« 2014年4月 | トップページ | 2014年6月 »

2014年5月の3件の記事

2014年5月24日 (土)

春蚕   事変と恐慌の間で

 A 


その年の十一月日本で《 蚕糸恐慌 》が起こった1933年( 昭和八年 )、中国では程歩高・監督の《 春蚕 》が作られた。奇しくも丁度その一年前の十一月、日本では今いち魯迅や老舎ほどには知られていないものの中国では著名な作家・茅盾のその原作が発表されていた。後に発表した《秋收》、《残冬》を合わせて“農村三部作”と呼ぶという。魯迅も上海・六馬路 (現・九江路)にあった大戯院での試写会に尾行につけ狙われるのも意に返さず観に来たという。

 物語は同年代初頭、中国は江南の養蚕業が盛んな一郷村が舞台。
 時代は上海事変( 中国では一・二八事変 : 1932年 )が勃発し、生糸相場が暴落する前後。折からの資本主義・欧米(日本)列強植民地主義の混沌の中で翻弄され続ける、前時代的な意識と感性、風俗習慣から一歩も出れない郷村=養蚕一筋の養蚕農家の人々の狭隘な世界観が必然的に辿ってしまった凋落の途。その過程を通宝一家を通して、日々の養蚕の作業の順を追いながら描いてゆく。モノクロ画面のサイレントだけど音楽が入っているサウンド版。

C


 主人公は通宝一家の主人・老通宝。
 勤勉で旧習堅持の頑固者。冒頭から大きな質屋に群がった客たちを掻き分けてカウンターに持参した生糸の数束を渡して換金し食物を買って戻るシーン。換金作物ならぬ生糸ってところが通宝一家の有り様を特徴づけている。やがて時節到来。高利貸しに大金を借り一家揃って食うや食わず寝ずの番までして養蚕に励む。

Photo


 ところが、隣に住む李根生の妻・荷花( =蓮花 )の持って生まれた星が白虎星、つまり災厄星ってことで、伝統的な養蚕的農事に禍をもたらす疫病神として老通宝や村民にも忌み嫌われていた。そのお陰か旦那の李根生すらが村民の白眼視と嘲弄の対象にされ、憤懣やるかたなく何かにつけ彼女をなじり暴力すらふるった。
 老通宝の末っ子・阿多( 多々頭 )は老通宝の旧習的迷信等に懐疑的で、唯一例外的に隣家の荷花と普通に会話したりして老通宝に難詰される旧弊から抜け出しつつある新しい世代って設定。

Photo_2
 
 苦労の甲斐あって蚕繭( まゆ )は豊作だった。
 が、結果したのは、いわゆる豊作貧乏の類。
 更に蚕繭の質の問題も絡み、何よりも上海事変で上海近辺の製糸工場が破壊されたりですっかり破綻状態。つまり、『 莫大な借金までし、苦心惨憺のあげく蚕繭の高収穫となって万々歳のはずが、値崩れしてしまい、手元に残ったのは多額の借金だけだった 』という出口なしの悲惨故事。
 劇中、“ 蚕壮了、人痩了 ”なる句が意味ありげに提示される。
 蚕が肥えると人間は痩せる。つまり、蚕の世話で苦心惨憺し痩せ、蚕のために作った負債・借金で更に痩せ細る。戦前の日本の東北・長野なんかも似たような状況で悲惨の淵に沈んでいき、それが一層大陸侵攻・侵略へと拍車をかける要因にもなっていいった。

D
 
 この程歩高・監督の1933年作品《 春蚕 》、時代的なものもあって些か啓蒙主義的な臭いもしないではないけど、リアルで、似たり寄ったりの当時の日本の養蚕農家=郷村にも共通した普遍的な説得力がある。中国映画史的にも初期の重要作品の一つに数えられ影響力もあったようだ。

