« 2014年6月 | トップページ | 2014年8月 »

2014年7月の4件の記事

2014年7月26日 (土)

 秋山清『 目の記憶 』(1) 近代にゆらめく藁葺の源郷

01b_2

 【炎天下の下、今津の町はひっそりと佇んでいた。】


 金子光晴や辻潤よりやや遅れての同時代人に、秋山清という詩人がいる。
 長年、出身地が小倉となっていたのでそう思い込んでいたら、最近、古本屋で入手した彼の回顧録ともいうべき赤と黒の装幀の《 秋山清著作集 9 目の記憶 》に、実はその隣の町、藤原新也の旧郷・門司だったのが記され、その幼少時からの回顧が延々綴られていて驚いてしまった。
 この辺りでは裏日本という呼称と同様のニュアンスの裏門司と呼ばれる瀬戸内海側に面した、旧[ ふる ]くからの漁業・農業エリアの一角、今津という小さな漁村に産まれ、少年期を過ごしたという。現在は資本主義的論理の定式といわんばかりに広大な埋立地=工業団地やフェリー・ターミナルが拡がり、幹線沿線は各種トラックが走る埃っぽい地域となってしまっているものの、その一つ手前の海沿いには鄙びた漁村が静かに横たわり昔ながらの風情の残香ぐらいはまだ漂っている。

04b_3


 幕末・明治維新の二度、門司=企救半島[ 鎌倉時代頃には門司六郷とも呼ばれていた小倉の東半分も含めたエリア ]は、戦役や一揆に騒然とした経験があり、この小さな漁村もその舞台となったかどうかは定かでないけれど、1904年( 明治三十七年 )産まれというから1918年( 大正七年 )の《 米騒動 》の頃は思春期。

 小倉の中学に入学した最初の夏休みに入った直後、全国を席巻していた《 米騒動 》の嵐が港湾都市・門司の町でも吹き荒れた。第一次世界大戦の後、ロシアで起きたロシア革命を阻止するための《 シベリア出兵 》のため米の値段が高騰してしまい全国的規模で暴動が発生してしまったのだ。

10b_2

 【かつての茅葺きがトタン屋根に変わった漁港・今津の景観。でも大半は普通の民家で、訪れたのが日曜だったのもあるけど、商店らしき( かつてのそれらしき痕跡のある建物はあった )ものは見られなかった。旧い佇まいの民家は数えるほどしかない。】


 「『 とうとう門司、小倉にも米騒動のブチコワシがやってきた 』というはなしを、はじめはある恐怖をもってきき、だがすぐそれが見たくなり、門司の伯母の家にいった。
 伯母の家の者たちの話では、ひるまのうちは何ごともなく見えるが、夕方からどこともなく人々が出てきて、しだいに集まって、米屋など目がけて石を投げたり戸が壊されたり、あの町この町とひろがってゆく。だから店はどこも大戸をおろし、ただじっとしているだけ、巡査なども手がつけられん勢いだが、やがてブチコワシはどこかに行ってしまう。そしてそれがもう幾日もつづいているのだ、ということだった。
 壊された戸やブチコワシが引揚げていったという跡を見ただけで、はげしい現場にはついに出逢わなかったが、校長のいったのとはちがった意味で日本の歴史の画期的な出来ごとであった筈だ。」


 直接、警察も座視を余儀なくされた騒然とした暴動現場の只中でのリアルタイムな体験はなかったものの、その痕跡に、少年秋山は民衆の怒りの何たるかをそれなりに体得していたのかも知れない。というのは、かくいう秋山清って単なる詩人ではなく、アナキズム系の詩人だったから。
 ダダイスト辻潤、アナーキーな金子光晴、アナキスト秋山清って並びだけど、勿論前者の二人ほどには有名ではない。知る人ぞ知るってところだ。大体、芸術家・アーチストたちって、アナーキーやアナキズム志向はけっこう強い。無制約的な創造って奴だろうか。因みに、あのAKB論争の常連のアイドル評論家の中森明夫すら、未読だけどアナーキストを主人公にした《 アナーキー・イン・ザ・JP 》なる小説を書いているようだ。

