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2014年10月の3件の記事

2014年10月25日 (土)

大正テロリスト・中浜鉄( ギロチン社 )  2  

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 秋山清の生まれ育った小さな漁村・今津の隣村、柄杓田( 漁村 )のそれなりの名望家の息子として1898年(明治31年)に生まれた。秋山より六歳年上。
 只、中学は旧制・豊津中学とも豊浦中学ともいわれ、定かでない。豊津中学は北九州市外の南に位置する京都(みやこ)町、かたや秋山清著《 ニヒルとテロル 》に記されている豊浦中学は関門海峡を渡った対岸の下関市の城下町・長府。
 「豊」という文字で共通しているのでどちらかが読み間違いか誤植を鵜呑みにしたのだろうが、共に元は小倉藩、長州藩の藩校で、現在も高校として存在しているらしい。関門海峡を挟んで互いに長年にらみ合ってきた経緯もあって、何処でどう間違ってその二校が大正テロリスト・中浜鉄の在籍した中学として浮上したのか苦笑を禁じ得ない。おまけに、豊津って調べてみると、幕末の譜代・小倉藩«外様・長州藩の所謂《 長倉戦争 》で幕府軍の遁走もあって居城の小倉城まで焼いて山奥を敗走していった先で、やがて維新直後、正式に小倉藩庁を置いたのがその豊津ってことらしい。何とも因縁深い。


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 その上、小倉( 門司 )・長州がらみでもう一つ、これも関東大震災の余波の一つでもある大正12年(1923年)12月の摂政宮ヒロヒトを狙撃し失敗した《 虎ノ門事件 》のテロリスト難波大介の出自が長州藩周防( 現・光市 )の名家で帝国議会代議士の四男、当の中浜鉄も《 ギロチン社 》で病的と当時噂されていた大正天皇を避け、次期天皇の摂政宮・ヒロヒト暗殺を計画していたとされ死刑となった。関門海峡を挟んで、今度は、薩長が擁立した「天皇」を双方から狙い撃つべく、同じ《 関東大震災 虐殺 》=《 摂政宮・ヒロヒト暗殺 》なる論理と意志を抱懐しテロルを企図したって歴史の皮肉。
 因みに、小松隆二の《 ギロチン社のひとびと 》では、地元の豊国中学を中退となっていて、これも「豊」の字。


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  ( 《 黒パン 一輯 》 所載 )


 更にも一つ、これは政治的なものとは些か異なるけど、豊浦中学の後身、豊浦高校卒業生に俳優の細川俊之( 故人 )が居て、彼は吉田喜重・監督《 エロス+虐殺 》(1970年)で主演の大杉栄を演じていて、こじつける訳ではないが、やっぱり因縁めいて見えてしまう。因みに彼は、小倉生まれで、後下関に転居してたという。( 尤も、浜鉄が実際に通ったのが豊浦中学以外だったら意味はないけど )


 中浜鉄は、アナーキスト活動家であったが、同時に詩人でもあった。
 本名は富岡誓だけど、、ペンネームとして中浜鉄=中濱鐵を使っていた。この中浜ってのは、彼の慕っていた祖父が名乗っていた姓らしい。
 彼の《 俺は 》という詩集に彼の出自にかかわるような作品がある。
    

 印度邊にでもありそうな、 柄杓田という南國の寄名な 村の漁夫の伜だ


 明治三十年一月一日といえば、 勿体ないほど歯切れ のいゝ生年月日だが。


 眞實にこりかたまりし父母に 「誓」と符牒つけられしも俺。


 里兒に行ったり 養子にやられたり  三組も父母を変へて育った。


 別れて十年弟いとしも独楽廻し、 紙鳶( しえん=タコ )上げ、手を引き助け合いした。


 語り落つ、ふるさと訛りなつかし、 名告れば隣り村の男よ。


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   ( 《 黒パン 一輯 》 所載 )


 最後の「隣の村の男」って、恐らく秋山清のことではなかろうか。小さな漁村であっても、隣村の秋山清が生まれ育った今津ほど貧くもなかったらしい柄杓田の、それなりに裕福だった中浜の実家は、中浜によれば漁船を何隻も持っている大きな家だったようだ。 中浜自身も子供の頃から見覚えしてその中で育った故に漁師仕事をこなたらしい。又、郵便局を営んでいたという話しも定説。只、その真偽はともかく、中学の頃、家の財政事情に問題が生じたためか中途退学したと中浜自身が語ったという説もあってその辺は明瞭ではない。
 里子・養子に幾度も出されたとあるが、戦前は社会全体がまだ総じて経済的に不安定だったこともあってか、頻(よ)くあったことらしい。家族的紐帯が戦後より強かった( らしい )時代にあって不思議に思えるが、“ 居候 ”と併せて社会的な一種の相互扶助的な処世的術ってところだろう。


 中浜が捕らえられ獄中にある時、同志たちが彼の書いたものを発行してくれた《 祖国と自由 獄月號号 黒パン( 第一輯 )》( 文明批評社 )、77ページの活版刷の小冊子だけど、その中の《 新過去帳覺書 ( 其一 ) 大杉と刺客 》なる小説は当時の空気をよく伝えていて面白く気に入っている。
 あらすじは、大杉栄の生命を狙って福田狂二( 文中、E )の放った刺客・平岩巌( 文中、G )の暗躍とそれを阻止しようとする浜鉄の駆け引き。
 この福田狂二ってあまりよく知らないけど、当時はそれなりに名の知れた社会主義者だった( 昭和初期頃から戦後は右翼としてならしたらしい )らしく、大杉が甘粕たち軍部に殺害された時、マルクス主義者の堺利彦や政治家の吉野作造と共に彼も殺害リストに載っていたという。どういう経緯で福田が大杉の生命を狙うようになったかぼくは知らない。あくまで創作小説で、現実をそのまま活字化したノンフィクションではなかったような指摘を以前何処かで読んだ記憶がある。