 原作は未読だけど、地味なテーマと舞台設定の割にはそれなりに起伏もあり飽きさせない。そんな中で、やっぱり白虎星・荷花=艾霞は異彩を放っている。世間に鋭い一瞥をくれてやる鬱屈した情念を滾らせた異端的風貌。 
 脇役なんだけど、旧態依然の郷村にあって一人異色な存在で、上海映画界に彗星の如く現れた艾霞( 二十歳 )が演じている。現在の美意識からすると美人の範疇には入らないだろうが、当時はスラリとしたモダン( 摩登 )な新女性ってところで仰ぎ見られていた。ところが、わずか二年後の絶頂期に、“人生是痛苦的,現在很我満足了。”という遺書を残し阿片を飲んで自殺してしまった。

F

 主演の肖英( 蕭英 )は、辛亥革命(1911年 : この年が干支で辛亥にあたるからの命名らしい )の際に江浙連合軍の前鋒決死隊隊長として清(政府)軍と戦った経歴の持ち主で、その後も、上海に赴くまで、軍関係の仕事に就いていらしい。以後、演技派俳優として有名な作品に多々出演。艾霞とも数度共演している。 
 老通宝の息子・阿四を演じた龔( 龍の下に共:中国姓 ゴン )稼農も数多の有名作品に出演し、阮玲玉の初主演作《 挂名的夫妻 》でも共演している。艾霞と仲の良かった、同時に文化大革命=四人組の頭目・江青が当時舞台演劇や映画で競った才媛・王瑩の主演した沈西苓監督作品《 女性的吶喊 》にも出演していた。
 

監督:程歩高
脚本:夏衍
原作:茅盾
撮影:王士珍

肖英(老通宝)
厳月嫻(四大娘)
高倩蘋(六寶)
龔( 龍の下に共:中国姓 ゴン )稼農(阿四)
鄭小秋(多多頭)
艾霞(荷花)

制作:明星影片公司(1933 年) モノクロ:サイレント=サウンド版


|

2014年5月10日 (土)

旅先の不可解

Isfahan_3

 この列島でも不可解は際限ないけど、言葉からして不如意な海外での旅先じゃあ、その不可解も又ちょっと様相が異なってくる。
 かつてまだノービザだったイランをぐるりと駆け足で廻っていた時、ケルマーンから古代宗教ゾロアスター教でも有名な砂漠のど真ん中のオアシス都市ヤズドに入った。途中検問が執拗でもう薄暗くなった夕刻に到着。宿捜しには厄介な状況で、案の定、早速二軒も断られてしまって、大きなリュックを背負ってトボトボ通りをほっつき歩いていると、路肩の椅子に坐っていた一人の男に声をかけられた。
 「 コジャ・ミリ ? 」 
  ( 何処に行くんだ ? )
 教科書通りではない通俗的慣用句だったためピンと来ず戸惑ってしまったが、幸いなことに彼が英語も話せたので、結局彼の家に泊まる運びとなった。

Isfahan_2
 
 中東では結構多い年齢よりも老けて見える髭だらけの男だった。
 温厚そうな人柄で、手に数珠を持っていた。彼、A氏は、二年前に終結したイラン・イラク戦争に狩り出され、負傷し背骨を痛めていて、背骨が疼くらしく時折オピューム( 阿片 )を吸っていた。元々モルヒネの材料でもあり民間療法薬でもあったので理には適っていたものの、“ 恐るべき魔薬 ”のイメージ先行の素人目には些か迫力のあるものだった。手続きが色々面倒なモルヒネよりも彼地では簡単に手に入るらしいオピュームの方が手軽なのだろう。シンガポールかマレーシアに療養がてら滞在したこともあるという。厳しい気候風土の砂漠地帯と異なって風光明媚な東南アジアがかなり気に入ったようだった。
 
 高い塀のあるその家は、彼の実家で、父親がバス会社( ピンキリで無数にある中の一つ )を経営している中産階級のそれなりに裕福な家庭のように見受けられた。彼の弟も人なつっこい人柄で家業を手伝ってたが、A氏と違って若干反抗的で、一度父親と口論する場面に遭遇したこともあった。彼も戦場に狩り出され、記憶に間違いなければ確か片足を負傷していた。
 当時腹の調子が芳しくなく、せっかくのイランの家庭料理も脂濃さもあって遠慮気味になってしまい、自分の作った料理が口に合わないのかと彼の母親がかなり気にしているとA氏に聞かされ、恐縮してしまったが如何しようもなかった。それでも三日も滞在させて貰った。ナーンとヨーグルトの朝食は気に入ったけれど、彼らは必ず全部食べず残していた。A氏によると、イランでは、恵まれない人達の為に残すようだ。各家庭の残飯を集めに車がやって来るらしい。


