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2015年5月の3件の記事

2015年5月23日 (土)

異教神とキリスト教伝説 処女の泉 ( ベルイマン ) 

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 ベルイマンといえばマックス・フォン・シドーって殆ど対のイメージが強い。
 北欧や西欧じゃ彼のかなり面長な顔ってやはり異貌の類に入るのだろうか。
 日本人から見ると、北欧という今ひとつ馴染みの薄い関係もあって、彼のその長顔が一層異貌の趣をもって独特の雰囲気を漂わす俳優として印象づけられている。ベルイマン作品で有名になってから、ハリウッド映画にも頻(よ)く出るようになってからか、もっぱら悪役の記憶の方が強い。北欧=精密機械というイメージもあって、緻密・精妙な殺人者役に更に重厚さも加わって独特の迫力とリアリティーを醸し出す存在として重宝がられもしたのだろう。


 この1960年の《 処女の泉 》じゃ30歳前後、白黒画面の上に髭面で、も一つはっきりしないけど、確かに肌が艶やかで典型的なゲルマンの風貌。
 16世紀のスウェーデンって設定で、彼はそこのある農園なのか領地なのかの主( あるじ )で、大箱から剣や革製鎧なんかを取り出すシーンもあって、( 元 )騎士だったのかとも想わせる・・・ひょっとして北方十字軍の血筋だったのかも、と。
 そもそもスウェーデンにキリスト教が入ってきたのが10世紀頃で全土がキリスト教化されたのが12世紀といわれている。その同じ12世紀頃、早々とスウェーデン、デンマーク、ドイツ騎士団なんかのカトリック勢力が結託して北ヨーロッパ・バルトの異教諸国に侵略し異教徒たちに改宗を迫る北方十字軍が結成され、以後数世紀の間激しい戦闘が繰り広げられていたという。
 
 この16世紀のスウェーデンって、当時北欧一帯を席巻していたデンマークの支配から独立を勝ち取る独立運動が激しかった時代でもあって、デンマーク王クリスチャン二世が独立派を騙し惨殺した《 ストックホルムの血浴 》なんて有名な事件も起こっていたらしい。
 そんな政情不安なんて微塵も感じさせない、地方の鄙びた牧歌的な田園地帯に佇む一軒の大きな農場の主の家族のたった一日の物語。
 早朝養女のインゲリが起きだし竈に火をつけ天上の排煙を兼ねた明り取りを開ける。日毎の日常的所作・・・そして思い出したようにその開閉柱にすっかり大きくなった身重の身体をすりつけるようにしがみつき、古代神オーデンに何ごとかを祈念する。同じ頃母屋では、主人夫婦がキリストの祭壇の前でその日の一家の平穏と無事を祈る。徐(おもむ)ろに妻のメレータが火の灯った蝋燭の熱雫を自分の手首に滴らせる。慌ててテーレが止めようとするが、今日は金曜日、キリストの殉教の日だと言って受苦の一端を分かち合おうとしてみせる。敬虔なキリスト教徒って表象なんだろう。イスラム・シーア派にもマホメットの孫イマーム・フセインの殉教を偲ぶ自傷的行事アシュラが有名で、キリスト教にも草の根レベルで行われていたようだ。
 夫婦は近隣にある教会に一人娘のカリンに寄進の蝋燭を運ばさせようと、下働きの養女インゲリを供につける。
 中世って、日本もそうだったけど、一歩町・村の外に出るとそこはもう闇の世界。茂みや林の陰に何が隠れているか分かったものではない異界でもあった。小川の側の小屋でインゲリがそこから先が森なのを怖がって一歩も動こうとはせず、仕方なくカリンは彼女に小屋に留まるように言って一人で森の中に分け入っいく。
 ところがインゲリの心の内を見透かしたようなその小屋の奇怪な男は、彼女に力を授けてやろうとすり寄ってくる。怖くなってインゲリはその小屋から森の方へ逃げ出す。意味ありげで曖昧な笑みを浮かべたその男は呪術師、あるいはひょっとしてオーデン神の化身そのものなのか。


