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2014年7月20日 (日)

泣き寝入りはしない!! インド娘子軍「 グラーブ・ギャング 」

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 インドじゃ相も変わらず、封建制&カーストに根差した犯罪、とりわけ女性に対する( 差別的 )犯罪が後を絶たないようだ。
 ヒンドゥー教の影響を受けている訳でもなかろうがタイでもつい最近、列車の中でのレイプ・殺害事件が騒がれているけど、ちょっと前まで、タイも農村部での集団レイプ事件が社会問題視され、映画にもなっていた。バンコク周辺での路線バスの中での集団レイプ事件ももう珍しくもなく、若い娘が助けを求めて泣き叫んでも他の乗客は知らん顔。そりゃそうだろ、前方を走る路線バスに敵対校の生徒の姿を見かけただけで、拳銃をぶっ放し、ピンポン爆弾を投げつける泣く子も黙る職業&技術専門学校の面々と分かってたら、せめて自動小銃くらいで武装してないかぎりは自分や同席した自分の家族の生命と引き替えるような真似はそうそうできまい。勿論その場合でも狙った目標を確実に撃てるという技術が絶対条件であるのは言を待たない。でなければ、彼らと同様にバスの中を修羅の巷と化してしまうからだ。
 そもそも女性差別って、男性差別と一枚のコインの表裏の関係にある本来同一物。
 別に発展途上国から先進国の仲間入りをしようとしているインドやタイだけでなく、日本も含めた欧米先進国もその差別構造にどっぷり漬かっていてそこから抜け出そうとしているようにも思えない。むしろ訳の分からぬ勲章まで貰って得意気なのだから始末に悪い。

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 永年、封建制やカースト制、中国よりやや遅れて近年澎湃と起こりつつある資本主義的弊害などによって苛まれてきたインドの女たちがついに立ち上がった。
 インド中部、ウッタル・プラデッシュ州ブンダという厳しい環境下の貧困地域で、女たちが独自の自己防衛組織を作った。人呼んで、“ グラーブ・ギャング ”Gulaab Gang( 桃色のギャング )。カースト意識と家父長的封建制的傾向の強い地域のど真ん中で、そんな文化・慣習にどっぷり漬かった理不尽な男たちのありとあらゆる暴力に対抗するため棍棒などで武装し、必要とあれば容赦なく男たちに全身の力をこめて棍棒を打ち下ろすことを厭わないという。そのための訓練すら欠かさないとも。
 正に娘子軍。
 中国の娘子軍は有名だけど、あくまで反乱軍・革命軍として男たちと別個に組織されたもので、悪辣な男たちに対抗するために女たち独自に作られたものじゃない。それでも最近は男たちの横暴に決起した女たちが、護身用の電気ショック銃( スタンガン )で自己防衛して、戦いを挑んでいるという話しも聞いたことがある。

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 実在の組織は“ グラビ・ギャング ”Gulabi Gang(意味は同じ・ピンクのギャング )という名称で、サンパト・パール・デヴィによって2006年に設立。彼女に言わせると彼女たちは“ 正義のギャング ”なんだという。現在では数十万の構成員を数える立派な一つの社会勢力となっているようだ。

 今年の三月全インドで封切られたこのボリウッド映画《 グラーブ・ギャング 》Gulaab Gang、マドーリ・ディキシットとジュヒ・チャウラという二大女優の顔合わせって豪華キャストの割には興行成績は今一ふるわなかったようだ。YOU TUBEで観せて貰ったけど、確かに実に今日的なテーマと素材、そして二大女優の競演というセンセーショナルな要素の割には、些か作りは凡庸で、筋立ても月並み。
 無論二人のベテラン女優のせいではない。専ら監督と脚本にその原因があるのだろう。 今や映画やテレビで女性のアクションなんて珍しくもなく、女カンフーや殺し屋なんて腐るほど輩出している。この映画でも売りは、ピンクのサリーに身を包んだ女たちが棍棒を悪辣な男たちに打ち振るところに違いない。
 実在の“ グラビ・ギャング ”はもっぱら棍棒を手にしての行動らしいけど、映画では、カンフー風に棒術を駆使してのあでやかな胸の空くような展開とは無縁で、それを補うように鎌や斧を棍棒の先に装着した武器を手にして刀や銃で武装した悪辣な男たちに立ち向かっている。平均的なインド映画のアクションって元々ちょっとゆるいんだけど、もう少し面白くスリリングなアクションの展開・演出あってもよかった。そうするとかなりメリハリが効いてくるはずなんだけど、それが出来てないのでかなりおざなり感が強い。
 それ以上に、ストーリー展開でのメリハリが希薄で、緊迫感がなく、お淑やかなイメージの強い美人女優ジュヒ・チャウラ演じる悪徳政治家スミトラ・デヴィのやたら多発される意味ありげなニヤ、ニヤが不気味さではなく一層のだるさを来たしている。監督のソウミック・セン、脚本も兼ねているのでもっぱら彼に依るところ大。 

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 映画のはじめ頃に導入された村の電気を牛耳った発電所の役人が賄賂稼ぎに送電ストップを非力な村民らにけしかけ、“ グラーブ・ギャング ”のピンクのサリーをまとった軍団の登場となってあえなく悪徳役人輩の目論見は潰え去ってしまうシーンがある。
 これは実際にあった事件を踏襲したようだ。彼女たちは、地域における一つの勢力となっていて、単に男たちの女たちに対する悪辣且つ非道な暴力に抗するだけでなく、弱者に対する横暴な地方の大小の権力者たちの非道・理不尽な悪行・暴力に対しても果敢に戦いを挑んできたらしい。正に“ 正義のギャング ”ってところ。
 彼女たちの人気に目をつけた地域のボスでもあるらしい女性政治家・デヴィ( ジュヒ・チャウラ )が、選挙も近づいてきたこともあってか、彼女たちを抱き込もうと接近してくる。が、すぐにスミトラの本性を見破った“ グラーブ・ギャング ”の代表・ラッジョ( マドーリ・ディキシット )、彼女に対抗して自らも選挙に打って出る。ところが、警察やら地域役人を抱き込んでいた女性政治家・デヴィが勝利。
 そして、インドの祭日ホーリーの日、彼女たちの本拠地で祭りが催され、誰も彼もが原色の粉をかけられている最中、女性政治家・デヴィとその一派が現れ、彼女の配下の元々“ グラーブ・ギャング ”に恨みをもっていた地域の小ボスが、突然鞄から取り出した自動小銃を女たちにぶっ放し、一同入り乱れての一大乱闘・殺戮戦と相成ってしまう。
 この一連の流れが演出の不手際で何ともおざなり図式的過ぎて、まるでダイナミズムってものが希薄。これじゃ面白い訳がない。それに元々、色々制約があるのだろうが、制作側の曖昧さがそもそもの原因となっているようだ。
せっかくの題材なのに、実に残念だ。


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  実在の“ グラビ・ギャング ”とサンパト・パール・デヴィ。

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