02b_2

 【旧い朽ちた民家の背後によこたわる埋め立て工業団地にかかった鉄橋。その鉄橋の向こうにフエリー乗り場が覗けている。】

 「 福岡県企救郡松ヶ江村大字今津、人家百三十ばかり、人口七百ほどの、瀬戸内海の周防灘に向かった漁民部落、半分ほどが藁葺屋根で、かまどや囲炉裏で燃やすけぶりは、ワラ屋根のてっぺんの両端から洩れて空へ立ちのぼる。二階のある家は十軒くらいしかなかった。中に只一軒赤煉瓦の大きな屋根の家があった。小川という物持ちで、酒や酢、醤油と漁網をつくる材料の苧[お]なども売っていた。」

 「 漁場は目の前の周防灘[ すおうなだ ]である。おだやかな内海で、漁のあるのは春から秋まで、冬は来年の準備で、漁夫たちは長閑な日をすごしたらしい。それがもう私が気づいたときにはいくらか変化が起こりつつあった。漁閑期ともいうべき冬の間を、日傭[ ひやとい ]取りの労働に出る人々がいた。仕事場は、三キロ沖合の島で石灰石を採っているそこに行くことが第一。近くの道普請とか、水田用の溜池の土手の工事だとか、せいぜい六十銭くらいが、一日労働しての日当であった。
 私がまだそんなことに気づかないほんの少し前までは、漁網の手入れ、延縄の用意、あるいは山の立木を買って伐り出して薪をつくる、とかいうくらいのことが男たちの冬の仕事だったという。つまり前の海[ 周防灘 ]での漁獲が減って、冬場をゆっくりしているわけには行かないという現象が徐々に迫ってきたのである。夏の夕方に船がかえって来る「エイ掛け」などは、私が気がつくようになった五、六年の間に、ほとんど漁獲がなくなってしまった。エイは胎生だから繁殖力が弱い、だから新しい方法でもって獲られてしまったのだ、と学校で校長先生がいったことがある。そしてそれは二度と回復しない。鰆、蝦、鯛、はも、ふく、そんなものの漁獲高はしだいに落ちて、漁をやめる家も出るし、漁をやめて門司、小倉( いまは共に北九州市 )に出てゆく家もあった。ずっと遠い炭鉱地に移ってしまった友だちの一家もあった。そして漁をやめた者たちは、峠の向うの大里あたりの工場に通いはじめたが、それがどんどん人数を増やしていった。急激にそのことが目立ってきたのは、青島攻略の戦争が始まってからのようだった。」

05_2

 【 今津漁港の船溜まり。】

「 魚がとれなくなった、仕事があるので町に通う、というただそれだけのことが、私の部落の様子をあまり長くないうちにがらりと変化させた。部落にはまだ電灯が来ていなかった。それが山をこえて電線がやって来て、各家に電灯が点るようになったのは小学校四年のときだった。」

 「私の目は、ようやく、幼いときの漁村今津の一隅から、少しひろまって松ヶ江村という西側を山にさえぎられた海岸ぞい一帯の農村を知り、そして今は鹿喰峠[かじきとうげ]の彼方の北九州の工業地帯にたいして、ある自覚をもつようになった。
 子供から、子供でなくなろうという年齢にまで到達しつつあった。その自覚の最初のものとして、峠の朝夕を歩いて街の工場に往復する人々の存在があった。
 私の部落から峠にかかる中間に畑という百姓部落がある。ここの百姓たちは峠をこえて町に働きに行こうとはしなかった。私のいた部落だけが極端に貧しかったのである。」


 あたかも符丁のように『 魚が獲れなくなった 』ってフレーズ日本中あっちこっちで囁かれ始めてもう久しいけど、こんな大正時代の頃からだったとは初耳。門司=今津の場合、基本的には国策としての急激な工業化=築港や工場用埋め立て、排水などの環境変化のなしえた業[ わざ ]であろう。そして工場労働者へって、絵に描いたような資本主義的発展史。
 そして同じ頃、第一次世界大戦中、世界に蔓延し多くの犠牲者を出した《 スペイン風邪 》がこの日本列島にも押し寄せてきた。