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 一人馬に乗った娘カリンは森の中で羊飼いの少年を含んだ3人組と出会う。世間知らずの気立てのいい娘カリンは持参した弁当を彼らに振る舞ってやる。すっかり胃袋の満たされた男たち・・・体力と気力が回復してくると、眼前の萌えあがらんばかりの初々しい処女に本能と欲望が溶解し、生娘カリンに襲い掛かる。犯されよろよろとその場から逃げようとするカリンを更に羊飼いたちは追いかけ撲殺してしまう。
 その一部始終を、森に逃げ込んだインゲルは最初から木陰に潜んでじっと凝視していた。一瞬カリンを助けようとしてか大きな石を手にしたものの、思い直し、固唾を呑んで黙視しつづけた。

 その夜遅く、一向に戻らぬ娘たちを心配していた夫婦の農場に、件の羊飼い一味が一晩の宿を乞うた。主のテーレは快く迎え入れ熱いスープと暖かい暖炉のある部屋をあてがってくれた。一味のリーダーの男がその家の妻メレータに、買ってくれないかと一枚の立派な晴着を手渡す。メレータはすぐにピンときた。今朝娘のカリンが着ていった彼女のお気に入りのドレスだった。一味に悟られないように上手く取りなし、部屋の外から閂を閉め、テーレにそれを見せる。テーレはこっそり戻っていたインゲリに事情を聴きだし、一味がカリンを犯し殺害しカリンの衣服まで剥ぎ盗ったことが明らかになる。
 テーレは大箱から剣と革製鎧を取出すが、インゲルに話を聞いて、インゲルに湯を沸かさせ、一本の小ぶりな樺の樹を力任せになぎ倒す・・・自分の一人娘が残虐に殺されたのに、何故にこの若い樺樹だけはすくすくと伸びていれるのか、一人娘の無残な死に対する怒りと絶望を、そのまだ若い樺の樹にぶつけるように。そしてその樺の小枝で湯を自分の裸体に叩きつけはじめる。アニミズム的な清めの儀式なんだろうが、騎士的な長剣から屠殺刀( 実際は剣 )に持ち替えるのに清めとは如何なる意味合いなのか定かでない。 
 寝静まった羊飼いたちを一人一人屠ってゆき終いには少年すらを壁に叩きつけ殺害してしまう。
 農場の者全員でカリンが殺された場所に赴く。下着姿のまま死に果てた娘の屍を前に、テーレは神に怒る。一人娘の無残な死とその復讐のためテーレが羊飼いとその一味の少年をすら殺害するのを止めることもなかった神の沈黙を・・・しかし、やがて、テーレは悟ったように、神にカリンの殺された場所に石造りの教会を立てることを約する。そしてカリンの屍を抱き上げると、その地面から泉が湧き上がり滔々と流れ始める。


 キリストの受難の金曜日、それはまたテーレ一家の受難の日でもあった。
 朝、妻のメレータがテーレが止めたにもかかわらず、自らの手首に燈明の蝋燭の熱雫を滴らせ、受難の一端の追体験を試みたために引き込んでしまった惨禍なのだろうか。
 一見、北欧の敬虔なクリスチャン一家の受難物語だけど、実際は、北方十字軍や北欧アニミズム的異教の様々なメタファーに彩られていて、無知なボクには理解にも自ずから限度があるものの、ゴルゴダの丘でイエス・キリストが受難したのと相似な図式で組み立てられているのは分かる。十字架上でイエスが杳として救いの手も姿も現さなかった神に、とうとうイエスは罵りの言葉すら洩らし始める。それも無意味と悟ると、それが自分の物語=救世主神話を全うするための演技であっても再び神に帰依してみせたのと相似な図式。
 そしてその底流に、在来・既存の北欧的アニミズム的異教を排撃・淘汰してゆく北方十字軍=キリスト教伝説があって、この映画では、もっぱらオーデン神が取り沙汰されている。
 オーデン神って元々戦争と死の神らしい。
 この映画じゃ戦争はともかく、死ばかりで綴られている。 
 そもそも冒頭に養女インゲルがオーデンの神に祈っていたのは、むしろ呪詛ともいうべき、娘カリンへの嫉妬と憎悪によるカリンの“不幸”だった。だからオーデン神は彼女の願いをまたとない形で叶えてくれた訳だ。それに引き替え、イエス=神は、一人娘カリンの死そしてその犯人たる羊飼い一味(少年も含む)の復讐的殺害という惨劇で応えてくれた。( これって、単純に考えれば、やっぱりメレータがイエス・キリスト=神の祭壇の前で祈念イエス・キリストの受難を言って自らの手首に蝋燭の熱雫を垂らした行為 → 祈念=願い事 → その故での祈念の成就って運びに過ぎなくなる。些かブラック・ユーモアが効き過ぎているように思えるが、メレータの雫滴行為をテーレがすぐ止めようとしたのが些か唐突に過ぎ、このニュアンスは決して論外にはできない )


