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2014年9月の2件の記事

2014年9月27日 (土)

“ あこがれ ”神話 《 アンナと過ごした四日間 》 (2008年)

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 知らずにレンタル・ビデオ屋で借りたこの一枚、予想に反してけっこう面白く見せて貰った。ともかく東欧ポーランドにも今時ここまでシャイな男が居るものかと、殆ど邦画と見間違うくらいに感心してしまった。

 監督のポーランド人イエジー・スコリモフスキって、同じポーランド人監督アンジェ・ワイダやロマン・ポランスキーたちの初期の作品の脚本を書いてたのが、数年後今度は自らがメガホンをとるようになった今年76歳のポーランドの巨匠的な存在らしい。ぼくも以前一度くらい観たことがあるのかも知れないが、覚えてない。


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 のっけから絵画的な構成と色調のポーランドの田舎町の風景からはじまる。
 同じ東欧的な耽美的映像であってもロシアのアンドレイ・タルコフスキーとは亦些かニュアンスが異なって、煉瓦にセメント塗りの静謐な近世的な佇まいの中、鐘の鳴り続ける教会の脇を通って、くすんだジャケットをまとった中年男・レオンが独特の癖のある歩き方で角を曲がってくる。暗い面持ちにちょっとオドオドした眼差し、アルトゥール・ステランコ演じるこの一抹の危うさを含んだシャイな独身中年男がなかなかいい。
 そうなのだ。長患いの祖母と二人暮らしのレオンは、おとなしいばかりの無害無益な朴訥な中年男のように思わさせていて、その実、レイプの前科のある薄暗い過去をもった危ない男で、病院の火葬場で働いていた。長い柄の斧やバケツから取り出した手首が、ホラー映画の雰囲気すら漂わせる。


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 はた、とレオンは建物の角にはりつく。
 こっそり角から窺うと、向こうの人気のない通りを中年女が二人、一人はまだ若々しくすらりとしてシェパードを連れ、もう一人はグラマラスな肉体の女、ゆっくりとこちらへ向かってくる。更に先の大きな木の幹の影に身を潜め、二人の姿が遠ざかってゆくのをやり過ごす・・・何を隠そう、そのグラマスな女こそ、レオンの意中の女アンナであったのだ。
 女は看護婦で、レオンの家の裏から、洗濯物干し場につかわれている広っぱを隔てたすぐ向こうにある看護婦寮に住んでいた。そこを毎晩、レオンは自室の窓から覗いていたのだった。狭い小さな田舎町にもかかわらず、レオンはアンナに言葉をかける勇気もなく、もっぱら自室の灯りを消し、病院の仕事を終え戻ってきて彼女の着替えたりあれこれの日常の所作を眺め続ける密かな愉悦に耽るのだった。単なるのぞきなら日本も含め世界中昼夜を問わず窓の向こうで繰り広げられているだろう。( 昨今はもっと悪質に室内に遠隔操作のカメラすら仕掛けたりするむきもあるようだし。)

 しかし、祖母が亡くなり、コスト削減で病院をクビになって、彼は、そこから更に一歩踏み込んでしまう。
 彼女が常飲しているものの中に亡くなった祖母の睡眠薬をスプーンで細かく砕き粉末状にして仕込み、彼女がすっかり寝りこむ頃をはかってから、大胆にも窓から中に忍び込む暴挙に出た。そして、ベッドの上で眠りこける眠り姫アンナの姿を間近に眺めながら、床を拭いたり、足の指にマニュキュアを塗ってみたり、彼女の誕生日には、パーティーにすっかり疲れ微睡んだ彼女に捧げる退職金をつぎ込んで買ったダイヤの指輪すらも持参して。そんな彼にとっての陶然とした夜々も四夜目に、それも壁から落ちて壊れた鳩時計を自室も持って帰り直して再びアンナの部屋の壁に戻そうとし、挙句とうとうポリスに逮捕されてしまう。


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 シャイで哀れな中年男の一人慕ってきた眠り姫との決心の四夜の逢瀬。
 ところが、以前たまたま魚釣りの途中強いにわか雨にあってあわてて駆け込んだ廃墟で出くわしたレイプの現場、その被害者がそのアンナであり、呆然として身動きも出来ず犯人が逃げ去った後、怖々とアンナの傍に寄ってみたら、ふとアンナと目があい、動顛してその場から逃げ去ったため、後日犯人とされてしまったのも明かされる。
 つまり、彼は無実であった。それ以前に彼の意中にいかなる女の影もなかったのが、その事件をきっかけに、アンナの姿が色濃くとぐろを巻き、トラウマと渾然一体となって心の奥底に刻印されもはや決して忘れられぬ“ 女 ”となってしまった。シャイなレオンにとって、それはふつふつと粘っこく沸き上がる欲望というより、正に“ あこがれ ”であった。

