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2014年12月21日 (日)

平成末的レクイエム

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以前アベノミクス的惨状として安部晋三の根拠地なる下関のいよいよ零落・落魄著しい惨状に触れたことがあった。
 海岸沿いの“ 表通り ”にはこれ見よがしなビルが立ち並び、米国西海岸をでも模したのか椰子もどきの高木を高々と聳えさたりしてみても、それ以外の表通りはといえば一様に燻( く )すみうらぶれ、場所によっては朽ちるにまかせた遺棄物と化したものすら少なくない。絵に描いた様な自民党半世紀支配の論理的帰結って奴だ。


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 明治維新の故なのか、北前船の衰退の故なのか、かつては関西の豪商達の支店が軒を連ね、その副産物としての華々しい文化も異彩を放っていたのが、あれよあれよという間に掻き消えていってしまった。それでも尚、戦後はクジラをはじめ遠洋漁業基地として水産加工の基地としてプロ野球チームすら所有する隆盛を誇っていたにもかかわらず、それすら何時の間にやら霧散して気付けばすっかり灰色にくすんだ老衰的廃残。


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 それはこの国の大都市以外のどの地方でも見られる、ゆったりとしたローカル色とは似て非なるもっぱら衰微し遺棄されるばかりの老衰的緩慢。これは、しかし、本来の自然の、理( ことわり )としての帰結ではない。むしろ、意図的に狙われたと断じても過言ではないくらいに、既に二世紀も前から指摘されていた論理的帰結。

 選挙の毎に下関に戻って来るという。
 一体、安部晋三はこの朽ち果て続けるばかりの、その延命策なのか近隣の町や村を次々と取り込んでいってすっかり着膨れして人口の割にはかなり広域な下関の只中に立ってで、何を思うのだろう。
 彼の盟友なのか利権でのみ繋がっているのか知らないが、麻生の如く、このアベノミクスの最中にあって、( あれだけ安部・麻生自民党が餌をバラ撒いたにもかかわらず )、利得にありつけず四苦八苦し続けている企業・産業の無能さ・不能さを指弾し罵る口汚く罵るのであろうか。


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 以前そう思い、再び冬の気配の、一瞬とぎれた青空のひろがったある日、もはや旧い部類にはいるデジカメを手に、仕舞屋風の町並み沿いに、トボトボとほっつき歩いていると、さえない大通りからちょっと入った一角に、忘れられた様に昭和の香りの残ったくすんだ佇まいの通りが連なっていた。この決して小さくはない町の、まだあっちこっちに見られる光景でもあった。表札には貴船町とあった。恐らくこの国じゅうに見られる一般名詞的な地名だろう。当然その名を冠した神社もあった。むしろ神社がらみでの地名というのが筋なんだろうが。と、更に奥に分け入ってゆくと・・・・そこには文字通りの廃墟というべき状態の朽ち尽くした廃残が一区画も連なっていた。思わず時代の境目の曖昧な境界世界にでも踏み入ってしまったのかと錯覚を覚えかねないくらいのおどろおどろしさが漂っていた。この町は、戦争末期、殆どが空襲で焼けてしまったはずなのだが、どうもこの一角のもはや残滓でしかなくなった廃墟を眺めていると、それ以前の、昭和初期かひょっとするとそれ以前の佇まいすらが垣間見えるようであった。


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 確かに、剥き出しになった障子の裏張りを、しつように見据えてみると、ひょっとして終戦直後って可能性も否定できないが、やっぱりどうも戦後のものとは思えない符丁がすっかり色褪せながらもそれを証しているようだった。つまり、空襲に焼け残った一角。それが戦後どのくらい過ってか、何らかの、異郷人には知る由もない理由で遺棄されうち捨てられてしまったのだろう。
 人影も絶え、ネコの姿すらないまったく忘れ去られたような一角。
 奥まった場所故に再開発もままならぬまま抛棄されてきたのだろう。
 固着剤でも塗布し、そのままの姿で保存しておきたいような、時代の怪しくもあり曖昧 朦朧とゆらいだ光と影。

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