Teheran

 彼の実家の隣に、元警官だったまだ若い青年が居て、親しく出入りしていた。
 鼻髭をはやしたすらりとした青年で、いつもバイクを乗り回し、記憶も定かでなくなったので勘違いの可能性もあるが、当時はまだ現在の形の携帯電話なんて流布してない時代で、ひょっとして移動電話の類だったのかも知れないけど、ウォーキー・トーキー風の警官なんかが持っている無線通話器を彼が腰に提げていてぼくも珍しがって見ていた。

 その詳細な経緯はもう忘れてしまったけど、ある日、彼のバイクに同乗して近辺をドライブすることになった。ぼくが求めたのじゃなくて、A氏やなんかも居た中でそんな運びとなってしまった。元々ぼくはヤズドに関する知識なんて殆どなかったし、彼も英語がさっぱりだったこともあって、途中何処かのチャイハネかなんかに坐っていたA氏とも行き会ったりしたけど、一体何処をどう廻ったのか今も当時もさっぱり分からずあっちこっち連れ廻されただけであった。
 で、さあ帰還ということになって、急にぐずぐずと動きが停滞し始めた。
 腰のウォーキー・トーキー風を頻繁に使ってどうもA氏の家人にか連絡でも取っているように思えた。二度ほど停まり道端の店でドリンクなんかを飲み、すっかり水腹になってしまってさすがにうんざりさせられてしまった。ようやくA氏宅近くまで戻っても、すんなりと戻ろうとはせず、どうも何かを待ってるような雰囲気であった。
 やっとA氏宅に戻ると、「 今まで何処にいたのか ? 」とA氏にシリアスな眼差しで問われてしまった。暫しぼくは目が点になり、「 ええっ ? 」、ドライブ先で一緒になったし、そもそも彼らがぼくに隣家の青年のバイクでのドライブに赴かせたのではなかったか。唖然とするばかり。それでも大まかな事は言って応じたものの、詳細な表現を英語でする能力はその頃は持ってなかった。( 現在もそれほど大差はないけれど )

 その内、実は、彼の母親の宝石類が盗まれたんだ、とA氏が告げた。
 そして、どうもいつまで過っても戻って来ないぼくが疑われたようだ。一応A氏はぼくがそんなことをする人間ではないと庇ってくれたらしい・・・何が何だかさっぱり分からず、殆ど腰砕けになってしまった。ずっと隣家の青年とドライブ出かけていたんであらぬ嫌疑は晴れたようだったが、どうにも一切が腑に落ちなかった。
 次の目的地コム行きのバスチケットも彼の父親が無料で手配してくれ、機嫌良く家人はぼくを送り出してくれはした。A氏も同じバスで途中の小さな町まで同乗し、久し振りに彼の嫁さんや子供たちに会えると喜んで降りていった。
 たったそれだけのことなんだけど、しかし、今以てさっぱり得心がいかない。

 一体、何が起こっていたのだろうか。

 そもそもぼくが頼んだわけでもないのにバイク・ドライブという仕儀に至ったんだけど、これはぼくが体調今一ってこととA氏宅が結構こみ入った場所にあって外出すると戻るのが大変だったからってことで殆ど外出しなかったので、それじゃせめて近郊のドライブを、という親切心からのドライブ行だった可能性も高かった。
 それでも、帰宅の途につくあたりから何故かぐずぐすし始めたのは納得できなかった。
 ひょっとして、家の様子がただならぬとぼくを連れて帰るのを回避しての時間潰しだったのか。だったら、ぼくに対するあらぬ疑いはあり得ない。
 と、すると、あの妙な停滞、如何にもすぐぼくをA氏宅に戻すのを渋っていたとしか思えない態度が、いよいよ疑わしい怪しげなニュアンスをもってくる。

