西寧から古都・洛陽の旅 1993
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76次特快 洛陽( 北京行 )
13車60座
8月21日15時52分発 ~ 翌日17時02分着
115元( FEC )
2×3シートの3人掛けの通路側で、隣のホームと間違ったため少し遅れて搭乗し車内は既に混んでいて、上の棚はいっぱい。シートの下にリュックを置く。前回と違って物売りは余り通らなかった。天候は曇りで蒸し暑く、皆汗をうっすら滲ませていた。
翌夕方6時半頃、念願の古都・洛陽に到着。
駅頭に降り立つと小都市といった風情だが、小公共汽車( バン )がいっぱい停まっていた。考えてみれば洛陽の近辺には有名観光スポットが多く、龍門石窟・少林寺・白馬寺・関羽の衣冠が埋められているという関林廟、唐代の詩人白居易の墓のある白園、おまけに孫悟空の果花山まであるという。そんな各スポットへ向かうバンの車掌たちが客引き合戦を繰り広げていた。客が集まり次第出発らしい。それとは別に路線バスもあって、予定の《 洛陽賓館 》には5路のバス。
(洛陽・旧市街 クリック拡大 )
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旧市街のはずれの随分と淋しい場所に《 洛陽賓館 》はあった。
西寧賓館と較べるとかなり小さく、朽ち果てたような旧い建物なのにもかかわらず、四人部屋ドミトリーで30元( FEC )。上海の浦江飯店並にバス( タブ )、トイレが部屋の中に備わっているとはいえ、浦江とは比較にもならず高過ぎて唖然。内陸=漢族エリアは高いという定説通り。
翌朝窓の外を眺めると、今日も灰色にどんよりと曇っていた。その内小雨も降り出した。 人民街を中洲東路の方に向かって散策していると、とある角で、テントを張り、その下でチャルメラが一人、笙が三人、拍子木が一人、胡弓が一人の計六人が益々興に乗って身体を左右に振りながら演奏を繰りひろげていた。
彼らのすぐ脇のテーブルには黒い布で覆われた大きな額入りの写真が掲げてあった。どうも葬式のようだ。それにしてはアップ・テンポの曲で奏者たちも乗りにのっていて、小雨の中を大勢の参列者たちが集まっていた。その内、腕に黒い布をつけた男が食べ物を運んできてテーブルの上に並べはじめ、演奏は終了した。
女の天秤棒担ぎの米線( ミーシェン )を一碗食べる。( 8角 )
刻みネギをのっけただけのシンプルなもので、昆明の回族たちの店の砂鍋米線のようにこってりはしてなく淡泊な味だけど悪くはなかった。米線を食べたのはこの時が初めて。雲南のものより細かったように記憶している。味は悪くはなかった。
駅の方に向かって歩き出すと、さっきの楽隊を載せたトラックが、花輪と家族・縁者を乗せたトラックといっしょに現れ、さっき以上にのりながら同じ曲を奏で、洛陽東站方面に向かって去っていった。傘もささずに小雨の中、ゆったりと漂う異国情緒溢れる独特の哀愁にぼくは彼らの姿をずっと見送った。
( 一番上に" 猴王茉莉花茶 "とあるが、猴王とは斉天大聖・孫悟空のこと。洛陽の近くに果花山もあるらしいので、水蓮洞で悟空王が愛飲したジャスミン茶ということならば、一度飲んでみたかった。 クリック拡大 )
( 遥か洛陽の都の頃を彷彿とさせてしまう佇まい。 クリック拡大 )
(路地裏通りの子供たち。日本人と知ると、さっそく申し合わせたように"シェー"をしてみせた。当時、中国では日本と少し時期がずれて赤塚不二夫の「おそ松くん」のテレビ・アニメが流行っていたようだ。尤も、この記述、当時なら読者も了解性あったろうが、現在の若い連中にはチンプン・カンプンかも。 クリック拡大 )
( 旧市街らしい「猫いらず」=殺鼠剤の露店行商の親爺さんたち。壁に拡げた幕絵の右側は孫悟空の絵になっている。左側は恐らく有名な京劇の場面なんだろう。この庶民的風俗さが良い。 クリック拡大 )
何とも我慢のならぬ《 洛陽賓館 》、早速駅前周辺にいっぱい並んでいるホテルに片っ端から当たってみることにした。《 洛陽旅社 》じゃドミトリーが60元といわれる。外人料金なのだろう。他二軒当たってみるが駄目で金谷園路を少し歩くと、通りに面して“ 客房 ”の看板のあるホテルが目についた。見るからに現地民宿って感じであった。普通この手の宿には外人は中々泊めてくれない。行政がうるさいのだろう。