 「 私のはるかな記憶のなかでは、シベリア出兵と米騒動がかさなっている。それからもう一つ、大流行の“スペインかぜ”がかさなっている。
 大正七年の二学期のある日、七、八人が休んだ。次の日クラスが半分ちかく空席となった。不時呼集の鐘がなって運動場に全校の生徒が集められ、教頭の松木先生からいい渡された。『 遠くスペインからはじまって世界中にはやっている流行性感冒が日本にも来て、本校も今日は欠席者が多い、今から一週間休校する。』
 一週間の休みか、いいなあ、とおもって飛んでかえった。」

07b_2

 【 秋山が中学生になって毎日通った鹿喰峠の背後にそびえる戸ノ上山。】

 
 「 スペイン風邪はほんとうにひどかった。私の村でも、まだ土葬も多かったころだのに火葬場に煙がたえないといわれた。門司や大里あたりは、もう火葬場で死体がさばけきらず、山積みになっているなどとうわさが流れてきたくらいだった。スペイン風邪というと私は白いけむりが峠の向うの火葬場から朝も夕方も昇りつづけた記憶がすぐよびおこされる。白いけむりが山裾から稲の刈りあとの水田の方へたなびいている光景とともに、ほとんどの家に病人が出ていた。その中で、祖父も母も私もついに罹ることがなくてすんだ。
 一週間すぎて、学校に出てみると、大方元気でやってきた。そしてカゼのはげしい話ばかりだった。中には一家八人のうち、彼一人が生きのこって、父母きょうだいが死んでしまったという同級生もいた。妹が死んだ、母が死んだ、というのも幾人かきいた。」


 1918年( 大正七年 )頃から数年の間世界中で猛威をふるったパンデミック《 スペイン風邪 》の感染者六億人、犠牲者は四、五千万人という。日本での死者は約四、五十万人。尤も、発生源はスペインじゃなく米国らしい。おりからの大戦で米兵が大挙してヨーロッパ大陸に渡り、病原をも運んでしまって世界的に蔓延してしまったようだ。門司は世界航路の港湾都市でもあって、海外から直接人々の行き来があるので尚更だっただろう。
 
 夏の盆踊りに近辺の部落からやってきた連中との掛合い盆踊りうたの競演が、戦後いつの間にやらレコードと拡声器[ スピーカー ]による木曾節や佐渡おけさに変容してしまったことへの嘆きの後、もう一つの夏の風物詩として村相撲に触れている。


 「 相撲も夏の行事であった。田舎の宮相撲とか草相撲とかいうのには、素人相撲ながらのしきたりがあった。各部落に相撲の頭取がいて、どこかの部落が主催で相撲をやるとなれば、近所部落の相撲の頭取に挨拶が来る。それがないと相撲取も行かない。そんなことがないように、赤飯など下げて、私の家の近所にいた頭取のところへ挨拶に来たのを幾度も見たことがあった。柄にもなく鹿爪らしい挨拶を交わすのを見て、あれっと思った。『 鋸[のこぎり ]の親方 』とかいって、先方の頭取から来た使いの若い男が中腰にかがめて口上を述べていた。
 その夏の盆の十六日、近くの畑の宮の土俵で相撲があり、見物の中にいた私が、とつぜん飛び入りをして皆をおどろかせてやった。私は少しばかり自信がなくはなかったので、頭取の家にあった締込みを借りてもって行っていた。その日は、ただ好き勝手に、まだはじめのうち皆がとび出て、行司もなしにやっている時の土俵に上っただけですましたが、案外強いというので、頭取の万五郎爺( 鋸の親方 )から、次の相撲に是非出るようにいわれた。」

03bb_2

 

 「 その前のある日稽古をしているところに、相撲上手で知られた、そのころ四十五、六になる甚作という人が来て、私に自分のマワシと今響という名をくれた。『是非おまえにやる』といわれて面くらった。田舎の相撲では人気力士が土俵で勝つと紙につつんで『花』が投げられる。そのときの相撲で私に投げられた『花』が七円くらいもあって、これにもおどろいた。私は相当の人気力士だったらしい。」


 「 若い男が中腰にかがめて口上を述べていた。」ってのは、いわゆる任侠・テキ屋たちの“ 仁義をきる ”とか称されている挨拶口上に似た類のものなんだろう。これを見ると、必ずしも任侠関係の専売特許ってことでもないようだ。相撲って戦前の村落共同体ではオフィシャルな花形格闘技だったらしい。これっていわゆる奉納相撲ってやつだろうか。

