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2014年5月10日 (土)

旅先の不可解

Isfahan_3

 この列島でも不可解は際限ないけど、言葉からして不如意な海外での旅先じゃあ、その不可解も又ちょっと様相が異なってくる。
 かつてまだノービザだったイランをぐるりと駆け足で廻っていた時、ケルマーンから古代宗教ゾロアスター教でも有名な砂漠のど真ん中のオアシス都市ヤズドに入った。途中検問が執拗でもう薄暗くなった夕刻に到着。宿捜しには厄介な状況で、案の定、早速二軒も断られてしまって、大きなリュックを背負ってトボトボ通りをほっつき歩いていると、路肩の椅子に坐っていた一人の男に声をかけられた。
 「 コジャ・ミリ ? 」 
  ( 何処に行くんだ ? )
 教科書通りではない通俗的慣用句だったためピンと来ず戸惑ってしまったが、幸いなことに彼が英語も話せたので、結局彼の家に泊まる運びとなった。

Isfahan_2
 
 中東では結構多い年齢よりも老けて見える髭だらけの男だった。
 温厚そうな人柄で、手に数珠を持っていた。彼、A氏は、二年前に終結したイラン・イラク戦争に狩り出され、負傷し背骨を痛めていて、背骨が疼くらしく時折オピューム( 阿片 )を吸っていた。元々モルヒネの材料でもあり民間療法薬でもあったので理には適っていたものの、“ 恐るべき魔薬 ”のイメージ先行の素人目には些か迫力のあるものだった。手続きが色々面倒なモルヒネよりも彼地では簡単に手に入るらしいオピュームの方が手軽なのだろう。シンガポールかマレーシアに療養がてら滞在したこともあるという。厳しい気候風土の砂漠地帯と異なって風光明媚な東南アジアがかなり気に入ったようだった。
 
 高い塀のあるその家は、彼の実家で、父親がバス会社( ピンキリで無数にある中の一つ )を経営している中産階級のそれなりに裕福な家庭のように見受けられた。彼の弟も人なつっこい人柄で家業を手伝ってたが、A氏と違って若干反抗的で、一度父親と口論する場面に遭遇したこともあった。彼も戦場に狩り出され、記憶に間違いなければ確か片足を負傷していた。
 当時腹の調子が芳しくなく、せっかくのイランの家庭料理も脂濃さもあって遠慮気味になってしまい、自分の作った料理が口に合わないのかと彼の母親がかなり気にしているとA氏に聞かされ、恐縮してしまったが如何しようもなかった。それでも三日も滞在させて貰った。ナーンとヨーグルトの朝食は気に入ったけれど、彼らは必ず全部食べず残していた。A氏によると、イランでは、恵まれない人達の為に残すようだ。各家庭の残飯を集めに車がやって来るらしい。


Teheran

 彼の実家の隣に、元警官だったまだ若い青年が居て、親しく出入りしていた。
 鼻髭をはやしたすらりとした青年で、いつもバイクを乗り回し、記憶も定かでなくなったので勘違いの可能性もあるが、当時はまだ現在の形の携帯電話なんて流布してない時代で、ひょっとして移動電話の類だったのかも知れないけど、ウォーキー・トーキー風の警官なんかが持っている無線通話器を彼が腰に提げていてぼくも珍しがって見ていた。

 その詳細な経緯はもう忘れてしまったけど、ある日、彼のバイクに同乗して近辺をドライブすることになった。ぼくが求めたのじゃなくて、A氏やなんかも居た中でそんな運びとなってしまった。元々ぼくはヤズドに関する知識なんて殆どなかったし、彼も英語がさっぱりだったこともあって、途中何処かのチャイハネかなんかに坐っていたA氏とも行き会ったりしたけど、一体何処をどう廻ったのか今も当時もさっぱり分からずあっちこっち連れ廻されただけであった。
 で、さあ帰還ということになって、急にぐずぐずと動きが停滞し始めた。
 腰のウォーキー・トーキー風を頻繁に使ってどうもA氏の家人にか連絡でも取っているように思えた。二度ほど停まり道端の店でドリンクなんかを飲み、すっかり水腹になってしまってさすがにうんざりさせられてしまった。ようやくA氏宅近くまで戻っても、すんなりと戻ろうとはせず、どうも何かを待ってるような雰囲気であった。
 やっとA氏宅に戻ると、「 今まで何処にいたのか ? 」とA氏にシリアスな眼差しで問われてしまった。暫しぼくは目が点になり、「 ええっ ? 」、ドライブ先で一緒になったし、そもそも彼らがぼくに隣家の青年のバイクでのドライブに赴かせたのではなかったか。唖然とするばかり。それでも大まかな事は言って応じたものの、詳細な表現を英語でする能力はその頃は持ってなかった。( 現在もそれほど大差はないけれど )