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 インゲルが夜中こっそりと舞い戻ってきてテーレに見つけられた際、インゲルは自分がカリンの不幸=死をオーデン神に願ってきたこと、羊飼いたちにカリンが犯され殺害されている時も願っていたとまで告白してしまう。しかも、羊飼いたちの罪業をすら、オーデン神が彼らを使ったに過ぎず彼らに罪はないと取りなす。勿論、怒りと絶望の淵に立たされたテーレが聞く耳を持つゆとりなどあるはずもなかったけれど、このインゲルのとりなしは、例の小川脇の小屋の中で轟きを聞いた際、怪しげな親爺さんが応えた言葉に拠ってる。
 
 「 三人の死者たちが北に向かっているんじゃよ 」
 
( 三人が“ three wemen ”なら運命の魔女ってところなんだろうが。)
 三人の死者=三人の羊飼い。この伝だとインゲルは少なくともあの親爺さんを呪術師くらいには評価をしていたってことになる。一切は、自分がオーデン神に願ったから起こったのだから、責任は自分にある、とインゲルは言張った。その一途な潔(いさぎよ)さは、しかし、その時のテーレの琴線に触れることもなく、湯浴びして身体を清めた後、最初手にしていた長剣から屠殺刀に持ち替え復讐劇に及ぶのだけど、この辺りの北欧の宗教的・習俗的ニュアンスは定かでない。
  

 この一連の流れって、この映画じゃまったく触れてないけど、同じ16世紀(1520年)に覇権国家デンマークに支配されていたスウェーデンの独立派を、デンマーク王クリスチャン二世が騙し討ちにしたスウェーデン史にも有名らしい《 ストックホルムの血浴 》事件のメタファーがいやでも想起されてしまう。
 クリスチャン二世は先ず大司教に身体に油を塗って清めてもらってから、かかる虐殺計画を実行したという。独立派を騙しストックホルム王宮に誘い込んだ後大扉を閉め次々に虐殺していったのだけど、そういえばジェット・リー主演の中国映画《 ウォー・ロード》でも蘇州城に太平天国軍を騙して誘い込み殲滅するシーンがあった。
 
 聖油による清め=樺の枝葉で湯を自身の身体に叩きつける清め。
 王宮の大扉の閉門=客間の扉に閂をかける。
 
 嫌でも《 ストックホルムの血浴 》のメタファーとして見えてしまう。
 クリスチャン二世はキリスト教の大司祭にキリスト教的儀式として清められるが、テーレのはキリスト教的ニュアンスは感じられず、日本の習俗神道に通底するようなアニミズム的異教的ニュアンスが強い。これは、復讐の鬼と化したテーレがキリスト教徒としての範を逸脱して異教的=オーデン神的な方途に走ったことの表象なのだろうか。