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 「 それは、一九二二年八月末日午前九時前後の大阪天王寺公園に於ける公会堂を中心とした四邊の情景である。」
 と文中にあるように、もし成功すれば初めて全国的な労働組合の連合体が結成されることになる《 全国労働組合大会》で、その組織を自由自治・連合的なものにするのか、それとも中央集権的なものにするのか、いわゆるアナ・ボル論争、つまりアナーキスト=マルクス主義者(ボルシェヴィキ)の熾烈な戦いが展開される歴史的エポック。
 当時の新聞にも『 労働組合全国大会は愈愈今三十日午前十時から大阪天王寺公会堂で開催される、之に参加する全国各労働団体は六十有余に及ぶ筈である 警戒頗る厳重 』( 神戸新聞1922・9・30大正11年 )なる見出しが躍っている。又、この福田狂二も曾根崎署に監視下におかれているとある。
 中浜の作品中じゃ八月とあるが、勘違いというより、フィクションであることを示唆しているのだろう。尤も、大会自体は夜八時半頃、警察によって中止・解散させられたようで不成立。


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   ( 岸壁側から見た柄杓田漁村 )
     

 「 三本目のエヤシツプに火を点じた時である。『 T君! Gが至急是非合ひたがつてゐるのですが一寸来てくれませんか? 』
   今まで独りだとばか思つてノウノウしてゐた僕は突然、耳朶で覚えのあるこの澄み切った声を受けたので軽く驚いて振り返ると其処には兼ねて見知り越しの丈高いがN紅顔に微笑を湛えてゐるが緊張した態度で突つてゐる。余りに退屈してゐた際なので僕はこの偶然の変化を快く迎へ軽く大きく点首いて早や無意識に腰を浮かす。」

 
  ゐ=い。点首=點首=うなづく。T=中浜鉄。G=平岩巌。
  エヤシップ=エア・シップ( 明治末発売の高級タバコらしい。最初50本入り缶で発売。後、10本入り紙箱も発売。記憶違いでなけりゃこのエア・シップの空缶を使って古田たちが爆弾を作って爆破させたはず。 )

 
 「 恰も遠くかのインタアナシヨナルに於ける所謂マルクス派とバクウニン派との論拠にその動因が介在して居るのかの如く見受けられた。
   自由連合派に属する自由労働者同盟の補欠代表として応援組合員達と共に我等の旗の下にゐた僕は、余りの喧騒と無為に倦怠を覚重( おぼ )え群れを離れて独り西門近くの樹蔭のベンチに憩つてゐたのである。
  『 何処だね? N君!』
  『 直ぐ其処です 』
  『 G、独りかね 』
  『 否え・・・』
  Nが明かに当惑顔だつたので僕はそれ以上問ふのを止める。二人は並んで黙々と歩を運ぶ。
  新世界は昨夜の歓楽の疲労から未だ目醒めてゐない。道行く人は極く稀れである。而も二人は無意識に四辺に気を配ることを忘れない。僕は会場のことも自分が今歩いてることも全く打ち忘れて解し兼ねるが興味あるGのこの突然の面会希望に対して考へ続けてゐる。」


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   ( 川沿いの民家。漁師の家なのか、塀に漁網らしきものが干してある。小さな川だけど、ハゼの群れや少し大きめの鯉? らしき魚影も覗けていた。)


 「公園から三町足らず、新世界のとあるカフエーのコツク部屋のドアを排してNは僕を導き入れる。家人は未だ寝ているらしい僅かに女の子らしい声が僕等に応じたヾけ ──
  『 だアれ? 』
 『 僕だ 』
 Nが答へる。聞き覚えてるとみえる。
 『 あら、さう ── 』
 直ぐ又もとの静寂に帰る。開業してゐない店の内部はかなりに広いが雑然として此の種の営業の昨夜の有様が鋭く僕の頭を射る。
 閉ざされている窓硝子には線と緋の燃ゆるカアテンが下ろされてゐる。午近い真夏の光線が反射し交差し烈しい興奮の色を挑発してゐる。
 血を吸つた大理石の四角なテエブルの上には宛れも幾つかの円籐椅子が踊り出しさうに逆立ちしてゐる。昨夜から籠もつてゐる飲食物の悪臭が部屋一杯に漂漲( みなぎ )つてゐる。
 而もそんなことには夙(と)つくに惚れ切つてゐるのかのやうに中央のテエブルを囲んで五人の若者が腰を下ろしてゐる。
 それにしても未だ店を開けないのに良くこんな所を見つけて借りたものだ。彼等の大胆さと押しの強さには何時もながら感心させられる。一勢に僕に振り向けた彼等の面上には先刻まで冷然と黙想してゐた沈痛な影がアリ々々と読まれる。
 Eはゐない。Gを中心に左にはHとI右の二人は全く見知らぬ初めての顔である。
  『 やあ 良く来てくれたね、如何かと思つてゐた、待つてゐたのだ、久し振りだね。』 Gはやをら起ち上がつて何時もの如く愛想のいヽ笑顔で僕を迎へたが何故だか不安の色が蒼白くその両眼の底に漂つて射るのを僕は見遁がさない。HもIも平常の冗舌も似ず微かに僕に笑みかけたに過ぎない。初対面の二人の青年は緊張した態度を些しも崩もない。Gと僕とが対向に陣取る様にNが椅子を運んでくれる。」


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 ( 漁協の倉庫がずらり建ち並んでいる。漁具(浮き)にタールを塗ったりしている建物もあった。)