 その内、実は、彼の母親の宝石類が盗まれたんだ、とA氏が告げた。
 そして、どうもいつまで過っても戻って来ないぼくが疑われたようだ。一応A氏はぼくがそんなことをする人間ではないと庇ってくれたらしい・・・何が何だかさっぱり分からず、殆ど腰砕けになってしまった。ずっと隣家の青年とドライブ出かけていたんであらぬ嫌疑は晴れたようだったが、どうにも一切が腑に落ちなかった。
 次の目的地コム行きのバスチケットも彼の父親が無料で手配してくれ、機嫌良く家人はぼくを送り出してくれはした。A氏も同じバスで途中の小さな町まで同乗し、久し振りに彼の嫁さんや子供たちに会えると喜んで降りていった。
 たったそれだけのことなんだけど、しかし、今以てさっぱり得心がいかない。

 一体、何が起こっていたのだろうか。

 そもそもぼくが頼んだわけでもないのにバイク・ドライブという仕儀に至ったんだけど、これはぼくが体調今一ってこととA氏宅が結構こみ入った場所にあって外出すると戻るのが大変だったからってことで殆ど外出しなかったので、それじゃせめて近郊のドライブを、という親切心からのドライブ行だった可能性も高かった。
 それでも、帰宅の途につくあたりから何故かぐずぐすし始めたのは納得できなかった。
 ひょっとして、家の様子がただならぬとぼくを連れて帰るのを回避しての時間潰しだったのか。だったら、ぼくに対するあらぬ疑いはあり得ない。
 と、すると、あの妙な停滞、如何にもすぐぼくをA氏宅に戻すのを渋っていたとしか思えない態度が、いよいよ疑わしい怪しげなニュアンスをもってくる。

 ぼくははなからA氏をそんな位置に置いたことはなかった。
 彼はどちらかといえば、父親のバス会社には係わってなくて、何処やらのエリートに近いポジションのようだったし、温厚な人柄からしても可能性は考えられない。
 一等疑いの濃い( 間違いならまったく失礼なことだが )隣家の元ポリス青年はといえば、確かに、好青年というよりちょっと鬱屈した胡散臭さはあった。それが警察という職掌柄なのか、イラン・イラク戦争の渦中で刻印されたものなのか知る由もない。失業中ってことでもあったもののその元ポリスの邸からして結構良いところの坊ちゃんって風であった。
 しかし、彼は、ずっとぼくと一緒にバイクで外を廻っていたので直接的にはありえないから、他に誰かと手を組んでの連携プレーってことになる。つまり外部の第三者の存在だけど、A氏宅が無人になるのを何処かで待っていたのだろう。あるいは又、内部に通暁した者、つまりA氏の実家家族の中の誰かということになる。と、唯一、A氏の弟しか居なくなってしまう。( 勿論一つの可能性としての推論に過ぎないけれど )

Isfahan_1


 只いつ頃盗まれたのかもはっきりしてなくて、その前日だったか、A氏が廊下で椅子の上に立って傍の部屋の中を天上近くに備わった明かり取り窓から覗いている光景に出くわしたことがあった。ぼくと眼が合うとニヤリと悪戯っぽく笑い、音を立てずに降りてくるなり、その弟が娼婦を部屋に連れ込んで行為に及んでいる最中と教えてくれた。彼地では娼婦は出張するものでもあるらしい。
 そういえば、パキスタンはペシャワールの安ホテルにも、地元の娼婦が一度姿を現したことがあって、日本人パッカー一同皆吃驚した覚えがあった。結構厳しいイスラム原理主義的な全体主義国家というイメージの割には随分と微笑ましい庶民生活感覚ではあったのだけど、内部ではなく外部説を採るとなると、彼女が候補に浮上してしまう。無論A氏は先ずそれを疑ってみたろう。彼の両親たちはいざ知らず。それだと、元ポリス青年は全く係わりのない、単なる偶然で紛らわしい行動をとっただけというところに落ち着いてしまう。はてさて・・・

 結局、言葉の問題もあるけど、余り突っ込んで聞くのも憚れ、曖昧模糊とした有耶無耶のまま、親切に世話してくれたA氏家族宅を後にすることとなった。けれど、後になればなるほど、いよいよもって一体あれはどういう事だったんだろうと疑念が昂じ、想像を逞しくしあれこれ邪推・推論してみたものの、未だ以て、すべては熱砂のキャヴィール&ルート砂漠にかかった蜃気楼の如く。

 それにしても、旅とはいつ何時、いかなる出来事・事件に巻き込まれるか分かったものじゃない危うい細い一本の糸の上を、それぞれの思惑と自重( じじゅう )で渡ってゆく芸当以外の何ものでもないってところだろう。  


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