 そんなプロセス=エピソードを時間系列に沿ってではなく、バラバラに周到に計算して構成・編集して作られていて、確かに昨今の流行ではあろうが、面白く、とりわけ、忍び込んだアンナの部屋の中でのハラハラ感は、ユーモラスな場面も混じえて悪くない。
 それにしても、二十一世紀の東欧で、一種イノンセントな時代の狂言廻しとしての存在性をもあわせて、AKBの楽曲に出てくるようなシャイな思春期の少年みたいな心性を持った中年男が存在しているらしいってのは、癒しなのかそれともやはり二十一世紀的な神話なのだろうか。


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2014年9月13日 (土)

 西寧から古都・洛陽の旅 1993

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 ( クリック拡大 )



 76次特快 洛陽( 北京行 )
 13車60座 
 8月21日15時52分発 ~ 翌日17時02分着
           115元( FEC )
 
 2×3シートの3人掛けの通路側で、隣のホームと間違ったため少し遅れて搭乗し車内は既に混んでいて、上の棚はいっぱい。シートの下にリュックを置く。前回と違って物売りは余り通らなかった。天候は曇りで蒸し暑く、皆汗をうっすら滲ませていた。
 翌夕方6時半頃、念願の古都・洛陽に到着。
 駅頭に降り立つと小都市といった風情だが、小公共汽車( バン )がいっぱい停まっていた。考えてみれば洛陽の近辺には有名観光スポットが多く、龍門石窟・少林寺・白馬寺・関羽の衣冠が埋められているという関林廟、唐代の詩人白居易の墓のある白園、おまけに孫悟空の果花山まであるという。そんな各スポットへ向かうバンの車掌たちが客引き合戦を繰り広げていた。客が集まり次第出発らしい。それとは別に路線バスもあって、予定の《 洛陽賓館 》には5路のバス。

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 (洛陽・旧市街 クリック拡大 )


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 旧市街のはずれの随分と淋しい場所に《 洛陽賓館 》はあった。
 西寧賓館と較べるとかなり小さく、朽ち果てたような旧い建物なのにもかかわらず、四人部屋ドミトリーで30元( FEC )。上海の浦江飯店並にバス( タブ )、トイレが部屋の中に備わっているとはいえ、浦江とは比較にもならず高過ぎて唖然。内陸=漢族エリアは高いという定説通り。
 翌朝窓の外を眺めると、今日も灰色にどんよりと曇っていた。その内小雨も降り出した。 人民街を中洲東路の方に向かって散策していると、とある角で、テントを張り、その下でチャルメラが一人、笙が三人、拍子木が一人、胡弓が一人の計六人が益々興に乗って身体を左右に振りながら演奏を繰りひろげていた。
 彼らのすぐ脇のテーブルには黒い布で覆われた大きな額入りの写真が掲げてあった。どうも葬式のようだ。それにしてはアップ・テンポの曲で奏者たちも乗りにのっていて、小雨の中を大勢の参列者たちが集まっていた。その内、腕に黒い布をつけた男が食べ物を運んできてテーブルの上に並べはじめ、演奏は終了した。
 女の天秤棒担ぎの米線( ミーシェン )を一碗食べる。( 8角 )
刻みネギをのっけただけのシンプルなもので、昆明の回族たちの店の砂鍋米線のようにこってりはしてなく淡泊な味だけど悪くはなかった。米線を食べたのはこの時が初めて。雲南のものより細かったように記憶している。味は悪くはなかった。  
 駅の方に向かって歩き出すと、さっきの楽隊を載せたトラックが、花輪と家族・縁者を乗せたトラックといっしょに現れ、さっき以上にのりながら同じ曲を奏で、洛陽東站方面に向かって去っていった。傘もささずに小雨の中、ゆったりと漂う異国情緒溢れる独特の哀愁にぼくは彼らの姿をずっと見送った。

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 ( 一番上に" 猴王茉莉花茶 "とあるが、猴王とは斉天大聖・孫悟空のこと。洛陽の近くに果花山もあるらしいので、水蓮洞で悟空王が愛飲したジャスミン茶ということならば、一度飲んでみたかった。 クリック拡大 )


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  ( 遥か洛陽の都の頃を彷彿とさせてしまう佇まい。 クリック拡大 )


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 (路地裏通りの子供たち。日本人と知ると、さっそく申し合わせたように"シェー"をしてみせた。当時、中国では日本と少し時期がずれて赤塚不二夫の「おそ松くん」のテレビ・アニメが流行っていたようだ。尤も、この記述、当時なら読者も了解性あったろうが、現在の若い連中にはチンプン・カンプンかも。 クリック拡大 )


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  ( 旧市街らしい「猫いらず」=殺鼠剤の露店行商の親爺さんたち。壁に拡げた幕絵の右側は孫悟空の絵になっている。左側は恐らく有名な京劇の場面なんだろう。この庶民的風俗さが良い。 クリック拡大 )
 