 「 『 何だい ! 僕に要( よう )つていふのは ? 』
 Gは明らかに触れて貰ひ度(た)くないものに触れられたやうに一寸顰めの面をしたが直ぐ打つつけるやうに言ひ放つ ──
  『 君の熱心さは僕も充分知つてゐる。然し、君等が余り主義に忠実になる為めに今日の大会も打つ毀( こわ )しになりはしないかね ? それについて君に相談してみたかつたのさ。余ツ程考へた挙句のことだ。みんなは反対らしいかつたが僕は如何しても君にだけ逢つて打ち明けて見たいのだ。それで来て貰つたわけさ。』
  『 僕の主義主張なんてのが河童の屁みたいなもの位のことは君が一番良く知つてる筈じやないか。それで如何したつてえんだい? 』
 彼等の十二の目は同時に憂ち合ふ。一瞬空中に興奮の波が渦巻く。殊更らに落着きを見せたGが悲痛な声を搾る ──
  『 T ! 君今、僕等は如何しても生かして置けぬ奴を一匹持つているのだ ! 』
  『 それと僕と関係あるといふのか ? 』     
『 有ると云へば有るし、無いと云へば無いようなものだ。』
  『 なアんだ、拙らない。人の生命に係ることをそんな不明瞭な意識で話して貰ひ度くない。僕はそんな曖昧な言葉を聞かされる為に呼ばれたのかい ? 嫌に僕にからんで来る癖に君は少しも打ち明けやうとはしない、僕はもう沢山だ。これ以上聞き度きないやうな気がする。』
 彼等の心裡は動揺めいてゐる。彼等はGと僕とを忙はしく見較べることを続ける。やがてGは四辺を見廻して一息深吸ひ込んでそれを吐き出すやうに直ぐ鋭く低く強い言葉を流す ──
  『 君にはもう判つてる。敵手は大杉の奴だ ! 』
 これは面白くなつて来る。会場なんか如何なつてもかまわないといふ気になつて僕は更めて彼等を見廻す。先刻までGと僕とを等分に凝視めてゐた憎悪に燃ゆる十の目は、今度は十二に増へて僕の鼻ツ柱を睨みつめてゐる。返事次第に依つては君とても同じく容赦はせぬといふ鬼気を含んでゐる。ぼくは話に言ふともなく静かに尋ねる ──  
  『 一体、何奴だい ? 』
『 簡単明さ ! 彼奴( あいつ )が可厭( いや )にバクウニン気取つて振舞つてゐるからさ !』
 今まで黙まりこくつてゐたHが初めて独声を吐き出す。
  『 ほうするとマルクスやエンゲルス気取つてゐる連中も蠢いてる訳になるね ? 』  」


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  ( バス停前の民家の石垣。ここから柄杓田漁港までゆっくり下ってゆくことになる。)

  「 Wが階段を上ると又バタバタと影の如く彼の後を追ふ可厭な足音が聞こえてくる。
 二分、三分、五分、僕の周囲にも犬が附いたり離れたりする。然し、いくら四ツ足でも便所の臭い石段の上には僕の様に永く突つ立つてゐる熱心さがない。彼等は遠見を張つてゐる。
 軽装した大杉が裕々とした足調で下りて来る直ぐ後からバタバタバタバタバタバタ。最後の階段でそれ等の音が止まる。
 両人は臭い石段の上で股を拡げたまヽ私( ひそ )やかに話し続ける ──
  『 聞いた。面黒いね。やらせて見やうぢゃないか? 其奴( そいつ )等に ──』
  『 うん ! もうやる意志はないね。然し逢ふかい? 』」 
『 逢はなきや如何するつていつてるんだい? まあ抛(ほ)つといてやらして見るん ! ね。』
『 如何も斯うもないさ。もう気抜けしてるらしいが、まあ、気を附けてゐるがいヽ。』
『 此方はこれから面白くなるんだから外すわけには行かんさ。抛つとくより仕方ないね。』
『 それでは何時会ふ? 』
  『 どうせ東京に帰つてからのこつさ。多分今晩帰ることになるだらう。』


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 ( 静かな漁村の密集した民家の露地裏。昼尚森閑として強い陽射しがシュールですらある。)

 Wは大杉栄の主催する《 労働運動社 》の構成員・和田久太郎。大杉と共にこの大会のために来阪していた。浜鉄に福田狂二に指嗾( しそう )されて平岩巌が大杉殺害を企んでいたが撤回し大杉と一度会いたい旨伝えられた和田が大杉に伝えに向かって後の会場のトイレでの一コマ。アンモニア臭漂う男子用小便器の上に跨ったままの展開、ふとトイレの外を窺うと尾行たちの姿がチラチラと蠢いている様はユーモラスですらある。
 ここでは省いたが、平岩の配下の血気盛んな青年たち、中にはポケットにブローニング拳銃すら隠し持ちじっと浜鉄に狙いをつける者すら居て、そのやりとりはスリリング。如何にも映画好きな浜鉄らしい演出というのか、それとも実際にそんな状況であったのか。浜鉄たち自身、大企業の幹部のところにリャク( 運動費用捻出のために、企業から様々な口実の下に金品を脅し取る略奪行為 )に赴く際には上着のポケットにブローニングの一丁くらい隠し持って、場合にはこれ見よがしに翳してみせたりしたようだ。後日、再び大阪の地を踏んだ浜鉄は、そのリャクで逮捕されてしまった。甘粕たちに虐殺された大杉たちや主義者たち、朝鮮・中国人たちの仇をとるための資金獲得の一環として謀ったのであったが。
 大杉の言葉として『 面黒いね 』とあるけど、これは無論「 面白いね 」の些か稚戯めいたアナーキスト的ボキャブラリーで、アナーキスト=黒旗って訳で、面“黒”って訳。
尤も、これは一種の遊び言葉として、主義に関係なく使われることも戦後はあるようだ。