       『 秋山清著作集 9 目の記憶 』 著・秋山清( 株式会社ぱる出版 )

|

2014年7月20日 (日)

泣き寝入りはしない!! インド娘子軍「 グラーブ・ギャング 」

Gulaab_gang_3


 インドじゃ相も変わらず、封建制&カーストに根差した犯罪、とりわけ女性に対する( 差別的 )犯罪が後を絶たないようだ。
 ヒンドゥー教の影響を受けている訳でもなかろうがタイでもつい最近、列車の中でのレイプ・殺害事件が騒がれているけど、ちょっと前まで、タイも農村部での集団レイプ事件が社会問題視され、映画にもなっていた。バンコク周辺での路線バスの中での集団レイプ事件ももう珍しくもなく、若い娘が助けを求めて泣き叫んでも他の乗客は知らん顔。そりゃそうだろ、前方を走る路線バスに敵対校の生徒の姿を見かけただけで、拳銃をぶっ放し、ピンポン爆弾を投げつける泣く子も黙る職業&技術専門学校の面々と分かってたら、せめて自動小銃くらいで武装してないかぎりは自分や同席した自分の家族の生命と引き替えるような真似はそうそうできまい。勿論その場合でも狙った目標を確実に撃てるという技術が絶対条件であるのは言を待たない。でなければ、彼らと同様にバスの中を修羅の巷と化してしまうからだ。
 そもそも女性差別って、男性差別と一枚のコインの表裏の関係にある本来同一物。
 別に発展途上国から先進国の仲間入りをしようとしているインドやタイだけでなく、日本も含めた欧米先進国もその差別構造にどっぷり漬かっていてそこから抜け出そうとしているようにも思えない。むしろ訳の分からぬ勲章まで貰って得意気なのだから始末に悪い。

Gulaab_gang_2

 永年、封建制やカースト制、中国よりやや遅れて近年澎湃と起こりつつある資本主義的弊害などによって苛まれてきたインドの女たちがついに立ち上がった。
 インド中部、ウッタル・プラデッシュ州ブンダという厳しい環境下の貧困地域で、女たちが独自の自己防衛組織を作った。人呼んで、“ グラーブ・ギャング ”Gulaab Gang( 桃色のギャング )。カースト意識と家父長的封建制的傾向の強い地域のど真ん中で、そんな文化・慣習にどっぷり漬かった理不尽な男たちのありとあらゆる暴力に対抗するため棍棒などで武装し、必要とあれば容赦なく男たちに全身の力をこめて棍棒を打ち下ろすことを厭わないという。そのための訓練すら欠かさないとも。
 正に娘子軍。
 中国の娘子軍は有名だけど、あくまで反乱軍・革命軍として男たちと別個に組織されたもので、悪辣な男たちに対抗するために女たち独自に作られたものじゃない。それでも最近は男たちの横暴に決起した女たちが、護身用の電気ショック銃( スタンガン )で自己防衛して、戦いを挑んでいるという話しも聞いたことがある。

Gulaab_gang_5

 実在の組織は“ グラビ・ギャング ”Gulabi Gang(意味は同じ・ピンクのギャング )という名称で、サンパト・パール・デヴィによって2006年に設立。彼女に言わせると彼女たちは“ 正義のギャング ”なんだという。現在では数十万の構成員を数える立派な一つの社会勢力となっているようだ。