 ぼくははなからA氏をそんな位置に置いたことはなかった。
 彼はどちらかといえば、父親のバス会社には係わってなくて、何処やらのエリートに近いポジションのようだったし、温厚な人柄からしても可能性は考えられない。
 一等疑いの濃い( 間違いならまったく失礼なことだが )隣家の元ポリス青年はといえば、確かに、好青年というよりちょっと鬱屈した胡散臭さはあった。それが警察という職掌柄なのか、イラン・イラク戦争の渦中で刻印されたものなのか知る由もない。失業中ってことでもあったもののその元ポリスの邸からして結構良いところの坊ちゃんって風であった。
 しかし、彼は、ずっとぼくと一緒にバイクで外を廻っていたので直接的にはありえないから、他に誰かと手を組んでの連携プレーってことになる。つまり外部の第三者の存在だけど、A氏宅が無人になるのを何処かで待っていたのだろう。あるいは又、内部に通暁した者、つまりA氏の実家家族の中の誰かということになる。と、唯一、A氏の弟しか居なくなってしまう。( 勿論一つの可能性としての推論に過ぎないけれど )

Isfahan_1


 只いつ頃盗まれたのかもはっきりしてなくて、その前日だったか、A氏が廊下で椅子の上に立って傍の部屋の中を天上近くに備わった明かり取り窓から覗いている光景に出くわしたことがあった。ぼくと眼が合うとニヤリと悪戯っぽく笑い、音を立てずに降りてくるなり、その弟が娼婦を部屋に連れ込んで行為に及んでいる最中と教えてくれた。彼地では娼婦は出張するものでもあるらしい。
 そういえば、パキスタンはペシャワールの安ホテルにも、地元の娼婦が一度姿を現したことがあって、日本人パッカー一同皆吃驚した覚えがあった。結構厳しいイスラム原理主義的な全体主義国家というイメージの割には随分と微笑ましい庶民生活感覚ではあったのだけど、内部ではなく外部説を採るとなると、彼女が候補に浮上してしまう。無論A氏は先ずそれを疑ってみたろう。彼の両親たちはいざ知らず。それだと、元ポリス青年は全く係わりのない、単なる偶然で紛らわしい行動をとっただけというところに落ち着いてしまう。はてさて・・・

 結局、言葉の問題もあるけど、余り突っ込んで聞くのも憚れ、曖昧模糊とした有耶無耶のまま、親切に世話してくれたA氏家族宅を後にすることとなった。けれど、後になればなるほど、いよいよもって一体あれはどういう事だったんだろうと疑念が昂じ、想像を逞しくしあれこれ邪推・推論してみたものの、未だ以て、すべては熱砂のキャヴィール&ルート砂漠にかかった蜃気楼の如く。

 それにしても、旅とはいつ何時、いかなる出来事・事件に巻き込まれるか分かったものじゃない危うい細い一本の糸の上を、それぞれの思惑と自重( じじゅう )で渡ってゆく芸当以外の何ものでもないってところだろう。  


|

2014年5月 2日 (金)

 《 共喰い 》

9


 観ようと思って結局観に行けなかった青山真治監督作品《 共喰い 》、レンタルビデオ屋の棚にようやく見出し鑑賞。彼の《 サッド・バケーション 》は既にビデオで観ていたものの、それとは筆致が些か異なっていて、主人公たる青年の性的鬱屈と蹉跌( それだけなら、邦画だけでも数多あるけれど、似た設定に黒木和雄監督《 祭りの準備 》 1975年 がある )、とりわけ《 性 》を基軸に明治維新以来のこの国の抑圧的負性(差別と暴力)を抉ってみせるという政治性に若干驚きを覚えてしまった。ぼくが青山について無知で、巷で彼が大島渚の後継者とか言われていたのを知らなかった故の驚きに過ぎないけど、明治維新の震源地の一つ長州=下関が舞台というのが何とも逆説的。維新革命から革命を引き抜いた、革命なき明治維新=明治新政府から第二次世界大戦を過て現在に至るこの国の論理的帰結。

Photo

 この映画《 共喰い 》の主人公・遠馬の母親・仁子( 田中優子 )は、( 下関は対岸の門司港共々その置かれた軍事的重要性から米軍の集中的爆撃に苛まれてきた地域ではあったが、何処で被災したのかは定かでない )戦時中の空襲で負傷し左手首から先を失っていて、主人公の父親と一緒になる前、別の一緒になる予定だった男の母親に差別的な侮蔑的言辞を弄された。