 この映画の基本テーマは神の不在という。
 神は存在しない、という意味じゃなくて、その時に神は居なかった、神としての所作を示さなかったというぐらいの意味なんだろうか。いわゆる神の沈黙。
 ベルイマンや脚本のウラ・イザクソンがクリスチャンなのか無神論者なのか定かでないけど、ともかく、カリンは強姦され殺害され、その事を知って逆上した父親テーレはオーデン神に駆られ三人の羊飼いを殺害したのだろうし、その間イエス・キリスト=神は静観し隠れたまま沈黙を決め込んだ。確かに不在には違いない。オーデン神の面目躍如というところか。
 が、自身の罪深さに後悔の念を覚えたテーレが、怒りにまかせてイエス・キリスト=神を指弾ししたものの、十字架上のイエスの時と同様、一向に神はウンともスンとも応えもせずひたすら沈黙を守り続けた。やがて、イエスがそうしたようにテーレも、改めて神に帰依し、自身の罪を贖うために娘カリンの屍の側に石造りの教会を、自分の手で立てることを誓う。
 怒りと憎悪を愛で包む、正にキリスト教物語の完結ではある、一見。
 通俗的キリスト教物語なんて無数に転がってるんだろうけど、キリスト教が淘汰したはずの異教・オーデン神を前面にもってきたり、当時だと抜き差しならなかった《 ストックホルムの血浴 》的メタファー等に鑑みると、そんな単純な焼き直しの伝説物語なんかじゃないってことだろう。


監督 ベルイマン
脚本 ウラ・イザクソン
撮影 スヴェン・ニクヴィスト
主人 テーレ   マックス・フォン・シドー
妻  メレータ  ビルギッタ・ヴァルベルイ
娘  カーリン ビルギッタ・ペテルソン
養女 インゲル グンネル・リンドブロム
         1960年(スウエーデン)


   


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2015年5月 9日 (土)

ポスト“ ポル・ポト ”的泥濘 《 なぜ 》

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 《 アジア・ウェーブ 》の増刊号、《 アジア文學 》第3号( 1998年 )に、1977年生まれ(今年38歳)のカンボジアの小説家=マイソン・ソティアリーの《 なぜ 》が掲載されている。
 “ ポスト・ジュノサイド ”つまりポスト・ポルポト的時代に登場した新進女性作家の一人で、彼女が18歳の頃、カンボジア新聞《 リアスメイ・カンプチア 》に1995年10月に掲載された短編小説で、プノンペンのテレビ局《 チャンネル3 》に勤務しながら小説を発表し、後、ラジオ関係の仕事に従事するようになったらしいが、詳細は不明。


 僕がカンボジアに最初に訪れたのが、丁度この小説が発表された1995年の初秋。
 プノンペンのバック・パッカーの溜り場《 キャピトル・レストラン 》で、毎朝毒々しいオレンジ色に彩られたタイ製紅茶粉のミルク・ティーとフランス・パン、フライド・エッグの定番の朝食を喰いながら、少年たちの売りに来るタブロイド判の英字新聞《 カンボジア・デイリー》を1000リエルで買って読むのが日課となっていた。“ 地下鉄サリン事件 ”に日本中が騒然としていた頃で、オーム真理教に“ 破防法適用 ”云々なんて記事もあった。
 尤も、英字新聞といっても巻末の二ページが《 時事通信社 》の日本語版で、大抵日本人はそれを読んでいた。さすがクメール語新聞を読める旅行者って先ず居ないので、街角のスタンド本屋でしか現地人新聞を見かけることはなかった。幾種類もあったので驚いた記憶がある。そんな中に、件の《 リアスメイ・カンプチア 》紙もあったのだろう。
 

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 この頃はまだ両手を合掌して突然現れるバクシーシ( 喜捨 )を求める現地人、つまり単純に食を求める子供から年寄り、現金を求める地雷で片足を失った男たち )や子供たちの物売りが、《 キャピトル・レストラン 》のテーブルからテーブルへと次から次とやって来ていた。二年前にようやくカンボジア王国として発足したポスト・ポルポト派的新体制、解放と資本主義的発展の揺籃にまだまだゆらいでいる時代。人々はやっと自分たちの生活を取り戻すことができるという楽観主義と一歩一歩それを手中にしてゆく過程の端緒についたばかり。それでも前年にポル・ポト派は非合法化されこそすれ、依然と地方じゃ公然とその勢力を誇示していたし、ポル・ポト派が攻め込んでくるとかいう話しよく聞いた。プノンペン中でカラシニコフやM16、ロケット・ランチャーで武装した兵士たちの姿があった。
 この国の最大の観光資源アンコール・ワット近辺は正にポルポト派の勢力圏に近いらしく、まだジャングルの中にあるタ・プロムやプレハ・カーン遺跡じゃ武装した兵士がガードとして附いて来たりもしていた。 

