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2015年5月 9日 (土)

ポスト“ ポル・ポト ”的泥濘 《 なぜ 》

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 《 アジア・ウェーブ 》の増刊号、《 アジア文學 》第3号( 1998年 )に、1977年生まれ(今年38歳)のカンボジアの小説家=マイソン・ソティアリーの《 なぜ 》が掲載されている。
 “ ポスト・ジュノサイド ”つまりポスト・ポルポト的時代に登場した新進女性作家の一人で、彼女が18歳の頃、カンボジア新聞《 リアスメイ・カンプチア 》に1995年10月に掲載された短編小説で、プノンペンのテレビ局《 チャンネル3 》に勤務しながら小説を発表し、後、ラジオ関係の仕事に従事するようになったらしいが、詳細は不明。


 僕がカンボジアに最初に訪れたのが、丁度この小説が発表された1995年の初秋。
 プノンペンのバック・パッカーの溜り場《 キャピトル・レストラン 》で、毎朝毒々しいオレンジ色に彩られたタイ製紅茶粉のミルク・ティーとフランス・パン、フライド・エッグの定番の朝食を喰いながら、少年たちの売りに来るタブロイド判の英字新聞《 カンボジア・デイリー》を1000リエルで買って読むのが日課となっていた。“ 地下鉄サリン事件 ”に日本中が騒然としていた頃で、オーム真理教に“ 破防法適用 ”云々なんて記事もあった。
 尤も、英字新聞といっても巻末の二ページが《 時事通信社 》の日本語版で、大抵日本人はそれを読んでいた。さすがクメール語新聞を読める旅行者って先ず居ないので、街角のスタンド本屋でしか現地人新聞を見かけることはなかった。幾種類もあったので驚いた記憶がある。そんな中に、件の《 リアスメイ・カンプチア 》紙もあったのだろう。
 

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 この頃はまだ両手を合掌して突然現れるバクシーシ( 喜捨 )を求める現地人、つまり単純に食を求める子供から年寄り、現金を求める地雷で片足を失った男たち )や子供たちの物売りが、《 キャピトル・レストラン 》のテーブルからテーブルへと次から次とやって来ていた。二年前にようやくカンボジア王国として発足したポスト・ポルポト派的新体制、解放と資本主義的発展の揺籃にまだまだゆらいでいる時代。人々はやっと自分たちの生活を取り戻すことができるという楽観主義と一歩一歩それを手中にしてゆく過程の端緒についたばかり。それでも前年にポル・ポト派は非合法化されこそすれ、依然と地方じゃ公然とその勢力を誇示していたし、ポル・ポト派が攻め込んでくるとかいう話しよく聞いた。プノンペン中でカラシニコフやM16、ロケット・ランチャーで武装した兵士たちの姿があった。
 この国の最大の観光資源アンコール・ワット近辺は正にポルポト派の勢力圏に近いらしく、まだジャングルの中にあるタ・プロムやプレハ・カーン遺跡じゃ武装した兵士がガードとして附いて来たりもしていた。 

 
 そんなまだまだ危うさの上に辛うじて日々の生活を送っているカンボジア=プノンペンのある勉強熱心な真面目な青年の物語。
 冒頭のっけから、学校から帰宅してきた青年ネートの家で久し振りに戻ってきた父親と母親の夫婦喧嘩の場面で始まる。物が投げつけられ破砕する音や互いの怒声が中から響いてくる。怯える小さな妹弟を外に出し間に割って入る。
 父親は愛人を他に作ってそっちに入り浸り、母親は自棄なのかギャンブル三昧。ギャンブル代に売れる家財は殆ど売り払い、あげく父親がネートに買ってやったらしいバイクにすら手を出していた。それに怒った父親は再び去って往き、母親も借金取りが現れ逃げ出してしまってそれっきり。幼い妹弟を抱えネートはすっかり途方に暮れてしまう。
 長年、戦争・内戦に明け暮れしすっかり疲弊してしまった社会では、当然の如くの定番の“ 貧乏物語 ”。