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  「 僕は今、彼( 大杉栄 )を中心として巻き起こされた往事の生々しい血みどろの種々の形相を、此の独房の灰色の壁に面して繰り拡げ、ジツと凝視めてゐる。
  彼の愛嬌ある吃音と笑声。
  彼の底深い不屈の眼光に接してゐる。
 果然 ! フイルムは大映しに化ける ──
  彼の運動上の女房役で、此の早春、市ヶ谷の獄舎に吐血して彼の跡を追ふた源次朗村木が、何時も変わらぬ力強い沈黙と限りない優情とをその青白い双頬に浮かべて現れる。
  又、村木と殆んど日を前後して、巣鴨の獄裡に自ら縊つた僕の旅友、酒友、詩友であつた謙太郎後藤の前後数回に渉る入獄の所産、牢人色の歪んだ顔面に物凄く黒い笑みが漂ふ。
  スクリーンは廻る───
  その不屈の信念に於て、その至烈な熱情に於て、革命的権化とも見られた僕の誓友、平兵衛高尾が社会戦線に斃れた刹那の尊い閃光が今鋭く僕の頭を射る。
  最後に無限の悲哀と法悦とを抱いて、軽井沢へ死の旅に上る前日、虚無の消極を嘆きその積極を羨み、遂に僕と袂を別つた永遠の知己、武郎有島の深切懇篤な愛の泉が今、滾々と僕の胸に満ち沸り迸る。
  何といふ沈痛な快感だ ! 
  何といふ深刻な舞踏だ ! 
  彼等は決して死人ではゐない ! 
  彼等は決して亡びはしない !  
  今尚、遠地近地に活躍してゐる ! 
  今後は愈々深く力闘することであらう ! 
  噫 ! 
  大杉は決して亡んではゐないのだ ! 
         
                 三年前の今月今夜を追想して
                      ── 一九二五八三一 ── 」

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 奇しくも関門海峡の片側、門司の本州・四国側、周防灘に面した二つの小さな漁村に、それなりに有名なアナーキストが二人生まれ育ったってのは、何か因縁めいて面白い。それも隣合った漁村。秋山は直接行動というより言論・文芸方面で活躍し、中浜鉄は直接行動・テロリズムで勇名を馳せ、且つ言論・文芸方面でもそれなりに名を残した。おまけに遠戚関係ってのが笑わせる。
 門司といえば小倉藩の地領、幕藩体制よりもっと以前は、むしろ門司氏の地領(=企救半島全体)の内に小倉城近辺までが含まれていたので逆って訳だけど、幕藩三百年譜代下にあってはやはり封建主義的保守であったろう。対岸の長州は維新派の急先鋒であってみても実質は負けず劣らずの封建主義的保守。それは明治維新政府を一目見れば明らか。方便としての天皇をいつの間にか新しい四民平等社会の上に恭しく戴いたままの札付き封建主義体制の再生産。

 田野浦なら長州軍に焼き払われ強奪されて恨み骨髄ってのも端的に過ぎるけど、ちょっと離れた今津・柄杓田じゃ焼き討ちにあって殆ど焼失って話し余り聞かないので、何処から反骨の、あるいは反権力的な心性を醸成することとなったのであろうか。尤もこの二つの漁村がそんな精神や感性に満ちているって訳では毛頭ない。実際は保守的で閉鎖的なこの国の何処にでもある普通の共同体でしかなかろう。
 それでも、この辺り、平家の落人の集落なんか点々としていそうで、その流れで反中央的な血脈ってものもありえるのかも知れない。そう考えてくると、話としては確かに面白くなってくるけれど。柄杓田に関しては、源平合戦の頃の瀬戸内の海賊・塩飽水軍の落人という説もあるらしい。

 尚、《 大杉と刺客 》、大正時代の文章なので当時の雰囲気を毀さないように現代仮名づかいは極力避けたが、オリジナルは縦書きで、使われているリフレイン記号の横書き用が見つからず、現在のワープロ・ソフトで使用されている記号で間に合わせる他なかったのは残念。“い=ゐ”や“う=ふ”は問題ないと思ったのでそのままにしておいた。

《 祖国と自由 獄月號号 黒パン( 第一輯 )》( 文明批評社 )
                          大正14年12月20日発行

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2014年10月18日 (土)

鬱々と帝都の辺境をひた走る 《 苦役列車 》

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 題名もさることながらAKBの前田敦子が出演してたってことでちょっと遅まきながらレンタルしてみた《 苦役列車 》。てっきり昭和の初めあたりの昏い時代を舞台にしたものってイメージを持ってたのが、観てびっくり。そうか西村賢太の原作だったと思い出し、彼の青春時代を下敷きにした私小説で、当時《 蟹工船 》が話題になっていたのを、タイトルの昏いトーン故に一緒くたにしてしまっていたようだ。


 二、三十年前の東京下町出身の中卒青年のうらぶれた青春物語。
 中卒・東京下町といえば、時代はもっと遡るけど、それこそつげ義春の世界。確かにモノクロであっても違和感がない。つげの《 大場電気鍍金工業所 》《 よしおの青春 》の私小説的世界と相似した匂いが漂っている。確実に身体を蝕みあるいは悲惨な事故と隣り合わせの下町の小さなメッキ屋の下働き人生に、ある日慄然としてしまい、転々と職場と居所を変えてゆき、終いには自身の本来あるべき場所を見つけた様に貸本屋向けのマンガ家に落ち着いてしまう。この映画の主人公・貫多は、岸壁沿いの工場で荷役作業のアルバイトをしながらの“その日暮らし ”的生活に鬱々と埋没し、職場を転々とし、ついには私小説作家になってしまう。( この映画では、前田敦子演じる古本屋の娘に示唆されたことになっている。)