 「 まさか手のない子供が産まれてくるんやないやろうね ! 」

 怒って仁子は、その手首のない腕先をその母親の口の中に押し込み、

「 あんたのその舌、胃袋まで押し込んじゃろうか ! 」

と啖呵を切ったという。
 尋常一様ではない所作だけど、元々の気の強さと相俟って、負傷以来の絶望と怒りの鬱積であったろう。この作品観ていて思い出したのが、件の大島渚の1969年作品《 少年 》( 脚本:田村孟 )。当時列島中を席巻したらしい実在の“ 当たり屋 ”一家を主人公にした物語で、少年の父親が戦争中に胸と片腕を負傷し、まともな職にもつけず、当時流行っていた走行中の車にわざと触れ怪我したと大騒ぎしては示談金を騙し取るという何とも死線ギリギリの危うい稼業に活路を見出して、それまで母親が一手に引き受けていたのがとうとう少年まで当たり役のお鉢が回り、その日以来、母親同様少年の身体に生傷の絶えることがなくなった。
 北海道での仕事の最中、避けようとした車が木に激突し、運転手と一緒に乗っていた少女が額から真紅の血を流して犠牲になってしまう。自分と同じ世代の少女の死に少年は激しく動揺し、いたたまれなくなってしまい、とうとう両親が警察に逮捕され、それまで頑なに口を割ろうとしなかった少年が施設に送られる途中だったか列車の中でふと窓外に見た雪景色に白い額に血の滴った少女を想い出し、警察に白状してしまう。

 そんな色々なメタファーが、この昭和の終焉に時代を設定した平成もいよいよおしつまろうとしているこの作品《 共喰い 》にも共通というよりむしろ照応の感すら覚える。只、《 少年 》の方は主人公があくまで少年( そして少女 )であって、その抒情性が《 共喰い 》とかなり異なりはする。
 大島の《 少年 》には巨大な日の丸と遺骨箱の山が少女の死の後のシーンで出てくる。一家の泊まった安旅館の部屋の中の唐突な光景だけど、青山の《 共喰い 》ではそんなあからさまな映像は出てこないものの端的に腕先を失った母親の口から、元夫である主人公の父親・円を殺害して後の刑務所での面会シーンで恩赦に絡めて、『 あの人 ( 天皇ヒロヒト )』、『 あの家 』とも、更に『 あの人より先に死にとうないち思うてきた 』と明瞭な言葉として吐露される。

Photo_2

 下関といえば松田優作の生まれ育った鬱々とした、保守的で閉鎖的なイメージが強いけど、それは又、この国自体のあり様でもある。原作者の田中慎弥もそこで生まれ育ち現在もそこで“ 引きこもり & ニート生活 ”を送りながら執筆活動を続けているという。
 写真見ると如何にも鬱々とした日々の刻まれた幽閉された魂とでもいうべき相貌の持ち主で、それが芥川賞受賞後、AKBの大島優子が彼のこの小説を読み感想文を書いた機縁で対談までし、AKBのコンサートにも足を運んだりしたりと彼の閉塞生活にも微かな春風が吹き込んだようにも見える。
 
 主人公の母親の仁子は、夫、つまり彼の父親がセックスの際、快感が高まってくると相手の女に暴力をふるう癖があって、妻である彼女も無惨な痣が残るぐらい殴られ続け、心底憎悪していた。それでもすぐに離婚しなかったのは、彼が仁子の手首から先のないのを嫌って暴力をふるっていたのじゃなく、ひたすら自身の快楽の追求のためということを知っていたからだった。それでも主人公の弟妹になるはずの二人目の子供を身籠もった時、夫の胤( たね )を“ 悪の種子 ”といわんばかりに長男一人で十分と堕胎し、離婚した。それも川一つ離れたすぐ近くの川縁で魚屋を一人営み、主人公も頻繁に日毎通っていた。稀に父親も、ウナギ釣りにその魚屋のすぐ脇の川縁で彼と一緒に赴くこともあったようだ。
 このウナギが一つの性的メタファーとして扱われていて、その生活廃液等が流れ込み汚染された川、主人公はそこで釣れたウナギを嫌悪し決して口にすることはなかったものの父親の方は、平気で精力増進に一人貪った。以前父親が彼にそんな川を女の( 潤んだ )性器に例えたことがあり、魚屋の母親がさばいた魚の臓物が流れ落ち、主人公が風呂場の自慰で垂れ流した精液もその川に流れ込み、人間的欲望の排泄物で滑りきった谷間=川底で白濁したそれを喰らいあるいはそれにヌルヌルとまみれながらうごめくウナギは、主人公や父親の性的欲望=精液と愛液にまみれたペニスの象徴でもあるのだろう。正に循環であり、共喰いに違いない。
 そういえば、《 老子 》にこんな一節があった。

