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2015年3月28日 (土)

マニアック 「 タイ・演歌の王国 」 

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 この本が出てもうかれこれ15年過つ。
 只、その後、パタリと後続が断たれ、書店の棚にタイの演歌どころかポップス関係の本すら見かけたことがない。確かに、この本はよく書かれてて、これを越えるとなると些かの努力と労力を必要することとなる。タイ流行歌=演歌・ポップス( ロックも含む )が好きな者にとっては残念なことだけど、現在は、しかし、インターネットで新曲もリアルタイムに聴くことができる上、ブログでタイ在住や国内で発表されている種々の記事や評論の類を見ることもできる。


 個人的にはルークトゥンよりもモーラムの方が好きだけど、そんなに聞き込んでる訳でもない。だから、じゃあ、誰が好きなんだと問われると、即答できず口ごもってしまう。以前だったら、チンタラーと答えたけど、あまりの変わり映えのしなさに食傷気味。
 チンタラーといえば、“ バード”・トンチャイとのデュオで一世を風靡した《 マー・タム・マイ 》、《 フェーン・ヂャー 》が流行った頃、ルークトゥン・モーラムをポップス風にアレンジしたものだけじゃなく、それ自身として唄うのが流行ったことがあった。
 タイ・タナウットやパーン・ナカリン。それにマイなんかは神話的ルークトゥン歌手プンプアンの曲を網羅したアルバムを何枚も出してたりもした。プンプアンの代表曲といわれている“ ローク・コーン・プン”も唄ってるけど、も一つ素っ気ない。プンプアンのはyoutubeでコンサートの映像が見れるけど情緒たっぷり。


 「 プレーン・ワーン( 甘い歌 )はルークトゥン歌謡の本流である。喉を聴かせるのがルークトゥンならば、ルークトゥンはプレーン・ワーン、というのが相場なのだ。」


 作者の大内はそう規定した。タイ・タナウットも全曲ルークトゥンってアルバムを出していて、元々がちょっと演歌っぽい要素が含まれていたから殆ど違和感がないし、総じてゆったりした曲調のものばかり。それ以前に、トン・パッカマイもルークトゥン歌手とテレビ劇で共演した折、ルークトゥンを唄っていた。まあ、ご愛嬌ってとこだったが。


 「 大雑把に、『 タイ演歌 』はルークトゥン歌謡とモーラム歌謡に大きく分けることができる。標準タイ語で唄われるルークトゥン歌謡は全国的な流行歌だが、モーラム歌謡はイサーン語( 東北タイ語、つまりラオス語である )で唄われる( それも『 歌 』ではなく、『 ラム 』という独特な唄い方をする )、モーラム・ファンはイサーンの人たちに限られている。」


 「 はっきり書いてしまえば、ルークトゥン歌手の公演はバンコクでは本当に少ない。標準タイ語で唄われる全国的なルークトゥンよりも、一地方の言語に過ぎないイサーン語のモーラムのコンサートのほうがバンコクで盛んだというのは、嘘のように聞こえるかもしれないが、これは本当の話である。」


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 貧しい東北(イサーン)から多くの人々がバンコクに出稼ぎに来ているようだし、何よりも乗りが好いので踊れる。ぼくのバンコクでの定宿のTT ゲスト・ハウスのすぐ近くの空地を利用したオープン食堂でも、ミュージック・ボックスから流れるモーラム曲にあわせてオバサンたちが昼真っからでも巨体を揺すぶりながら両手を拡げ踊り興じていたりしていて、沖縄以南の南国情緒ってものを痛感させてくれていた。
 ところが、イスラム国やイスラム原理主義者が音楽そのものを嫌うのとは又別様に、タイでも初期のバンコク王朝の権力者もモーラム・ケーンを疎んじ、例えばラーマ4世は『 ラオスのモーラム、ケーン吹奏を禁止する条例 』なんかを公布してたらしい。
 モーラムの場合、基本的には笙に似たケーンという葦筒で造られた吹奏楽器が対になってるけど、大内は1966年にタイ政府軍に射殺されたヂット・プーミサックの小説《 拝啓、封建貴族の皆様 》の一節を援用する。


 「・・・イサーン地方の民衆のケーンは、人生に挫けることのない闘争の歌の音色である。スピード感のあるリズム、ケーンの歌の堅忍不抜の調子は、真実の闘争の精神を呼び醒ます特徴をもっている。自然の残忍で無慈悲な干魃、彼が受けてきた社会的な抑圧・強圧は、まるきり彼に背中を丸めさせ屈服させることはなかった。それどころか、それらは逆に彼らのすべての闘争心をさらに堅固に育て、内部にまで染み込ませている」