 
 そんなまだまだ危うさの上に辛うじて日々の生活を送っているカンボジア=プノンペンのある勉強熱心な真面目な青年の物語。
 冒頭のっけから、学校から帰宅してきた青年ネートの家で久し振りに戻ってきた父親と母親の夫婦喧嘩の場面で始まる。物が投げつけられ破砕する音や互いの怒声が中から響いてくる。怯える小さな妹弟を外に出し間に割って入る。
 父親は愛人を他に作ってそっちに入り浸り、母親は自棄なのかギャンブル三昧。ギャンブル代に売れる家財は殆ど売り払い、あげく父親がネートに買ってやったらしいバイクにすら手を出していた。それに怒った父親は再び去って往き、母親も借金取りが現れ逃げ出してしまってそれっきり。幼い妹弟を抱えネートはすっかり途方に暮れてしまう。
 長年、戦争・内戦に明け暮れしすっかり疲弊してしまった社会では、当然の如くの定番の“ 貧乏物語 ”。


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 末の幼稚園児のトゥーイは月謝を、小学生の妹のスロッは補習のお金を催促し、米びつには一掴みの米しか残ってない。家の中を見廻しても金になりそうなものは、全て母親がギャンブル代を工面するために売り尽くしていた。万事休す。力仕事なんかじゃ喰い繋いでゆくだけで精一杯。金回りの良い友人のチアットのところへ赴く。ところがチアットたちはバイク専門の窃盗団だった。それも拳銃を振りまわして強奪する荒っぽいやり口の。
 アンコール・ワットのある観光都市シェムリアップなんかじゃ、郊外の道路沿いの草陰・木蔭に隠れて待ち伏せ、バイクに乗ったのが現れると、ピストルかカラシニコフの単発で運転者を狙撃し殺害してからバイクを奪うという非情な手口も使われていたという。
 ネート一人ならともかく、幼い二人の妹弟を養ってゆかねばならず、如何思案しても埒もあかず、結局チアット一味に加わることになってしまう。ある日仲間のユムと一緒に旧スタジアム近辺に向かい年寄りの乗った真新しい100㏄のバイクを奪おうとして口封じのためその爺さんをユムが射殺してしまう。激しく動揺してしまうネートであったが、やがてそれも忘れてしまう。そんなある日、ユムと一緒に女のバイクを奪った。と、四方からポリスたちが現れた。網を張られていたのだ。ユムはすばしっこく女のバイクに乗って脱兎の如く逃げ去っていった。一歩逃げ遅れたネート、背後からポリスの停車を命ずる威嚇声が鳴り響いた。


 「 僕はパニックをおこした。僕だって止まりたい。でも・・・もし捕まって牢屋に入れられたら・・・スロッとトゥーイはだれに頼ればいいのだ ? 僕は発狂しそうになりながら前進した。飛ぶようにバイクを走らせた。四つ角まで来ると、車が一台すぐ側までやって来た・・・避けようにも間に合わない・・・」


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 ストーリーは典型的定番なのだけど、映画の一シーンを想わせるような、カンボジア人の書いたリアルタイムなカンボジア=プノンペン物語ってところで興味を惹いてしまった。日本と違って、カンボジアじや、拳銃どころか自動小銃カラシニコフが定番のお国柄、為にする小道具じゃなく正に日常茶飯。尤も、それもやがて小市民化によって映画的世界の産物となってしまうのだろうけど、まだまだ先のことだろう。 
 
