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2014年3月 1日 (土)

滅私奉公的家族のゆらぎ 朝鮮映画『 ある女学生の日記 』

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 現在の北の将軍様は定かでないが、先代の将軍様・金正日は映画好きで、自らも映画作りに係わっていたという。韓国映画は韓流として世界的に流布していてレンタル屋には常設コーナーすらあるものの、朝鮮映画は先ずお目にかかったことがない。怪獣映画《 プルガサリ 》は有名だけど未見だし、大都市圏以外で上映会なんて先ずありえまい。
 
 最近youtubeを捜してみたら、先々代の将軍様の治世・1980年代の作品《 ホン・ギル・ドン 》という古装武侠片があった。漢字だと『 洪吉童 』で、十七世紀初頭に発表された小説で、今現在も朝鮮半島全体で人気のある国民的英雄らしい。折からの香港製のカンフー・道術を駆使した活劇映画が全盛の頃で、黒装束の忍者スタイルの悪者輩を碧覆面のギル・ドンが飛んだり撥ねたりの大活躍で退治してゆく痛快勧善懲悪もの。それもお偉いさんの落とし胤( たね )で、まだ幼い頃、本家に殺害すらされかかって遠方に隠れ修行するという定番の貴種流離譚でもある。当時朝鮮国内で香港製カンフー映画が上映されたとは思えず、西側の資本主義的害悪に汚染されない、それでも両班( りゃんばん=エリート階級 )出自という儒教・朱子学的残滓は残しつつ、朝鮮独自の庶民向けのかなり娯楽性の強い活劇映画として作られたのだろう。どうひいき目に観ても、六、七十年代の香港武侠映画を越える質のものではなかった。 

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 レンタル屋の棚で見つけた《 ある女学生の日記 》、2007年の朝鮮映画で、監督はキム・ラエ、主演パク・ミヒャンとなっている。七年前も前の映画だ。すると先代の治世下。
 コンピュータ制御による工場のライン化作業のためずっと遠隔の地に出向いたまま何年も不在の技術系学者の父親をもった女学生スリョンの一家は、祖母、図書館司書の母親、中学のサッカー選手の妹の実質四人家族。
 1980年代の朝鮮の、比較的恵まれた方の家庭が舞台なんだけど、電化製品などから了解できる生活レベルって、テレビはあるけど日本の1960年代前半ぐらいだろうか。他に大きな家電製品ある訳でもないのに、アイロンを使ってるだけで、壁のコンセントから発火し燃え上がり大騒ぎするシーンがある。脆弱な電力設備事情によるものに違いない。嘗てパキスタン北部の山間の小さな町の安宿で、湯を沸かすためロシア製だったかコイル・ヒーターを使うためコンセントに差し込むと、たちまち天井あたりから禍々しい焼けるような匂いが漂ってきて慌ててコンセントからヒーターのプラグを引き抜いた覚えがあった。もうかれこれ二十年近く前の話しだけど、嘗てより以上にあれこれ揉め続けているパキスタン、現在もどれほどインフラが整備されたであろうか。
 一応は国家のために家族を犠牲にするという滅私奉公的な官製プロパガンダの一環というところなんだろう。ストーリー的には、家庭を犠牲にすることに批判的な女学生スリョンも最後には滅私奉公の金看板を高く掲げる運びになるものの、実質的には女学生スリョンと父親をも含んだ家族の心のゆらぎを朝鮮の現在的リズムで描いたってところ。中学生の妹スオクがサッカー選手ってのがナウく、体制的に日本より選択肢の少ないであろう朝鮮の若者たちの進路選択のありようも了解できる。

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 スリョンが少女の頃、郊外の田園地帯の一戸建ての家じゃなく、ハイカラな薫りの漂う都会の高層アパートに住むことが夢であった。これは嘗ての日本でも同じで、近代的な鉄筋コンクリートの高層アパート・マンションがハイカラ・ハイソな生活の象徴。只、そのチャンスはあったのだけど、祖母が土=自然の匂いの希薄な鉄筋コンクリート生活を嫌ったため、儒教的な孝養観念がいまだ強いらしい朝鮮にあって祖母の意向が優先されたのだろう。過労のせいでか母親が癌にかかり手術を受けたりのすったもんだのあげく、父親の仕事が成功して、やっと念願叶って近代設備の整ったアパート生活に入る運びとなる。
 そんな他愛のない中産下層~中層の一家族の心のゆらぎと軌跡を描いた小品だけど、何しろ朝鮮が舞台ってことで興味をもって観てみた。決して駄作ではなく、退屈することなく観れた。中国映画《 十三の桐 》や《 孔雀-我が家の風景 》等といった改革開放後の青年・娘たちのピリピリした鬱屈した心性=盲目的錯綜ってものが、妹スオクの方にその萌芽が見て取れるぐらいで殆ど牧歌的といって好いほどのテンポで描かれている。
 今の将軍様・金正恩治世下に入って既に数年。映画の方は一体どうなってるんだろう。 朝鮮国内でも大ヒットしたらしいこの映画がカンヌ映画祭に出品されたってことは、それほど危惧するような状況ではないってことなのか。全体主義的な国にあっては、例えばイランのある種の監督たちは、権力の干渉を出来るだけ回避しようとして子供の世界に題材を求めたりするのだけど、現在の朝鮮では、そんな選択肢も容易ではないのかも知れない。

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