 谷神不死。是謂玄牝。
 玄牝之門。是謂天地根。
 綿綿若存。用之不勤。

 “ 玄牝之門 ”は女陰ってところだろう。

Photo_3
 
 主人公には千種( ちぐさ )という一つ年上の恋人が居て、神社の神輿( みこし )を収めた倉庫で毎回逢瀬を重ねていた。ある時セックスの最中に自分の父親と同様の暴力的な衝動に駆られ懼れ狼狽してしまう。既に父親が頻繁に通っている近所のアパートの娼婦に対して暴力をふるっている設定になっているらしい。
 彼は父親と父親が新たに貰った水商売の若い女の嫁=義母との三人暮らしで、年から年中顔に痣を作ったままのその義母に、何故暴力をふるわれてるのに別れないのかと詰問してみても、わたしの身体が凄いらしいのよ、とまんざらでもないような素振りに返す言葉もなくなってしまう。頭の弱い女なんだなと決めつけていたら、子供を身籠もったと彼に告げて暫く過った祭りの日、一人去ってゆく。父親が件の娼婦が漏らしたらしい主人公のベッドでの表情を散々あげつらって笑いものにしたのを腹に据えかねてか、義母に逃げられたことを告げる。血相を変えた父親は雨の中を飛び出してゆく。大部して子供たちがずぶ濡れになって駆けつけてきた。逢瀬を一方的に約した千種の事であった。父親が千種を神輿の倉庫に連れ込んだという。急いで傘をもって神社に走って行く彼を、途中で、雨宿りしていた父親が呼び止めた。何事もなかったかのようないつもの口調で喋り始める。
   
 「・・・のう遠馬、そいやけお前も分かろうが、我慢出来ん時は誰でもよかろうが、割目やったら何でもよかろうが、のォ・・・あっ、お前まだあの娘殴っとらんそか、のォ」

Photo_4
 
 罵声を浴びせ神社に突っ走ってゆくが後の祭り。薄暗い神輿倉庫に千種が一人散々殴られ犯されて身動きも出来ずに横たわっていた。暗くなって母親の店に千種を連れて行き、「殺してやる」と踵を返そうとするのを母親が止める。あんたじゃ無理、と言い放ち、包丁一本片手に蕭々と去って行く。
 人気のない一角での主人公に対する甚兵衛姿の父親が自分の局所をこれ見よがしに押さえながらの上記の間延びしたセリフ廻しだけど、普通これはちょっとあぶない精神的危殆に瀕したオヤジってところ。( 尤も監督の青山は原作者の田中との対談の中で、そんな有り様を“ 酩酊感 ”と表現している )でもこの映画では、この父親のざっくばらんなキャラクターの日常的な所作に過ぎず、そんなメンタリティーの持主たちって戦後は時代を経るにつれて微少になってきたろうが、戦前は決して少なくはなかったようだ。それが又同時に、作者の政治的意図でもあるのだろう。
 

Photo_5


監督 青山真治
脚本 荒井晴彦
原作 田中慎弥《 共喰い 》
音楽 山田勳生、青山真治
撮影 今井孝博
編集 田巻源太
製作 スタイルジャム ( 2013年 )

遠馬  菅田将暉
仁子  田中裕子
千種  木下美咲
円   光石研
琴子  篠原友希子

|

« 2014年4月 | トップページ | 2014年6月 »