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2014年4月 5日 (土)

ポア的源郷『 パドマ・サンバヴァの生涯 』

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 そもそもぼくのアジアへの旅は、チベットが目的であったのだけど、実際に赴いたのは、五年後の1994年 の六月。それもその時一回切り。同じチベット圏のインド・ラダック、東部のシッキムには既に訪れていた。
 早朝、《 ヤク・ホテル 》までやって来たミニ・バスで、ラサ川に突き当たった角の《 西蔵長距離バス・ステーション 》まで行き、中国製の3×2シートのツェタン行のボロ・バスに乗る。空港を過ぎ、段々川幅が広くなってゆくヤルツァンポ川沿いを突っ走りつづけ、対岸のサムイエ行ボート乗場で降りる。チベット僧たちと一緒にモーター付のボートに乗舟。対岸まで1キロぐらいのはずが、水量不足のせいか浅瀬が多くかなり迂回し1時間以上かかって、真っ青な空の下、黄土色の砂礫の山々が連なる対岸の砂浜に乗り上げる。
 待機していたトラックに乗り込み、チベット密教の開祖といわれるパドマ・サンバヴァが建てたサムイエ寺の独特の形と色合いの金色の本堂・ウツェ大殿横の招待所に到着。7元のドミトリーに泊まったが、ぼくらの滞在の後、パーミッションがらみでサムイエでの宿泊が色々と面倒になったようだ。ぼくは一週間長居した。 

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 パドマ・サンバヴァが修行した場所=聖地として有名なチンプーには、朝まだ暗いうちから気の早いチベット人農夫の運転する耕耘機の荷台に乗って、散々尻を跳ね上げられながら山道を昇っていった。ふと振り返ると、遥か下方に、小さく隣村が覗け、ヤルツァンポ川やその向こうに横たわる砂礫の山々が俯瞰できた。思ったより高い位置にあったのには驚いた。チンプー渓谷は、サムイエ寺の東北7キロ離れた納瑞山の中腹にあり、海抜4300メートルという。
 千年以上前から、ここら一帯の岩陰や洞穴で修行が行われてきたらしい。パドマ・サンバヴァことグル・リンポチェが修行した洞窟も残っていた。ぼくが訪れた時は、尼僧の姿も多かった。投宿していた招待所にも一人見習い尼僧の日本人娘が居た。
 チベットに限らず、ラダックにもこのパドマ・サンバヴァ像は多く、ある寺院で観たカラフルで巨大なパドマ・サンバヴァ塑像は印象的であった。チベット人たちにも馴染みの深いこのパドマ・サンバヴァ、この伝記書を読んで初めて、オウム真理教尊師・麻原彰晃で有名な“ ポア ”が、このパドマ・サンバヴァことグル・リンポチェに起源をもっていたのが分かった。てっきり、ミラレパあたりの影響ぐらいに思い込んでいた。

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 サンスクリット語で“ 蓮華生 ”を意味するパドマ・サンバヴァは、当時のウゲェン=ウッディヤーナ( 烏杖那国 )、現在のパキスタン・スワート渓谷のダナコーシャ湖で、阿弥陀仏の化身として、童子の姿で大輪の蓮華の上に産まれ、又、着地したその地面にたちまちにして蓮華が咲き、その中に坐ったという伝説に起源をもつ。
 スワートといえば、ペシャワールともどもかつてガンダーラ文化が花開いた地でもあったようで、現在は閑散としてガンダーラ遺跡の散在した僻地。

 そのウッディヤーナのジャトゥマティという大都の王インドラボーディの王子として迎えられ、やがて出家して王城を後にする。要するに、アジア各地を転々とし修行しながら密教的霊力を駆使し仏教の根を植え広めてゆく宣教の師=グルの一代記=伝説なのだが、密教的霊力の駆使が説話的面白さを喚起する。
 
 「 蓮華から生じた者はウギェン国のある地方へ出かけた。そこには生まれつき体中に生殖器官のある男がいた。というのも、この男は前世で僧侶でありながら娼婦と暮らし、独身の戒律を破ったからである。
 娼婦はある王の息子として生まれ変わっていた。そして蠅になりすました生殖器官の男は、その王の息子に額に止まった。
 蓮華から生じた者は満身の力を込めて小石をその蠅に投げつけると、小石は蠅を殺しただけでなく、蠅を付けたまま息子の脳を貫通し、王の息子も死んでしまった。
 蓮華から生じた者は罪を問われると、次のように説明した。
 『 前世において私はその娼婦と同じ時代を生きたガウタマという男だった。娼婦の愛人パドマツァラクは、娼婦の下女から、娼婦がハリという名の商人と密通していると教えられ、嫉妬に駆られて娼婦を殺した。そしてパドマツァラクはガウマタに殺人のぬれぎぬをきせ、ガウタマは死刑に処せられた。蠅はそのときのパドマツァラクであり、王の息子は娼婦であった。私はカルマによって、ことをなさざるをえなかったのだ。 』
 彼は『 もしそこにカルマがなければ、小石などでどうして蠅と幼児を殺すことができようか』と語り、インドラボーディ王に王国の法の裁きに従いたいと頼み、宮殿の牢に入れられた。
 すると宮殿とその町は一万もの悪霊に包囲された。悪霊は王子が偉大なる学僧になり、自分たちの魔力と威光を鎮圧されまいと現れたのだ。
 悪霊の包囲に対し、町と宮殿のすべての門は閉ざされ、厳しい警護がついたので、王子はいかにここから脱出するかを思案していた。
 すると彼は服をすべて脱ぎ捨て、人骨でできた呪術用の飾りを裸体にまとい、金剛杵と三叉戟を手に宮殿の屋上に登り、狂った者のように踊りだした。
 彼が金剛杵と三叉戟を同時に下へ落とすと、三叉戟は大臣の妻の胸に突き刺さり、心臓を貫通した。また金剛杵は彼女の幼い息子の頭を打ち貫き、二人とも死んでしまった。」
                         