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 末の幼稚園児のトゥーイは月謝を、小学生の妹のスロッは補習のお金を催促し、米びつには一掴みの米しか残ってない。家の中を見廻しても金になりそうなものは、全て母親がギャンブル代を工面するために売り尽くしていた。万事休す。力仕事なんかじゃ喰い繋いでゆくだけで精一杯。金回りの良い友人のチアットのところへ赴く。ところがチアットたちはバイク専門の窃盗団だった。それも拳銃を振りまわして強奪する荒っぽいやり口の。
 アンコール・ワットのある観光都市シェムリアップなんかじゃ、郊外の道路沿いの草陰・木蔭に隠れて待ち伏せ、バイクに乗ったのが現れると、ピストルかカラシニコフの単発で運転者を狙撃し殺害してからバイクを奪うという非情な手口も使われていたという。
 ネート一人ならともかく、幼い二人の妹弟を養ってゆかねばならず、如何思案しても埒もあかず、結局チアット一味に加わることになってしまう。ある日仲間のユムと一緒に旧スタジアム近辺に向かい年寄りの乗った真新しい100㏄のバイクを奪おうとして口封じのためその爺さんをユムが射殺してしまう。激しく動揺してしまうネートであったが、やがてそれも忘れてしまう。そんなある日、ユムと一緒に女のバイクを奪った。と、四方からポリスたちが現れた。網を張られていたのだ。ユムはすばしっこく女のバイクに乗って脱兎の如く逃げ去っていった。一歩逃げ遅れたネート、背後からポリスの停車を命ずる威嚇声が鳴り響いた。


 「 僕はパニックをおこした。僕だって止まりたい。でも・・・もし捕まって牢屋に入れられたら・・・スロッとトゥーイはだれに頼ればいいのだ ? 僕は発狂しそうになりながら前進した。飛ぶようにバイクを走らせた。四つ角まで来ると、車が一台すぐ側までやって来た・・・避けようにも間に合わない・・・」


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 ストーリーは典型的定番なのだけど、映画の一シーンを想わせるような、カンボジア人の書いたリアルタイムなカンボジア=プノンペン物語ってところで興味を惹いてしまった。日本と違って、カンボジアじや、拳銃どころか自動小銃カラシニコフが定番のお国柄、為にする小道具じゃなく正に日常茶飯。尤も、それもやがて小市民化によって映画的世界の産物となってしまうのだろうけど、まだまだ先のことだろう。 
 
 マイソン・ソティアリーのもう一つの短編《 姉 》も、やはり主人公は真面目な青年で、プノンペンに働きに出ていった姉のお陰で彼も妹も大学や高校にも通え何不自由ない中産階級的生活を満喫していたのが、実はその姉は、プノンペンで人気の娼婦だったというこれもリアルタイムなカンボジア貧乏物語。娼婦と知って、姉をなじるのだけど、やがて彼女の献身で彼ら二人の弟妹がこれまで好きに勉学に励んでこられたのに思い至るというストーリー。
 当時(1995年頃)カンボジアじゃまだカンボジア=プノンペン中に娼館や街娼が溢れていた時代で、大抵の幼い時から売られてきた娘たちって幾らも実入りもなかったはずだし親元への仕送りなんてたかが知れていたろうが、それでも貧しい農村家庭じゃ貴重な現金収入だったろう。この《 姉 》のような多額の仕送りが出来るってのはかなり高級な娼婦だろうし、あるいは裕福なパトロンでも掴まえていたに違いない。
カンボジアより生活レベルがあきらかに数段上の隣国タイにあっても、同じ頃作られた映画《 ヤワラート 》で、主人公の恋人の中華街ヤワラートの娼館の娼婦が、その恋人に去られ失意して故郷に戻ったのが、長年の彼女の仕送りですっかりゆとりの生活を送っていた親兄弟に、なだめられやんわりと元の娼館に送り帰されてしまうエピソードがあるぐらい。東南アジアじゃ、長女ってしばしば献身を余儀なくされるようだけど、この《 なぜ 》の主人公ネートも、自分がもし女だったら娼婦になって何とかなったろうが如何せん男ってところで嘆いてみせる。タイなら、しかし、男であっても何とかなったのかも知れないものの、何しろ外人男性がカンボジア少年を買春することに女性・少女に対するそれに較べて明らかに厳厳罰対応していた実情からして、少なくとも当時には一顧だにすることもなかったのだろう。


 尚、《 なぜ 》と《 姉 》は、ネットでも読むことが出来る。

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