすら恨みばかり残して扼殺されてゆく子供たち=少年の、理不尽・不条理な死=地獄の業火に焼き殺されてゆく恐怖と叫び、憎悪と怒り、そして底なしの恨みが、住民たちを凄惨な死の淵へと引きずり込んでゆく。
 恨みを残して死んでいって冤魂と化した死霊=少年に、同じく交通事故で家族全員を失ってしまった明日香は、亡くなった自分の弟を重ね合わせ、接近していった。少年が呼び寄せたのか、明日香のトラウマ的産物なのか不確かなまま、その明日香のトラウマ=意識の隙間を衝き分け入ってきて、彼女すらも死の淵に引きずり込もうとする少年ミノル。


 少女の頃、明日香がおねだりして家族みんなで赴いたバス遊行の途次、不慮の事故が起き、彼女一人が生き残った。もし、彼女がおねだりしさえしなかったら・・・そんな呵責の念=トラウマが、もはやこの世に存在しない家族を、件の団地の402号室に、ありありと幻視( 過去の記憶の断片とリアルタイムな現実が混淆した )してみせたのが、冒頭の引っ越し直後のシーンであった。

 監督の田中は、2008年のスウェーデン映画《 ぼくのエリ 200歳の少女 》の主人公の吸血鬼エリと少年オスカーとの悲恋に触発されこの作品を作った旨明らかにしているようだけど、女の霊が恋する男と逢瀬を重ねていたのが他人に正体がばれ、魔除けの札を貼って近寄れなくしたのを恨み、他人を金で釣って札を剥がさせ、件の情人をとり殺してしまう日本や中国にも昔からある《 牡丹灯籠 》にも相似している。
 心臓発作によってかミノルに呪殺されたのか苦しみもがいて壁に深いひっかき傷を残して死んでいった明日香が菓子折を置いていった401号室の独居老人の死霊は、明日香を助けようとしていたのか。あるいは何らかの機縁によってひょっとして恨鬼と化してしまった少年の霊の方を呪詛の淵から助け出そうとしたのか。
 老人の遺品整理にやってきた笹原忍の前にも少年ミノルの死霊は現れ、明日香の居る402号室に入ろうとしてドアを開けさせず邪魔をする笹原忍の面前に現れた彼の起こした事故で植物人間になってしまった彼の恋人の生霊も、彼のトラウマの間隙を衝いてミノルが幻視させたものだろうし、終いには焼却場らしきコンクリートの矩形の中に彼を引き摺り込んでしまう。呪詛の炎に包まれ笹原忍は泣き叫ぶが、現実的事象なのか幻視なのか定かではない。
 しかし、ここで、エリとオスカーに対応するとすると、401号室の独居老人でも遺品整理屋の笹原忍でもなく、結局、性別・資質は逆倒しているけれど、吸血鬼エリに照応した少年ミノルしか居ない。確かに、明日香は無傷なままで、結界を破った後、明日香との永劫の遊戯を手中にしたのかも知れない。
 けど、〝 悲恋 〟だとすると、砂場で出遭った少年と成人女じゃちょっと筋が通らない。と、少年ミノルが事故死した時まで遡って、明日香がそのかくれんぼ仲間の一人、それもミノルと仲の良かった少女だったという推論が整合性をもつ。だとすれば、当時明日香の一家は402号室に住んでいた可能性も高くなる。すると、真ん前の401号室の独居老人って如何なる存在だったのか・・・やがて、《 クロユリ団地 2 》が公開されれば明らかになるのだろうが。

 確かにこの映画、映画それ自体よりも、あれこれ斟酌し想像力を逞しくしたりする方がはるかに面白いし、有意義に違いない。


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2014年3月 1日 (土)

滅私奉公的家族のゆらぎ 朝鮮映画『 ある女学生の日記 』

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 現在の北の将軍様は定かでないが、先代の将軍様・金正日は映画好きで、自らも映画作りに係わっていたという。韓国映画は韓流として世界的に流布していてレンタル屋には常設コーナーすらあるものの、朝鮮映画は先ずお目にかかったことがない。怪獣映画《 プルガサリ 》は有名だけど未見だし、大都市圏以外で上映会なんて先ずありえまい。
 