 今年の三月全インドで封切られたこのボリウッド映画《 グラーブ・ギャング 》Gulaab Gang、マドーリ・ディキシットとジュヒ・チャウラという二大女優の顔合わせって豪華キャストの割には興行成績は今一ふるわなかったようだ。YOU TUBEで観せて貰ったけど、確かに実に今日的なテーマと素材、そして二大女優の競演というセンセーショナルな要素の割には、些か作りは凡庸で、筋立ても月並み。
 無論二人のベテラン女優のせいではない。専ら監督と脚本にその原因があるのだろう。 今や映画やテレビで女性のアクションなんて珍しくもなく、女カンフーや殺し屋なんて腐るほど輩出している。この映画でも売りは、ピンクのサリーに身を包んだ女たちが棍棒を悪辣な男たちに打ち振るところに違いない。
 実在の“ グラビ・ギャング ”はもっぱら棍棒を手にしての行動らしいけど、映画では、カンフー風に棒術を駆使してのあでやかな胸の空くような展開とは無縁で、それを補うように鎌や斧を棍棒の先に装着した武器を手にして刀や銃で武装した悪辣な男たちに立ち向かっている。平均的なインド映画のアクションって元々ちょっとゆるいんだけど、もう少し面白くスリリングなアクションの展開・演出あってもよかった。そうするとかなりメリハリが効いてくるはずなんだけど、それが出来てないのでかなりおざなり感が強い。
 それ以上に、ストーリー展開でのメリハリが希薄で、緊迫感がなく、お淑やかなイメージの強い美人女優ジュヒ・チャウラ演じる悪徳政治家スミトラ・デヴィのやたら多発される意味ありげなニヤ、ニヤが不気味さではなく一層のだるさを来たしている。監督のソウミック・セン、脚本も兼ねているのでもっぱら彼に依るところ大。 

Gulaab_gang_4
 
 映画のはじめ頃に導入された村の電気を牛耳った発電所の役人が賄賂稼ぎに送電ストップを非力な村民らにけしかけ、“ グラーブ・ギャング ”のピンクのサリーをまとった軍団の登場となってあえなく悪徳役人輩の目論見は潰え去ってしまうシーンがある。
 これは実際にあった事件を踏襲したようだ。彼女たちは、地域における一つの勢力となっていて、単に男たちの女たちに対する悪辣且つ非道な暴力に抗するだけでなく、弱者に対する横暴な地方の大小の権力者たちの非道・理不尽な悪行・暴力に対しても果敢に戦いを挑んできたらしい。正に“ 正義のギャング ”ってところ。
 彼女たちの人気に目をつけた地域のボスでもあるらしい女性政治家・デヴィ( ジュヒ・チャウラ )が、選挙も近づいてきたこともあってか、彼女たちを抱き込もうと接近してくる。が、すぐにスミトラの本性を見破った“ グラーブ・ギャング ”の代表・ラッジョ( マドーリ・ディキシット )、彼女に対抗して自らも選挙に打って出る。ところが、警察やら地域役人を抱き込んでいた女性政治家・デヴィが勝利。
 そして、インドの祭日ホーリーの日、彼女たちの本拠地で祭りが催され、誰も彼もが原色の粉をかけられている最中、女性政治家・デヴィとその一派が現れ、彼女の配下の元々“ グラーブ・ギャング ”に恨みをもっていた地域の小ボスが、突然鞄から取り出した自動小銃を女たちにぶっ放し、一同入り乱れての一大乱闘・殺戮戦と相成ってしまう。
 この一連の流れが演出の不手際で何ともおざなり図式的過ぎて、まるでダイナミズムってものが希薄。これじゃ面白い訳がない。それに元々、色々制約があるのだろうが、制作側の曖昧さがそもそもの原因となっているようだ。
せっかくの題材なのに、実に残念だ。


Gulaab_gang_6

  実在の“ グラビ・ギャング ”とサンパト・パール・デヴィ。

|

2014年7月12日 (土)

リョサ「悪い娘の悪戯」のドラマ化

1a_2


 一昨年このブログでも紹介したペルーの作家リョサの《 悪い娘の悪戯 》( 邦訳・八重樫克彦・由貴子〈 作品社 〉)、一読しただけで映画にするのにもってこいの造りだと思ったけど、ようやく最近メキシコ・コロンビアのテレビ局が協同でシリーズ化してドラマ作品にするプランが浮上していたのが、急に頓挫したらしい。理由は定かでないけど、向こうの有名スターが出演することになっていたという。残念。それが実現していたら、ひょっとしてNHKの衛星くらいで放送される可能性もあったろう。