三人部屋が三種あって、何もない大型テレビだけの三人部屋が13元と価格表にあった。が、そんな部屋を申し込めば断られそうなこの町の雰囲気なので、中間の20元の部屋を申し込んだ。早速、OKの返事。助かった。おまけに、人民元払い。確かに基本的に中国国民向けのホテルなので当たり前であったが、中々現実はそんなものじゃないので好意的なホテルなのだろう。デポジットの10元と“ 社会治安綜合治理・住宿保険費収据 ”の5角。計30.5元を支払う。
部屋は5階の通りに面したやや狭い部屋で、ファンとエアコン、カラーTVが備わっている。バス・トイレは共同。すぐに《 洛陽賓館 》に戻ってチェック・アウト。
このホテルは長距離バス・ターミナルの隣にあって、洛陽駅のすぐ近くで利便性はいいけれど、小公共汽車の屯している通りに面していて客寄せのラウド・スピーカー合戦の騒々しさが珠に瑕。それが終了してしまえば静かな場所ではあった。翌日、二人組の中年の中国人が入ってきた。他の部屋の客も普通の中国人ばかりでぼくは正に闖入者。夕方になると、《 末代皇帝 》ラストエンペラーを2時間ぐらい連続でやっていて、紫禁城のロケが多くそれなりに重厚感もあって、毎日観てしまった。

( 旧い中国風キリスト教会。回族も多い土地柄なのでイスラム・モスクもある。クリック拡大 )
( 路地入口の門の上に仙人の石彫が飾ってある。両脇に獅子まで侍っている。鹿と対なので定番の図で、誰だったか忘れてしまった。 クリック拡大 )
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金谷園路から中州中路、中洲東路と歩き続け旧市街に入り、南大街の方へ下ると東・西の大街との十字路にさしかかる。ここらは旧い木造家屋が連なっていて正に古都=洛陽の面目躍如って佇まい。昆明の消え去った旧市街以上に古風な朱塗りの板壁と白塗りの煉瓦の民家が連なっている。旧い伝統的な品物をあつかう商店も多く、古楽器や硯などの書画関係、京劇で使う衣裳や小物なんかを商う店が軒を連ねていた。やはり古都だけのことはあって、昆明の旧市街より全然広い。
東大街をまっすぐ行くと回族エリアに出、南大街をずっと進んでゆくと、川( 洛河 )に出た。水の流れている部分は少しで、大半が雑草の繁茂した河原になっていた。
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( 民家の門から奥を覗く。福の字も破れ果て・・・ クリック拡大 )
青島路にある上海市場の入口近くで、“ 南北風味 ”の看板を掲げた店があって、そこで“ 豆沙焼麦 ”というものを食べた。一籠( 10個 )=1・5元。こし餡( 豆沙 )をシュウマイの皮で包んだ代物で、蒸籠(セイロ)で蒸した小吃。国内じゃまず自分の方から選んで食べるってことはまずないシュウマイだけど、この時は焼餅( シャオピン )と勘違いして注文してしまった。味は悪くなかった。
この辺りは夕方になると屋台や露店がずらり連なって薄灯りの下人々で賑わっていた。当時は中国中でシャブシャブが流行っていたようで鍋ものが多く、また砂鍋( クレイポット=土鍋 )の店も何軒もあって、豆腐砂鍋の2・5元以外の砂鍋は大体4元。
( 路上の日曜市。古物・ガラクタが所狭しと並べられる。定番の毛語録や紅いバッヂはすぐ目につく )
都合で一週間ぐらいしか居れなかった。一応、タール寺、少林寺、龍門石窟、白馬寺の観光コースも巡ってみた。ただ肝心の洛陽市内は例によって散策に近い漫然とした廻りだったのでそれほど観て廻れた訳じゃなく、それでももう一週間あればけっこう観れただろう。写真ももっと撮りたかった。天候のせいもあったが返す返すも残念。
( 中国で最初にできた仏教寺院「白馬寺」 クリック拡大 )
( 関羽廟ちかくの通り クリック拡大 )
( 有名観光地「龍門石窟」 大きな物はもっと大きい。 クリック拡大)
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