 最近youtubeを捜してみたら、先々代の将軍様の治世・1980年代の作品《 ホン・ギル・ドン 》という古装武侠片があった。漢字だと『 洪吉童 』で、十七世紀初頭に発表された小説で、今現在も朝鮮半島全体で人気のある国民的英雄らしい。折からの香港製のカンフー・道術を駆使した活劇映画が全盛の頃で、黒装束の忍者スタイルの悪者輩を碧覆面のギル・ドンが飛んだり撥ねたりの大活躍で退治してゆく痛快勧善懲悪もの。それもお偉いさんの落とし胤( たね )で、まだ幼い頃、本家に殺害すらされかかって遠方に隠れ修行するという定番の貴種流離譚でもある。当時朝鮮国内で香港製カンフー映画が上映されたとは思えず、西側の資本主義的害悪に汚染されない、それでも両班( りゃんばん=エリート階級 )出自という儒教・朱子学的残滓は残しつつ、朝鮮独自の庶民向けのかなり娯楽性の強い活劇映画として作られたのだろう。どうひいき目に観ても、六、七十年代の香港武侠映画を越える質のものではなかった。 

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 レンタル屋の棚で見つけた《 ある女学生の日記 》、2007年の朝鮮映画で、監督はキム・ラエ、主演パク・ミヒャンとなっている。七年前も前の映画だ。すると先代の治世下。
 コンピュータ制御による工場のライン化作業のためずっと遠隔の地に出向いたまま何年も不在の技術系学者の父親をもった女学生スリョンの一家は、祖母、図書館司書の母親、中学のサッカー選手の妹の実質四人家族。
 1980年代の朝鮮の、比較的恵まれた方の家庭が舞台なんだけど、電化製品などから了解できる生活レベルって、テレビはあるけど日本の1960年代前半ぐらいだろうか。他に大きな家電製品ある訳でもないのに、アイロンを使ってるだけで、壁のコンセントから発火し燃え上がり大騒ぎするシーンがある。脆弱な電力設備事情によるものに違いない。嘗てパキスタン北部の山間の小さな町の安宿で、湯を沸かすためロシア製だったかコイル・ヒーターを使うためコンセントに差し込むと、たちまち天井あたりから禍々しい焼けるような匂いが漂ってきて慌ててコンセントからヒーターのプラグを引き抜いた覚えがあった。もうかれこれ二十年近く前の話しだけど、嘗てより以上にあれこれ揉め続けているパキスタン、現在もどれほどインフラが整備されたであろうか。
 一応は国家のために家族を犠牲にするという滅私奉公的な官製プロパガンダの一環というところなんだろう。ストーリー的には、家庭を犠牲にすることに批判的な女学生スリョンも最後には滅私奉公の金看板を高く掲げる運びになるものの、実質的には女学生スリョンと父親をも含んだ家族の心のゆらぎを朝鮮の現在的リズムで描いたってところ。中学生の妹スオクがサッカー選手ってのがナウく、体制的に日本より選択肢の少ないであろう朝鮮の若者たちの進路選択のありようも了解できる。

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 スリョンが少女の頃、郊外の田園地帯の一戸建ての家じゃなく、ハイカラな薫りの漂う都会の高層アパートに住むことが夢であった。これは嘗ての日本でも同じで、近代的な鉄筋コンクリートの高層アパート・マンションがハイカラ・ハイソな生活の象徴。只、そのチャンスはあったのだけど、祖母が土=自然の匂いの希薄な鉄筋コンクリート生活を嫌ったため、儒教的な孝養観念がいまだ強いらしい朝鮮にあって祖母の意向が優先されたのだろう。過労のせいでか母親が癌にかかり手術を受けたりのすったもんだのあげく、父親の仕事が成功して、やっと念願叶って近代設備の整ったアパート生活に入る運びとなる。
 そんな他愛のない中産下層~中層の一家族の心のゆらぎと軌跡を描いた小品だけど、何しろ朝鮮が舞台ってことで興味をもって観てみた。決して駄作ではなく、退屈することなく観れた。中国映画《 十三の桐 》や《 孔雀-我が家の風景 》等といった改革開放後の青年・娘たちのピリピリした鬱屈した心性=盲目的錯綜ってものが、妹スオクの方にその萌芽が見て取れるぐらいで殆ど牧歌的といって好いほどのテンポで描かれている。
 今の将軍様・金正恩治世下に入って既に数年。映画の方は一体どうなってるんだろう。 朝鮮国内でも大ヒットしたらしいこの映画がカンヌ映画祭に出品されたってことは、それほど危惧するような状況ではないってことなのか。全体主義的な国にあっては、例えばイランのある種の監督たちは、権力の干渉を出来るだけ回避しようとして子供の世界に題材を求めたりするのだけど、現在の朝鮮では、そんな選択肢も容易ではないのかも知れない。

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