2a


 もっとも中国では、早くからテレビ・ドラマじゃなく、舞台の方で演劇( =戯劇 )作品として幾度も上演されていたようだ。リョサの《 悪い娘の悪戯 》は2006年の作品だから、実際はひょっとしてもっと早い時期にも演劇化されていた可能性もあるけど、ブログ見ると2011年に既に姜文、コン・リー、章子怡等のもはや大御所的な映画スターたちを輩出したことで知られる北京の有名な《 中央戯劇学院 》が、同校のものらしい東教学楼黒匣子劇場で上演していた。この劇場は100席の小劇場で旧いものを改装したという。
 この公演での編劇が陳小怜となってるけど、それ以後、他の団体であるはずの《 北京人民芸術劇院 》の同じ《 悪い娘の悪戯 》公演の際も陳小玲・編劇となっている。

1a

 中国でのタイトルは《 壊女孩的悪作劇 》。
 「壊女孩」は、悪い娘で、性悪娘や不良娘ってとこだろうし、「悪作劇」はいたずら。
 2012年からは、《 北京人民芸術劇院 》=“人民芸術実験劇場”演出公演が現在まで続いていて、今夏も七月の広州公演、八月の上海、北京公演とずらり日程が組まれている。壊女孩・リリーと好男孩・リカルドとの数十年に渡る数奇な恋愛譚をたった100分に凝縮した陳小玲演出。出演者の殆どがこの劇院の九十年代生まれの若手ばかり。
 “智利小姑娘”莉莉( チリ娘リリー )には、今やテレビ・映画でも活躍しているらしい藍盈瑩 ラン・インイン( 中央戯劇学院卒業生 ; 1990年生まれ )、のっけからペルーは首都・リマのマンボ大会から始まるのか、真っ赤なドレスでマンボを踊るシーンもあるようだ。ダンスは他のメンバーも専門家の訓練を受けたようで、躍動感溢れるシーンは売り物の一つらしい。 
 勿論、他の国でも演劇化されてるかも知れないが、この国ではどうなんだろう。

Photo


|

2014年7月 6日 (日)

災厄の牙城 『 シタデル 』

Citadel_2


 一時犯罪の若年化が騒がれ世界中のグループ化した少年犯罪が報告され、ブラジルのは映画化までされていたけど、欧州でも、ドーバー海峡を越えたブリテン諸島(英国とアイルランド)でも同様らしい。
 この映画の監督キアラン・フォイも、嘗て路上で少年ギャング一味に襲われ、その時のショッキングな体験が元でパニック障害=広場恐怖(アゴラフォビア)に陥ってしまい随分と苦労していたのが、突如降って湧いたようなその禍事を逆手にとってこの映画を作ったようだ。確かに、パニック障害を患っている主人公の映画って余り聞かない。米国映画《 テイク・シェルター 》の主人公が精神を病んだ母親の影響を危惧し鬱々とした強迫観念的ノイローゼに陥っていたような独特の昏いトーンが特異でもあったけど、このアイルランド映画も、欧州独特の昏く鬱々とした空の下、殆ど廃墟と化した灰色の高層集合住宅が墓標のように聳えた実に陰鬱な雰囲気。
 この郊外の、世界的慢性不況のためにスラム化し、更に廃墟と化してしまった今じゃ世界のあちこちに見られる末期資本主義的残影って、昨今のホラー映画の定番と化してしまった感すらあるもってこいのお決まり舞台。この矩形の廃れ朽ちた高層ビルって、もうそれだけで沈鬱な現代って状況を表象し、救いがたい禍々しい惨事を予見させる。比較的最近観た映画の中にも同じ設定の作品が何本もあって、一つの流行のようにも思える。不思議なのは皆それなりに面白い作品に仕上がっているってことだ。