  
 前田敦子が一体どんな演技をしてるんだろうと期待していたら、いくらも出番はなく、単なる紅一点的なポジションだった。
 原作は未読なので画面の上だけで判断するしかないけど、可もなく不可もなくの演技。
 前田敦子は別に美少女って訳じゃなく、エキゾチックでむしろ癖のある風貌で、監督も別段可憐な美少女を配することで画面に彩りを添えようなんて気はなかったんだろう。普通のアルバイト女子大生って訳で、別段前田敦子である理由もないと思うんだけど、そこはやはり監督としての思惑ってところか。
 
 原作の西村は戯言だったらしいけど、前田より同じAKBの柏木由紀の方が良かったと言う。前田はエキゾチックではあってもかなり庶民的な現代っ子のイメージの方が強く、柏木の方が若干古風( 保守的 )で淑やかなイメージなきにしもあらずなので、何より“ あこがれの乙女 ”ってところなんだろうから、意外と本音なのかも知れない。


 基本、晴れやかさとは無縁の、しょぼい、裏ぶたれた世界なので、あこがれの古本屋の娘=前田敦子との、例えば浜辺で裸になって駆けてゆき海に入ってゆくシーンで、先に海に裸で待っている主人公・貫多と友人・正二の二人に呼ばれ、ためらいながらもスリップ姿のまま前田も走って海に入ってゆくのだけど、それは青春映画の定番ともいえるお決まりシーンでもあって、本来あるべき爽やかさ、つまり溌剌とした痛快さが今一。そこは、何としても一糸まとわぬ全裸で駆けてゆくんじゃないと絵にならない。それこそ青春的発露って奴だろう。
 今までも色んな新人女優が己の青春とも重ね併せるように個性的な青春炸裂シーンを演じてきたはずなのが、何と今頃、リアルにスリップ姿とは・・・しかし、これは、貫多と本屋の娘との関係性をそのまま現したものでもあって、片想いの貫多と既に別に長距離恋愛の相手が居る本屋の娘じゃ、娘が素っ裸で海に入ってゆくってのはやはり不自然ではある。平均的な普通の娘という設定故に、妙にはっちゃけ過ぎてしまうと、うじうじとした貫多ワールドじゃ整合性に欠ける。
 で、これ見よがしに娘の腕を大きくペロリと舐めてみせたり、雨中に襲いかかりかわされると『 本当は、男が欲しいんだろう ! 』等と悪態・雑言を吐いてみせたりの鬱屈した隠微な貫多的アプローチに終始する。結局、若くして飲み慣れた酒・ワンカップに浸り、通い慣れた風俗店に入り浸る他ない抑鬱的閉塞。出口は見えず、仄暗い何時果てるとも知れぬ長~いトンネルをひた走る。


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 主人公の貫多は、父親が性犯罪を犯し逮捕され、以後家族はバラバラになり、母親の金をくすねて逃げ出してから自分一人でバイトで日銭を稼ぎながらの生活。部屋代すら後回しに、がつがつと目先の食欲と性欲を満たすばかり。唯一の娯楽が読書ということで、近くの古本屋に入り浸る。そこのバイトの女学生の娘に惚れあこがれるが、言葉の一つもかけれなかった。ある日、バイト先で一緒になった九州から出てきた専門学校生と仲がよくなり、彼のとりもちでやっと娘と初めて話すことが出来るようになるという設定。
 この映画を観てると、すぐ、この原作と殆ど同時期に発表された田中慎弥の《 共喰い 》を想起してしまった。( 原作は共に未読。)
 こっちの方は学生だけど、地方の閉鎖的な地域社会で、セックス時に興奮すると暴力性を剥き出しにする主人公の父親と( 母親はそれを理由に別れた )一緒に生活していて、新たに貰った若い継母に対する日毎の父親の暴力的に屈折した性的発露に辟易し、近くに住んでいる母親にも“ 父親と同じ血 ”が流れている可能性を指摘され、恋人というよりセックス・フレンドに近い幼なじみとのセックスでもたげて来るかもしれない父親と同血の暴力衝動の不安に怯えていた。

 この二人の主人公、共通するところが少なくない。
 何よりも共に父親の性に纏( まつ )わる負的な発露によって受けたトラウマ、そしてその血族的連続性に対する恐怖と不安。
 この共通項は些か特殊過ぎて他に余り例を見ない。
 その連続性に対する恐怖と不安の現れは、父親と同居している《 共喰い 》の方がより顕著で、終いには父親に対する殺意にまで昂( たか )まってゆく。只、予め意中に秘めていた様に母親が主人公を阻み毅然として自身で敢行してしまうのだけど。
 父親どころか母親や家族からも離れて生活している貫多には所在も不明な父親なんぞに直接的に実現すべきものとしての沸々と滾る様な殺意はなくむしろ心底に昏く淀みつづけるものとして抱懐され、しかし、ことある毎にそれは盲目的な暴力衝動として彼の意識に障った者に対して向けられることになる。
 そしてそれは、以前貫多がつき合っていたもっぱらセックスのためだけの、つまり、《 共喰い 》の主人公の幼なじみの相手と同様性欲を満たすだけの“ セックス・フレンド ”だった娘にも向けられる。偶然久し振りにフト路上で出会ったその娘に、「あそこが臭い」だの何だのと執拗に絡みさんざんに罵り愚弄し続ける。