 「 王子は、蠅と子供を殺した件と同じように、大臣の妻と息子を殺したことはカルマ的な理由があったからだ、と王に説明した。
 大臣の息子は前世において件の娼婦とが密通しているとパドマツァラクに密告した者であって、大臣の妻は商人ハリの生まれ変わりだったのである。 」

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 「 ウギェン国の中の小国を治めるインドララージャ王は狭量で、宗教に対し敵意をもっており、彼の臣下たちも王に従って同じようであった。それで、パドマは忿怒尊のひとつに姿を変え、その王たちのところへ行き、不信心な王とその臣下たち全員の肉体を奪い取った。それは、彼らの肉体がさらに悪いカルマをつくる道具となるからであった。そして、神通力で全員の肉体を変容させ、その肉を喰らい、血を啜った。パドマは彼らの“ 意識原理 ( 注 : 西洋でいう魂 )”を解放し、地獄に落ちることのないようにしたのである。」


 「 東ベンガルのある国を、若い非仏教徒の王が統治していた。彼の宮殿は六つの堀に囲まれ、八つの門口があった。そして千の眼をもつ猫と不思議な光を出す宝石をもっていた。
 王の臣下は数多く、王の力は強力だったが、彼の統治はひどいものだった。
 パドマはこの王を制するために出かけると、マンドーラヴァーを大通りに立たせ、猫の顔をした生き物に姿を変えるように命じた。
 パドマは神通力によって八万一千の兵士を集め、それぞれに弓と矢を装備した。
 王は殺され、王国は征服された。王の守護神であった五欲の女神たちは、仏教に改宗させられた。 」


「 パドマはブッダガヤーから十六キロほど離れたところにある『 冷たい白檀 』という墓地に赴いた。彼は五年間、死体を座として瞑想し、そこにとどまった。彼は死者に供えられた食物を食べ、屍衣をまとった。
 人々は彼を『 屍琳の神 』と呼んだ。
 彼が初めて説法をしたのはここであった。
 それはダーキニーたちに説いた大究竟への九乗教判のプロセスだった。
 飢饉が襲って来たとき、多くの死体が供物も死装束もなしに墓場に放置された。
 今や偉大なるグルとなったパドマは、死肉を清浄な食べ物に変えて食し、死体の皮が彼の衣となった。
 彼は墓場に住む霊たちを服従させ、従者とした。」


 人々が背負ったカルマ、そして果てしない輪廻の系譜。
 このグル・リンポチェ=パドマ・サンバヴァの伝説の書は、ずっとこの調子で、阿弥陀仏の化身=グル・リンポチェが、人々の業=カルマの紅蓮の蜘蛛の糸を断ち切らんと、ためらいもなく次から次へと血塗れになってポア的斬刀を打ち振るいつづける。あげく、その屍肉を喰らい、鮮血をまで飲み干してみせる。
 思わず、ゾンビー映画で主人公たちが、牙を剥いて襲っいかかってくる成仏できずに彷徨うばかりのゾンビーたちを、これでもかこれでもかと屠りつづけるシーンを想起してしまう。勿論映画では、人肉を喰らい血を啜るのはゾンビーの方だけど、ゾンビー映画って、結局、そういうエンターテインメント風に俗化されたポアという意味合いの了解性の上に成り立ったものなのが分かってしまうが、それはともかく、さらに一国の軍隊をすら、同様に軍隊を造りだし、攻め滅ぼしてしまう。
 これって、密教的・神話的比喩、暗喩として解する質のものなのだろうが、オウム真理教=尊師・麻原彰晃の犯してきたといわれる一連の所謂《 サリン事件 》を彷彿とさせる。
 彼らの教学本にこう記してある。

 
 「 例えば、ここに悪業をなしている人がいたとしよう。そうするとこの人は生き続けることによって、どうだ善業をなすと思うか、悪業をなすと思うか。
 そして、この人がもし悪業をなし続けるとしたら、この人の転生はいい転生をすると思うか、悪い転生をすると思うか。
 だとしたらここで、彼の生命をトランスフォームさせてあげること、それによって彼はいったん苦しみの世界に生まれ変わるかもしれないけど、その苦しみの世界が彼にとってはプラスになるかマイナスになるか。プラスになるよね、当然。これがタントラの教えなんだよ 」
                 《 ヴァジラヤーナコース 教学システム教本 》