 何とも我慢のならぬ《 洛陽賓館 》、早速駅前周辺にいっぱい並んでいるホテルに片っ端から当たってみることにした。《 洛陽旅社 》じゃドミトリーが60元といわれる。外人料金なのだろう。他二軒当たってみるが駄目で金谷園路を少し歩くと、通りに面して“ 客房 ”の看板のあるホテルが目についた。見るからに現地民宿って感じであった。普通この手の宿には外人は中々泊めてくれない。行政がうるさいのだろう。
 三人部屋が三種あって、何もない大型テレビだけの三人部屋が13元と価格表にあった。が、そんな部屋を申し込めば断られそうなこの町の雰囲気なので、中間の20元の部屋を申し込んだ。早速、OKの返事。助かった。おまけに、人民元払い。確かに基本的に中国国民向けのホテルなので当たり前であったが、中々現実はそんなものじゃないので好意的なホテルなのだろう。デポジットの10元と“ 社会治安綜合治理・住宿保険費収据 ”の5角。計30.5元を支払う。
 部屋は5階の通りに面したやや狭い部屋で、ファンとエアコン、カラーTVが備わっている。バス・トイレは共同。すぐに《 洛陽賓館 》に戻ってチェック・アウト。
 このホテルは長距離バス・ターミナルの隣にあって、洛陽駅のすぐ近くで利便性はいいけれど、小公共汽車の屯している通りに面していて客寄せのラウド・スピーカー合戦の騒々しさが珠に瑕。それが終了してしまえば静かな場所ではあった。翌日、二人組の中年の中国人が入ってきた。他の部屋の客も普通の中国人ばかりでぼくは正に闖入者。夕方になると、《 末代皇帝 》ラストエンペラーを2時間ぐらい連続でやっていて、紫禁城のロケが多くそれなりに重厚感もあって、毎日観てしまった。

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  ( 旧い中国風キリスト教会。回族も多い土地柄なのでイスラム・モスクもある。クリック拡大 )


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  ( 路地入口の門の上に仙人の石彫が飾ってある。両脇に獅子まで侍っている。鹿と対なので定番の図で、誰だったか忘れてしまった。 クリック拡大 )


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  (クリック拡大 )

 金谷園路から中州中路、中洲東路と歩き続け旧市街に入り、南大街の方へ下ると東・西の大街との十字路にさしかかる。ここらは旧い木造家屋が連なっていて正に古都=洛陽の面目躍如って佇まい。昆明の消え去った旧市街以上に古風な朱塗りの板壁と白塗りの煉瓦の民家が連なっている。旧い伝統的な品物をあつかう商店も多く、古楽器や硯などの書画関係、京劇で使う衣裳や小物なんかを商う店が軒を連ねていた。やはり古都だけのことはあって、昆明の旧市街より全然広い。
 東大街をまっすぐ行くと回族エリアに出、南大街をずっと進んでゆくと、川( 洛河 )に出た。水の流れている部分は少しで、大半が雑草の繁茂した河原になっていた。

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  ( 民家の門から奥を覗く。福の字も破れ果て・・・ クリック拡大 )


青島路にある上海市場の入口近くで、“ 南北風味 ”の看板を掲げた店があって、そこで“ 豆沙焼麦 ”というものを食べた。一籠( 10個 )=1・5元。こし餡( 豆沙 )をシュウマイの皮で包んだ代物で、蒸籠(セイロ)で蒸した小吃。国内じゃまず自分の方から選んで食べるってことはまずないシュウマイだけど、この時は焼餅( シャオピン )と勘違いして注文してしまった。味は悪くなかった。
 この辺りは夕方になると屋台や露店がずらり連なって薄灯りの下人々で賑わっていた。当時は中国中でシャブシャブが流行っていたようで鍋ものが多く、また砂鍋( クレイポット=土鍋 )の店も何軒もあって、豆腐砂鍋の2・5元以外の砂鍋は大体4元。

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 ( 路上の日曜市。古物・ガラクタが所狭しと並べられる。定番の毛語録や紅いバッヂはすぐ目につく )


 都合で一週間ぐらいしか居れなかった。一応、タール寺、少林寺、龍門石窟、白馬寺の観光コースも巡ってみた。ただ肝心の洛陽市内は例によって散策に近い漫然とした廻りだったのでそれほど観て廻れた訳じゃなく、それでももう一週間あればけっこう観れただろう。写真ももっと撮りたかった。天候のせいもあったが返す返すも残念。


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 ( 中国で最初にできた仏教寺院「白馬寺」 クリック拡大 )


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 ( 関羽廟ちかくの通り クリック拡大 )


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 ( 有名観光地「龍門石窟」 大きな物はもっと大きい。 クリック拡大)

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