 
 ところが、反骨精神はイサーン=モーラムだけの専売特許じゃなかった。
 ルークトゥンの中にもあった。
 
 「 当時( '94年 )タイでは『 懐メロ 』ブームが続いていて、まったく衰える気配もなかった。もうそれこそありとあらゆる昔のヒット曲を引っ張り出してきた。なのにカムロンの歌の埃をはたいて再録音した人は、ほとんどいなかった。その一人がエット・カラヴァオである。
 カムロンの歌の歌詞を一つでも読めば、なぜリバイバルしないのか、すぐわかる。彼の唄った歌は『 ルークトゥン 』の中でも、特異なものなのである。
 ・・・カムロン・サムブンナーノンが偉大だったのは、その時代性にある。彼が『 過激 』な歌を唄ったのは、戦後のピブーン・ソンクラーム、サリット両元帥の軍部独裁政権時代なのだ。批判的な知識人を一網打尽に刑務所に放り込んで『 飼い殺し 』」にしたのはよく知られている。とくにサリット時代は知識人が完全に沈黙させられた時代である。」


 「 カムロンはいろんなタイプの歌を唄いこなしたけれど、『 政治的 』な内容の歌が圧倒的な力でぼくらを幻惑する。唄ったカムロンは『 指導者閣下 』を罵ったとして、たびたび留置所に『 招待 』された。カムロンの歌には社会の下層の人たちの困苦を反映させた歌や映画挿入歌がたくさんある。」
 

 例えば、《 政治の呪文 》の歌詞は。

「 政治家の宣伝の声、口にするのはいい話ばかり / ・・・
 口には愛国を吹聴し、ぼくは聞いていて実に哀れに思う / 見えるのはただ彼の議会の中での大きな地位の奪い合い / 奔走しては徒党を集め、中華飯店・バーでにぎやかな宴会 / ときには徒党を組んで憎み殺し合う / タイの議員にはほとほとウンザリする / ぼくは全国の国民にお願いする / 汚職好きの不忠なこんな輩には投票せず、まだたくさんいる善人だけを選びなさい / そうすれば民衆は幸福になり、タイ国を繁栄に導くだろう」


 確かに、数十年過った現在でもタイの政治・国情は変わってないのは、昨今のタイのさまざまな事件で簡単に了解できる。古臭いように見えて、その実、真実をえぐってみせて普遍的。カラバオが尊敬する所以だ。


「 1960年ある日、サリット元帥が執務室で夫人が昼食を運んでくるのを待っている間、時間潰しに気を紛らわそうとラジオをかけ、チャンネルを合わせると、突然『 ムン・マン・チュア・ナック( おまえって奴は何て悪い奴だ ) 』という感情のこもった文句を強調した歌声が流れてきた。サリット元帥は思わず食事用テーブルの上にあったあらゆる物をひっくり返し投げつけ、ラジオを踏みつけるほど荒れ狂った。すぐに部下を呼んで、社会秩序を崩壊し、『 閣下 』を当て擦るような歌を流す『 共産主義 』放送局を直ちに調査して閉鎖逮捕するよう命じた。これには、どこの放送局もこの歌を流しており、サリット元帥の聞いていたラジオ局は自分の所属する軍部所有のラジオ局だったというオチがつく・・・」


 確かに、戦時中に東条英機大元帥がラジオをかけた途端、そんなフレーズが飛び込んできたとしたら、正に同様の反応をしたろう。むろん、もっと悪辣な手段に出たことは間違いない。カムロンのふてぶてしさ、痛快さの面目躍如ってところ。


 この本の面白いところは、わざわざ一章をもうけて、“ ハーン・クルアン ”、つまりルークトゥンやモーラムが唄われている背後で肌も露わに派手な衣装で踊っている娘たちのことを詳述している点。
 どこの国の歌謡舞台でも同様なバック・ダンサーはいるが、タイのこの演歌系列の場合、又ちょっとその様相を異にしているのに彼が感嘆し興味をもったってところから始まったようだ。タイの中流階級以上にはその下品さを誹られこそすれ好まれることはないけれど、下層の人々には、はっきりいって男たちには好評らしい。何しろ、二十一世紀になっても唯一《 不敬罪 》のある国柄、階級的優越にふんぞり返った権力輩に対峙するように、もっと頑張って欲しいとは、ビデオでしか見たことのないぼくであっても、つい思ってしまう。


   「 タイ・演歌の王国」 著・大内治 ( 現代書館 )


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