この主人公・貫多、性犯罪者の父親の息子ってことだけじゃなく、中卒という低学歴にも劣等感をもっているらしく、それらが渾然一体となってコンプレックスを形作っていて、ある時、貫多の唯一の友人たる専門学校生と彼の恋人と三人で飲屋で会食となって、友人と恋人の話が詰まらないのか、初対面の女学生に対する接し方が覚束ないのか、さっさと一人飲みまくり、親しく話し続ける二人の前でテーブルの上に突っ伏して狸寝入りを決め込む。
そして、やにわに顔を上げ、二人を罵りはじめる。
「田舎者って何かと言えば下北沢とか世田谷なんかに住みたがるが、東京者はそんなところにゃ住みたがらねえ ! 」
 東京・下町育ちの貫多の唯一優越を覚えられる所謂“ 江戸っ子 ”という自負。
 コンプレックスの裏返しに過ぎなくても、“ こっちとら江戸っ子だい ! ”と全国津々浦々からやって来たおのぼりさん達を睥睨し“ この田舎者(カッペ)どもが ”と唾棄せずにはいられない。 
 東京・下町育ちの住民からすれば、世田谷や新宿は、所謂“ 山の手 ”、つまりかつては“ ざーます ”言葉を駆使する奥様たちの住まうハイソなエリアで、富士山ともどもに遠くに仰ぎ見る地域だったらしい。勿論その裏では、お高くとまった“ ざーます ”連中として軽蔑することは忘れなかったが。そんな下町住民を以前は“ 東京の田舎者 ”とも呼んだという。重複する劣等感やその裏返しの優越感が複雑に絡み合って更に複合的作用・衝動に苛まれる貫多という訳なのだ。

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2014年10月 4日 (土)

 大正テロリスト・中浜鉄 ( ギロチン社 )  秋山清『 目の記憶 』

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 関東大震災における余波ともいえる、つまり帝都・東京の壊滅的震撼に便乗し朝鮮人・中国人、社会主義者・労働組合活動家虐殺、とりわけ当時活動家の頭目と目されていたアナーキスト大杉栄と妻・伊藤野枝、たまたま居合わせたたった六歳の甥・宗一少年のリンチ殺害に対する一部のアナーキストたちの一連の報復事件で、大杉栄の労働運動社の活動家と連携しながらも別様に権力に対するテロルを企てた《 ギロチン社 》の、中心的人物に、中浜鉄( 哲 )こと富岡誓( ちかい )なる人物が居た。


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  ( 門司港駅前から企救半島を縦断し周防灘沿いに大分方面に向かう県道25号から、「柄杓田分道」で直角に折れ、一路柄杓田漁港へ下ってゆく。季節と時間帯によって結構な点景が覗けることもあるらしい。西鉄バス「柄杓田行」終点。十人近い乗客全部老人で、元気な婆さんが殆どだった。停留所周辺には飲料自動販売機すらない。)
 
 
 「大正九年十年( 一九二〇―二一 )頃、門司市にあったその叔父の家で、ギロチン社事件で死刑になった中浜哲こと富岡誓さんと二、三度逢ったことがある。彼はこの叔父とは母が姉妹の従兄弟であり、その後私の問に答えて彼の死刑のときの実家や親族たちのおどろきと死体受取のことなども話してくれた。その中浜が早稲田大学正門前の露地にあった下宿屋に私を訪ねて来たのは、そんなかかわりからであった。
 中浜哲こと富岡誓、後にギロチン社の頭目の一人として大正十五年(一九二六)四月に大阪で死刑になった彼が、早稲田の下宿屋にとつぜん訪ねてくれたのは大正十三年(一九二四)の三月のある日の夕方だった。
 門司市の、叔母の嫁いだ羽島の家で、私は中学生の頃幾たびか富岡の誓( せい )さんと逢ったことがある。顔の色がくろく、らいらくな印象がのこっている。叔母のはなしだと、社会主義者だというけれど、気のおけないいい人だということだった。叔母にむかって明けすけに、女郎買のはなしなどして笑わせていた。だが私はその誓さんのことは小学校の頃から知っていた。」

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 ( 右の広い通りが県道25号線から下ってきた道路。人影は疎ら。漁港の岸壁にのみ釣客が溜まり人声が聞こえてた。)


 「私の村の隣村、福岡県企救郡東郷村字柄杓田(現・北九州市門司区字柄杓田)の富岡といえばすこしは知られた家で、彼はそこの四男か五男かであった。『 富岡誓さんには駐在巡査も歯がたたぬ 』といううわさであった。その当時の田舎の駐在巡査は大したもので部落の人たちはその機嫌をとることを大切にした。しかし柄杓田で若い者たちに争いごとなどが起ったときは、巡査のいうことよりも誓さんのいうことが通る、巡査がこうだといっても誓さんが乗込んでこうだといえば、そのように決まるんだ、というはなしが伝わっていた。私が小学校五、六年生の頃のことである。
 その昔の富岡の誓さんが、早稲田の下宿屋、今もある高田牧舎のところの道をはいって五、六軒目の華陽館という下宿に訪ねてきた。人が来た、というので二階から下りてゆくと玄関に立っていた。そのころ私は、京橋の市電の交叉点にある第一生命保険会社の夜のエレベーターボーイだった。夕方家にいたのはたまたま休日だったのだろう。 」

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 ( 同じ通りの片側に佇んだ黒塗りの旧造りの邸。丁度メイン通りを下ってきた突き当たりの角に位置するこの漁村のランドマーク的存在。 )


 「 灰色の厚ぼったいセーターをきてハンチングをかぶっていたと思う。いっしょに高田牧舎にいって夕めしを食った。そしてこういった。
 『 羽島の叔母が、あれが東京で何しているか、見てきてくれ、といったから一寸寄ってみたんだ。おれは近く満州から奥地に行く用事があって旅行するが、一年もしたら又やって来る、そのときこの下宿にたずねるから、他へ移ってもわかるようにしておけ。好きなことを一生懸命やることじゃな。』
 私はだまってうなずいた。彼は金を払っていそいで出ていった。私はその後、面識だけあって実際をほとんど知らない彼のことを知るようになったが、それは大方彼が死んだ後である。このときの突然の訪問は、私に今も二つのことを追っかけて思い出させる。
 中浜の大杉栄追悼詩『 杉よ ! 眼の男よ ! 』が書かれたのがちょうどこの頃だったということと、もう一つは私に高田牧舎のカレーライスを食わせた後、その晩の汽車で大阪に立ち、その翌日あたりに彼は実業同志会の武藤山治を訪ねてその応接間で捕らえられ、二ヶ年後に死刑となった、ことである。
 彼の残したものを読み、ギロチン社の仲間の倉地啓司との数回にわたる話しあいで私はそのようなことを確認した。倉地に当時の回想をきいたのは、太平洋戦争後四、五年もすぎてからだが、中浜が大正十三年初春頃ごろ着ていたセーターの色など、まったく記憶が一つだった。中浜は東京から大阪へゆく前のすこしの時間に、叔母との約束を果すべく私のいた下宿屋をたずねたものらしい。私と別れたすぐあと、倉地啓司といっしょに大阪へいったのである。
 私がとつぜん、四十六、七年前の、友だちの駆落ばなしにからんで中浜哲のことを思い出すのは、その人々が、近くはなかったけれど、親戚というつながりの遠い方にいたからである。」
秋山清『 目の記憶 』

