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2014年10月18日 (土)

鬱々と帝都の辺境をひた走る 《 苦役列車 》

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 題名もさることながらAKBの前田敦子が出演してたってことでちょっと遅まきながらレンタルしてみた《 苦役列車 》。てっきり昭和の初めあたりの昏い時代を舞台にしたものってイメージを持ってたのが、観てびっくり。そうか西村賢太の原作だったと思い出し、彼の青春時代を下敷きにした私小説で、当時《 蟹工船 》が話題になっていたのを、タイトルの昏いトーン故に一緒くたにしてしまっていたようだ。


 二、三十年前の東京下町出身の中卒青年のうらぶれた青春物語。
 中卒・東京下町といえば、時代はもっと遡るけど、それこそつげ義春の世界。確かにモノクロであっても違和感がない。つげの《 大場電気鍍金工業所 》《 よしおの青春 》の私小説的世界と相似した匂いが漂っている。確実に身体を蝕みあるいは悲惨な事故と隣り合わせの下町の小さなメッキ屋の下働き人生に、ある日慄然としてしまい、転々と職場と居所を変えてゆき、終いには自身の本来あるべき場所を見つけた様に貸本屋向けのマンガ家に落ち着いてしまう。この映画の主人公・貫多は、岸壁沿いの工場で荷役作業のアルバイトをしながらの“その日暮らし ”的生活に鬱々と埋没し、職場を転々とし、ついには私小説作家になってしまう。( この映画では、前田敦子演じる古本屋の娘に示唆されたことになっている。)

  
 前田敦子が一体どんな演技をしてるんだろうと期待していたら、いくらも出番はなく、単なる紅一点的なポジションだった。
 原作は未読なので画面の上だけで判断するしかないけど、可もなく不可もなくの演技。
 前田敦子は別に美少女って訳じゃなく、エキゾチックでむしろ癖のある風貌で、監督も別段可憐な美少女を配することで画面に彩りを添えようなんて気はなかったんだろう。普通のアルバイト女子大生って訳で、別段前田敦子である理由もないと思うんだけど、そこはやはり監督としての思惑ってところか。
 
 原作の西村は戯言だったらしいけど、前田より同じAKBの柏木由紀の方が良かったと言う。前田はエキゾチックではあってもかなり庶民的な現代っ子のイメージの方が強く、柏木の方が若干古風( 保守的 )で淑やかなイメージなきにしもあらずなので、何より“ あこがれの乙女 ”ってところなんだろうから、意外と本音なのかも知れない。


 基本、晴れやかさとは無縁の、しょぼい、裏ぶたれた世界なので、あこがれの古本屋の娘=前田敦子との、例えば浜辺で裸になって駆けてゆき海に入ってゆくシーンで、先に海に裸で待っている主人公・貫多と友人・正二の二人に呼ばれ、ためらいながらもスリップ姿のまま前田も走って海に入ってゆくのだけど、それは青春映画の定番ともいえるお決まりシーンでもあって、本来あるべき爽やかさ、つまり溌剌とした痛快さが今一。そこは、何としても一糸まとわぬ全裸で駆けてゆくんじゃないと絵にならない。それこそ青春的発露って奴だろう。
 今までも色んな新人女優が己の青春とも重ね併せるように個性的な青春炸裂シーンを演じてきたはずなのが、何と今頃、リアルにスリップ姿とは・・・しかし、これは、貫多と本屋の娘との関係性をそのまま現したものでもあって、片想いの貫多と既に別に長距離恋愛の相手が居る本屋の娘じゃ、娘が素っ裸で海に入ってゆくってのはやはり不自然ではある。平均的な普通の娘という設定故に、妙にはっちゃけ過ぎてしまうと、うじうじとした貫多ワールドじゃ整合性に欠ける。
 で、これ見よがしに娘の腕を大きくペロリと舐めてみせたり、雨中に襲いかかりかわされると『 本当は、男が欲しいんだろう ! 』等と悪態・雑言を吐いてみせたりの鬱屈した隠微な貫多的アプローチに終始する。結局、若くして飲み慣れた酒・ワンカップに浸り、通い慣れた風俗店に入り浸る他ない抑鬱的閉塞。出口は見えず、仄暗い何時果てるとも知れぬ長~いトンネルをひた走る。