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 ちょっと逸脱するけど、旧約聖書的な堕落した人間たち、あるいは都市などの特定共同体に対する“ 神の怒り=殲滅と破壊 ”なんかは、仏教的なニュアンスと些か相違して、専制的絶対神的性格剥き出した直裁そのもの。規模も違うが、神が作ったものを神が灰にしてしまうだけのもの。
 あくまで魂の救済であるポアは、その技法をマスターしたグル(師)のみができるものらしい。尊師・麻原は、自らそれを任じ、信徒に実行させたという話だけど、事件から既に相当過った現在でも、これを論理的に超克できる思想・論理を、攻撃対象となった自民党半世紀支配のニッポン=“ 米国の傀儡権力 ”( オウム側の認識 )の側は当時も、現在も持ち得ていないし、これからも持ち得ないだろう。専ら強権的な力による押さえ込みに終始するばかりだろう。
 只、オウムの場合、地下鉄サリン事件等のように権力それ自体ではなく不特定多数をターゲットにしたのでは、本来のポアの概念と齟齬・矛盾が生じてしまっている。
 この余りにも明々白々な初歩的なミスを何故敢えて犯さねばならなかったのか?
 事件の2日前、坂本弁護士一家殺害事件等での強制捜査が近づいたためリムジンの中で麻原を含んだ幹部たちで謀議した攪乱工作って話になっているようだけど、随分と極秘裏に広大な毒ガス工場建設をやらかした緻密性にしては、単純な政治的・軍事的な面からしても何ともいい加減。そこが謎の部分で、肝心の点でもあると思うのだけど、杳として闇のまま。

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 サリンといわれている致死性ガスによる大量虐殺を前提とした行動の割には、つまりその後間髪入れずに次々と本格的な行動に移るのでなければ、警察・諜報機関などの手がのび身動きできなくなって頓挫してしまうのは時間の問題で、そんな矢継ぎ早な行動も起こせなかったし、社会不安を煽ってじっくりその影響が社会全体に及ぶのを待って次の行動に出るのであったら、当然に権力の包囲網と強制捜索をも念頭においていたはずなのだから、当然に第二の行動が為されていなければならなかった。杜撰は通用しないほどにオウムはそれ以前の様々な事件で元々権力に睨まれていたのにもかかわらず。不可解の一語に尽きる。あんな派手な一連の行動が出来た事自体も。

それに、当時オウム真理教が自衛隊のヘリコプターが、対ゲリラ戦あるいは対暴動民用に使用する電磁波による精神攪乱兵器をオウムに使っていると抗議していて、彼らの出版していた雑誌でも言及していた全くその質も規模もそれとは違う本来の電磁波によるマインド・コントロール兵器、それは当時世界的に騒がれてもいたもので、被害にあっていた人々のブログもあっちこっち散見されるようになっていたその兵器を権力( この国のなのか米国のなのか定かではないけど )が彼らに使っているという意識・言及が、( その後も裁判などでも)微塵も見られないのも何とも不可解。
マインド・コントロール兵器は、遠隔で被害者の脳波から心理・思考がリアルタイムで分かってしまい、被害者の視覚に映じるものも同様に見え、且つ心身の動きをも操作できるという代物なのだから。この奇妙さは双方向的に成り立ってしまう。

 ともあれ、そもそもオウム真理教=尊師・麻原は、宗教的専制政治=神政支配を目論んでいたようで、これだと例え実現できたとしても自民党半世紀支配と較べても、単なる横並び以上には出れまい。
 それにしても、ダライ・ラマ、事件当時吃驚仰天したろう。
 密教的解釈を逸脱して、政治的な現実行動原理としてしまったという訳になるのだろうが、中国からの自治回復あるいは独立運動に影が差し、中国権力側が一層厳しい眼差しを向けるようになったであろうし、その口実にはなったろうから。 

 《 訳者前書 》にもこうある。
 「 だから読者はグル・リンポチェの、神秘と奇跡的な事跡に満ちた、この神話的要素の強い物語を表面的に、あるいは字義通りに理解するのではなく、その隠された意味合いを注意深く読み解くことが重要であろう。」


「 パドマはいろいろなものに姿を変えては、諸魔を調伏しつづけた。
 ときに、よくいる乞食のなりをしたり、ときに八歳の童子に、または稲妻や風に、ときには女たちと戯れている美男になり、また鳥や動物、虫にもなったり、それから医者や金持ちの慈善家であったりもした。
 海で人を助けるために船と潮風に変わったり、火を消すために水になったこともある。 」

 《 パドマサンバヴァの生涯 》 W・Y・エヴァンス-ヴェンツ 
                   訳・加藤千晶+鈴木智子( 春秋社 )

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