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 『 高田牧舎 』とあるのは、知る人ぞ知る早稲田大学南門前に日露戦争頃から営業している当時からカレーライスやハヤシライスなんかもメニューにあったミルクホールで、現在も喫茶・レストランとして近辺では老舗として有名な店らしい。中浜も以前は早稲田予科の学生だったこともあってか、そこから五、六軒先の下宿『 華陽館 』に住んでいたようだ。


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 (  ギロチン社事件 東京日日新聞 大正十四年 )


 中浜鉄はアナーキストで、大杉栄や彼の主催する労働運動社の面々とも面識があったらしい。古田はともかく、浜鉄は大杉に尊敬というより男惚れしていたようで、《 杉よ! 眼の男よ! 》なる彼のもはやまみえることもない大杉に対する追憶と憧憬に溢れた追悼詩は有名( これはネットで簡単に見れる )だけど、中濱鐵著作集《 黒パン 》第一号所載の《 いざ行かん焉 ! 》に次の行( くだり )がある。


 「大杉が俺に言つたことがあつたけ ───
   たつた一人 !
   唯の一人でいヽから ───
   眞底から理解し合つた同志を得たなら、其の時こそ味のある運動を始めるこつだ !」

 
 心酔する大杉から言われ、ついに見出した同志が古田大次郎、そして結成したのが《 ギロチン社 》という訳だ。
 そこまで惚れた大杉がその嫁さんとたまたま居合わせた親戚の六歳の少年ともどもに、憲兵大尉・甘粕正彦等軍部に震災後のドサクサに紛れ、陰惨になぶり殺されたあげく、遺体を井戸の中に放り込まれ隠蔽をすら謀られたことへの怒り、更にその年の暮れに主犯の甘粕が受けた判決が少年を含んだ三人扼殺でたった“ 禁錮10年 ”という信じられない人嘗め判決に心底からの憤り。( 実際には三年後にはもう出所し、フランス遊学という出所祝い付き。)
 労働運動社の同様に怒り憤ったアナーキストたちと連携しながら、復讐という情念的発露に突っ走り、一大報復を企図したものの、その実際は、何とも当時の日本のアナーキストたちのテロリズムにおける稚拙さばかりの椿事の連続。


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 ( 日本中何処にでもある錆びたシャッターの光景だけど、ここはまだ営業しているようだった。)

 
 大阪で大杉たちの殺害を号外で知り、
「 よし、思い知らせてやる ! 」
と中浜は突然唸るように言い放ち、
「 勇ちゃん。君、行ってくれ給え 」
と、田中勇之進に、伊勢松坂の中学に通っている甘粕の実弟に対する報復を促した。古田大次郎は賛成ではなかったらしいが、二日後田中は決行。登校中の甘粕五郎を短刀で襲い失敗し逮捕される。
 震災当時戒厳令を敷いた関東戒厳司令福田雅太郎大将を労働運動社の和田久太郎が背中からピストルで狙撃したが、何と呆れることに、弾は薬莢だけの弾頭のない空砲。福田はちょっとの火傷を負っただけ。和田はその場で逮捕。翌年、もう一度博多で狙われたらしいがその時も福田は無傷だったという。
 又、《 ギロチン社 》の盟友・古田大次郎が大阪・第十五銀行の玉造支店小阪派出所を襲った際も、慣れない略奪行為に舞い上がって金の入った鞄を奪うとして行員と揉め誤って行員を刺殺してしまうミス。
 ピストルやナイフの扱いなんかの実戦的なセンスが余りにも欠如し過ぎているとしか思えない。中浜は軍隊に何年か居たらしいが電信兵だったらしい。何とも、余りに楽観的。
 尤も、古田は、その後その反省からか、同時に銀行襲撃事件以降彼らを取り巻く状況が厳しくなってきたのもあってか、他の仲間と協働し、ロシアのテロリストを模倣したように自ら爆弾を製造、谷中の共同便所を爆破し青山墓地やなんかで試爆した後、福田を狙撃し失敗した和田久太郎が収監された本富士署に爆弾を投げるが不発。
 小包爆弾を製造し、福田大将邸に郵送する。爆発したものの怪我人無し。東海道線鶴見川鉄橋にダイナマイト一本を仕掛けるが不発。銀座の電車軌道に爆弾しかけ爆発したが損害なし。
 世間は騒然としたかも知れないが、軍部・権力はまったく無傷。《 ギロチン社 》は壊滅。ピストルや手製爆弾じゃ例え成功したとしても知れてるけれど、彼らの稚拙さもさることながら、軍部・権力の悪運の強さってことに尽きるのかも知れない。が、その軍部・権力の悪運の強さは、やがて日本を第二次世界大戦そして灰燼的敗戦へと引き摺ってゆくことになる。


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 ぼくが面白いと思ったのは、逮捕され大阪の刑務所に収監された中浜鉄が、残った仲間にある作戦を提示したことだ。何と、『 脱獄計画 』。当時の東京朝日の見出だと『 公判廷爆破の陰謀計画 』となっている。