 マイソン・ソティアリーのもう一つの短編《 姉 》も、やはり主人公は真面目な青年で、プノンペンに働きに出ていった姉のお陰で彼も妹も大学や高校にも通え何不自由ない中産階級的生活を満喫していたのが、実はその姉は、プノンペンで人気の娼婦だったというこれもリアルタイムなカンボジア貧乏物語。娼婦と知って、姉をなじるのだけど、やがて彼女の献身で彼ら二人の弟妹がこれまで好きに勉学に励んでこられたのに思い至るというストーリー。
 当時(1995年頃)カンボジアじゃまだカンボジア=プノンペン中に娼館や街娼が溢れていた時代で、大抵の幼い時から売られてきた娘たちって幾らも実入りもなかったはずだし親元への仕送りなんてたかが知れていたろうが、それでも貧しい農村家庭じゃ貴重な現金収入だったろう。この《 姉 》のような多額の仕送りが出来るってのはかなり高級な娼婦だろうし、あるいは裕福なパトロンでも掴まえていたに違いない。
カンボジアより生活レベルがあきらかに数段上の隣国タイにあっても、同じ頃作られた映画《 ヤワラート 》で、主人公の恋人の中華街ヤワラートの娼館の娼婦が、その恋人に去られ失意して故郷に戻ったのが、長年の彼女の仕送りですっかりゆとりの生活を送っていた親兄弟に、なだめられやんわりと元の娼館に送り帰されてしまうエピソードがあるぐらい。東南アジアじゃ、長女ってしばしば献身を余儀なくされるようだけど、この《 なぜ 》の主人公ネートも、自分がもし女だったら娼婦になって何とかなったろうが如何せん男ってところで嘆いてみせる。タイなら、しかし、男であっても何とかなったのかも知れないものの、何しろ外人男性がカンボジア少年を買春することに女性・少女に対するそれに較べて明らかに厳厳罰対応していた実情からして、少なくとも当時には一顧だにすることもなかったのだろう。


 尚、《 なぜ 》と《 姉 》は、ネットでも読むことが出来る。

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2015年5月 2日 (土)

カンボジア=バッタンボン 

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 カンボジア西部、タイとの国境に近い省の中心地バッタンボン。
 タイ国境に隣接した宝石の一大生産地パイリンを最後まで手放さなかったポルポト派の拠点でもあり、カンボジア第二の都市。
 何度か泊まった《 鑽石山大旅店 》。最長一週間滞在したこともあった。
 〈 鑽石山 〉は英語でダイアモンド・ヒル、香港・九龍に同じ名の地域があるらしい。 そのホテルのオーナーがそこの出身かどうかは定かでない。ダイアモンドだけなら鑽石( さんせき )だけですむのだけど、山をつけて特定しているので、やっぱし香港・九龍にある地名ってことなのだろうからそこの出身者なのか。今現在まだあのメイン通りのNo.3 ストリート( 三馬路 : 馬路=大通り )のど真ん中にあるのだろうか。


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 小綺麗で比較的大きな個室にトイレ・シャワーが附き、テレビ・冷蔵庫まで備わっていて5ドル( =150バーツ )。( 一応エアコンもあったけど使用不可。 )
 安宿・ゲストハウスで冷蔵庫付って訳で、早速ランプータンを半キロ( 1500Riel )、マンゴースチン1キロ( 65バーツ )、ドリアン3房( 50バーツ )更にタイガー・ビールや7アップなんかを近くの店で買ってきた。
 “ ユーロテック ”のラベルのミネラル・ウォーターを掃除のオバサンが毎日一本、宿のサービスとして入れておいてくれた。これは助かった。が、実のところ、この宿、否おそらくこのバッタンボン自体の水質が悪い故の補完サービスの類。水道の蛇口から出る水は一様に少し濁っていて、トイレの水に到っては常に灰色に淀んでさえいた。だから洗顔はできても、口をすすぐなんてのはヤバそうで、この“ ユーロテック ”を使うほかなく、足りない分は自分で買ってくるしかなかった。