Citadel_1

 アイルランドって、嘗ては英国からの分離独立運動のIRA( アイルランド共和国軍 )との絡みで有名だったものの今ひとつ馴染みがなくイメージがわかない。この映画でもロケ地は英国スコットランドの工業都市グラスゴーということで、如何にも低所得者向けの高層集合住宅ってのが英国風味。
 バスもろくにやって来ないような、いよいよ時代に廃棄されたような燻すんだ場末。灰色に閉ざされたような裏通りをフードを深々と被ったパーカーを纏った少年ギャング一味がゾロゾロ群れながら徘徊するって光景はそれだけで映画になる。そんな荒んだ街から抜け出そうとしていたのか、もうすぐ子供が産まれる若いカップルが、そんな高層住宅から引っ越そうとした当日、正に主人公トミーが手荷物を玄関前に停めたタクシーに預け、部屋の前の通路で待っていた嫁をエレベーターに乗って連れに戻ろうとしたその時、急に調子のおかしくなって扉が開かなくなったエレベーターの小窓の向こうで、やってきたパーカー姿のギャング一味に身重の妻が襲われる様を目撃する羽目に陥ってしまった。一階まで降りてしまったエレベーターから飛び出し必死に階段を駆け上がり続け漸く辿り着いた時には、はちきれんばかりに膨らんだ腹の上に一本の注射器を刺されたまま通路の上に妻は倒れていた。
 病院に運び込まれたものの結局妻は死に、産まれた女の子が一人残った。
 まだ若いトミーは、しかし、その事件のショックでパニック障害=アゴラフォビア( 広場恐怖症 )を発症し、建物の外に出ることが困難になってしまって、それでも産まれたばかりの一粒種のエルサを育てていかねばならない。普通なら、どっちかの両親の下に預けられるのが常道だけど、それじゃ映画にならないからだろう意地でも買い物もままならぬ青年シングル・ファーザー=トミーが自身の手で育てる運びに。

 このアゴラフォビアって病、的確な訳語がないようで、一応『 広場恐怖 』とか『 空間恐怖 』、『 外出恐怖 』となっていて、かなりトイレなんかの狭い空間をすら恐怖するケースもあるらしい。『 閉所恐怖症 』とは別様のものという。薄暗い建物から眩いばかりに淡い光の溢れた外の世界へ一歩踏み出すと、もうパニック的発作を予期しての不安なのか既にパニック状態に入っているのか、正に戦場的殺伐さのど真ん中を行く類で、全身から脂汗が滲み滴り落ち、一歩一歩身を削る思いで、嬰児エルサを乗せた軽量プラスチックのベビー・カーを押してバスの停留所までゆく姿は病んだ現代そのもので痛々しい。
 彼の居る高層住宅はドアがガラスなのか強化プラスチックなのか定かでないが外部が磨りガラス状に覗け、例のパーカー一味の姿が執拗に現れる。襲いに来たんだと、慌ててトイレの中にエルサを抱いて隠れ片手にハンマーを握ってじっと息を殺し身構える。その内中に侵入しドカドカと足音をたてて巡りはじめる。一見、不安と恐怖に怯えたトミーの意識と神経が作り出した幻覚のように思えるが、果たして、彼らは本当にトミー否彼の子供である乳飲み子のエルサを狙っているのが分かる。

Citadel_3

 実は、彼らパーカー一味は少年ではなく、ある因縁めいた成り行きで邪鬼のような風貌と身体をもった成人であった。近親婚と感染症で矮躯となり、生殖能力を喪失したため、子孫を残すために普通人の幼子を引っ攫(さら)っては自分たちと同様の身体に変容させ続けてきたという。ある宿業・因縁によって生じた異形の者たちと社会との軋轢と争闘・・・これはもう今のホラー映画の定番的範疇だ。《 ヒルズ・ハブ・アイズ 》なんかをはじめ枚挙に暇がないくらいに次から次へと作られ続けている流行のシチュエーション。
 ストーリー的には、実は彼らの実の親だった神父と彼らに攫われながらも逃がれ異形の者となることを免れた盲目の少年と連れだってトミーが攫われたエルサを取り戻し、彼らの牙城である件の高層ビル、正に邪悪の城砦( シタデル )を爆破し根こそぎにしてしまう。脚本的には単純で月並みなデキだけど、パニック障害に苛まれ幼子の乗ったベビーカーを押しながらのシングル・ファーザーの悪戦苦闘って一点で興味を惹いた。

 そういえばパキスタン国境ちかくのイランのバムの街にも砂礫の城砦シタデルがあった。一応形は留めているものの廃墟には違いなく、仄暗い内部にすっかり棲みついた嘗ての亡霊たちがかそけき姿も顕わに徘徊しててもおかしくはなかった。尤も先年の地震で大部瓦解したらしく、亡霊たちもあわてて逃げ出したろうか。


|

« 2014年6月 | トップページ | 2014年8月 »