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 主人公の貫多は、父親が性犯罪を犯し逮捕され、以後家族はバラバラになり、母親の金をくすねて逃げ出してから自分一人でバイトで日銭を稼ぎながらの生活。部屋代すら後回しに、がつがつと目先の食欲と性欲を満たすばかり。唯一の娯楽が読書ということで、近くの古本屋に入り浸る。そこのバイトの女学生の娘に惚れあこがれるが、言葉の一つもかけれなかった。ある日、バイト先で一緒になった九州から出てきた専門学校生と仲がよくなり、彼のとりもちでやっと娘と初めて話すことが出来るようになるという設定。
 この映画を観てると、すぐ、この原作と殆ど同時期に発表された田中慎弥の《 共喰い 》を想起してしまった。( 原作は共に未読。)
 こっちの方は学生だけど、地方の閉鎖的な地域社会で、セックス時に興奮すると暴力性を剥き出しにする主人公の父親と( 母親はそれを理由に別れた )一緒に生活していて、新たに貰った若い継母に対する日毎の父親の暴力的に屈折した性的発露に辟易し、近くに住んでいる母親にも“ 父親と同じ血 ”が流れている可能性を指摘され、恋人というよりセックス・フレンドに近い幼なじみとのセックスでもたげて来るかもしれない父親と同血の暴力衝動の不安に怯えていた。

 この二人の主人公、共通するところが少なくない。
 何よりも共に父親の性に纏( まつ )わる負的な発露によって受けたトラウマ、そしてその血族的連続性に対する恐怖と不安。
 この共通項は些か特殊過ぎて他に余り例を見ない。
 その連続性に対する恐怖と不安の現れは、父親と同居している《 共喰い 》の方がより顕著で、終いには父親に対する殺意にまで昂( たか )まってゆく。只、予め意中に秘めていた様に母親が主人公を阻み毅然として自身で敢行してしまうのだけど。
 父親どころか母親や家族からも離れて生活している貫多には所在も不明な父親なんぞに直接的に実現すべきものとしての沸々と滾る様な殺意はなくむしろ心底に昏く淀みつづけるものとして抱懐され、しかし、ことある毎にそれは盲目的な暴力衝動として彼の意識に障った者に対して向けられることになる。
 そしてそれは、以前貫多がつき合っていたもっぱらセックスのためだけの、つまり、《 共喰い 》の主人公の幼なじみの相手と同様性欲を満たすだけの“ セックス・フレンド ”だった娘にも向けられる。偶然久し振りにフト路上で出会ったその娘に、「あそこが臭い」だの何だのと執拗に絡みさんざんに罵り愚弄し続ける。


この主人公・貫多、性犯罪者の父親の息子ってことだけじゃなく、中卒という低学歴にも劣等感をもっているらしく、それらが渾然一体となってコンプレックスを形作っていて、ある時、貫多の唯一の友人たる専門学校生と彼の恋人と三人で飲屋で会食となって、友人と恋人の話が詰まらないのか、初対面の女学生に対する接し方が覚束ないのか、さっさと一人飲みまくり、親しく話し続ける二人の前でテーブルの上に突っ伏して狸寝入りを決め込む。
そして、やにわに顔を上げ、二人を罵りはじめる。
「田舎者って何かと言えば下北沢とか世田谷なんかに住みたがるが、東京者はそんなところにゃ住みたがらねえ ! 」
 東京・下町育ちの貫多の唯一優越を覚えられる所謂“ 江戸っ子 ”という自負。
 コンプレックスの裏返しに過ぎなくても、“ こっちとら江戸っ子だい ! ”と全国津々浦々からやって来たおのぼりさん達を睥睨し“ この田舎者(カッペ)どもが ”と唾棄せずにはいられない。 
 東京・下町育ちの住民からすれば、世田谷や新宿は、所謂“ 山の手 ”、つまりかつては“ ざーます ”言葉を駆使する奥様たちの住まうハイソなエリアで、富士山ともどもに遠くに仰ぎ見る地域だったらしい。勿論その裏では、お高くとまった“ ざーます ”連中として軽蔑することは忘れなかったが。そんな下町住民を以前は“ 東京の田舎者 ”とも呼んだという。重複する劣等感やその裏返しの優越感が複雑に絡み合って更に複合的作用・衝動に苛まれる貫多という訳なのだ。

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