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 バッタンボンは典型的な地方の“ 文化的 ”な香りを漂わせた小綺麗な小都市って趣きの街で、明らかに大きく雑然としたプノンペンとは異なっていた。
 それでも他のカンボジアの町がそうであるように、やっと復興の途につきはじめたバイタリティーに溢れててその象徴ででもあるかのように子ども達で満ちていて、水位の低くなった街の中央を流れているサンケイ( サンカー )川の畔にも裸の子ども達が水遊びに興じ、夕方になると川土手の上にずらり屋台のテーブルが並び、夜總会=ナイトクラブも少なくなく、長年のベトナム戦争・ポルポト支配時代から解放されようやく自分たちの生活を些かなりとも享受できるようになった楽天的な明るい息吹ってものが見て取れた。
 尤もこれは場所的な問題なのか、土曜の夜でも9時頃には、宿のあるメインストリートの三馬路周辺は街頭だけが煌々と灯り、人影は殆どなく、バイクや乗用車が時折足早に走り抜けて往くばかり。

 そういえば一度だけ、夜遅く、外で銃声じゃなかったけど、かなり激しい大きな音がし、何ごとかとベランダに出て様子を窺ってみると、向かいの建物の上階の住民達もベランダに出てきていて、眼下の歩道の薄闇に人影が点々と蠢き、皆マーケットの方に向かっていたので、そっちで何かあったのだろう。さすがに服を着直してまで見に行く野次馬根性は起きなかったのでベッドに戻った。


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   ( メインストリート三馬路 )

 当時( 15年以前 )は、ひょっとして現在でもそうかも知れないが、隣国タイがゲーム・センターとは別個にプレイステーション・ゲームや後ネット・ゲーム屋が路地裏にすら蔓延( はびこ )ってたのと違い、カンボジアではゲーセンのアーケード・ゲームを並べたゲーム屋(後、プレイステーション・ゲームも見られるようになった )全盛の時代で、バッタンボンでもけっこう見つけた。
 映画館の跡らしきものは何軒かあったものの、営業しているのは見つけられなかった。貸ビデオ屋が幾軒も並び、カンボジアの定番=ビデオ・カフェの類には昼間っからでも大人も子供も寄り集まって活況を呈していた。カラオケ屋も多く、同様に昼でも男女学生が屯していた。

 
 部屋に備わったテレビは、東南アジアの定番〈 スターTV 〉が映り、中国やタイの放送、インドの“ Plus ”、フランスの放送、CNN等が観れた。プノンペンじゃ、エジプトやパキスタンのテレビ番組すら観れて重宝した。
 3チャンネルは香港の番組で《 精武門 》の連続ドラマが流れていて、ジェット・リー・倉田が演った映画と較べて当然だけど描写が細かい。1986年制作らしい《 西遊記 》も流れ、丁度三蔵から孫悟空が頭に金冠をいただくあたりをやっていた。
 

 バッタンボンには、プノンペンを走っている後ろに運転部があるベトナムと同様のシクロとは異なる、インドや日本の同様の前で運転するタイプのサイクル・リキシャの変形版が走っていた。乗り降りする場合に足をかけるステップがなく、余り乗り心地の良さそうな代物ではないようだった。ちょっと先のシソポンの町も前側運転タイプで、タイ側の国境の町・アランヤプラテートや北部のチェンコンでも同型だった。タイの影響なのだろうか。首都プノンペンはベトナムの影響 ?

 ある日、三馬路を歩いていると、Phnom Pich ( 鑽石山大旅店 ) に頻( よ )く出入りしている小柄で丸顔した人の良さそうな三十歳台のバイク・タクシーの運転手が声をかけてきた。チャンス到来とばかり尋ねてみると、バイ・タクはやっぱし金にはならないようで、一日数十バーツぐらいの稼ぎだと答えた。確かに、この街もそうだけど、もうそれしかないみたいにカンボジア中にバイ・タクが溢れかえっていて、更に互いに共喰いしてるんじゃ話しになるまい。しかし、だからといって、はて他に何があるのかってのが当時の状況だったけど、あれからもうフン・セン独裁政権の下15年以上過って状況はどう改善されたのだろうか。


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 ( サンケイ( サンカー )川の土手 )


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