 「 福田大将を狙撃した東京の主義者と気脈を通じ大阪刑務所北区支所に収容されたギロチン社員を脱獄せしめる為北区支所及び裁判所の公判廷爆破の陰謀を企てた・・・
 被告の小西は一味を脱獄せしむる方法として

一、北区支所で特別面会の時ピストルを乱射してこの混雑に紛れ決行すること

一、公判出廷の途次を待受けて行うこと

一、公判廷で傍聴席から爆弾を法官席になげうちその混雑に乗じて行うこと

一、刑務所で一味の運動して居る時を見て控訴院の二階から綱をおろすこと 」

                                                 ・・・・・ ( 東京朝日 )

                      
 「 ・・・前記刑務支所と接続する天満警察署及び警察部特高課を爆破し、更に社会運動方面の捜査検挙を担当する当局者に危害を与えた後三越、高島屋両百貨店を爆破すべく計画したものである。」

                                                 ・・・・・ ( 東京朝日 )


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  ( 狭い地域の割には露地が網の目の様に張り巡らされている。中へ踏み入ると、ご多分に漏れず、廃墟然とした建物も少なくなかった。写真よりもっと狭い背戸と呼ぶべき露地裏も連なっていて、嫌でも生活が覗き見えてしまいそうだ。ちょっとした、つげ義春風世界を垣間見た面持ち。)


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 ( 田野浦にも黒塗りの旧式の建物があったけど、中々精悍。ここの漁港の脇に漁具用なのか真っ黒くタールを塗りたくったものが並べてあって、そのタールを使っているのだろうか・・・臭いが強すぎてありえないか。)


 映画そこのけのアイデアだ。結局実行には到らなかったけど、中浜は獄中でどんな思いでこの計画を練ったのだろう。復讐戦のほとんどが失敗に終わってしまって、このままじゃ大杉たちや朝鮮人・中国人・活動家たちの死に一矢だに報いることもできず獄房の中で慟哭悶々として己が生をすりつぶしてゆくしかない絶望的危機感と焦燥に苛まれた果てでの畢生の大阪刑務所脱出作戦だったのだろうか。 
 その後、盟友の古田大次郎が刑死し、むしろ自ら死を求めるように、自らを危うい立場に持ってゆこうと、それまで秘されていた英国皇太子暗殺や摂政宮ヒロヒト暗殺計画を公けにし( 実際には権力側が世間の耳目に触れるのを恐れもみ消したようだ )死刑判決に到った。他のメンバーこそいい迷惑だったかも知れないけど、そんな意志の下に結成されたギロチン社であったろうから、何としてもそのまま闇に葬らさせまいとする最後の一擲(いってき)であると同時に、何よりも盟友・古田の死に連座したかったのだろう。


 「『 鐵君 ! 』と呼ばぶれば
  『 何んだ ! 大さん 』と答へる
  『 ・・・・・・・・』

  『 大さん ! 』と呼べば 』
  『 何んだい ! 鐵君 ! 』と ───
  『 ・・・・・・・・』

  縦令( たとえ )言外の意味が他の誰にも
  皆目解らなかつたにせよ !
  兩人の間ではそれで充分だつたね !
  何時もそれ以上語る必要はなかつたね !
  夫れ以上語る言葉を
  俺達は何も持ち合さなかつたね !

  君の『 イエス 』は俺の『 イエス 』
  俺の『 ノウ 』は君の『 ノウ 』───」
            
          《 いざ行かん焉 ! 》 」


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 ( 見るからに真新しい郵便局も恵比寿神社も以前は別の場所にあったらしく、比較的最近この場所に移った様だ。メイン通りの突き当たりの丁度裏側にあたる。漁港だから大漁を願っての大きな鯛を抱えた恵比寿様なのか。)


 中浜は1926年4月に絞首刑に処された。( 表向きの罪状は恐喝。恐喝で死刑 ? ) その前月の3月には死刑を覚悟し、山崎今朝弥弁護士に辞世を記したハガキを送ったという。

『 弥生空、魏櫓枕( ギロチン )高く、霞往く、黒蝶ぞ我散る花に舞う 』

 “ 弥生 ”は春三月、“ 花に舞う ”とある。
 これは明らかに彼の心酔した大杉栄が、明治末の幸徳秋水等12名が刑死した大逆事件で、当時たまたま既に別の事件で獄中にあって大逆事件への連座を免れ、幸徳等の処刑の後に出所し、いわゆる《 冬の時代 》、石川啄木的には《 時代閉塞の現状 》の只中で大杉が唄った有名な一句、

 『 春三月 縊( くび )り残され 花に舞う 』

 を意識的に下敷きにしている。否、大杉への呼応であろうし、又、同じ意志を抱懐した幸徳秋水や宮下太吉等との一体化へに向けての雄叫びであったろう。


                                        参照 ・ 秋山清『 目の記憶 』( ぱる出版 )


                       
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 ( 天疫神社の本殿。狭い境内にこの本殿だけがポツンと佇んでいる。外来疫病を厭っての建立という。秋山清が少年時代に遭遇した学友たちの少なからずが罹って亡くなったという世界的に蔓延した「スペイン風邪」の頃も、多くの柄杓田漁民が、すがる思いでここに願かけに詣でたのだろう。)


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 ( 今津と同様、村の端っこの丘の上にある《 天疫神社 》からの柄杓田漁村の俯瞰 )

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 ( ここは海岸近くに並んだ民家の道路ギリギリに1メートルちょっとの高さの堤防が並んでいて、漁港の沖も防波堤が両側から包み込む様に伸びている。関門海峡の急潮流から些か離れている場所だけど、堤防の外は波が荒いのかも知れない。地元では、ここはカキの養殖で有名なところらしい。)


  (注) 白黒の写真以外は、クリックで拡大。

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